冬のモスクワ・ペテルブルグ    1999/1/20〜1/26
 

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はじめに   一日目(1月20日)名古屋からモスクワへ
       二日目(1月21日)モスクワの友人を訪ねて。夜はジプシー劇場へ
       三日目(1月22日)アルバート通りからプーシキン広場を散策。
                 夜にはペテルブルグへ。    
       四日目(1月23日)血の上の教会、マールイ劇場のコンサート。
       五日目(1月24日)ドストエフスキー博物館、アフマートヴァ博物館。
                   夜行でモスクワへ。
       六日目(1月25日)クレムリンの近くの地下3階まである新しい地下街。
                 モスクワの友人の家を再訪問。夜は日本へ。
       七日目(1月26日)成田から名古屋へ。

はじめに

さて、わたしは今年もまた寒い季節にロシアへ一週間行ってきました。今回はモスク
ワ、サンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)にいきました。なぜこの時期にと
いう質問が来そうですが、今回の旅行の目的の一つが凍ったネヴァ川を歩いて渡りた
いということだったから、この時期になったわけです。しかも、仕事のわりと暇そう
な時期を選び、かつ航空運賃が一番安い時といろいろと考えた末に決めた時期です。
最初は、昨年4月に、成田-サンクト・ペテルブルグの直行便が開設されたのでそれ
で行こうと思っていたのですが、乗客が少なくて冬の間は飛ばないということがわか
り、モスクワ経由でいくことになりました。

モスクワには今プーシュキン大学で学んでいる友人がいるので彼女を訪ねるのも目的
に付け加わりました。彼女の実家から宅急便が届き、それを届けて欲しいと頼まれま
した。そして更に、出発2日前に今ロシア語を教えてもらっているロシア人の先生か
ら、モスクワに住んでいる彼の友人(私もその人の奥さんから以前ロシア語を習って
いたので全然知らない人と言うわけではない)にちょっとした荷物を持って行って欲
しいと頼まれ、もう一件用事が増えました。まるで運び屋になったような感じでした

一日目(1月20日)
さて、いよいよ1月20日(水)に出発です。名古屋-成田は飛行機です。名古屋で
税関検査や出国の手続きを済ませてしまうので楽なのです。ところが心配していたと
おり、税関で荷物のレントゲン検査の際にひっかかってしまいました。何がひっかか
ったかって?ピストルです。でもおもちゃのプラスチックのピストルです。サンクト
・ペテルブルグに住むロシア人の友人から子どものためにエアーガンを買ってきてく
れと頼まれていたものです。レントゲン検査では本物とおもちゃの区別はつかないの
で仕方ありません。箱から出して、本当におもちゃだということを確認して、またテ
ープで箱をとめてくれました。これからあと何回同じことをしなければならないかと
思うとうっとおしい反面、検査官の対応を見るのが楽しみだなと思いました。

名古屋空港を9時20分に離陸し、わずか40分で成田に到着です。モスクワへのア
エロフロートは13時発。どこへも行くところはなく、2時間半くらい空港の待ち合
い室で本を読んでいました。12時半からようやく飛行機の中に入れました。アエロ
フロートロシア国際航空の東京-モスクワ/パリ便はエアバス310を使っていて、そ
れぞれの飛行機にロシアの作曲家の名前がつけられています。今回乗った飛行機の名 
前は忘れました。今の時期ロシアに行く人なんかあまりいないので、飛行機は空いて
いるだろう、ひょっとしたら横になって行けるかもしれないと思っていたら、何とい
うことかほぼ満員の状態でした。出発時間になっても隣の席誰も来ないので、ゆった
り座っていけるかなと思っていたら、搭乗予定のお客さんを待っているので出発がし
ばらく遅れるとの放送があり、しばらくすると10人以上のロシア人の団体が乗り込
んできました。この人たちを待っていたようです。わたしの隣の席にもロシア人の女
性が座りました。

