フリーマンの随想

その45. 選挙制度は生活する人のために変遷してきたのか


* あるオンラインマガジンの取材に答えて *

(12. 1. 2001)


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これは「 べんべん 」 というオンラインマガジンのインタービューに答えるために作成したものです ( 一部追加 )。
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ご質問の 「 選挙制度は生活する人のために変遷してきたのか 」 について

最初にお断りしますが、わたしは政治学者でも選挙制度の専門家でもありません。 しかし 「 生活する人 」 の一人として、 またこの2年近くこの運動に従事してきた中から得た知見にもとずいて、 自信をもって申上げられるのは 「 そんな事は全くありません 」 と言うことです。

選挙制度は、戦後、占領米軍の 「 ご指導とご指示 」 に基いて女性の参政権が初め て認められた当時は ( 今の若い女性たちはたった60年前、祖母の時代には、 女は選挙する権利も選挙される権利も持たなかったことを知っているでしょうか! ) 生活する人の為を考えて選挙制度は変えられたと言えなくもありませんでしたが、 その後、日本の国会議員だけが選挙制度をあれこれ 「 いじくる 」 ようになってからは、選挙される人たち、つまり 政治家と政党のエゴの為だけに、選挙制度は変遷してきた と言っても過言ではないと思います。

ごく最近も、公明党が都市の一部での中選挙区復活を主張して、連立与党内でもめました。 ついこの間、散々もめた挙げ句に小選挙区 + 比例代表の制度に変わったばかりなのに、 こういう事を言い出してダダをこねるのは自分の党が 「 トク 」 になると思いついたからでしょう。

この典型的な例で分かるように、公明党にかぎらず、現在の政治家は、選挙制度に関する限り、 いつも 「 自分が、自分の党が、次の選挙で少しでもトクになるか、損になるか 」 だけしか考えないのです。

その最たるものの一つとして、今も悪名高いのが、 故竹下登首相の時代に決められ、 現在も尾を引いており、現状の 「 一票の格差 」 の主因となっている法律、 すなわち現行の 「 衆議院選挙区画定審議会設置法 」 です。

これを改正しない限り、一票の格差の根本的解決は望めないと思われます。 具体的にご説明しましょう。 現行法では、小選挙区300の中から、47都道府県に、 その人口に無関係に、均等に1選挙区 ( すなわち47人 ) づつを、まず割り当てるのです。 その後に、残りの253選挙区 ( 253人 ) を各都道府県に人口比例で配分します。 この欺瞞に満ちたカラクリにより、一票の格差を解消したくても、 ある程度以上はどうしても出来ない仕組みになるのです。

そもそも、一票の格差は、第2次大戦中、戦火を避けて多くの人たちが地方に移住し、 戦後も食糧難から地方にとどまっていた頃の人口分布が根底にあって生じていると考えています。 その後の日本経済の復興と高度成長に伴い、人々は続々と都市部に集中してきました。 しかし、それを正しく反映して地方の議員定数を減らし、 都市部のそれを増やすという修正をしなかったのは、多数派の地方選出議員たちが、 自分たちの議席が奪われることに抵抗して、定数の改訂を故意に怠ってきたからです。 都市部の有権者達がこの矛盾に対して真剣に怒らなかった責任も有ります。

そもそも選挙制度を、選挙される当事者の国会議員が立案し決めるということ自体、 おかしいとは思いませんか。 あたかも、 受験生に入試制度や試験問題を作らせるようなものです。 自分の都合だけしか考えないエゴが横行するのは、当然の事です。 国会ではご承知のように当選回数の多い人ほど、政党や政府の偉い地位に就けます。 だから少ない票数で毎回楽に当選できる地方選出の議員が、どんどん強い権力を持つようになり、 自分たちの定員を都市部に渡そうとしないのです。

この矛盾を 「 いけないことだ 」 と考え、裁判に訴えて正そうとした人たちは、 今迄、数え切れないほど沢山いました。しかし最高裁まで上がっていっても、 いつも 「 一票の格差が大きくても憲法違反ではない 」 という判決がでて、 おしまいになってしまいました。それは、最高裁の判事を決めるのが総理大臣だからです。

ついこの間まで、総理大臣はほとんどすべて、 地方選出の議員だったことを、不思議な事だとは思いませんか。それは、 地方にばかり優れた政治家が生まれるからでは決してありません。地方から選挙に出れば、 少ない票数で毎回楽に当選できるからであり、 そうして権力を得た人たちが都市部が納めた税金を地方にどんどんまわして、 必要かどうかさえ疑わしい道路や橋や空港やダムや公共建築物などを、次々に作って、 いわゆる 「 地元への利益誘導 」 をしてきたからです。 その見返りに得たさまざまな 「 支援 」 により、彼等はまた次の選挙で楽に当選し、こうして悪循環がいつまでも続きます。

すべての国民に対し公平無比であるべき最高裁の判事も、実は生活する人、 すなわち国民の方に顔を向けず、地方選出の総理の顔色ばかりを見ているのではないかとさえ思われます。 最高裁判事の中で 「 一票の格差は憲法違反だからただちに改めなさい 」 と言う人は少数派です。 任期満了に伴う新任のたびに、徐々に 「 憲法違反ではない 」 と主張する、 変な判事の割合が増やされてきて、今では多数派になってしまった結果、 何度裁判を起こしても、駄目なのです。 誰を新任するかは、最高裁の側で原案を出し、 それを歴代の総理大臣が 「 そのまま 」 承認してきました。 次回こそ、小泉総理に 「 これでは駄目だ! 」 と拒否し修正を指示して欲しいものです。

このようなわけで、選挙制度を作る立法の立場からも、制度の良し悪しを判断する司法の立場からも、 選挙制度は 「 生活する人の為に変遷してきた 」 のではなく 「 地方出身の大物政治家の意向にしたがって変遷してきた 」 と言ってよいと私は考えます。

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。