フリーマンの随想

その16. セクハラと差別


*私たちの意識の在り方について考える*

(4. 21. 1999)


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[セクハラ(性的いやがらせ)]

先日、或る人が私に向って 「 例のクリントンのセクハラ事件ですがね・・・ 」 と話し出したので、私は 「 ちょっと待ってください。あれはセクハラですか? 」 と口を挟み、 しばらく面白い話が続きました。

私も、クリントン自身が述べた以上に、あれは極めて 「 不適切 」 な行為であったとは思いますが、 モニカ・ルインスキも、検察官も、米国のマス・メディアも、 多分一度もあの事件を 「 セクハラ 」 とは呼ばなかったように記憶しています。 私の記憶が正しいと仮定して 「 それは何故でしょうか 」 と質問したとき、 あなたはどうお答えになるでしょうか? 私の個人的な意見は後回しにして、先に進みます。

セクハラには大別して2種有ります。 ひとつは対価型、もう一つは環境型と言われます。 前者は、昇給、昇進などを餌 ( 対価 ) としてちらつかせ、交際を迫るといったタイプです。 この場合は女性が釣られて妥協すれば、表面上は 「 合意の上 」 ということになりますが、 それでも明らかにセクハラです。
後者は、職場で女性を蔑視した言辞を弄するとか、聞こえよがしに猥談をするとか、 体に触るとかして、職場環境的に女性をいやがらせるタイプです。 男性が意識的に行う場合も多いのですが 「 自分が周囲の女性たちを性的に嫌がらせている 」 と自覚せず行っている場合も結構多いようです。

私は、セクハラにおける 「 日本的特徴 」 は、次の4点だと思います。
1.政府も企業も個人も、 ガイドライン、ルール、マニュアル万能主義である。 うわべの、形の上の事ばかりに関心が向く。
2.年配者は勿論、若い人の一部までもが女性蔑視の心がきわめて強く、対女性感覚が古く、 鈍感で、いやしく、それが大きな要因になっている。
3.女性側も、男性側同様知識がない上に、周囲の目を気にして引っ込み思案で我慢する。
4.企業の、セクハラについての認識と対策が依然として驚くほど貧弱である。

1.について、私が講演で先日用いた例を示しましょう。 男性上長が部下の女性の肩に片手を置いて 「 来週は忙しいよ。がんばってね 」 と言っている状況を思い描いてください。 女性はどう反応するでしょうか?

A. もし彼女がその上長の人格、仕事ぶり、統率力に対し、 日ごろから 「 尊敬 」 とまでは行かなくても「 好感 」 を抱いているとすれば 「 分かりました。やります 」 とニコヤカに元気に答えるでしょう。

B. もし逆に、日ごろから 「 軽侮 」 や 「 反感 」 の念を抱いているとしたら、 目を吊り上げて「止めて下さい ! 」 と手を振り払うかもしれません。
全く同じ行動と言葉とが180度反対の結果を生むわけです。

だから、ガイドラインやマニュアルは、所詮 ガイドラインやマニュアルに過ぎないのです。 「 どこから先は誘ってはいけない 」 とか 「 どこまでは言っても良い 」 とかいう 「 ガイドライン 」 に頼れば、言動の当否が明快に判断でき、 万人共通に問題を防止できると考えることの愚かしさを分かっていただけたと思います。

2.について、ある話をしましょう。4年ほど前の事ですが、アトランタの、 ある日本人専用の カラオケスナックで、一人の日系企業 ( 一部上場の著名建設機械会社の工場 ) の社長が 「 俺はボインが好きだから、米人の人事部長に、もっとボインを採れと言ってるんだが、 ちっとも良いのが集まらない 」 と大声で話していました。

この話が事実であろうが冗談であろうが、また酔っていようが素面であろうが、 更には人前で話そうが一人で思っているだけであろうが、とにかく、 こういう人間が派遣されて社長をやっている限り、 日系企業におけるセクハラ訴訟は無くなりません。