成田を離陸するとすぐに昼食がでました。日本で積み込んだ食事なのでそばがついて
いました。隣の女性を見ると、カレーライスにそばつゆをかけようとしていたので、
「違う、違う。それはこれにかけるんだ」と教えてあげました。ワサビも小さなパッ
クに入っていましたが何か分からないというので教えました。これをきっかけに、話
をするようになりましたが、彼女達のグループは実はボリショイサーカスの団員でし
た。半年間日本各地をめぐって公演し、やっとロシアへ帰るところでした。このメー
リングリストのメンバーの方が住んでいる町にも来ませんでしたか? 彼女達は15
人のメンバーで、バスでずっと移動してきたそうで、前日の朝、札幌を出発し24時
間かけて成田まで来たそうです。彼女は世界各地で公演しており、ヨーロッパやオー
ストラリア、アメリカ、南アメリカにも行ったそうです。彼女の19歳になる息子も
同じサーカスの団員として一緒に参加していました。彼女の父親もサーカスの団員だ
ったそうで、彼女は14歳からサーカスをやっているといっていました。

モスクワまでは約10時間。西ヨーロッパへ行くよりは時間が短いのでちょっとは楽
かな? 機内では映画をやっていましたがアメリカ映画でロシア語吹き替えなので見
ていてもわかりません。食事はもう一度モスクワに着く前に夕食が出ます。今回から
機内で靴を脱いで履くようにスリッパが全員に配られました。今までスリッパで機内
をうろうろするのはマナー違反だと聞いていたのですが、そんなことはないんでしょ
うか? 

モスクワ、シェレメチェヴォ2空港には予定より30分程遅れて、現地時間17時5
0分に到着。日本との時差は6時間あるので日本時間では夜の11時50分です。モ
スクワの国際空港はシェレメチェヴォ2空港で、国内線はシェレメチェヴォ1空港と
いうのが近くにあります。タラップで飛行機から降り、バスに乗って空港ビルまで行
きます。直接飛行機と空港ビルをつなぐ設備もあるんですが、一杯で使えなかったの
でしょう。入国審査はわりと早く済んだのですが、税関審査で前の人が書類の不備や
荷物の中身のことでトラブって大分待たされました。私もまたエアーガンがひっかか
ると思っていましたが、何のおとがめもなく通過できました。さて、やっとホールへ
出て、迎えに来ているはずのKさんの姿を探したが見当たらず、スーツケースをころ
がしてきょろきょろしていると、「タクシー? 安いよ」という白タクの呼び込みの
おじさんに声をかけられ、断わるけれども次から次と白タクの誘いが続く。しばらく
待っていたが、kさんの姿は見えない。

取りあえずロシアの通貨ルーブルへの両替えをしようと銀行の窓口に行くと、ルーブ
ルはないと断わられ、2階の出発ロビーの両替所に行き、取りあえず100ドルを両
替えしました。昨年8月のルーブル切り下げにより1ドル6ルーブルだったのが、現
在は23ルーブルまで約4分の1に下がってしまっている。旅行者にとってはありが
たいことだが、ロシア人にとっては外国製品が3〜4倍に値上がりし、生活は苦しく
なっています。でも今までロシアで生産するよりも、外国で商品を買ってきてそれを
売る方が手っ取り早くもうけられるということで、資本が生産に向かわなかったのが
今回のルーブル切り下げでようやく生産に向けられるようになったようです。

さて、kさんには依然として会えず、彼女の下宿先に電話してみても誰も出ないので
、家は出ているようだと思ってまたホールへの出口に戻るとそこに彼女がいました。
税関からの出口が二つあるので、向こうかもしれないと思って二つの出口を往復して
いたそうで、会えなかったということでした。ようやく会えて、ホテルまで一緒に行
ってそこで預かった物を渡すことにしました。インツーリストと言う旧国営旅行社の
窓口に行き、タクシーを頼むと1000ルーブル(6,000円)もとられた。タク
シーとは言うもののワゴン車である。約1時間でホテルに到着。

1年半前に家族で来た時も泊まったイズマイロヴォホテルだったので勝手はわかって
いた。1階のフロントで手続きをし、部屋に行って、kさんと明日の打ち合わせをし
ようとしたが、エレベータホールの前にいるガードマンに呼び止められ、kさんはダ
メだと言われ、やむをえずロビーで打ち合わせることにした。翌日ジプシー劇場の券
を買ってあるからということで、夕方6時にチェアトラーリナヤ(劇場前)の地下鉄
の駅で待ち合わせることにした。預かってきた荷物や書類、手紙を渡し、彼女を近く
の地下鉄の駅まで送って行った。冬でも地下鉄の駅の前には物売りの露天が出ていて
、おばさん達が「暖かいハンバーグはいかが?」と声をかけてきた。ポーランドの黒
ビール「バルチーカ」(500ml)を1本買って帰り、ホテルでKさんの作ってきてく
れた卵サンドを食べながら飲んだ。値段は9ルーブル(54円)。ロシアの安いビー
ル(5ルーブル)もあったが、ひどいのに当たるととても飲めたものではないので一
番高いビールを買ったが正解だった。

