フリーマンの随想

その39. 私の翻訳体験


* 得るものが多かった思い出 *

(2. 24. 2001)


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[ 序 ]

今回は、私が一生でたった一度だけ、専門の技術分野とは全く関係のない英語の本を、 仕事の合間を縫って、1年半かけて翻訳した時の話を書いてみたいと思います。

それは、The South for New Southerners (*) という本で、米国内の他地域から 「 南部 」 に転勤、移住してくる北部人 ( Yankee ) たちに、 南部とはいかに他地域とは違う、変わった土地柄であるか を教え、彼らの 「 南部 」 への理解、適応を援助しようという意図で作られた本です。 学問的にも相当レベルは高い内容でありながら、関心のある当事者にとっては、 大変面白い読み物に作られています。

私が経営の責任にあたっていた現地法人の人事部長 ( 米人 ) が、私の誕生日のお祝にと、 1991年の5月に、これを私に贈ってくれました。 「 北部 」 どころか、 太平洋の向こう側から紛れ込んで ( ? )きた 「 黒人でも白人でもない男 」 にとって 「 南部 」 での新生活への適応の一助にもなろうと、買ってくれたようです。

読み始めた私は、面白くて止められず、 これは部下の日本人たちにも読ませたらきっと有益だろうと、ただちに 「 専門外の書物の翻訳 」 という生まれて初めての無謀な挑戦を始めたのでした。 もちろん、大変に忙しい仕事の合間の作業でしたので、毎週2ページほど進むのがよい所で、 結局、1年半ほどかかってしましました。

[ 1 ]

さて、当然の事ですが 「 この私の理解と訳は絶対に間違いないのか 」 という点で微かな不安を感じる箇所が、1ページに平均2つほどは出てきました。 たまたま、私は当時、毎週1時間 「 外国人に英語を教える資格 」 を大学で取った米人の女性に、1対1で英語を習っていました。 そこで、彼女に頼んで毎週30分をこの疑問を解消するために使う事にしました。

私の疑問に対して、彼女がすっかり考え込んでしまい 「 来週までに考えてくる 」 と言うような事も何度かありました。 原著者 ( 複数の専門の学者 ) の中には、 一流の学者のくせに 「 専門家仲間にとっては自明の論旨かもしれないが、 初学者に対しては誤解を与えかねない、不完全とも言える構文や表現 」 の英文を時々書いてしまう人もいるのだという事を知り、驚きました。 彼女が原著者に連絡して、著者の真意を確かめてくれた事も何度かありました。

原著者の言いたいことが私に正確に理解できたら、次は、 それを明快で正確で滑らかな日本文に現す事でした。 最初に作ってみた日本語の訳文を、 私は最低5日くらい、毎日読み直しては磨き直しました ( こういうとき、ワープロは本当に便利です )。 どんな読み方をされても間違った理解をされない文章を書くというのは、 意外に難しいものだと、改めて気が付きました。 マルチン・ルターが、彼のドイツ語訳聖書を、無学な老婆に読んで聞かせ、 彼女が意味を正確に理解できるまで、文章の手直しを続けたという逸話を、改めて思い出しました。

このたった168ページの書物の中には、私が生まれて始めて耳にする術語、人名、史実などが、 次から次へと出てきました。 たとえ文法的に間違いない訳文であっても、 その中に出てくる言葉の内容や背景が理解できなくては、私もつまらないし、 読む方々にも不親切だと考えたので、こういう言葉に対し、 私は合計313もの丁寧な脚注をつけることで対応しました。 これらの脚注を作るために、 私は社内の物識りの米人たちに質問するだけでなく、 日本と米国の百科事典や専門書を探して詳しく読む必要があり、 時間もかかりましたが、とても勉強になりました。 時にはこのような脚注が1ページの中で本文と同じくらいの長さになる事もありました。

歴史上重要な事件や人名や地名、南部独特の方言やしきたり、建築様式や食材や料理法、服飾や化粧、 地場の農業や綿紡績産業の歴史、南部キリスト教宗派の特徴、移民や政治や教育や奴隷の歴史、 ブルース独特の音階の話など、私にとって耳新しい事ばかりを調べ、 学ぶ事で、自分自身が生きている米国南部の社会の今昔を識り、理解し、 愛する事が出来るようになりました。

[ 2 ]

さて、この日本語への翻訳が完成した1992年夏、 私は最終稿のコピーを、当時 在アトランタ日本国総領事だった阿南惟茂 ( あなみ これしげ :現在 中国大使 ) 氏に謹呈しました。 彼は、多忙な中、興味をもって読んでくださり 「 自分の知人が大手の K出版社の幹部だから、 これを出版するよう働き掛けてみよう 」 とも言ってくださいました。

出版社のお眼鏡に適わなかったらしく、その後音沙汰は有りませんでしたが、 私はその事を残念だとは全く思っていません。 もともと、 現地で働く社内の日本人たちに読んでもらえればと考えて始めた程度の事でしたし、 せいぜい、州内の日系他企業の幹部に贈呈するくらいのつもりしかありませんでしたので、 翻訳権の事なども、あまり頭にはありませんでした。

