フリーマンの随想

その13. 日本に帰ったら日本が変っていた

*日本はどこまで駄目になるのだろうか*

(1.20.1999)

第一章

「この本、あなたが日ごろ言ってるのと同じこと書いてるわよ!」 と妻が買ってきた本を渡すので、安部譲二の「 ああ!!女が日本を駄目にする」を読みました。 先ずホッとしたのは「ああ、俺は同じ考えをあちこちの講演の「話の枕」や 中途の「眠気覚まし」 に話したり、またこのホームページで、この1年繰り返し発言していて良かった。そうでないと、 これから先何か言うたびに『 何だアイツ、安部譲二の請け売りなんかやってやがる』 と言われてしまう所だった」と思ったからでした。

まあ、それほど良く似た意見なのですが、 プロ作家の語り口はさすがにこのページなんかよりずっと面白くて、 ご一読の価値はあると思います。女の人の場合、この本を読んで「 不愉快だ!」と強く思う方ほど 「オバサン」度が強いのではと想像するので、そのテストにもなるのではと思います。 妻は「 あまりに本当の事ばかりのマジメな議論で息苦しくなった。もっと笑わせてくれるのかと思った」 と言っていました。

そもそも、私がこのたぐいのことを考え、しきりに口にするようになったのは、 8年近くの滞在の後米国から帰ってすぐ、 日本と日本人のあまりの変貌ぶりに二人が 多少の「 逆カルチャー・ショック」を受けたからです。

そこで私は意見をせっせと新聞に投書したけれど、今考えてみれば甘かった。 商業新聞はこれら多数派の「 困った連中」の反感を買って部数を減らしたりしたくはないから、 そんな投書を取り上げてくれる筈はなかったのです。 ましてや社説や署名記事などで彼らを批判し教え諭したりはしないでしょう。 新聞が鋭く攻撃する対象は、攻撃すれば大衆が面白がってくれる、 政治家や役人や銀行経営者、容疑者のような人々だけです。 新聞やテレビが大衆(すなわち大事な顧客)の精神的堕落を憂え、論じることなど、まずあり得ません。

そこで私はホームページという、誰にでも機会を均等に与えてくれる媒体を利用しようと考え、 勉強して1年前から実行に移したのです。 おかげで特許の「先願」ではないが、上記の本が出た昨年11月よりずっと前から、 同じようなことを言ってきたという証拠が、一部の講演の聴衆の記憶とともに残ったというわけです。

第二章

こういう「 世も末 」「 ほんとに親の顔が見たい 」という連中が、 昔のように社会の一隅に何%か居るだけなら、当然だし驚きません。 しかし最近のように、こう「 全面的にのさばって 」くると、よく世紀末といわれますが、 本当に来世紀早々に日本の社会は実質的に滅びるんじゃないか、 そんなの見たくないから早く死にたいとさえ思う事があります。

勿論、私たち夫婦は、自分たちが居ない間に日本がこんなに変ったからといって、 その事に自分たちは責任が無いなどとは、考えていません。安部譲二が言うように、 この世紀末現象は戦後間も無くの頃からの、子の育て方、学校の教育、 家庭の在り方、社会人の社会への関わり方などに端を発しているとすれば、 成人男女誰にでも、多少の責任が有ると思うのです。

それと、無作法な連中、悪い奴等は目に付き易いが、日本全体としては、まだまだ、 まじめに地道に生きようと努力しているケジメのある人たちが多数派なのだと思います。 海外に身の危険を冒してまで奉仕活動に出かけて行くなど感動的な老若男女たちも、 相変わらず沢山います。でも・・・ このままでは次世代に生きる子供たちが心配で、可哀相でなりません。

第三章

私たちが米国に移住した1988年当時(A)と10年後の今(B)との違いを書きます。 日本にずっと住んでいらした方は、変化が徐々に起ったので、 あるいはあまり大きな変化と感じていらっしゃらないのでは・・・と思うことも有るからです。

