フリーマンの随想

その15. 日本語の曖昧さ

*平明で正確な文章を書くことの大切さ*

(3. 21. 1999)


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* 「 日本語というのは、なんとも曖昧な言語ですね 」 と私が話し出したら、多くの方が 「 一体日本語のどこが曖昧なのさ 」 とやや不満気に問い返すのではないでしょうか。 最近それを痛切に感じたのは、ひとつの翻訳システムを私が知ったときでした。 これは 科学技術振興事業団の JMT という名前の和英翻訳システムで、 60万語もの語数の辞書を内蔵しており、難しい技術的な術語 ( たとえ赤外反射分光法、腐植有機化合物など ) や特殊な研究所の略称 ( たとえば航技研 ) まで、たちどころに正しい名称に英訳してしまうという代物で、私はつくづく感心致しました。

* 最近、ある会社がこのシステムを購入、使用して、 日本語の種々の技術系学術文献の冒頭にある 「 要旨 」 の文章を英訳して見たところ、出来上がった英文の多くが、 しばしば間違った意味の珍妙な構文の英語になることを知りました。 たまたまそれを拝見する機会があった私は 「 コンピュータはやはり人間のように上手には翻訳出来ないのか・・・」 と思いながら、その原文と英訳をじっと見つめているうちに 「 これは、もとの日本語にも、ずいぶん責任が有る!」 と思い始めたのでした。

* 日本の代表的な学術雑誌に論文を載せるほどの人は、優秀な頭脳を持つ、 高い教育を受けた人たちばかりだと思うのですが、その方たちが書いた 「 何気なく読んだときには、あまりおかしいとも思えない、 門外漢の私にも意味・内容がよく理解できたと思えた文章 」 の中に、 「 構造的に相当不完全な文章 」 が、実は結構多いと気付いたのです。

* 「 他人に事実や自分の考えを誤解なく正しく伝えること 」 が論文の文章の最大の目的だとすれば、 これでは困ります。 どこが不完全かというと、主に、

1)しばしば、主語や所有格が何であるかが明示されていない。 「 した 」 のか 「 された 」 のかも一見不明瞭である (「 言わなくても読めばわかるでしょ 」 という感じで、確かに普通の日本人なら、 多分正しく推定できます。 でも、それって 「 読者の好意に甘えている 」 文章とも言えるわけです。 翻訳システムはそんな 「 好意 」 を持っていません )。

2)文章がいつまでも終わらず、読点 (、) でどんどん続いて行くうちに、 一つの文章の中にいくつもの節が現れ、それらが複雑に関連し合っているという複雑な文章が多い。 繰り返し何回もよく読まないと、それらの節の相互の関連が私にも正しく把握できない ( 多分、書いたご本人には こんな苦労の生じる筈もない 「 わかりきった 」 内容なのでしょう。 又、難解な構造の長い文章を書くのがその方の癖か好みなのかも知れません )。

3)文章の構造自体の曖昧さにより、 たとえば (A+B)XC という構造を表現したい文章が、 A+BXC であると翻訳システムにも人間にも理解されてしまうというな事態が発生する。 つまり、 形式的には二通りの意味に解釈できる文章を、私たちは気付かずに頻繁に書いている。 読み手・聞き手がその分野の人なら、二つの内の 「 現実に有り得る 」 と思われる方を瞬間的に無意識に選んで正しく理解するが、 難しい学術論文の中にこういう構造の文章が現れると、 人間 ( 非専門家 ) にも翻訳システムにも、どちらが正しいのかが判断できなくなる ( どんな 「 素人 」 や 「 ひねくれた読み方をする人 」 にも、 絶対に意図を誤解されない文章というものが、私は有り得ると思います。 翌日、翌々日と、自分の書いたものを、読み手の立場になって何度でも推敲すること、 専門家以外の人に読ませて、理解した内容を言わせて見ること、などにより、 自分の文章の 「 構造欠陥 」 を大幅に減らすことは容易に実行できると思います )。

