フリーマンの随想

その34. オーガスタ・ナショナルでのプレイ


* 今思い出しても胸が高鳴る稀有の体験 *

(Oct. 31. 2000)
(Sept.29, 2019 一部修正)


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それは、この私にとっての 取って置きの話 ( その1 ) ですが、ゴルフをしない方にとっては何の興味もなく、 従って、ここで読むのをお止めになるのが賢明です。 一方、ゴルファーにとっては、 この上なく関心が高い ( と思われる ) 話で、多分面白いと思います。 それは、私があの オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ でプレーをしたというお話です。

あの世界一の名門コースでプレイするという稀有の幸運に恵まれた日本人が、 一体今までに何人いるでしょう。 毎年1回、4月上旬に開かれるマスターズ・トーナメントを観戦するために、 最近20年ほどは毎年おそらく千人以上の日本人が殺到していると思われるので、 コースを見、歩いた人は、累計数万人に達することでしょう。 しかし、実際にプレイをした人となると、栄えある招待を受けたプロを含めても、おそらく数百人、 程度と推測します。 あのジャック・ニクラウスでさえ、ある日、立ち寄って 「 プレイさせてくれ 」 と頼んだら、 見事に断られたというこの名門コースには、次のいくつかの理由により、 ビジターのプレイを厳しく拒んでいるのです。 これに比べたら、 同じ米国の有名コースでも、ベブルビーチやパインハーストなどは、来客を増やしたいので、 金さえ出せば誰でもラウンドできます(*)。 ( うまく言えないのですが、今の日本にも 「 金を幾ら積んでも、売ってくれない物、入れてもらえない会、やらせてもらえない遊び 」 などがあってよいのではと私は思います。 そうすれば、人は 「 財力以外にも人間の評価基準がある 」 ことを、もっと強く意識することでしょう。 今の日本は金だけが万能でありすぎます )

1.メンバーは米国を中心に選ばれた特別の200人ほどしかいない。 名簿すら公表されない。
2.通常は4名中メンバー2人以上、ビジター2人以下でしかプレイさせない。つまり、 あるビジターがプレイしようとしたら、2人の同伴メンバーを探さないとならない。
3.1年の半分ほどをクローズしてコースの整備に充てている。

1996年3月のある日、私の家 ( 敷地が1,300坪あった ) の庭の芝生に自動散水設備を作らせたり、 年に30回芝を刈る仕事を委託したりしていた造園会社の若社長から 「 私の父はこのサウス・カロライナ州に4人しかいないメンバーの一人だ。たまたま、 同伴メンバーが1人、ビジター3人でよいという日があるから、プレイに招待したい 」 という、驚くべき申し出を受けました。 勿論、断るはずがなく、休暇を取って出掛けたのは、 4月2日の火曜日、何と、その年のマスターズ開催の前の週でした。 という事は、コースの状態が1年の中で最高の瞬間だったということです。

彼と彼の父上、それに声を掛けたら二つ返事どころか四つ返事で参加したW君との4人で、 快晴に恵まれ、アゼリアやドッグウッドが咲き始めた暖かい春の1日、 ほとんど誰もほかにプレイしていないこの美しいコースで過した夢のような半日について語りましょう。

ジョージャ州オーガスタから車で70分の所に住んでいた私には、 マスターズの練習ラウンドや本トーナメントの観戦の入場パスを、毎年、 町の有力者たちが貸してくれました。 ですからその時までに既に6回ほどコースの中でゆっくり1日中観戦しており、 コース自体は、もう見ても感激することはありません。 目をつぶれば、18ホールすべてを瞼の裏に順に描くことも出来ました。 しかし、 この1日は、一体自分はどうやって過したのか、あまりにアガっていて、 当日の写真やスコアカードを見直さないと、何も思い出せないほどでした。 とにかく、大変な興奮状態でした。

我々の車は警護厳重な門を父上の顔パスで滑るように入りました。 立派な更衣室で着替えた後、先ず練習場に行くと、ボールは真新しいのが100個くらい、 見事なピラミッド状に各打席の横に積み上げられています。 これを恐る恐る1個づつ取って、 打っているうちに、だんだん気持が落ち着いてきました。

