フリーマンの随想

その33. 長野県新知事の受難


* 「 知事らしく 」 という言い方のおかしさ *

(10. 27. 2000)


***
この文章を読む前か読んだ後に、私の随想 ( その32 ) をご一読いただけると幸いです。 真ん中より少し後の {3} の最後の部分に 「 一旦、この対比をはっきりと認識すれば、 都市の住民たちは、次回の選挙までにこの件が納得の行く決着への端緒を見せない限り、 もう黙ってはいないことでしょう。 次の選挙こそ 「 見もの 」です。」 と私が書いたのが7月28日。 それから3カ月もしないうちに起った、 長野県知事選挙の結果は ( 長野県は 「 都市 」 ではないにせよ )、 あの随想で私が申した 「 政治家と公共事業の癒着の実態 」 の崩壊の兆しの話と、 どこか似通っていないでしょうか。

10月26日、田中康夫新知事が初登庁した時の、局長連中の陰湿な 「 いじめ 」 ぶりをTVで見、 新聞で翌日読んだ時、無性に腹が立った方は、日本中に沢山いたのではないでしょうか。 横山ノックや青島幸男の様な、知事としては前代未聞の人種が初登庁した時だって、 もっとずっと暖かく迎えられました。 彼らは何も改革をしないだろうと見透かされたから、安心して歓迎されたのでしょうか。

私は田中康夫氏を良く知らないし、今の所、好きでも嫌いでもありませんんが、 あのTVを見て 「 それはないだろう 」 と思うような、 子供染みた嫌がらせの言動の数々を、県庁の幹部たちが次々に浴びせ掛けるのを見て、 50年の官僚支配に毒されきった長野県政のすさまじさに、 あいた口がふさがらない思いで、新知事につくづく同情しました。 気の短い私なら怒鳴ってしまいそうですが、 彼はお若いのに、じっと耐えている様で、なかなか忍耐強い人のようです。

あの局長たちは、民主的な ( どこかの国の選挙のようなインチキはない ) 選挙による県民の意思なら、 たとえ自分が個人的に気に入らない人間でも素直に受け入れ、新しい上司として従い、支えるのが、 公務員としての当然の務めだということが、何も分かっていないようです。 自分たちの言動が県民の意思を愚弄する幼稚で恥ずかしい行為だということすら分からない所まで、 彼らの思考のパターンが、世間の常識からずれてしまっているとしたら、本当に恐ろしいことで、 これは県民もマスコミも総がかりで叩き直さなくてはなりません。 多分、11月に入ると、彼らは総攻撃に遭うことでしょう。 選挙の時だけ支持しておいて 「 あとは任せたよ 」 では、無責任ですから。

お役人とは通常体制の変化に対しコロコロと順応するものです。 もしかしたら、彼らには誰か表には出てこない、強ーい後ろ盾がついているので、 皆で申し合わせてあのような異常に強気な反抗をしているのかもしれません。

米国では大統領や州知事が変ると、前のトップ官僚は殆ど全部クビになり、 新しい腹心の新官僚が何十何百と乗り込んできて、いっとき、 首都の市内は引っ越しブームになります。 この方式には利点も欠点も有りますが、 長野県の場合は米国式にした方が良さそうですね。

長野県では、普通は体制擁護派と考えられる人たちまでを含む多くの県民が、 遂に我慢できなくなるほどに、積年の病巣が広がっていたのでしょう。 伝えられる所では、 それは、50年間でたった数人という歴代知事の長期政権と、 副知事が次の知事になれるという同族企業的な相続の結果だそうです。 局長、部長クラスも、閉鎖的な世界に一生働くことにより、外の世界の常識に疎くなり、 狭い殻に閉じこもった思考、行動、反応しか出来なくなってしまったように思えます。 彼らの一人は 「 知事らしく言動して欲しい 」 と言ったそうですが、 彼らが抱く 「 知事像 」 だけが正しいと思っているその事が、既におかしいのです。 いろいろなスタイルの知事があって当然だという柔軟な頭がないと、困ります。

新知事が成功するかどうかは、 ブレーンに複数の良い人を得られるかどうかによるだろうと思います。 巨大な組織を上手に動かし、自分の思う事を少しずつでも実現して行くという事は、 大変困難な事です。どんな優れた人でも、良いブレーンなしにはこれは不可能です。 果たしてうまく見つけられるのでしょうか。

*****************

長野県のような自治体に限らず、 どんな組織でも、10年あるいはそれ以上も一人の人が実権を握り続けていると、 たとえその人がどんなに優れた人であり、いくら自制していても、増長、慢心、専制、 えこひいき、私物化などが起こります。 長期にわたるトップの座というのものは、 どんな立派な組織でも人でも、徐々に駄目にしてしまう麻薬、毒薬を含んでいるのだと思います。 理想に燃え、明治維新を成し遂げた若き元勲たちも、ほとんどが急速に栄華の生活に走り、 たった一人それをしなかった清廉な西郷隆盛だけが故郷に去って行かざるを得なくなったという話です。

長期政権が支配する組織のもとでは、組織の中に、次第に飽き、諦め、無力感、 忠誠心の衰退などが発生し、遂には汚職や失敗隠しや公費の乱用、 私的使用などが発生して衰退に至るのは古今の通例で、インドネシアのような 「 国家 」 でも、 「 そごう 」 をはじめとする 「 民間 」 でも、身近に随所に見られる現象です。

今回の、やや滑稽で相当にいやらしい長野県庁でのトラブルは、私たちには大変良い教訓だったように思います。

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。