ビールの酔いと疲れでぐっすりと眠ることができた。しかし、やはり時差ぼけで現地
時間の朝4時頃に一度目がさめた。(つづく)              
 
 

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二日目(1月21日)
前日10時過ぎに寝たのですが、2時半頃のどがカラカラになって目がさめました。
昨日買ってきておいたミネラルウォーター(ガス無し、1.5リットル14ルーブル=8
4円)を飲んだが、部屋の中が暖房のせいで空気がカラカラに乾燥しているからだと
気付き、ハンカチを濡らして口の上?鼻の下?にのせて寝ると良くなりました。5時
半にもう一度目が覚めましたが、次に目が覚めたのは9時でした。

着替えて2階のレストランに行くと、インツーリストで食券をもらってきてくれと言
われ、ああそうだったと1年半前のことを思い出しました。1階にあるインツーリス
トに食券をもらいに行くと、明日のタクシーはいいかと聞くので、明日頼むと言った
ら、今日の方がいいと言われ、じゃあ朝食の後に来ると言ったら、
もうすぐ休憩時間になるから今の方がいいと言われ、シェレメチェヴォ1空港までタ
クシーを頼みました。12000ルーブル(7200円)もとられ、昨日空港で両替
えした100ドルはタクシー代だけでなくなってしまいました。

朝食はバイキング方式で品数も多く、満足できるものでした。冬のロシアは野菜が少
ないというのが常識だったが、キャベツやビート、トマト、きゅうりなどが豊富にあ
りました。しかし、果物はありませんでした。ジュースは3種類あり、肉料理やたま
ご料理も数種類ありましたが、日本人の口に合わないものもありました。チーズ、ハ
ム、茹でたソーセージ、ハンバーグ、麦のミルクお粥などが私の好きな食べ物です。
パンは白と黒とありますが、やっぱりロシアは黒パンです。古くなるとパサパサにな
るのですが、新しいものはいい香りがして食欲をそそります。

部屋に戻り、インツーリストで朝食の食券をもらう時にペテルブルグのホテルのバウ
チャーを返してくれたのを思い出し、調べてみるとペテルブルグからモスクワへ戻る
時の列車のバウチャーがありません。きのうホテルのチェックインの時に3枚(モス
クワのホテル、ペテルブルグのホテル、そして列車のバウチャー)が綴じられている
のをそのまま全部渡したのに気づき、すぐに1階に降りて行きフロントで聞くと、イ
ンツーリストだと言われ、インツーリストに行くと休憩時間で誰もいません。仕方な
くまた後で来ることにして出かけようと、ホテルの両替所に両替えに行くとルーブル
がないと言われてしまった。地下鉄の駅の近くに両替えをしているところがあるのを
昨日見つけておいたのでそこへ行ってみたが、そこもまだやっていないと言われ困っ
てしまいました。イズマイロヴォというホテルは4つの棟からなっており、α、β、
γ、δの名前がついて、日本人はデルタに泊まらせられます。ベータは中国人が多く
泊まるところです。そこでベータ棟にある両替所へ行き、やっと両替えできました。

地下鉄はモスクワではとても便利な乗り物です。環状線があってそれを貫く線が9本
走っており、どこへ行くのにも便利です。料金は1回券と2回券は1回当たり4ルー
ブル(24円)、5回券以上は1回当たり3ルーブルです。運賃は距離にかかわりな
く1乗車どこまで乗っても同じです。磁気テープが貼ってある紙のカードを自動改札
機に入れて通ります。出口には何もありません。改札を通るとすぐに日本のよりはか
なり早いエスカレータに乗ってプラットホームまで下ります。エスカレーターの左側
は急ぐ人のために空けておきます。プラットホームまで1分前後かかります。核シェ
ルターも兼ねているとかで、地下鉄はかなり深いところを走っています。モスクワの
地下鉄で便利だと思うのは乗り換えがわかりやすいということです。ホームは全部島
式(対面式は一つもない)で、ホームの中央に乗り換え口があります。日本の地下鉄
ももう少し乗り換えがわかりすいといいのにと思います。特に東京に行った時など、
必ず迷ってしまいます。さて、ホームに下りてくると、天井がめちゃくちゃ高いので
す。ホームには大理石が惜しげもなく使われており、駅によってはいろいろな彫刻が
柱に施されていたり、大きな銅像があったりします。そして、乗り換えがわかりやす
いことのもう一つの理由はホームに広告がないことです。電車は日本のと比べると古
くて車内も薄暗い気がします。でも電車はどの線でも頻繁に(2分間隔くらい)来る
し、車内もきれいです。落書きもありません。

