フリーマンの随想

その26. 人はいつ信条を身に付けるのだろう


* それは子供心に「刷り込まれる」ものだろうか? *

(12. 18. 1999)


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校歌の文句なんて、どれもこれも似たようなもので、同窓会などに行くと、照れくさがりなのか、 本当に忘れているのか 「 俺は全然覚えていないよ 」 などと言う人も多い 。
そこで、私も幹事の一人だった今年10月の東京都中野区立鷺宮小学校の同期会でも、 プログラム最後の校歌斉唱にあたっては、コピーした楽譜と歌詞が皆さんに配られ、 カラオケのようにテープも流された。

皆さんと一緒に歌っていて、私は一瞬 「あれ、この文句、なにか覚えが有るぞ 」 と思った。 それは「・・・名も懐かしき鷺宮、愛と誠と剛健の、われらが教えそのままに・・・」 という部分だった。

私は直ぐにそれが何かを思い出した。 2年前に(社)日本在外企業協会のご依頼で 「 現地法人社長奮戦記 」 という題で5カ月連載で機関誌に執筆した記事の最終回、 最後の「 結び 」の節の冒頭に、私は 「 結論として、私は日本人トップの備えるべき基本は 「 誠実 」 と 「 暖かいハート 」 かと考えます・・・ 」 と書いたのだった。 それが協会側により最終回のタイトルに 「 トップの基本は誠実と暖かいハート 」 とも使われたのだった。

ある意味では、42年余りの私の会社生活を総括したキーワードがこの二つだったのである。

1988年の秋、私は米国の小さな田舎町に当初一人きりで赴任し、 何も無い野原に最初の工場を建設する準備に取り掛かった。 とても淋しく、つらかった。 「 剛健 」 さも私にとっては当時必須の条件だった。 愛と誠と剛健で、私は米国を生きたと今思う。 もちろん、小学校の校歌の事など、何も意識せずに私は生き、働いていた。

この不思議な一致は、純真な子供時代に何百回も歌わされたこの歌の文句が、 知らず知らずのうちに私の心の中に染み付いたせいかどうかは分からない。 そうではないかも知れない。 そうなのかも知れない。 ついでに言うと、この校歌の歌詞は、 当時としては不思議なほど天皇制的、軍国主義的、男女差別的な匂いの全くない珍しいものであった。

そうか、軍歌とか労働歌とかいうのは、知らず知らずのうちにひとの心の中に 「 ある考え 」 を染み付かせるために繰り返し歌わせるのかも知れない。

「 剛健 」 と言えば、 小学6年生の夏に私が転校した疎開先の群馬県高崎市立中央国民学校の校歌の2番は 「 古き歴史に名も高き、教えは一つ剛健の、意気と力に満ち満ちて・・・ 」 と言う出だしで、 おそらく明治時代の作詞だろうが、剛健だけをまっ先に持ち出すところが、 この地方の校歌らしいと思う。

この小学校では、教室での同級生同士のいさかいには、必ず誰か仲裁人が割って入り、 放課後、彼が取り仕切って、何人もの同級生が環視する中、力による一対一の決着がつけられた。 しかし、取り返しのつかない怪我になる寸前に仲裁人が判定を宣言して二人を分けた。 ここが今の子供の喧嘩と違う。
それと、喧嘩の強い生徒は周囲の生徒に威張ったり無理難題を吹きかけたりせず、 どっしり構えていた。 私のようなよそ者にはむしろ優しかった。 まさに 「 剛健 」 と 「 意気 」 と 「 力 」 に満ち満ちている、 侠客を連想させる不思議な世界だった。 私はこの小学校では暖かく仲間に入れて頂き(&)、 放課後しょっちゅう、この友人たちの 「 昼さがりの決闘 」 を見学していた。

卒業後、難関の名門 県立高崎中学に合格すると、疎開者の私は教師、上級生、 同級生たちから数々のひどい 「 いじめ 」 にあった。 精神的には中傷で、肉体的には拷問で。 この決闘見物と いじめに耐え抜いた体験とにより、ひ弱な東京の 「 お坊ちゃん? 」 だった私は鍛えられて、人並みには剛健な 「 男の子 」 に成長できたように思う。