1.市街、山野のゴミが増えた
日本に出張させた米人たちが帰国後口を揃えて 「日本では道路にゴミがまったく捨てられてないのに驚いた」と報告するたびに、 くすぐったいが誇らしく思った(A)のに、 今は妻と私は見かねて市のゴミ拾いの奉仕活動に参加し、 その余りにひどい状況に毎度ため息をついている(B)。

2.若者に生気とケジメがなくなった。親も警察も何も注意しなくなった
*以前は、学校の些末な規則や塾の勉強に可哀相なくらい縛られていたが、 それでも活気の有った若者たち(A)が、今はボーッとした腑抜け顔で所構わず「うんこ坐り」している(B)。

*彼らは、悪いと思うから隠れてやっていた(A)酒、タバコを堂々と人前でやるようになった(B)。

*ほとんどの子は夜は家に居た(A)が、今は「なんで今ごろ」 という週日の真夜中に、うじゃうじゃと多数のガキが街で遊び呆けている(B)。

*若い女が人前で鏡を出して化粧を直すなんて事は10年前はまず無かった(A)。 あれは外国では街角に立つ売春婦のポーズと決まっている。まさか「援助交際受けます」 という意思表示じゃないと思うので 「お願いだからせめて海外旅行先では止めて」と言いたいが、 普段癖になってると、ついやるんじゃないか。

3.ドライバーのマナーが悪くなった
これも日本に来た米国人によく感心される状況だった(A)が、帰国後、 渡米前の判断基準と感覚で交差点を通過しようとすると危なくて仕方ない。 直進や小回り「優先」などの規則がが余り守られなくなっている。路上の違法駐車も、 ものすごく増えた(B)。当初は、非常点滅表示灯を点滅させれば短時間ならどこに停めても良いと、 在米中に規則が変ったのかと本気で疑ったほどだ。

4.行儀と言葉が悪くなった
89年、日本に実習に行く米人作業者に向けて「日本では道を歩きながら物を食べるな」 と米人幹部がマニュアルに書いて注意を与えた。90年、 半年ほど日本にホームステイしていた地元の米人少女が帰国後、 私の所属していた米国のロータリークラブでスピーチをしたとき 「日本人は歩きながらは物を食べない」「女の人は口に手を当てながら静かに笑う」などと話し、 聴衆は「ウォー」と感嘆した(A)。

10年後の今、路上は勿論、電車の中でさえ高校生たちがスナックを食べ散らかし、 オバサンたちは大口開けて「ギャハハ」と笑っている。 若い男女は人前で大アクビするときでも、 めったに口に手を当てたりしない(B)。 先日は8匹の高校生の制服を着た猿が、小田急線秦野駅前の広場でコンクリートの床に寝そべりながら ハンバーガを食べ、半分残したのをあたりに散らかしながら去って行くのを目撃した。

帰国直後の最大の驚きは若いOLの言葉の乱れだった。 近くのS銀行支店で女子行員に質問したとき 「うん、うん、それで?」 といわれて文字通り呆然とした。 俺は昔の同級生じゃないぞ。仮にも年配の客だ。「うん」 はないだろう。なぜ 「 はい、それでどうなさいましたか?」 くらい言えないのか。そう教育しないのか。 それも18、9の入社したての小娘ではない。どう見ても25から30歳だ。 これはすぐ直してもらおうと支店長に手紙を出したがまるきり音沙汰が無い。それこそ頭にきて、 もう一度詰問の手紙を出したらやっと支店長が家に訪ねてきた。しかし彼からは 「 良く注意して直させます」 という約束の言葉はついに聞けなかった。 私はこの銀行とは直ちに縁を切ったが、 この調子ではその内に取引する地元銀行がなくなってしまうかもしれない。

また、最近古巣の会社のある部門に行った時、若い女性に「 社内メールの封筒を一つ貰えませんか」 と言ったら「 うん、どんなのが良い?」 と聞かれた。 「 冗談じゃない。俺はあんたの息子じゃねえぞ!」と喉元まで出かけた。 女性だから男性より丁寧な言葉を使えなどと言っているのではない。 男性だって未知の年長者に向っては 「 はい、どんなのが良いですか」 ぐらいは言うものだ。 こんなのは敬語でも何でもない、普通の日本語の常識だ。「 敬語は不得意で・・・」 なんて言わせないぞ!