ところが、その後、 ウォールストリート・ジャーナル紙が私へのインタービュー記事を大きく掲載した時、 その中に、私がこの本を訳した話が逸話的に書かれてしまい、 それを見た出版社から質問状が郵送されて来ました。 弁護士を通じての話し合いの結果、 私はこの本の日本語への翻訳権と、その日本での出版権を ( 日米友好のためという事か、 僅か$500で ) 買い取ることになりました。 それ以後は、私の帰国後も、この分厚いプリントのコピーは、 この地域に進出しようとする日系企業各社などに随分出回ったように聞いています。

生まれて始めて、まったく専門外の分野の学術的な本を、 「 本腰を入れて翻訳しきる 」 という体験を、 一生のうちに一度持てたという満足感は、私にとっては、大変大きなものでした。

[ 結び ]

これは、前の ( その34 ) と ( その35 ) のような、 私の 「 取って置きの話 」 ではありませんが、良い思い出の一つではあります。

私は、幸いにも、 自分の英語力と日本語力の達し得るベストを現わせたと言える印刷物を、 一つこの世に残す事ができました。 これをやり遂げるのに最適の環境に住んでいたという幸運も有りましたが、 今思うと、50歳代はまだまだエネルギーがありました。 現在の私には、もう到底、あんな根気はありません。

ということは、10年後、もし私が生きていたら、 私の心身は、今より更にずっと衰えている筈です。 今ならやれる事を、 今のうちにやっておこう !

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(*): Paul D. Escott & David R. Goldfield 編 「 The South for New Southerners 」: ノースカロライナ大学出版局 1991年 )。 この題名を 「 南部とは−−−新しく南部に住もうとする人たちのために 」 と決めたのは、 翻訳を完了した後でした。 内容にもっともふさわしい書名は、 熟読し終った後でないと決められないものだと、この時知りました。

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[ あとがき ]

私は、在職中、上司、同僚、部下などに読んでもらうために、業務上の必要から、 外国語の技術文献を日本語に 「 翻訳 」 するという仕事を、 合計50回ほどはやったと思います。

長い英文の報告書をサッと速読して頭に入れるとか、 論文や特許明細書の要旨を数百字に抄訳するというような作業なら、 それはもう、若い頃から数え切れないほど、ほとんど毎日のようにやっていましたし、 米国で8年近く子会社の経営にあたっていた時は、 そういう仕事が私の一日の執務時間の半分近くを占めていたと思います。

しかし今日、上に 「 翻訳 」 と申したのは、一字一句にいたるまで内容を正確に理解し、 全文を完全な日本語に置き換え、不特定多数の人に読んでいただくために、 印刷物にするという作業のことです。 必要なら引用文献を読み、理解する事も含まれます。 こういうレベルの仕事となると、せいぜい50回程度しかしていません。

言うまでもないことですが、これは外国語を日本語にするという話です。 日本語を外国語に正しく翻訳するというような仕事は、私のような者には出来ません。 私に出来るのはせいぜいが英文の草稿を作る所までです。 それをネイティヴの信頼できる人に、言いまわしや文法の点で全面的に訂正してもらって、 はじめて 「 ひと様 」 に見せられるわけです。

私の名前で公表された数多くの英文のスピーチや論文は、 日本語で書いてから英語に変換したものも、 最初から英語で書き下したものも、最終的にはすべてこの方法で訂正されています。 英語を母国語とする国で育ち、教育された、しかも優秀な人でなければ、完璧な英語は書けません。 日常会話や私的な手紙は別として、欠陥のある英文を公的な場に曝す事には私は堪えられませんから、 このようにしてきたのです。

これに対して、外国語を日本語に正確に翻訳する作業は、 私の専門や近縁の分野なら一人で出来ます。 約50回に及んだであろう業務上の英・独・仏語などから日本語への技術文献の翻訳も、 語学の好きな私にはむしろ楽しい仕事でした。 「 1カ所も誤訳はない 」 と自信が持てるまで執拗にチェックし、訳文も、 自分にはこれ以上の整った滑らかな日本語は書けないという所まで磨きぬいて、 全訳を完成した時のあの満足感に浸るために、 毎晩のように私は家で夜遅くまで翻訳を楽しんでいたように思います。

時には 「・・・される 」 というような受動態の日本文を一度も使わずに、 長い論文を訳して見るというような遊び心まで入れて、 翻訳を楽しんだた事もありました ( これは予想以上に難しい仕事でしたが、 勿論、誰も気がついてはくれませんでした )。

そもそも、技術分野の文献の翻訳は、易しいのです。 なぜなら、 技術文献の文章の大半は3人称現在形であり、論旨の多くは簡潔で断定的で筋が通っており、 仮定の願望を述べるというような凝った言いまわしとか、 心の奥の微妙な動きの描写とかいったような難解な文章はごく稀だからです。 その上、内容は毎日の業務に密接に関わる専門分野の話ですから、 術語も歴史的背景も現状の問題点もよく知っています。 時には訳す前から、 著者が言いたい論旨を先回りして想像できたりもします ( これが時には危険な勘違いの陥穽にもなるのですが )。

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