4)簡潔さを望む余り、漢字ばかりが連続する新語? を造語してしまう。 これも、その分野に関心のある日本人が読めば、何の問題もなく正しく意味を理解できるのだが、 やはりこれも、やや自分勝手と言える( たとえば 「 生理活性発現調節機構 」 とか 「 多摩川調布堰河川水 」 などという 「 ながーい複合名詞 」 が頻繁に出てきます。 後者なら、これは 「多摩川の調布 ( にある ) 堰の所を流れる川の水 」 だろうと、誰にでも推測できますから、問題ないといえばないのですが、 もっと凄い、6つ以上もの専門用語の漢語を単に連結しただけの複合名詞となると、 訳すシステムや人間にとっては、なんとも苦しい話になります )。

5) 同じ文字で意味が二つ以上ある漢語が日本語には結構多い (「 明日はお天気でしょう 」 という文章だけを見せられて、この場合の 「 天気 」 には weather を使わず、clear か fine を使おうと即決できるほどには、このシステムは賢くないようです )。

6) 修飾語 ( たとえば副詞 ) が被修飾語 ( たとえば動詞 ) から随分離れて置かれることがある。 被修飾語に対してどの位置に修飾語を置くべきかの許容度が、日本語は大きすぎる ( 後述の社説の文章はその一例 )。

* 「 上記のような曖昧さは、英語などにもあるだろう 」 というご意見も有るでしょう。 私も 「 無い 」 とは断言できません。しかし、非常に少ないと思います。 たとえば 1)の 「 主語を省略して読み手・聞き手に推定させる 」 というやり方は、 イタリア語などでは通常的に見られますが、イタリア語の場合は述語の語尾変化を見れば、 主語の人称と数はほぼ一義的に分かるので、主語が何かは、誰にでも ( 翻訳システムにでも ) 間違いなく判断できます。 したがって、文章の中で主語を言う必要も書く必要も無いのです。

* その点英語は、たとえば 述語が am なら主語は I とわかるが、are だと you だか we だか they だかわかりません。 だから、英語では通常主語を省略できないわけです。 日本語では ( 敬語使用の場合などを除き ) 述語が主語の違いにより変化することがありませんから、 本当は日本語の主語は英語の場合以上に常に存在していなければならないのに、 実際にはしょっちゅう消えてしまいます。 消えたまま、推定を読み手・聞き手に任せておく方が、むしろ自然な日本語に感じられるのです。 これでは翻訳システムの立場からは 「 日本語は曖昧だ 」 としか言いようがないわけです。

* その後、このシステムの利用法の改善をどうしてもやってみたくなり、 その会社に 「 押し掛け女房 」 同然に出かけて行き、そこのパソコンを使わせていただいて、 いろいろと検討してみました。 若い頃、言語学者になりたいと本気で考えたこともある私が、 最も好きな世界だからです。その作業の中で気づいたことを少し書いて見ます。 特定の雑誌の中の他人の学術論文の文章を、 許可なくここに引用・批判・修正するのは、はばかられるので、通常 「 良質の日本語文 」 だと考えられている大新聞の社説の文章の一部を引用させてもらい、一つの例を示しましょう。
「 今回、公的資金投入が決まった後、主な銀行に改めて、頭取、役員も含めた賃金、退職金、 ボーナス額を聞いてみた。」( 毎日新聞11年2月18日 )

* 私なら 「 改めて 」 の前に読点を入れたいと思いますが、それはさておき(#)、 この場合 「 聞いてみた 」 人は誰だか、どこにも書いてありません。しかし、 それが筆者の属する新聞社の経済部あたりらしいことは、 普通の日本人ならこの文を読んだ瞬間に推定できるでしょう。 さて、とにかく、 この文章には主語が一つもないから、 翻訳システムには先ずそれを推定する仕事が課せられるわけです。 そこで、翻訳に入る前に、 「 主語が無い場合に主語を何にするか 」 を私が選択、設定します。 これをしないととんでもない結果になります。 この場合はとりあえず We にしました。 まず原文のまま訳させてみると、 とてもひどい英文が出てきます。 その後、少しづつ原文の一部を変えてはインプットし、 出てくる英文を見ながら、また日本語を直すという作業を何度も続け、 だいぶましな英文になったときの文章を次に示します。