コースに出ようとすると、何と、 私たち4人のバッグをそれぞれ肩に背負った4人のキャディが現れました。 このコースでカートなどは許されません。 私のキャディは、 いかつい黒人の大男で、一旦落ち着いた私はここでまたドキドキ、ボーッとなりました。

8時45分スタート。 1番パー4を何とか3オンし、3パットでダブルボギーにした私は 「この調子なら100くらいには納まるかな」と思ったのでしたが、それはとんでもない甘い考えでした。 とにかく、ラフでも普通のコースのフェアウェイより遥かに美しく、 フェアウェイは上等なグリーン並み、グリーンと来たらまさに鏡のようです。 その上、この鏡は微妙に傾いていて、9番や18番は手前に乗せたら戻って外に出てしまいます。 16番(パー3)では私が何回パットしてもボールが戻ってきてホールに近づかず、 見かねたキャディーが 「 もう結構です 」 とボールを私に手渡してピンを差してしまうという始末。 また、やっとオンしたのに、第1パットがどこまでも転がって外に出てしまったことも何度かありました。

勿論、レギュラー・ティーからでしたが、距離も結構有りました。 名手たちがバックからいとも軽々とショートアイアンで乗せるのを観戦していたので、 短いのだろうと錯覚していたパー3も、ウッドでやっとだったということだけは覚えています。  例えば4番ホールはバックから240ヤード、レギュラーからでも200ヤード前後ありました。

私のキャディーは、打つクラブを自分で選んでサッと私に手渡します。距離の出ない私は 「 いや駄目だ。 何番に替えろ 」 というような事で、彼は非常に礼儀正しいのですが、 この英語のやりとりも私の集中力を更に削ぎます。 また、 普通のグリーンより綺麗なフェアウェイでは、来週はマスターズトーナメント本番だと思うと、畏れ多くて、 最初の数ホールは芝を傷付けたら大変という意識があったらしく、トップしてばかりいました。

言い訳ばかりになりましたが、アーメンコーナーのあの12番のパー3で、 第1打をそれでも手前の池に入れず、大き目に奥のブッシュの手前に乗せた後、 橋を渡ってグリーンに上がった時、私は 「 まさに天にも登る心地 」 とはこういうものかと実感しました。 トーナメントを観戦していても、この一角は、選手だけしか歩けない数少ない聖域の一つでしたから。 この難しいホールをボギーで上がったものの、次の13番 ( パー5 ) ではクリークに入れて10たたきました。 アーメン。 でも、中嶋常幸だって最初の参戦の時、このホールでクリークに入れて13叩いたのだから、納得しましょう。

という次第で、他人がいくつで回ったかなど、お聞きになりたくもないでしょうが、 57/61の118 ( 46パット! ) でした。 当時私は普段は初めてのコースでも100は切っていたんですが。 パーは6番 ( パー3 ) でたった一つでした。 ここは打ちおろしなので、私でも簡単にワンオン出来ました。

夢を見ているうちに終ったような18ホールの後、 私たちはクラブハウスの中に案内されました。 練習ラウンドや本トーナメントの観戦をされた方、 あるいはTV中継を注意深く観た方ははご存知でしょうが、 大きな樫の樹の後ろにあるこの簡素な平屋のクラブハウスとその前庭には、トーナメント中でも メンバーとその家族以外は一歩も足を踏み入れることは出来ません。

まずダイニングルームに入り、遅い昼食を食べましたが、これは流石にやはり米国だけあって、 美味しくありませんでした。 その後、メンバーたちがくつろいで談笑している談話室に入ると、 数々の記念すべき写真や品々が飾られています。 深々とした安楽椅子に坐り、 何枚も記念の写真を撮ってもらった後は、順に部屋を回って見学です。 一番面白かったのは、歴代の優勝者たち専用のロッカールームでした。 そこには眩しいような名前が一つ一つの扉に付いていて、鍵のかかっていない扉を開けると、 胸にその選手の名前を縫いとった、あのグリーン ジャケット が吊るされていました ( 持ち帰り用とクラブに保存用と2着作られるらしい )。 中には何着も吊るしてある複数回優勝者もいました。