会社のクリスマスパーティの余興に日本人幹部一同がストリップを呼んで鑑賞したことが、 米人幹部の妻たちの怒りを買って事件になったという著名企業の在米工場の話も有名です ( 見たければプライベートで外の専用の施設に行けば問題にはならないのです )。 「 女性蔑視の心がきわめて強く、対女性感覚が古く、鈍感で、いやしく・・・ 」 と私が申したのは、こういう事です。 米国においてすらこうなのですから、東南アジアの日系工場などで今何が起こっていても、 私は全く不思議とは思いません。

3. 日本の現状は全くお寒い限りで、 セクハラの被害を受けている女性が職場の上司の驚くべき要求について話すのに対して 「 それは悪質なセクハラですよ。一つ上の上長か総務課長にすぐ訴えなさい 」 と私が言うと 「 やはりこれもセクハラですか? 私はイヤでイヤで仕方ないのだけれど、 でも文句を言うと更に意地悪されそうだから我慢して・・・ 」 と尻込みする始末です。

4.労働省が97年6月に発表したアンケート調査報告によると 「 具体的なセクハラ防止措置をとっていますか 」 という質問に 「 イェス 」 と答えた企業は、 2200社中、わずか5.5%でした。 上の1.で 「 企業も個人もすぐにガイドライン、 ルール、マニュアルに頼る 」 と申しましたが、私はそれらが大切でないなどとは、 一言も申しておりません。緊急に立派なガイドライン、ルール、マニュアルを整備し、 それらを用いて繰り返し幹部教育を行うことは、今や日本の企業、 役所にとって必要不可欠なのです。 状況としては、A.のような上下関係は少数で、 B.のような関係が残念ながら非常に多いからです。

2.や3.のような例も広範に見られます。 ですから、黙って放っておいたら、 故意のセクハラや無意識のセクハラを、いくらでもやってしまう男性が、 企業や役所には沢山いらっしゃるのです。 こういう人たちには、とりあえずはガイドライン、 ルール、マニュアルで理解を深めていただき、言動に枠をはめていただく必要があります。 所が、それをしている企業がいまだに5.5%に過ぎないと言うのが現実なのです。

結びの言葉:「 セクハラ 」 とは、職場における行動や言葉そのものというよりは、 行動や言葉を生む人の 「 心 」 と、行動や言葉を受け取る人の 「 心 」 との相互関係の問題だと思います。

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何故ビル・クリントンはモニカ・ルインスキに対し 「 セクハラをした 」 と言われなかったのか?

* ビルが金や昇進を餌にしてモニカを釣ったのではなかった。
* モニカはビルに魅力を感じて近づき、信頼し、愛したのだった。
* ビルはモニカを 「 性的 」 に 「 嫌がらせ 」 たことは一度も無かった( であろう )。

# 誤解の無いように申し添えますが、 私はビルの行為が ( 現職の大統領の職場内での行為として ) 許せるものであるとか、 ましてや彼が立派な大統領だとか申しているのではありません。 彼は実に愚かなことをしでかした男だし、大統領としても並み程度のレベルの人だと思います。 ここで申し上げたいのは 「 日本では今、ともすると、職場における男女間の いざこざ は、 すべて 「 セクハラだ ! 」 の一語で片づけられてしまう傾向が有るので 「 職場における男女間の いざこざ のうちのある範疇に入るものだけが セクハラ なのです 」 「 クリントンの事件は、その意味では 不倫ではあっても セクハラ ではありません 」 と セクハラの定義を説明申し上げているのです。 ( このパラグラフは 一読者からの質問にお答えする形で 11.9.9挿入しました )

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[ 性差別と年齢差別 ]

最近、男女の雇用差別について法的な改正が一段と進んだ事は、まことに当然で、 喜ばしいことだと考えます。世間の一部の男性たちが、口先だけで(?)そう言うのと違い、 私は、本心そう思っています。

ついこの間までは、新聞の折り込み広告などにふと目をやると、求人広告の応募資格には 「 男性に限る 」 とか 「 女性パート募集 」 というような性差別の言葉が満ち満ちていました。 更に少し前には 「 容姿端麗 」 とか 「 身長何cm以上 」 などという、 自分の努力ではどうしようもない女性の肉体的な条件で、 採用どころか応募まで差別する言葉が平気で使われていました。 当時私には分からなかったけれど、多くの女性たちはどんなにか屈辱感を抱いたことでしょう。

