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米国で体験した冠婚葬祭
私が米国南部のある小都市に8年近く住んでいた間、社員、その家族、
あるいは近隣の住人や遠くの友人 ( すべては米国籍の白人、黒人 ) の結婚式や葬儀に、
何度となく参列した。 最初のうちは物珍しい風習に興味を感じ、日本との相違に驚き、
時にはその合理性に感心したりしていたが、今回はそれらを整理してご説明してみたい。
その前に・・・。
- 冠婚葬祭のやり方についても、現在の米国では、先祖の人種的系統による差や、
階級の上下による差、地域ごとの風習の差などがあり、一概には言えないように思われる。
私の話は、多数派の欧州系の白人中流社会の風習や、
それに倣うように形成されてきた黒人社会の風習についてである。
ユダヤ人や、中国などのアジア系のような、
特殊な少数派の人たちの社会の風習は良く知らないので、ここでは触れられない。
白人でも、上流階級は随分違うと思うが、私は何も知らない。
- 次に、ここに記述する彼らのやり方が、いかに合理的であるからと言って、
私はそれを日本でも普及させようなどと、ここで主張するつもりはない。 こういう風習は、
変えようとしてもなかなか変らないものだし、一方では、変えまいと思っても、
徐々に着実に変って行ってしまうもので、要するに 「 なるようにしかならない 」
ものであると思うのだ。
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- 結婚祝の贈り物
現金を包んで贈るという事はない。品物は、贈り手が選ぶのではなく、受ける側が選ぶ。
先ず、デパートなどに行き、二人の名を登録し、欲しい品を二人で選んで列挙する。
単に品名だけではなく、具体的に 「 このメーカーのこの模様のディナーセット一組 」
という風にして、具体的なリストを作る。
贈り手は 「 君はどこのデパートに登録したの? 」 と聞き、そこに出掛けていって、名前を言い、
登録された品物のリストを見せてもらう。
高価なディナーセット一式全部を贈ることなど出来ないから、たとえば、
私はそのうちの$10のお皿を3枚と決めて、$30払い、自分の名前をデパート側に告げる。
デパートはその皿3枚をリストから消す。 このようにして、次々に来た友人や親戚たちの名で、
次第に希望の品々が揃って行く。
この例のディナーセットの場合、最後に数点、買って貰えなかった品が残ったら、
それは自分で買い足す。 デパートは最後に、贈り手の氏名と品名、
金額のリストを二人に渡すので、誰が何を贈ってくれたかが分かる。 とにかく、
何を贈ろうかと悩んだりする必要がない点が、有り難い。
こういう方式なので、同じ品物を二つ頂いてしまったとか、
欲しくないものを貰ったとかいう事は、まず起り得ない。
金額は、一概には言えないが、普通の中流家庭の子女の結婚の場合、$20−$30、
せいぜい$50くらいであった。 その代わりと言うわけでもないが、お返しは一切しない。
上記の贈り物へのお礼のカードが、しばらくしてから、二人から届くだけである。
- 結婚式
これはほとんど説明の要はない。 米国映画でよく見るシーンそのものである。
- 地味だが楽しい披露宴
結婚式に呼ばれても、その後の披露宴は広い美しい庭園などで立食式のごく軽い食べ物、
飲みものが出るだけのものである。 だから、招く側にとっても、たいした出費とはならない。
しかし、雰囲気は実に和気あいあいとした、気持の良いものである。
来賓の式辞のような物は、聞いた記憶がない。 もちろん引出物などでない。
何より良いのが、黒のダブルに白のネクタイといったような特別の礼服を着て行かなくてよいことだ。
男なら普通の背広に普通のネクタイで充分である。 女性も同様。 黒のダブルというのは、
和製英語みたいな、日本で発明された服装ではないかと思うが、違うだろうか。
- 礼服はタキシード
話がそれるが 「 では米人は礼服は着ないのか 」 と聞かれれば、着る。それはタキシードである。
冠婚葬祭には着ないが、金持の人々の催す親睦や慈善のパーティなどには、招待状に
「 ブラックタイ 」 と書いてあったら、タキシードに黒の蝶ネクタイで出掛ける。
米国に移住するなり早速誂え、しばしば愛用した私のタキシードや絹のフリルつきのシャツは、
今、日本の洋服タンスの中で眠ったままである。
さらに上流階級の人々の集まるパーティだと、
招待状に 「 ホワイトタイ 」 と書いてあるので、白の蝶ネクタイになる。
私は首都ワシントンで1回だけ、こういう豪華絢爛たるパーティに出席したことがある。
まわりじゅう著名人だらけだったが、どっと疲れた。