地下鉄でクレムリンの近くまで行き、外へ出るとボリショイ劇場の前にでました。道
路を挟んでマルクスの像が建っていました。町のあちこちに「誰もロシアを助けてく
れない。私達自身以外には」というスローガンをロシア国旗の上に書いた看板が立っ
ていました。これと同じコマーシャル(?)がテレビでも流れているそうです。
「誰もロシアを助けてくれない.......」という看板
モスクワの気温について一言。今年は−20℃という寒波が冬の始めに一回あっただけ
で、後は暖かい日が続き、私の行った21日も+6℃くらいで車道には雪はまったく
無く、歩道の雪も溶けて泥水状態になっていました。日本と同じような服装で十分で
した。ちなみに私の格好は毛皮の帽子に、マフラーをしてダウンのハーフコートを着
て、下はスキー用のタイツをはいていました。いつもの年ならこれで丁度いいのです
が、今年は暑くて暑くて。

クレムリンの前の赤の広場も雪はまったく無く、丁度200人くらいの人たちが赤旗
を掲げて集会をやっていました。レーニン廟にも長い行列ができていました。赤の広
場のはしっこに、長年修理をしていた歴史博物館が新装オープンして、「ロシアのス
タイル」という展示をやっていたので見て行くことにしました。改装され中は西側の
博物館のようにきれいになっていました。切符売り場で切符を買おうと20ルーブル
出すと、おばさんが横の掲示板を見てと言い、よく見ると外国人は100ルーブルで
した。そうそう、ロシアでは有名な観光地はみんな外国人料金というのがあるんです
。ここはロシア人の5倍でしたが10倍以上もする所もあります。展示はロシア各地
で発掘された紀元前の鉄器や石器の展示がかなりの部分を占め、終わりの方でニコラ
イ二世(ロシア最後の皇帝、ボリシェビキによって殺される)の着ていた服や手紙な
どが展示してありました。全部見るのに1時間くらいかかりました。

そして私の今回の旅行のもう一つの研究目的でもあるトイレ事情をみるべく、入って
みると、掃除のおばさんがしょっちゅう小便器の水を流し、ブラシで洗っていました
。大の方も便座はちゃんとついているし、清潔だし、快適でした。ただ習慣の違いか
らトイレのトビラは取っ手が無く、取っ手大の大きさの穴が二つあいていました。し
かもカギがついていないので、中からこの扉の穴を手でもって閉めている人もいまし
た。扉は下から30センチくらいは板がありません。何とも落ち着かないトイレです

1月21日のまだお昼です。この後ホテルに戻り、なくなった列車のバウチャーをめ
ぐる攻防があります。そしてロシア人の知り合いの家へお客に行き、夜はジプシー劇
場へ。

 1月21日、午前中クレムリンの近くをうろついたあと、一度ホテルに戻りました
。ホテルのなかのインツーリストが開いていたので、列車のバウチャーのことを聞い
たのですが、予想通り自分の所にはこれしかないという返事が返ってきました。ばう
ちゃーのコピーを見せて昨日フロントで3枚綴じられたバウチャーを渡して、今日の
朝、ペテルブルグのホテルのバウチャーだけ返してもらった。あと1枚あるはずだと
食い下がってみました。どこかに電話して聞いていましたがやはりないとの返事。し
かも彼女は平気な顔をして、「このコピーで切符をもらえるから心配しないでいいわ
よ。」というのです。これはこのごたごたを取りあえず終わらせるためにいい加減な
ことを言っているのだなと思いましたが、仕方なく「本当にこれで切符がもらえるん
ですね!本物のバウチャーではないけど」と念を押し、大丈夫だと答えるので仕方な
く引き下がることにしました。最悪の場合、もう一度切符を買えばすむことだからと
あきらめました。昨日、必要なバウチャーだけ渡して、あとの2枚は自分でしっかり
持っているべきだったと後悔しました。今後の教訓になりました。

