フリーマンの随想

その4. 日本の銀行について考える(その1)

*問題の本質を認識し改めなければ彼らに明日はない*

(2.19. 1998)

事の起こり

「・・・ところで、せっかくの機会ですので、日ごろ考えている事を申し述べます。 こうして手紙を出しても、直ぐに改善されることはなかろうとは思いつつも、 やはり日本の銀行はこのままではいけないと、日ごろ痛感している事をこの際申さずに居られません・・・。」 という書き出しで地元の某銀行支店の担当者にあてて、 煩雑な手続きの改善を提言する短いが丁寧な手紙を出したのは2月9日の事です。 返事が来なかったので、どう感じて頂けたかは分かりませんが・・・。

私は、満期になった定期預金 ( 2年間分で税引き0.68%の利子しか付かなかった! ) を、 継続せずに自分の貯蓄預金口座に入金ようとしました。 支店まで行き、申請用紙に記入捺印提出したら、 通帳も要ると言うので、一旦家に戻ってまた支店に行き、手続きを終えたのでした。 翌日家に電話があり 「 貯蓄預金口座ではなく普通預金口座に入金する決まりになっているので 変更してくれ 」 と言われました。 どちらでも同じ事なので承知したところ、 その変更を承認する印鑑が欲しいとのこと。 もう3度も行くのは御免だという態度を示したら、 返信用封筒を入れて書類を郵送するから訂正捺印の上返送してくれと言われました。

私はその通りにしましたが、入金を同一人の別の口座に変更するという程度の事に対し、 電話で当人の承認を得た上に、更になぜ郵便の往復までして訂正捺印が必要なのかということが 理解できません。「 実施は別途先に進めておきますから 」 と言っていたから、 この訂正捺印は念のためなのでしょう。 現在の日本の銀行員の常識では、こういう場合、 郵便の往復を使ってまで、客の訂正印を得ておくのが当然 ( あるいは規定 ) なのでしょうが、 これは形式主義、時間と金の無駄としか私には思えません。 担当者が 「 ご本人は了承済み 」 と書き込んで訂正しておけば済むことではないでしょうか。 業務改革とはこういう小さな事から始まるように思います。

これが私にこんな欄を設ける気を起こさせた小さな出来事でした。

米国の銀行ではどうだったか

こういう気持になったのは私が米国に居た時の体験からです。 米国の銀行では自分の口座間の金の振替は、知り合いの行員に会社の休憩時間に電話すれば その場で実行され、翌日確認の伝票が郵送されてきました。 毎月数回8年間行い、 一度も間違いは有りませんでした。 手書きの依頼書 ( 書式自由 ) を遠方からファックスしても、 同様に処理されました。 会社を抜け出して銀行に行ったり、 妻に面倒な事を説明して代わりに行かせたりせずに済んだのです。
全く同じやり方が米国系銀行の日本支店でも行われています。 現金の預金・引き下し以外のほとんどすべての取り引きが電話一本で簡単に実行出来ます。 口座間の振替はもちろん、自分や他人の他銀行口座 ( ただしあらかじめ届けてある口座に限る ) への振込などまで、休日でも深夜でも自宅や出先から電話一本で行え、通帳も印鑑も不要です。 確認の伝票は銀行が作り後日郵送してきます。

日本の銀行のサービスの質の低さ

日本の銀行はどこも似たり寄ったりですが、現金の預金・引き下しは仕方ないとしても、 定期預金の開設・解約、口座間の振替、他人の口座への送金などの際、顧客は一々銀行に足を運び、 伝票を一枚、時には二枚も書き、印鑑を押します。 顧客の手を借りて行内の事務手続きを減らしているのではと勘ぐりたくなるほどです。 あるいは戦前の権威主義のなごりなのでしょうか。銀行員も顧客も 「 銀行ではそうするものだ 」 と 惰性的に考え、もっとよい方法があるのでは? などとは考えても見ないのでしょう。