今浦島の私には、もうどうして良いかわからない。 今の家庭や会社では、 本当に若い女性の言葉の乱れはもう気にならないのだろうか、 それとも直せないと諦めたのだろうか、直してやろうという勇気が出ないのだろうか?

第四章

書き続ければキリが無いのでここは四つで止めますが、好ましい変化も多少は有りました。 その一つは学生の服装のこうるさい規則が無くなったらしいことです(本当に撤廃されたのか、 それとも皆が規則を無視して居るのに先生が注意できないのか、知りませんが・・・。 ぜひ前者であって欲しい)。
高校生にもなれば、ピアスは駄目、化粧がマニキュアがいけない、指輪もだめ、 髪を染めてもいけないなんて、言う方がおかしいのであり、やりたいだけやらせておけば、 人生にはもっと大事な事があるくらいのことは自然に分かって来て、 そのうち適当なところに落ち着くと思うのです。 若いうちは、いろいろ変った格好もして見せたいものなんです。 旧制高校の弊衣破帽なんて、噴飯物でそれはひどいものでした。 いずれにしても大事なのは人間の中身であり、外見ではないのですから。

ただ、嘆かわしいのは、以前何度もこのホームページに書いたルーズソックスのように、 生徒たちが申し合わせたようにまったく同じ格好をしたがる、その「事なかれ主義」「群れたがり屋」人真似・横並び志向の意識と態度です。若者こそ一人一人が 「自分を見てくれ、他人とは違うんだ!」という個性と創意にあふれた装い、態度、 趣味などを競って欲しい・・・という思いです。と書いていて気づいたのですが、 あの旧制高校の弊衣破帽の若者たちの服装も、人真似・横並びだったんですね。

第五章

米国には悪いところがいっぱい有るが、 その悪いところだけは10年後れくらいで着実に後を追っているのが日本(だけではなく世界) の現状です。 両国に住んで見てそのことが良く分かります。 とにかくこの10年で日本は随分変った・・・。

5.ホームレスを90年当時NYで見て驚いたが、今は日本でも大都市では珍しくもない。

6.以前は日本人は麻薬に合わない体質の人種かとも言われたほどだが、今や急増中。

7.米国の高校中退率は30%程度。88年当時日本は1%以下だったが今どんどん増えて3%以上。

8.離婚や幼児虐待などの家庭崩壊の急増。いつ米国なみに追いつくか?

9.ポルノ情報の公然化に至っては、この10年、追いつき追い越して今や世界一。 未成年の手に届く所に「何でも有り」なのは世界で日本だけ。

まあ、時代の趨勢なんでしょうが、 次のような米国の良いところも追いかけ真似してくれればまだしも救いが有るのですが・・・。

1.若者は多くは逞しく明るい。人前での「うんこ坐り」など間違ってもしない。

2.多くの人が弱者に優しく手を差し出し助ける事を教えられ実行している。

3.誰でもどこでも「ありがとう」「失礼」がタイミング良く口に出せる。

4.なぜだかまったく不思議だが、幼児はもちろん乳児までもが公共の場で静かである。 もちろんレストランでも観光バスの車内でも人声はいつも静粛である。

5.未成年者が、高級ブランド品を持ちたいなんて言わない。 仮に言っても普通の親なら許さないと思う。

江戸時代末期、 明治時代に多くの英米人が日本人庶民の礼節の高い水準に驚嘆したという記録がたくさんあります。 今我々は彼らから教わらなくてはならないほどにそれを失ってしまったようです。

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