フリーマンの随想

その27. 私とパソコン

* パソコンが私に考えさせたこと *

(1. 28. 2000)


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[ その1 ] 歴史的?回顧

私がパソコンを初めて手にしたのは、15年以上も前、50歳の頃でした。 日本で最初の本格的パソコンといわれた NECの8001 を買い込み、Basic 言語を独学して、 簡単なプログラムを次々に作っては悦にいっていました。 フロッピーが5.5インチの時代です。 同時に一字一字漢字変換しては、ワープロまがいの使い方もしました。 3年後には、依頼にこたえて 8801 とドットプリンターを使って、 小さな下請企業のパートのおばさんたちの毎月の 給与計算・明細書作成システムを作るところまで進歩しました。 あれが果たしてその後うまく使ってもらえたものかどうか、聞いていませんが。

その後米国に行っている間は仕事の環境も変り、東芝の日本語ワープロ機は毎日便利に使っていたものの、 パソコンの世界とはすっかりご無沙汰していました。 1994年に COMPAQ の携帯用パソコン( Windows 3.1 ) を買って、おもに業務計画管理、 住所録などに利用して重宝しましたが、これが私のパソコン第2期です。
この少し前頃から、米国の会社のオフィスでは、業務のパソコン化が急速に拡大しつつありました。 当時日本の会社では、まだごく一部の専門家の机上にしか、パソコンや端末機はなかったように思います。 その後現在までの全世界でのこの領域の変化・進歩は全く驚くべきもので、 あれから たった7−8年経っただけとは、今でも信じられないほどです。

1995年には、Windows 95 が発表され、本家の米国ではそれは一大センセーションでした。 この頃から、自分がパソコンの世界から次第にとり残されて行くような気分がし始めていました。 翌年、会社を辞めて日本に帰りました。 年末に娘夫婦がパソコンを買うにあたって、 2台同じ物を買うと、大分安くなるというので、機種などは任せっきりで、 IBMのデスクトップ型を買いました。 96年の12月の事で、ここから第3期となります。

高い買い物でしたし、時間もたっぷり有ったので、独学で毎日夢中で勉強しました。 精読した参考書やマニュアルは厚さにして総計1m近くにもなったでしょうか。 でも、悲しいかな、独学には限界が有り、何度も絶望的なトラブルに遭遇したり、 せっかく買った周辺機器が作動してくれなかったりで、非常に苦しみました。

そこで、友人から紹介してもらった、息子と同年輩の I 氏 (コンピューター専門の技術者)に、 時々自宅に来てもらって、今思うと随分初歩的な事まで、手をとり足をとり教えてもらいました。 もちろん、退社後自宅まで来てもらって数時間教えていただくのですから、 「 ご好意に甘える 」 というわけには行きませんでしたが、 どんな 「 お稽古ごと 」 でも、本気で上達しようと思ったら、それは当然の事です。 はじめの2年で10回近く来てもらったでしょうか。

1年くらい前からは、新しい問題もほとんど独力で解決できるようになりましたが、 時にどうしても前に進めないときは、彼にメールを出すと、即座に回答が返ってきます。 素晴らしい 「 師 」 に巡り合えた事で挫折せずに済んだ私は本当に幸せでした。(A)

私はその後一昨年、ソニーの携帯用ノート型パソコンを買い、 上記のIBMパソコンとはお互いにデータのバックアップをし合いながら、 日常は全く別の用途に使い分けています。

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[ その2 ] 応用的?現状

パソコンの利用は、一般の個人にとっては、専門業務分野への特殊な応用は別として、 ワープロとしての使用などの文書作成・管理以外は、次のようなものでしょう ( 順不同 :このページを開いて今読んでいらっしゃるほどの方には、釈迦に説法でしょうが )。

1.Eメールによる交信と情報通達
2.インターネットによる情報の検索と利用
3.( 未知の ) 同好者との情報・意見交換、おしゃべり
4.各種のゲームソフト遊びや疑似体験
5.将棋などの研究・対局
6.デジタルカメラやスキャナーなどの併用による画像の処理、印刷、整理・保存
7.ホームページの開設による発表・自己主張
8.MIDIによる音楽の演奏や創作
9.住所録作成と宛名印刷
10.カードや挨拶状などの作成・印刷
11.銀行、証券会社などとのオンライン取引
12.辞書、時刻表、地図などの利活用
13.オーガナイザーなどによる業務日程管理と業務記録
14.業務用およびプレゼンテーション用の図や数表の作成

パソコンの利用法に、別に順番があるわけでも有りませんが、私は1から始め、 2、5、6、7、10 と進んできて、8と11を最近始めました。 13 は上述のように6年前から続けています。 3や4は、若い人たちとは違い、私には、 得るものが少ない退屈な世界のように思えたので、直ぐに止めました。

1.とにかく、封筒・便箋・切手が不要、郵便局まで行かなくて良いなど、利点が沢山あります。 海外の複数の友人に同じ内容の連絡をするときなど、安くて迅速な利点を痛感します。 電話と違い深夜でも送れるし、食事中や来客中の相手を呼び出してしまう失礼も有りません。