* 「 今回、公的資金投入が決まった後、主な銀行に、全社員 ( 頭取や役員を含めた ) の給与、 退職金、ボーナスなどの額を、改めて聞いてみた。」
この修正過程で私がこの翻訳システムに教えられたことは、ヒラ行員なら 「 賃金 」 でも良いが、 頭取以下の幹部も含めるなら 「 給与 」 という単語が適切であること、 「 だれの 」 給与かを所有格の形で述べない ( 前述の所有格の欠落 ) のは、 推測の不得意な翻訳システムに対しては、きわめて不親切であることなど、いくつも有りました。 この文章を、前の原文と比べて、皆さんはどう思われますか。 私はこの翻訳システムを強く責める気になれません。

* 念のために申しますが、この社説の文章が特に悪いものとは、私は考えていません。 ごく普通のレベルの文章だと思います。 上述の学術論文の中には、もっとはるかに 「 厄介な 」 文章が少なからず見られるので、私は気になるのです。

* 文章の個性や風格を尊ぶ文学作品ならともかく、 正確さと平明さだけを旨とすればよい筈の学術論文においてさえ、 主語や所有格が平然と頻繁に消えるのが普通の日本語なのです。 こういうことが原因で、外国人が日本語を学ぶのは相当に難しいだろうと思うので、 今度いつか、上手に日本語をあやつる外人に会ったらこの点を聞いてみようと思っています (この文章にも「私は」が一つもない!)。

* 今私は、論理明快で、上記のような困難が発生しない日本語の文章の条件とは、 いったいどういうものか、又、そういう条件を満たした文章ならこのシステムは、 和文英訳のテストで80点くらいは取れる程度の英文を常に作ってくれるのかどうかを、 いろいろと考えています。 それがノウハウとして確立出来れば、 翻訳会社が日本語の学術論文の原文にそういう 「 前処理 」 を施してからこのシステムに掛ければ、 そこそこの質の英文が迅速に ( 一つの文が約2秒 ) 得られ、あとは、 英語の良く出来る人がちょっとお化粧してあげれば、 良質の英訳が高速度で量産できるかもしれません。

* 今後は技術だけでなくあらゆる分野のグローバル化が否応なく進行する中で、 翻訳、さらには通訳のコンピューター化は現実となることでしょう。 最近日本を訪れた ビル・ゲイツ氏の話を聞き、さらに私なりの推測を加えると、将来は、 人が話した言葉、手で書いた文字が瞬時にシステム処理され、活字体で表示・印刷されます。 その過程に和英や英和の自動翻訳も、もちろん加わるでしょう。そうなったとき、 曖昧で不完全な日本語しか話せず、書けない人たちは、 その恩恵に浴せないのではないでしょうか。

* 文学などの世界は別としても、少なくとも科学・技術系の学術論文の分野では、 今後は常に 「 曖昧でない 」 日本語を書き、話すことがますます大切になると思います。 私が、まだ発展途上の 「 翻訳システムに迎合するような奇妙な文体の日本語を書け 」 などと言っているのではないことは言うまでもありません。
この種の学術論文は、他人に読まれ、正しく分かってもらうための文章なのですから、 筆者の方々には、提出前に何回でも入念に推敲し「 素直で、平易で、短く、過不足なく、 他人に推測を強いたり誤解の可能性を与えたりしない、一番レベルの低い読者にもスッと分かる 」、 つまり 人間に対して優しくて 、しかも自然な日本語の文章になるよう、 繰り返し書き改める努力をして頂きたいと思うのです。 「 そうすれば、自ずと翻訳システムに対しても優しい日本語の文章になる筈だ・・・」 と考えながら、私はこの会社を後にしました。

(#):二つの読点に挟まれ、独立している 「 、主な銀行に改めて、 」 という部分だけを見ると、 形式的には 「 ( 或る銀行を、別の ) 主な銀行へと改変して 」 という意味にも解釈できます。 人間ならともかく、翻訳システムはそう考えてしまう可能性があります。 ここが 「 怖いところ 」 なのです。

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