最後が、何を隠そう、実は私が一番期待していたプロショップの売店です。 シャツ、帽子、 ロゴ入りボールを始め、もう見境いもなく何でも買いまくりました。 使い道がないことにも気づかず、ピンの先につける黄色い旗まで買いました。 マスターズ・トーナメントの時にコースの一角に開かれている売店も大変な賑わいで、あそこで買えるグッズも貴重品ですが、 あれには 「 Masters 」 という文字が入っているのに対し、このクラブハウスで売られている品には、 形や色は同じでも 「 Augusta National Golf Club 」 と書いてあります。 更にはるかに貴重品で、 米人ゴルファーたちの間でも垂涎の的です。 このコースでプレイできる稀有の果報者だけが買える品だからです。

最後に、スコアカード数枚と鉛筆を記念にとそっとポケットに押し込んだら、親切な父上が、 プラスチックのグリ−ンマーカーを大きな手で一掴み 「 持って帰りな 」 と呉れました。 夢のような1日でした。 自分の運転だったら、帰りに事故を起こしていたかも知れません。

翌日 「 一体一人いくらなんだろうね 」 と会社で物知りの米人に聞いたら 「 まあ$300かな 」 という返事でした。 当時、米国南部のこの付近では普通のコースでビジターが1ラウンド$20から$30、 日本でも名を知られた名門コースですら、せいぜい$100だったのですが・・・。

では最後にその記念の品々の一部をお目に掛けましょう。


(*) :このクラブは、年1回のマスターズで相当の収入を挙げられることもあり、 客の払うプレイの費用などは最初から全く当てにしていないように見えます。 毎年の年会費は、その年の収支の不足分を200余人のメンバー数で割り、 請求するだけとも聞きました。 ハリケーンの被害のあった年などは高額になりますが、 それが嫌だったり、払えなかったりするような人は、そもそも会員になる資格がないのだそうです。

 そういえば、私は、「 接待 」 でタダでプレイをしたのでした。 勿論、後日、それなりのお礼の品を差し上げましたが。


参考:各ホールには、そこに植えてある美しい花を咲かせる樹々の名前が付けられています。(Wikipediaより)
1番ホール:ティー・オリーブ(Tea Olive)、パー4、455ヤード
2番ホール:ピンク・ドッグウッド(Pink Dogwood - 桃色のハナミズキ)、パー5、575ヤード 
3番ホール:フラワーリング・ピーチ(Flowering Peach - 桃の花)、パー4、350ヤード 
4番ホール:フラワーリング・クラブ・アップル(Flowering Crab Apple - 野生のリンゴの花)、パー3、240ヤード 
5番ホール:マグノリア(Magnolia)、パー4、455ヤード 
6番ホール:ジュニパー(Juniper)、パー3、180ヤード 
7番ホール:パンパス(Pampas)、パー4、450ヤード 
8番ホール:イエロー・ジャスミン(Yellow Jasmine)、パー5、570ヤード 
9番ホール:カロライナ・チェリー(Carolina Cherry)、パー4、460ヤード 
10番ホール:カメリア(Camellia)、パー4、495ヤード 
[11番から13番までが「アーメン・コーナー」と呼ばれる]
11番ホール:ホワイト・ドッグウッド(White Dogwood - 白いハナミズキ)、パー4、505ヤード 
12番ホール:ゴールデン・ベル(Golden Bell)、パー3、155ヤード  
13番ホール:アザレア(Azalea)、パー5、510ヤード  
14番ホール:チャイニーズ・ファー(Chinese Fir)、パー4、440ヤード  
15番ホール:フィレットホーン(Firethorn)、パー5、530ヤード  
16番ホール:レッドバッド(Redbud)、パー3、170ヤード  
17番ホール:ナンディナ(Nandina)、パー4、440ヤード  
18番ホール:ホーリー(Holly)、パー4、465ヤード  

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