フリーマンの随想

その7. 中国の工業化の影響

*「十数億」という数の持つ意味 *
(5.16. 1998)
東京大学工学部会報「丁友」の依頼で、21巻86ー87ページに私が 「資源の壁を超える技術を」と題して小文を寄稿したのは1984年の初め、 今から14年以上前の事でした。以下に先ず、その主な部分を転載します。(一部今回微修正)

現在、自由世界全体で一年に銀を約8,200トン産出する。その他に、 回収銀とういうリサイクル源があってこれが約4,000トン、合計12,000トン余りが、 一年間に利用できる銀である。説明は省くが、年間産出量を上記以上に大幅に増やす事は、 もはや不可能と言って良いようである。
これに対し使う方はというと、写真用、エレクトロニクス用、装飾用などが主で、 銀貨用というのはだいぶ以前に各国とも殆どなくなった。これらの使用量の合計も年間約12,000トンで、 前記の供給量とほぼバランスしている。

これらの内、写真用が最大の使用量で、米・日・欧の三地域で年間約 4,500トン位であり、ここで作られた銀塩感光材料が全世界に供給されている。 この三地域以外には、共産圏も含め、大規模な写真感光材料工業は無いと言ってもよい。(中略)
日本人や米国人は写真の好きな国民であり、一年に一人が平均50回近くシャッターを押す。 この他、医療診断用、印刷製版用、映画用、マイクロ写真用など、多くの分野で多数の写真、 つまり多量の銀が消費されている。

所で「もし中国の人々が今の日本人や米国人ほどに今の方式の写真を利用したらどうなるだろう」 と数年前訪中の折考えた。人口は十数億人だから、大ざっぱに言って、 一年に5,000トン以上の銀が新たに必要となる。回収できる分が幾らか有るとしても、 これは途方もない量である。そんな大量の銀を前述の12,000トンにプラスしてこの地上で得る事は不可能であろう。(中略)

ある基礎数に十数億人という数を乗じた途端に、その答は途方もない、 不可能を示唆する値となることが多い。つまり、一億人と十億人とは量的な差ではなく、 質的な差ではないかとさえ思う。
銀の場合と同じ計算を、粗鋼や原油の消費量や身近な消費財や廃棄物の量について、 暇のある方はやって見て、改めて驚き、私の説を納得されるのがよいと思う。

これから21世紀にかけて近代化と生活水準の向上を志している人たちは、 中国以外にも東南アジア、中南米、アフリカ等にさらにもっと多数存在しているはずである。
しかし、前述のごとく、現在の先進国で一般に見られる形態の技術を、 そのままの形でさらに何十億人もの人々に拡大する事は、資源的に不可能な場合が殆どだし、 もしやれる場合でも、必ずや途方もない状況の悪化を惹き起こすことになるだろうということについて、 先進国の側にも、追いつこうとしている国々の側にも、問題意識が殆どないように私には思える。
現状は、ひたすら在来型の技術の移転による近代化が双方により希望され実行されようとしているとしか思えない。 このままで良いのだろうか。

だから21世紀を目前にして、私たち技術者の課題は、今の1/10、 1/20のエネルギーや資源で、ほぼ同等の機能を出す方式、システムや、 今の素材よりも10倍も20倍も得やすい素材で成り立つ装置、方法とかを開発し、 世界の人々のうち、それを望む人すべてが現代文明の恩恵に浴することが、 どうにか可能となるような状況を作り出すことなのではないだろうか。
それにしても、われわれ現代の先進工業国の人間は少ない資源を 何とまあぜいたくに使って暮らしていることだろうかと考える次第である。(完)