いや、今だって、大新聞の報じる著名大企業の今年の大卒者採用者決定者数一覧表に 「 うち女性は何名 」 というようなことが書いてあります。 これは、とりもなおさず 「 来年もその程度だと考えてください 」 という情報の発信です。 つい5、6年前までは、これらの日本を代表する企業が 「 当社は来年は大卒女子は採用しません 」 などと堂々と公表できた国、その公表を、大新聞までが一片の疑問符も付けずに、 そのまま報道していた国ですから、現状はようやく多少は改善されたと言えましょうか。

こういう国に生まれ育った日本人が、在米日系企業で働くようになると、 何の疑念も悪気も無く性差別的な言動をして、周囲にトラブルを起こし、訴えられ、有罪になるわけです。 たとえば 「 若い(白人の)女性の秘書を一人採ってくれ 」 とか 「 この職場には安い女性パートを採用したら? 」 とか・・・。

米国で採用面接を行う場合に、採用側が応募者に書かせたり訊ねたりしてはいけない項目は、 性別 ( 一見して男か女か分からないのも居る? )、生年月日、人種、既婚か未婚か、旧姓、 家族状況、宗教、自宅か借家か、身長体重など、実に多岐にわたり、日本の履歴書などは、 米国なら殆ど法律違反項目ばかりの羅列と言えます。 そこで、 この差を理解しないままに面接を行って問題を起こす日本人が跡を絶ちません。 考えてみれば、これらの項目はその人の業務遂行能力とは原則的には何の関係も無いのです。

訊ねても良いのは、業務遂行能力の程度をチェックするための質問だけです。 どこの学校でいつ何を学び、その後どんな職業と職位に就いてどんな業績をあげたか、 今どんな能力を身に付けていて、どんな資格を取得しているのかというようなことだけです。 「 仮に職場でこういう事態が起きたらあなたならどう対処するか 」、「 あなたの長所と短所は? 」 というような質問も、純粋に業務執行能力を試すためなら、することが出来ます。

ここでいよいよ年齢差別の話に入るのですが、日本では 「 性差別 」 や 「 人種差別 」 ほどには、 「 年齢差別 」 という概念がポピュラーでないように、私は思います。 年功序列が各界の各組織でいまだに幅を利かせている国ですから。

まず、私は不勉強で 「 定年 」 という制度が、 日本古来の独特のものなのか、それともどこかの国から輸入された制度なのか、知りません。 諸外国ではどうなのかも詳しくは知りません。 ただ、在米中に見聞したことはなかったように思います。 現在、日本では 「 定年を延長 」 するとかしないとかの議論が盛んですが、 延長すればするで新たな問題も出ますし、大切なのは、人には個人差が有るのだから 「 一律に何歳で定年 」 という制度自体を止めることだと、私は思います。

米国でも、日本同様、20代、30代でも能力も適性も不十分で、 企業にとっても周囲の同僚にとってもお荷物になっている人が少なからず居ます。 こういう人たちを、私は数多くクビにしました( 「 フリーマンの随想 」(その14)の[2]参照)。 他方 「 だいぶ老けてるな 」 と感じながらも能力と実績に惚れて技術者を採用してみたら 61歳だったということも有りました。

米国の会社で、日本流に前者をクビにせず、親身にじっくりと指導し、 改善させようと上役が努力すると、他の部下たちから 「 あなたは、 能力が有り実績も上げている我々を放っておいて、何故あの人の指導ばかりするのか。 それはフェアでない 」 と文句を言われます( なるほど!)。 一般労働者でなく専門職の場合 ( 州により差は有りますが一般に )、 米国ではこういう若い人たちをクビにすることはきわめて容易です。むしろ、 ( 年配者が年齢差別されるのを防ぐ意味で ) 40歳以上の人は40歳未満の人より辞めさせにくいという、日本の通念とは逆の規制が有ります。