 今回の旅行の出発2日前、ロシア語講座のロシア人の先生から彼友人であり、私の
前のロシア語の先生でもあった人に荷物を届けて欲しいと頼まれ、預かってきました
。着いた日に電話をし、彼女のアパートに行くことにしました。彼女の夫は名古屋大
学へ研究者として来ていたのですが、2年前の夏にモスクワに帰っている時に脳溢血
で倒れ、首から下が麻痺したままになっています。家族で名古屋に来ていて、二人の
女の子も日本の小学校に通っていました。今は、彼女は夫につきっきりで、外出さえ
ほとんどできない状態です。夫は喋ることもできないのですが、聞くことはでき、頭
の中ではいろんなことが考えられます。そこで日本の友人達が彼の為に特別のパソコ
ンを買って送りました。頭にヘッドホンのようなものをつけ頭を動かすことで、ディ
スプレイ上のカーソルを動かし、口の中に入れたスティックでクリックするというも
のです。このパソコンのおかげで彼の仕事もできるようになったし、私と話をするこ
ともできました。家族の人達は彼の口の動きで何を言いたいのかわかるようですが。

 預かった荷物を持ってアパートの近くの地下鉄の駅まで行き、そこで彼の15才にな
るナスチャという娘さんと3時に待ち合わせ、アパートへ案内してもらいました。彼
女は日本語がぺらぺらで、お母さんよりも上手に話します。彼の家でお昼をごちそう
になり、昨日と同じビールを飲み、すっかり満足しました。妹のサーシャも帰ってき
て、日本語で学校のことや日本での生活がよかったこと、テレビで札幌の雪まつりの
準備のことをやっていたなどと話してくれました。そして、帰りにまた荷物を名古屋
に住む彼の知人に荷物を持って行くことになり、日本へ帰る日にもう一度来ることを
約束しておいとましました。
   
モスクワのバズジェンコフさんの家で
6時にKさんと会い、彼女が切符を買ってくれたジプシー劇場へバスでいきました。
バスは2ルーブル(12円)。切符は地下鉄の入り口で売っていますが、何と有効期
限があるのです。きっとインフレが激しいので、安い時に買いだめができないように
するためです。私の買った切符は1月から3月まで有効という切符でした。バスに乗
るとこの切符を車内のあちこちに取り付けられているパンチで穴を開けます。これを
降りるまで持っていないと、時々検札の係員が乗り込んできてチェックをします。こ
れを持ってないと10ルーブル(60円)の罰金をとられます。バスから途中、プーシ
キン広場が見え、訪問先の子ども達が言っていた氷の像がいくつか立っていました。

ジプシー劇場は小さな劇場で7時開演で9時頃までありました。ジプシーの集団の中
の一人の男がロシア人の女性を好きになり、ジプシーから抜けるが、同じジプシーで
彼に思いを寄せるアザという女性がいました。そしてロシア人の女性との間に男の子
が生まれたという知らせを聞き、彼にロシア人の所へ行けと言い、自らは命を絶って
しまうという話でした。ロシア語はほとんど聞き取れず、時差ぼけで眠たくなってし
まいました。でも席は一番前のまん中で、こちらが変わった外国人が来ているなと見
られているようでした。入場料は一人30ルーブル(180円)でした。帰りにモス
クワの中心にあるインツーリストホテルのカフェに寄って美味しいといわれているカ
プチーノを飲みました。私にはそんなに美味しくは思えませんでしたが。でも値段は
しっかり高く、二人で160ルーブル(960円)もしました。

Kさんと別れ、ホテルに戻り風呂に入り(といってもバスタブの栓がないのでシャワ
ーだけです。お湯は出ました。)、洗濯をするともう12時を過ぎていました。今夜
もハンカチを口の上にのせて寝ましたが、3時と6時に目が覚めました。完全に時差
ぼけです。                               
 