14年前、この文章を書いた時、今だから告白しますが、私は 「だから中国の人たちは日本人のように写真を楽しむ事は銀資源の面から不可能であろう」 とまず結論し、最初はそう書きました。また私は、自動車の使う鉄や石油系燃料資源、 TVや洗濯機の使う電力を賄う火力発電所、それらから出る硫黄や窒素の酸化物、 洗濯機が使う洗剤の量などを同様に計算し、 彼らがこれを先進国の人々と同程度に享受することは不可能であるか、或いは無理に行えば、 とんでもない環境破壊や資源の枯渇がおきる事を知り「中国の人々はそれらを使う事は出来ないだろう」 と書きたかったのでした。
しかしその考えは余りにも身勝手だと反省し、撤回しました(もしこの意見を役員の私が公表したら、 中国大使館から会社宛てに抗議文が来たかもしれません)。

次には日本ほかの先進国の人たちがこれらの消費を節約し、 その資源を分配したら・・・と考えましたが、そんな美談は夢物語だし、仮に半減出来た所で、 十数億人という巨大な人数に分配出来るほどの量ではありません。そこで、 上記の転載文の最後の6行のパラグラフの前半に提案したような路線で、 前向きに事を解決するしかないと考え、結論をまとめたのでした。

あれから14年が経ち、状況はどうなったでしょうか。 5月3日のTVでは重慶市のなんとも深刻な大気汚染の被害が報じられましたし、 3月には中国から飛来したと思われる酸性雨と煤で屋久島の貴重な森林が被害を受けている事も報じられました。 日本の他の地域でも、中国からの酸性雨の影響が懸念されているようです。私が当時心配した事は、 やはり現実となってきたのです。
一方、14年後の今、写真は銀を使わないデジタルカメラとプリンターが現実のものとなり、 画質も向上して、次第に特殊な用途だけではなく、一般の人たちの使えるカメラサイズと価額になりつつあります。 電気自動車も現段階ではまだまだ問題が多いが、ハイブリッド型も含め、近い将来その域に達し、 相当の効果をもたらすでしょう。これらの進歩には、当時私が期待したように、 日本の技術者たちの努力が大いに貢献しています。

それにしても、日本などでかつて起きた失敗を、なぜ途上国は学べず、 どの国も同じような失敗を何度でも繰り返すのでしょうか。 重慶市の火力発電所が吐き出すもうもうたる黒煙と喘息患者の映像を見ながら 欲望を暫時抑えて被害を防止する策に知恵とお金を先ず使い、 その後で技術の成果を楽しむという賢さを人間はなぜ持てないのかとつくづく思いました。
日本人が過去50年間に1.2億人がかりで行ってきた大規模環境破壊 (しかし後半それに気付き種々の対策を実施して改善と修復に努めている)を、 今中国人は十数億人がかりで、もっと短期間に十倍の規模で行おうとし始めているのでしょうか?

十数億人の中国の人たちにも現代技術の成果を享受する権利があります。 でもその前に、中国政府は今すぐ、享受に先行した被害防止策を最優先で実行すべきです。 そして日本は、日中両国民が巨大な被害に巻き込まれないために、かつての失敗の知見をもとに、 大掛かりな技術的・経済的援助を今すぐ最優先で行うべきだと考えます。 民間資本による工場やホテルの建設などは本当はその次のステップでなければいけなかったのですが、 儲かる話なら何でも身勝手にやってしまう資本の論理で世界中の企業が我先にと進出しました。 中国の政府も国内資本も人もこの波に無思慮に乗ってしまい*、 状況は急速に悪化してしまったのではないでしょうか。
今こそ日本だけでなく、世界の技術者は、1/10、1/20のエネルギーや資源でほぼ同等の機能を出す方式、 システム、10倍も20倍も得やすい素材で成り立つ装置、方法、1/10、 1/20の環境劣化しか起こさない施設、材料、処理法などを今後も鋭意開発し、世界に供給すべきでしょう。

中国だけでなく、他のアジア諸国にも巨大な人口が存在します。 今から十数年後にまたもや私の危惧が現実となって、 アジア全域が破壊し尽くされてしまわない事を願うばかりです。

*:共産主義のあの「崇高な倫理」はこういう身勝手な資本の論理を激しくさげすみ、 攻撃していたのではなかったか・・・これは私と妻とが抱いた素直な疑問です。

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