- 葬儀の服装
葬儀も、結婚式と同様に礼服に黒のネクタイなどという人は誰もいない。
普通の背広に普通のタイが正解で、中には派手なネクタイをしてくる人すら多く見掛ける。
- 香典は不要
葬儀にも、日本のように現金を包んで持って行く必要はない。
親しい友人の家庭で不幸があったりした場合、花屋さんに頼んで花を届けてもらうのは、
よく見られる風習である。
ただし、日本同様、遺族が花を辞退する意思を事前に表明することもある。
葬儀のお知らせの書状に 「 もし故人に対し何かお気持ちがお有りでしたら、
これこれの施設に寄付をしてください 」 というようなことが書いてあることが多い。
施設とは、多くの場合、病院、養老院、研究所、大学、教会その他、故人に生前縁が深かった、
社会的に有意義な施設である。
普通の人の場合、$10ないし$50くらいの小切手を、故人の名前と共に郵送しておけばよい。
施設側は、集まった寄付を、金額、氏名とともに、後日、遺族に知らせるので、遺族は、
誰が協力してくれたか、わかる仕組みである。 遺族からお礼状が来ることもあるし、
来ないこともある。 香典返しのようなことは通常ないが、私は一度だけ、
その町の歴史を記した分厚い本をお返しに貰ったことがある。
そこには故人の先祖の生前の功績が記されていた。
- 葬儀屋のステータス
日本との大きな違いの一つは、葬儀屋の社会的ステータスが高いことである。
葬儀社の社長が、その地域のビジネス界のボスである事も珍しくない。
ロータリークラブの会長になったりしている。 日本では、今でもまだ、
「 縁起の悪い 」 商売と言う感じが完全には払拭されていないように思うが、
米国ではそのようなことは全く感じられないように思う。
- 遺族の悲しみ方
日本の葬儀では、遺族は身内だけの時はおおいに嘆き悲しむにしても、葬儀の席では、
人前でもあり、グッと堪えて、めったに泣いたりしない。 一方、参列者は、おもに女性であるが、
そっと涙を流す人が少なくない。 これに対し、米国では、私の数回の体験だけから言えば、
典型的には次のようなものであった。
葬儀の参列者が教会の席に着いて待っていると、突然、後ろの方から 「 ギャオーッ 」
という凄まじい声が上がる。最初は何事かと度肝を抜かれたが、これが、
有為の息子を突然亡くした母親の泣き声であった。 親戚の人々ににいたわられながら、
この母親は 「 ギャオーッ 」 「 ギャオーッ 」 と大声で泣き叫び続けながら入場してきた。
その大きな叫び声は、牧師が式を始めた後も、はばかりなく続いた。
まさに 「 悲嘆の極み 」 といった感じが伝わってくる。 一方、参列者はどうかというと、
親族以外はほとんど平然としている。
日本の場合とどちらが良いとか悪いとかいう話ではなく、
これは文化や価値観や伝統の差なのだと思うが、
米国の方が遺族も参列者も 「 素直 」 かなという気はする。
- 墓地と埋葬
日本同様、親族や親しい友人たちは、教会での葬儀の後も、埋葬に立ち会う。
米国は土葬が原則で、米国映画でみるようなシーンを思い出していただけば良い。
教会の裏の墓地まで歩いて行くと、墓堀人夫が予め深い穴を掘って待っていて、
列席者が讃美歌を歌っている間に棺桶を穴に吊りおろす。
牧師の祈祷のあと土がかけられたら解散となり、飲食などはしない。
キリスト教の考え方では、死者は遠い天国に行ってしまうから、
死後の墓参りは日本ほどには行われないようである。
教会裏の古い墓地は墓石などのたたずまいも横浜の外人墓地に似ているが、
最近の霊園は教会から離れた所に在り、
広い芝生に平らな墓碑が地面に水平に並べられているだけである。
色とりどりの造花がその前に捧げられているので、
遠くからは美しい花壇のある公園のように見える。
- 冠婚葬祭費
上に書いたようなわけで、日本にいた頃は、部下の数も多く、付き合いの範囲も広かった私は、
今考えても驚くほどの冠婚葬祭費を、毎月自分の財布から出していたのだったが、
米国で仕事をするようになったら、急にその額が減ったことを、今でも覚えている。
- 近隣者の役割
親しい友人たちや仲の良い近隣が結婚式などで介添役などとして手伝うことはあるけれども、
日本の農村のように、隣組全員が手分けして葬儀の万端を手伝わされるといようなことは、
もちろん、ない。
書き終わってみると、何だかまとまりのない話になってしまったが、やはり、
こういう事ひとつをとっても、日本は何かと規制の多い、
またしきたりにしばられ、周囲を気にしなくてはならない国だと思う。
せめて、自分の葬式くらいは、自分の意志で米国流でも日本流でもない自己流に、
ズバリと改革してみようと、私は今、改めて考えている。