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終戦後東京に帰り、ある都立の中学を経て私は私立武蔵高等学校に入った。 この二つの学校では、 立派な英語の先生たちに恵まれ、英語は私の最も好きで得意な科目になった。 これは、後年、私が米国で仕事をするようになった時にも、大変役に立った。

ところで、在学中、武蔵の 「 三大理想 」 というものを何度も聞かされた筈だが、 生意気盛りの頭には全然入らずに私は卒業し、以来最近まで50年近くを過ごしてきた。 最近、ふとした事で、同窓会の印刷物でこの三大理想なるものを目にして、私は一瞬驚いた。

「 東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物 」
「 世界に雄飛するにたえる人物 」
「 自ら調べ、自ら考える力ある人物 」

世界に雄飛とは、やや大時代的であるし、東西文化の 「 融合 」 にもやや違和感が有る (#) が、 第三の人物は、米国で8年近く力の限り働いている間じゅう 「 このような人でありたい 」 と念願し、努力し続けた私の理想像だった !

私が自ら調べ、自ら考えるしかない状況に追い込まれ、そのことの大切さに気付き、 それに努めた経緯については、このホームページの随想 ( その8 ) 「 自分の頭で考えるしかなかった私 」 に書いた通りだったからだ。 また、経団連の広報誌 「 経済広報 」 には両国の文化の交流の重要性についての私の考えと、 私や部下たちの努力について何度も書かせていただいた( 183号、208号ほか )。 そういう体験の後だったので、感銘が深かったのであろう。

「 子を持って ( 或いは亡く してから ) 知る親の偉さ 」みたいなもので、 はじめから素直に理解し、そう意識して努力していれば良かったなあと、 ビジネス人生がすべてが終ってしまった今になって得心の行く 「 理想 」 である。 まあ、若いうちはそういう一種の権威の押し付けみたいなものを無視しそれに抵抗するのも、 当然の事ではあり、それが社会の改革につながることもあるのだが・・・。
私の場合、最後には自分で同じ理想に気がついて、その方向で頑張れたのだから良しとはするが、 師、先輩はなんと的確にそれを何十年も前から諭してくださっていたのだろう・・・・・・ それを若い自分は何とうわの空で聞いていたのだろうと、 今となっては恥ずかしい気持である。

ただし、自ら調べ、自ら考えるだけでなく、更に、自ら決断し、 自ら行動すべきであろうと私は考える。 私はそう心がけてきたし、 部下たちにもそう説いてきた。 自ら調べ、自ら考えることの出来る人も、考える所までで終り、 決断力、行動力が伴なわないことが多いからである。

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というようなわけで、私は今、二つの事を考えている。

1. 無意識のうちに聞かされ、歌わされている童謡、唱歌、校歌などの幼少時代の歌の歌詞が、 その地域全体の、或いは特定の子供たちの心に染み付いて、 人格形成に多かれ少なかれ影響を与える事があるのではないか。

2. 校歌の文句とか建学の精神とかいうものは、決して馬鹿にしてはいけないと思う。 それらすべてにとは言わないが、中には、素晴らしい含蓄が潜んでおり、 有益な教えがこめられているものもある。

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(&):彼等は、半年余りしか一緒に学ばなかった私を、 1年1回の楽しい在京生のクラス会に今でも呼んでくれる。

(#):あえて言わせていただくなら、東西文化は 「 融合 」 すべき対象ではなく、 また融合できるものでもないと思う。 一個の人間としては両者の十分な理解咀嚼に努め、 外国 ( 人 )と相対するときには、相互の文化を互いに理解し尊重し合うべきものと考える。 東西文化という言葉からは、また、優秀な文化は欧米と日本 ( + せいぜい中国 ) にしかないという誤った優越感のようなものも私には感じられるが、いかがであろうか。 第三世界の文化などは全く無視されているように思えるのだが・・・。

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