先日、妻が通販で買った品物の代金をこの支店から振替で送ろうとしましたが、 伝票手続きの面倒さに途中で嫌になって止め、郵便局に行ったら伝票記入も印鑑も不要、 10秒ほどで済み、手数料も銀行よりずっと安かったそうです。

日本の銀行は同じ銀行の他人の口座に ( 銀行員の手を煩わさず ) マシンを使って振り込んでも 手数料を取る! というのが、私には驚きです。 ATM ( キャッシング ) だっていまだに夜間は使えないし、週末は有料です。 米国の銀行ではずっと以前から365日24時間無料で利用可能でした。 バブル期の放漫経営、最近の一連の不祥事での巨額の金の使途などを考えると、 マシンを操作するたびに腹が立ちます。

日本の銀行は変ってほしい

米国の銀行 ( 日本支店でも ) では、預金高に応じて預金利子を高くしたり、 送金手数料やカード年会費を無料にしたり、両替手数料を減らしたり、 さまざまの実質的優遇をしますが、日本の銀行には何千万円預金しようが、 ほとんど優遇措置は有りません。手数料も利子も、まるで談合したかのように各行横並びです。 各銀行が、ぬいぐるみや陶器などを景品に預金を集めようとしているなど、 感覚がずれているとしか思えないし、それにつられる客も甘いとしか言い様がありません。 景品に使う金があったらその分を他行以上の預金利子や実質的サービス向上に使い、 それを宣伝したらどうでしょうか。 日本では他銀行は馴れ合いの仲間であって競争相手ではないのでしょうか。

私を怒らせたもの

以上を2月9日に書いたああと、2月14日の新聞紙上で、大蔵省銀行局長が 「銀行の社内預金の金利は年3%前後に設定されているが、 公的資金の議論で国民の理解を得ねばならない時なので、 適切な対応をしてもらうのが筋と思う 」 と参院財政金融委員会で述べたと報じられました。 この記事を見て唖然とし憤然としたのは私一人ではないと思います。 顧客には長期の定期預金でも0.数%の利子しか払わず、身内の行員には3%も払っていたとは!!!
預金者は本当にバカにされていたのです。 これが現在の日本の銀行経営者のセンスだったのです。

定期預金の中途解約

総会屋への現金供与や役人への高額賄賂の報道にも辛うじて我慢していた私ですが、 ここに至ってついにキレました。 18日には支店に行って他の定期預金も中途解約しました ( どうせいま時の利子なんて無いようなものです )。
支店に行って解約を申し出たら、窓口の女性も、出てきた上の人も 「 何にお使いになるのですか 」 とか 「 XXバンクに移すのですか 」 などといいろいろ私に聞きましたが、それは聞くべきではない 個人のプライバシーではないでしょうか。

(その11)に、日本の銀行について考える( その2 )を書きました。前半は新しいものですので、 続けてお読みくだされば幸いです。

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その5. 年俸制・・・体験者からひと言

*客観的で公正な評価への努力とオトナの議論が必要*

(3. 12. 1998)

多くの企業が年俸制の導入を検討しており、導入も一部始まっています。 導入の理由は報道によると、
1.特定の分野で世間的に広く通用するスペシャリストに、 他の社員とあまり変らぬ給与しか払わないと、外資系企業などに引き抜かれてしまう。
2.逆にそういうスペシャリストに異例に高い給与を出さないと外部から迎えられない。
3.年功序列体系で仕事以上の給与を得ている中高年の賃下げの正当化と、若手の低い給与の上昇。
年俸制度は「短期的な業績を給与に大きく反映させる成果(時価)主義」 と言われています。私はこの事自体には賛成ですが、米国の会社の社長として米人の幹部に対し、 毎年の年俸更改の際非常に苦労した体験から、 経験した事の無い方にはなかなか分からない難しさがあると申し上げたいのです。 上長と部下の冷静な議論により、業績を客観的に正確に評価することがキチンと出来なければ、 反映も何もないわけで、その認識も努力も無しに「よそも始めたからうちも始めよう」と、 日本得意の横並びで始めたら、大きな混乱が起きかねません。