これに対し、日本の企業では、一旦採用してしまうと「 能力も気力も実績もきわめて不十分 」 というくらいの理由では、たとえ周囲の同僚や部下たちの厄介者になっていても、 容易にクビには出来ません。官公庁ならそれはもう 「 不可能 」 といっても良いほどでしょう。 一方、60歳になると、日本では、個人の能力、意欲、健康などに関係なく、 「 定年 」ということで有無を言わさず一律に退職させられます。最近では、50代後半で、 一律に第一線から外してしまうという愚かな 「 参事制度 」 も一般化してきています。

私は、これらは非常に悪い制度であり、年齢差別そのものであり、 性差別同様、即時撤廃すべきものと考えます。 その代わり 「 能力も気力も実績もきわめて不十分 」 な者は、若者でも中年でも容易にクビに出来る状況を作り、 組織のスリム化と活性化を図るのが良いでしょう。 そうすれば学生も含めて、怠け者が減るでしょう。 現状ではこういう 「 選択的なクビ 」 が難しいから、悪平等とは思いながらも、 55歳とか60歳とかで線を引いて、年齢を理由に 「 一律にクビ 」 にするのです。 ですが、能力を磨かなくても60までは働ける一方、いくら磨いても60でクビになる・・・ これでは、能力を磨こうと努力する人が出てきません。

ただ、現実の問題としては 「 能力と気力がきわめて不十分 」 という判定は、 一人の上長の恣意ではなく多くの同僚や部下の意見も適正に汲んで行うとしても、 公正に行うことが大変難かしい課題です。 又、判定できたとしても、辞めさせるのがまた大変で、 現在の定年制度のように 「 社会の掟 」 として定着するまでが一苦労でしょう。
一律定年制度を止めても 「 老人天国 」 にならないためには、たとえば、 専門職については能力判定結果に応じた40歳から65歳にかけての十段階くらいの順次定年とか、 何か良い工夫を考え出す必要が有るでしょう。

いずれにせよ、何らかのそういう改善が実行できるための社会的基盤 は、どのような職業、職種でも、

* 職場の地位の上下は、年齢や勤続年数でなく、業務遂行能力と統率力で決まること

* 経験を積みつつ一社に一生勤めるのではなく、他社に何度も転職することが当り前になること

*「 能力も気力も実績もきわめて不十分 」と立証された人は年齢に関係なく解雇できること

* その立証が客観的に公正に行われ、 もし行われない場合は裁判等でキチンと救済され得ること

* 採用は 「 新卒を毎年4月に1回 」 というのではなく、 新卒も他社で経験をつんだ人も含めて1年中随時行なわれること

* 転職してあとから入社してきた人が、差別されずに働け、公正に待遇されること

* どうにか食べられるなら、老いたらいつまでも仕事をせず、 残りの人生を積極的に楽しむという風潮が一般化すること

* 若いうちに( あるいは中年で ) 適性や能力が合わないと判断した ( された )人は、適性、能力にマッチした他の職業や別の職種(職 能)に素直に容易に移って行く( 行ける )という社会状況が一般化 すること

などだと思います。こうなれば、人は一律定年制度のない職場で 「 年齢差別 」 されることなく 「 能力と気力と健康 」 の練磨と発揮に努め、能力と実績に応じて報いられる結果になるでしょう。

と書いてみたら 「 何だ。これは米国社会のやり方にそっくりじゃないか 」と言うことでした。

米国社会は各種の差別に敏感で、それを無くそうと、この50年ほど、三権の府でも民間でも、 心ある人たちが反対勢力と闘いながら懸命に努力してきた結果、 最近ようやくここまで来たように思います。 日本が今後日本向きの独自の優れた年齢差別解消の解決策を見つけ、実施するためには、 従来のように何となく少しずつ米国に近づいて行くとか、 突然思い出したように年配者を一律にいじめるとかいうやり方ではなく、 社会全体がもっと真剣に考え、取り組み、変革を続けて行く必要が有るのではないでしょうか。

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。