2.毎朝6時に、海外の主なTVニュースと新聞の見出しに目を通し、 トップニュースと市況の数字を確認する事から、私の一日が始まります。 日本の朝刊は情報が半日おくれですから、朝食のときゆっくり読めば十分です。
国内のもですが、特に海外のホテルの検索や予約などには、 インターネットが一番良いように思います。 英語の電話で交渉・契約することによる気疲れや誤解の不安がないのも利点です。 日本でも、電話による予約よりもメールでの方が割引き率の高いホテルが少なくありません ( 旅行業者に頼むのは一番高いようです )。 その他の一般的なショッピングは、カード番号漏洩のリスクが心配なので私はやりません。

5.将棋ソフトは毎年棋力の改善が著しく、現在はアマの3−4段の力は十分あります。 「 それで駄目ならこれならどうだ 」 と、しつこく何度挑戦しても全く嫌がらずに、 いつでも、いつまででも相手をしてくれます。 こちらが勝つと、 次回は受け方を変えてくるという賢こさには感服します。

6.画像処理が一時は私の最大の関心事でしたが、市販のソフトでは、やれることに限界があり、 不満です。 私に芸術的才能と器用さとが、もっとずっと豊かにあったとしても、 これで創作活動をしようという気にはならないでしょう。 そこで今は専らデジタルカメラで撮った写真についての実用本位の利用です。 上記の 10 もこの延長線上で やっています。 デジカメと従来のフイルムカメラとは一長一短で、私は今の所 半々くらいで利用しています。 美術館や礼拝堂など、暗いのにフラッシュが使えない場合などにはデジカメは非常に便利です。

7.開設してからちょうど2年、私のホームページもサイズだけは結構大きなものになりました。 ホームページというものは、まことに民主的で公正・公平なメディアだと思います。(B)
政府や大企業のページにも、私のものにも、全く同じ画面の大きさが与えられるのです。

8.これがパソコンを始めて以来、最も驚き感動した世界です。 ここまで進歩したシステムなら、 プロの音楽家にとっても、目的次第では十分に役に立つと思われます。 それにしても一介の素人がこれほど微妙精細に音を並べ、味付けできるとは・・・。(C)

11.私の銀行との取引、証券会社への手配などは、昨年、 すべて私のパソコン上でのオンライン化が完了しました。(D)

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[ その3 ] 考察的?感想

[ その1 ] と [ その2 ] に太字で記した部分 ( その最後にアルファベットで標識 ) について、その順番に従って、以下に私の感想などを書いてみたいと思います。

A. こういう点で、現在会社や役所などのある程度以上の地位にある人たちは、 私よりもさらに遥かに恵まれていると思います。 トラブルがあれば、すぐに専門の担当者を呼んで直させ、丁寧に教えてもらう事が出来ます。 機器も接続料金も電話代も自腹ではありません。 そういう方は、この恵まれた環境にいる間に、 一刻も早くパソコンを習得してしまうのが引退後の生活を充実するためにも賢明だと思います。 コッソリ独学して誰にも教わらずに一人前になろうなどというのは多分無理です。

もちろん、使いこなす必要が全くない職場環境なら、苦労して学ぶ必要などあまりないと思います。 しかしパソコンを使わないで済む業務、職場が急速に減ってきている事もまた、事実でしょう。
ところで日本だけの現象と思われますが、地位が高くなるほどパソコンを使えない人が多いようです。 また周囲もそれを仕方ないと許す風潮もあるようですが、これは良くないと思います。 たとえば、E−メールやインターネットの世界を自分の手で体験したことのない幹部が、 「 今後の高度情報通信社会への対処 」 を部下に説いたって、説得力は乏しいでしょう。

B. いくら新聞に投書しても、一度も採用掲載してもらえない不満が、これを始めた動機の一つです。 有名人は、たとえくだらない事を言っても書いても、いつも大きく報道してもらえるのに、 無名の私には何も意見発表のチャンスが無い。これは何とも不公平な話です。 これを救ってくれたインターネットの恩恵により、 従来は新聞・TVなどのメディアからの情報や主張の 「 受け手 」にしかなれなかった私のような一般人が、情報や主張の 「 送り手 」 にもなれるようになりました。 しかも、ほとんど無料で、世界中に向ってです。 これは大変な情報革命だと実感しています。

たとえば、従来でしたら 「 自分史 」にしろ 「 詩集 」にしろ、 高額な自費で出版し、さらにそれを知人たちに郵送しなくてはなりませんでした。 しかしその一部は、あまり読まれる事もなく本棚の片隅に押し込まれ、 ただ空間を占拠し続けるだけの結果に終るかも知れません ( 失礼 )。
これに対し、ホームページを作って掲載すれば、それは読みたいと思った人の前にだけ即座に現れ、 それ以外の時間は、プロヴァイダーのハードディスクの片隅に静かに隠れています。 占有空間の大きさと資源の消費量はゼロと言ってもよいほどです。