年俸制度の一番わかりやすい例はプロ野球選手の年俸更改です。 シーズン中の膨大で細かい記録をもとに、会社と選手とがしばしば激論、 物別れなどを繰り返しつつ何度も会談を重ねて、ようやく妥結調印に達します (もちろん一発で円満妥結という場合も有りますが)。
これに対し多くの日本の会社の業績評定は、 まず部下が目標に対し自分はここまでやったという自己評価を提出し、 それを見た上長が自分の下した評価と勘案しながら、Aだ、Cだ、Eだと独りで決めてしまい、 他の上長と多少の調整をした後、当人にフィードバックすることなく人事部に渡す。 それが人事部と上層部のチェックを経て、ボーナスや昇給が決まります。部下はその額を見て 評定結果を推定し、喜こんだり落胆したり怒ったりして、それで終わりです。 上長に怒鳴り込むような人は滅多にいません。日本の上長はこの点極めてラクチンです。

ところが米国では幹部社員の年俸はまさにプロ野球選手の年俸更改と同様に行われます。 いや、もっと厳しいかもしれません。というのは、有能な部下は自分の希望の額とあまりに違えば 「では辞めます」と本当に直ぐに辞めてしまうのです。もちろん、 並みかそれ以下の人は辞めても次に行く所が無いので、気に入らない評価でも不承不承納得しますが、 優秀者は辞めても直ぐに次の良い職が見つかるからです。
米国ではこういう途中退社・入社は名誉でこそあれ決してハンディにはなりません。 ですから、上長は、辞められたら困る優秀者の年俸更改の際は、準備と話し合いに時間を掛け、 きわどい議論で神経をすり減らします。額も大いにはずむ必要が有りますが、予算に限度があれば 他の人の分を減らすなど、また苦労の種が増えます。こういう交渉を頻繁に (米国では個人ごとに評定時期はまちまち)英語で行い、最終合意の双方署名に達すると、 私はいつもドッと疲れました。大変なストレスを伴う仕事でした。

山一證券で30歳台の再就職は容易だが50歳台は難しいと聞きますが、 これは30代が優秀だと言うよりは、30代は30代の世間相場の地位と給与で雇えるのに、 50代は50代の世間相場の地位と給与を要求するという暗黙の了解が災いしているのでしょう。 米国のように地位は能力で、給与は責任範囲と業績とで決まり、年齢とは全く無関係であれば、 同じ地位と年俸なら50代の方がむしろ再就職の機会が多かったのではないでしょうか。 生活給的な要素の必要性もさることながら、日本では求人側・求職側とも、 強い年齢差別意識をもっているので上記の現象が起きるのでしょう (米国では入社試験の際、受験者に年齢を言わせる事は年齢差別であり許されません)

年俸制がうまく実施でき機能するための条件は次の様な事かと思います。
1.上長も部下も評価や給与に対し率直に議論できるプロ意識。 妥結結果に双方が感情的シコリを残さないオトナの意識。
2.好き嫌い、先入観、フィーリングなどで評定しない、清廉、公正、客観的な上長。 無難な悪平等を排し、摩擦を恐れない勇気ある上長。
3.上長も部下も業績や勤務状況につき日頃から数値で記録をつけ (プロ野球ほど数値化は易しくない)、客観的に議論できるようにする意識と努力。
4.途中入退社が全くハンディにならない流動的な労働市場と社会通念の存在。
5.定期的に未経験の仕事に異動させる従来型ゼネラリスト養成を極力減らし、 専門業務一本で終生勝負するスペシャリストが評価される世界の確立。
6.年齢や年功とは無関係に業務能力で地位と上下関係が決まり、それを皆が素直に受け入れる状況。
これらが無いまま、あるいは未熟なままで年俸制度に入ると、 職場がギスギスガタガタになるでしょう。これらが一朝一夕に実現しにくい既存大企業から、 実現容易な新興ベンチャー企業や外資系企業に、才能ある人材がじわじわと移って行く事は、 今後も避けられないでしょう。

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