フリーマンの随想

その18. 日本をダメにする長時間労働


* 若い部下たちを連日深夜まで働かせるな(続)*

(7. 31. 1999)


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日本が高度成長を始めた昭和30年代から現在まで、「 労働者の規定労働時間 」 は次第に短縮されてきましたが、「 ホワイトカラーの実質労働時間 」は、 一本調子に確実に増加しつづけて来たように、私には思えます。

私は自分の働いていた会社の事しか、詳しいことは知りませんが、 よその会社も似たりよったりだろうと思います。 私が入社した昭和30年頃、 規定の労働時間は今より長く、土曜日はもちろん出勤で休みは日曜と祭日だけでした。 そして、私が配属されたのは 仕事の「 鬼 」と言われた課長の所で、大変忙しく、 有給休暇もめったに取れない雰囲気でしたが、それでも、 私と同僚たちは通常 6時半か7時には職場を去っていました。 他の多くの職場のホワイトカラーたちは、帰りたければ、 時々は4時半の定時に帰ることは、ちっとも難しくなかったようでした。

それが、私が課長になり部長になって行くにつれ、 7時から8時頃まで仕事をするのは当り前になってきました。 定時で退社するには周囲に理由を述べないと不審がられるような気がしました。 昭和50年代の中頃、ある年の正月2日に、 某社の研究所の建物のあちこちで自発的出勤者が働いているのを見て驚き 「 いや、C社はもっとすごいですよ 」 と言われて更に驚いたことを、今でも覚えています。

昭和60年代に入る頃には、現場作業者以外のいわゆるホワイトカラーは、 朝8時か9時から夜10時か11時まで仕事をすることがちっとも珍しくなくなり、 当然の事ですが3カ月120時間とかいう労働基準法の制限など守れるはずはなく、 いわゆる 「 サービス残業 」 が日本中の会社に定着してきたのはこの頃からだったと思います。

最近、何人かの50歳台、60歳台の 「 働き盛りの(20台後半から30台の) ホワイトカラーサラリーマンを子に持つ親 」 たちと話す機会が有りましたが 彼等の子供たちは 「 月曜から金曜まで毎晩深夜まで働き、家に帰るのはしばしば午前様、 土曜もしょっちゅう出勤、日曜日は疲れ果てて一日中寝ているばかり 」 というのが、 事務系でも技術系でも、大企業でも中小企業でも今や当り前のようです。

これでは、家庭で夫婦の間の会話、親子のふれあいや対話など、出来るはずが有りません。 独身者なら、デートやお見合いどころでは有りません。適齢期の女性だって、 そんな生活に巻き込まれるならと、結婚をためらうのも無理ありません。 大学生たちの中に就職を忌避する者たちが少なくないことを 「 だらしが無い 」 と一概に責めることは出来ません。 上記のような非人間的な環境に入ることを嫌っての事であるなら、理解も出来ます。

何度か他の機会にも言いましたが、多くの人間は 「 本当に必要 」 と理解すれば、そして 「 ある期間に限られる 」 のであれば、日本人ならずとも毎日遅くまで働いてくれます。 私が申したいのは、連日の深夜に及ぶ労働が、当り前の事として、 10年でも20年でも続けられるというのは、 世界の先進国中で日本だけの非人間的な状況ではないかということです。 なぜ日本人だけが 「 とにかく仕事が大変なもので・・・ 」 などとブツブツ言いながらも、 これに耐えられるのでしょうか。 耐えなくては会社内、会社間の競争に落伍してしまうという共通認識が、 何故か、いつのまにか出来上がってしまったからです。

なぜ日本の男たちだけが 「 仕事が面白いんだ 」 とか 「 家に帰ってもやることが無い 」 とか言って、家庭の荒廃を心配せず遅くまで働くのでしょうか。 なぜ日本の妻たちだけが 「 亭主は丈夫で留守が良い 」などと言うのでしょうか。 これは、世界の文化と日本の文化の最大の違いの一つで、私にも何故だか分かりません。

最近騒がれている 「 結婚の遅れ 」 や 「 小子化 」 の最大の原因は、 若い男女の既婚者や未婚者の生活がこれほどに破壊されているためであるというのが、 私の主張です。 企業のトップたちが ( 当然の事ながら ) ひたすら自社の経営指標の向上と他社との競争での勝利を願って、人減らしをし、 「 少数精鋭 」 の部下に無理を強いていることが原因です。 皆さん、ご自分とご自分の家族、親族、 知人のサラリーマンたちの毎日の生活を思い浮かべて下さい。 静かに考えたとき 「 これで良い筈がない 」 とは思いませんか。

100人の人が月に(X)万円の収入で毎日14時間も働くのと、 200人の人が(X/2)万円の月収で7時間だけ働くのと、どちらが人間らしいでしょう。 衣食住はだいぶ粗末になっても、後者の方がずっと心豊かな人生を送れるのではないでしょうか。 これは私の妻の意見です( 「 それでも(X)万円を選ぶ 」 という日本人は多いでしょうが ・・・)。

後者の方が仕事のアウトプットの量と質の点でも勝るのではないでしょうか。 それに、夫が日に14時間も働くということは、夫は家の事は一切何もできないということであり、 「 妻も働く 」 という可能性を否定するに等しいことです( もしその上妻が働いたら、 まともな子育てなど出来ない )。 これは私の意見です。

私の父たちの年代は、普通のホワイトカラーは、6時か7時には殆ど毎日帰宅しました。 妻はそれに合わせて夕食を作り、子供たちは腹が減ってもその父の帰りを待って、 一家揃って夕食の卓を囲みました。 父親の有言無言の教訓が子供たちに浸透したのはこのような時でした。 日本以外の国では、今でもこういう堅実な家庭生活が現実味を帯びているのではないでしょうか。 所が、今の日本では、誠実で有能な男たちほど、 親、家庭、結婚、妻、子供、などとの関わりを希薄にして生きざるを得ないのです。

こういう堅実な、当り前の家庭生活が、私が子供を持った60年頃から、 日本では次第にできにく く なってきました。 それを私がどう回避して、子供たちとの夕食やその後の団欒の時間を持つように工夫したかを、 以前( その3 )に書きましたが、現在は、それすらも夢物語に近くなっているようです。

そういう 「 家庭の幸せの犠牲 」 の上に立って今後も日本の経済が立ち直り成長を続けたとして、 一体何ほどの事が有るのでしょう。 その結果として、結婚や就職へのためらい、小子化、夫と妻の間の疎遠化、家族の触れ合いの減少、 父親不在による子供たちとの会話や彼等への躾の欠落、家族揃っての団欒の喪失などがますます増え、 ひいては子供たちの非社会的行動などがますま進むだろうという議論に、 自信を持って反論できる方がどれほどいるでしょうか。

私は今、かつて日本の経営者の末席を汚していた一人として責任を感じる一方で、 不景気からの脱出を大義名分として、 このような状況に今もなお一層拍車を掛けようとしている現在の経営者たちに 「 日本の家庭を、ひいては社会全体をダメにしてしまったのはこの 正常な家庭生活を犠牲にしたモーレツ職場です。 今すぐ社員たちに、結婚生活、家庭生活をまともに ( せめて世界の他の国の同年代の人達程度に ) 送れるような環境を与えてあげないと、日本は今より更に早い速度でだめな国になってしまいますよ 」 と申し上げたいのです。

「 一社だけがそうしたのでは他社に負けてしまう 」 と言うのであれば、 経団連や日本商工会議所などが提言し、 一斉に現状を改めるように企画・行動できないものかと私が考えるのは、 甘い夢物語なのでしょうか。

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