この私の随筆にしても 「 印刷して知人に配布したら 」 と言って下さった方もありましたが、 それは 私としては嫌です。 でも 「 私はこういう所に自分の主張を書いているから、興味がお有りなら覗いて下さい 」 と、URLをメモで手渡す事になら抵抗感はありません。 その人が面白がって下さり、 他の方に勧める場合も、印刷物を渡したり送ったりしないで済みます。

インターネットでは 「 アクセスできる人が限られる 」 という点は、今後のパソコンの普及により、 次第に問題ではなくなるでしょう。 残るのは 「 形のある 」 本の形で、 自分の創作をいつまでも保存したいという欲求に応えられないという不満だけでしょうか。 私が死ぬと、一定期間の後、規定によりこのホームページは消されてしまうのです。

このようなインターネット技術の利用により、 従来は特別の才能、名声、運、経済力などに恵まれた一部の創作者たちだけが手に入れられた 自分の創作物を公表し鑑賞してもらえる 「 機会 」 と 「 悦び 」 が、 すべての無名な人の手にも渡るようになったと思われます。 自らの創作の成果を、 誰でもがごく安い金で、世界中の人たちの前に提示する事が出来るのです。
随筆、小説、詩、マンガのような、文字だけ、或いは文字+単純な画像だけの分野では、 インターネット上で既に完全にそれが可能となっています。 その気になれば、活字で詩を表示しながら作者自身の声が朗読し、 バックに音楽を流すなどということも出来るでしょう。

C. 作曲、編曲、演奏などの音楽の分野では、多少不十分ではあっても、もう専門的な 「 仲介者 」 抜きで( つまり演奏家になる修業をしたり、演奏家を雇って演奏させたりせずに )、 この 「 機会 」 と「 悦び 」 を持てるようになりつつあるというのが、私の印象です。 これに比べれば、( 高度な専門家によるCG制作などは別として )、 一般人が入手し使えるソフトによる画像処理は、まだまだ幼稚園か小学校程度です。 音の方が画像より物理的に単純だから、高度な扱いが容易なのではないでしょうか。

私は、20歳台に立派な先生について5年ほどフルートを学びました。 才能と練習の不足で、 ひと様にお聞かせするようなレベルにまでは至らないまま、挫折しました。 今回、当時苦労の末、やっとどうにか演奏できた名曲のうちのいくつかを、 パソコン + シーケンサー + MIDI音源を利用して楽譜を打ち込み、演奏させてみました。

驚く事に、私が 「 この部分はこういう奏法でこんな感情をこめて演奏したいのだが 」 と、 音符ひとつごとに細かい指示をすると、このシステムは素晴らしい能力と精度で、 すべて期待通りに応えてくれるのです。 もちろん、かつての私のように時々ミスタッチをするなどという事はありません。 フルートの音色も、多分私のものより奇麗です。 上手なハープの伴奏と、さらに仕上げに演奏会場の残響まで加えてくれ、 私は客席に坐りながら、 もうひとりの私のステージ上での演奏に聴きいるという甘美な錯覚に陥ります。

音を出しているのは確かに私自身ではありませんが、その出し方に表現されている意志や感情は、 まぎれもなく私自身のものです。 ここでは私は演奏家ではないかも知れないが、 指揮者ではあり得ています。 この至福の「 悦び 」は望外のものでした。 若い頃に達成できなかった事が、今、形を変えてここに現実のものとなったのでした。

もちろん、この種の 「 疑似演奏 」 が、どれほど精緻に巧妙に行われようとも、 芸術性の高い演奏家による 「 生身の演奏 」 の感動に追いつき、 置き換わる事が出来るだろうなどとは、私は考えません。 しかし、例えば、無名の貧しい作曲家が、高価な演奏家や演奏会場を用意しなくても、 自分の作曲を多くの一般人にとにかく聴いてもらうというような目的には十分でしょう。

D. 銀行や証券会社に電話をかけたり支店にでかけて行ったりする回数は、 半減以下になりました。 これらの企業の窓口で働いている人たちは、今後は否応なく自分の仕事の内容を 「 人間でなければ出来ないこと 」 に変えて行かなければならないでしょう。 旅行や保険の代理店の仕事なども、減ると同時に内容の変貌を迫られるでしょう。
そうそう、株式の売買の際の手数料が昨年10月にようやく自由化されました。 こんなことまで自由競争が禁止され、業界の権益が守られて全国一律だった国なんて、 世界で日本だけだったのではないでしょうか。 自由化で、各社ともある程度手数料を安くしましたが、 まだまだ高い。 これが、インターネットで取引すると、証券会社にもよりますが、 おおむね半分以下になるようです。 パソコンを使える人には、 旅館の予約、航空券の購入などの場合と同様、払う金が少なくて済む機会があるのです。 このような意味でも、現役時代にパソコンをマスターしておけば、 引退後・老後の生活に有益でしょう。 情報通信手段に触れる機会を 「 持つ者 」 と 「 持たざる者 」 との格差、いわゆる Digital Divide は、今後広がる一方でしょう。

いや、ちょっと失敗。 ここでそう言っても仕方がありません。 今これを見ている方は 「 持つ者 」 なのですから・・・。

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。