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三日目(1月22日)
 今回まだ全然おみやげを買っていないので、ホテルの近くにあるイズマイロフ公園
にある市場に行きました。ここは衣料品が中心の市場なのですが食料品も売っていて
値段が安いので、ロシア人も大きな袋に一杯の衣料品や食料品を買って帰っています
。ホテルのチェックアウトは12時なので、荷物はホテルの一時預かり所に預けてリュ
ックを持って出かけました。名古屋に来ているロシア人の友だちにイクラの缶詰めを
頼まれていたので、安いイクラを探しました。同じ市場の中でも店によって値段はま
ちまちで、安い店を探すのも楽しみの一つです。イクラも29ルーブルから35ルー
ブルで売られており、一番安い店で6缶も買ってしまいました。チョコレートも箱に
入った立派なものが50ルーブル(300円)で売っていたので、8箱も買ってしま
いました。更に、紅茶を5箱も買い込みました。ロシアの紅茶(紅茶はセイロン産で
すが)は葉っぱが大きく、独特の味がします。リュックには入り切らなくなり、ロシ
ア人が持っているような大きな袋を買いました。(18ルーブル=108円)この袋も流行
りがあり、あちこちで同じ袋を持った人に会います。丈夫で、長もちし、ファスナー
も付いていて、ロシアに行くといつもひとつ買ってきます。たくさんおみやげを買い
込み、それをまたホテルに預け、アルバート通りへ行きました。

 アルバート通りは、いわゆる歩行者だけの通りで、お土産屋さんや喫茶店、軽食の
店、レストランなどいろいろな店が並んでいて路上にもお土産の店や自分の絵を売っ
ていル人、似顔絵描きなどがいて、夏には観光客でごったがえしています。でも冬の
アルバート通りはさすがに人通りも少なく、静かです。わたしがここへ来るのは「サ
ユース」というレコード店に行くためです。サユースというレコード会社があるので
すがここはその直売店なのかもしれません。ロシアのポップスはまず日本では買えま
せん。ロシアに行った時に買ってくるか、ロシアに行くという人に頼んで買ってきて
もらうしかありません。でも日本人にとってはCDが安いんです。特に98年8月のル
ーブル切り下げ以降は。最新版のCDが1枚130ルーブル(780円)くらいです。カセッ
トテープは何と25ルーブル(もちろんCDと同じ内容のものが入っています。)とい
う安さです。ここで買い物をし、初めてロシアでクレジットカードを使ってみました
。日本の店のように各店にカードリーダーがあるわけではなく、電話をかけてカード
の番号を言って有効なカードかどうか聞いていました。今回の旅行でカードで買い物
をしたのはこの1回だけでした。お昼を食べようとあちこちの店を見て歩き、ここに
しようと決めて入ろうとしたら、2時までと書かれてあり結局、お昼は食べそびれて
しまいました。歩き疲れて、座りたくなったので「サーティワン」に入ってアイスク
リームを食べました(14ルーブル=84円)。店はがらがらで、ロシア人にとっては高
いアイスクリームというイメージのようです。日本のように立ち食いではなくちゃん
とテーブルといすが置かれています。お昼を食べる店を探している時に何と日本料理
店(?)を見つけました。外からメニュー見ると何とラーメンと寿司がありました。
でもこの手の店に「懐かしい!」といって入ると、あとで失望させられます。ここは
ロシアなんだということを考えなくてはいけないのです。この店もロシア人を相手に
商売しているわけだから、味も量もロシア風なのは間違いありません。日本で食べる
ラーメンやお寿司はここでは食べられません。
アルバート通りにあった日本料理店
この日も暖かく、道路には雪はほとんど残っていません。歩道の端っこにぐちゃぐち
ゃに融けて黒くなったシャーベット状の雪が残っていて、ロシア人の女の人達が毛皮
の長いコートを着て歩いているのを見ると、裾が汚れるのではないかと他人事ながら
気になりました。車も雪融けの時と同じでみんな汚れたまま走っています。洗車して
も5分も走ればまた汚れてしまうので洗ってもしようがないんでしょう。アルバート
通りを歩いていると家々の雨樋から氷が落ちてきていました。ロシアの建物の雨樋は
直径が30センチくらいあり、そこをここ数日の暖かさで屋上で凍っていた氷が融けて
氷のままガラガラと音をたてて落ちてくるのです。

ここでトイレ事情をまた少し。97年の夏に家族でモスクワに来て、このアルバート通
りを散策していたのですが、トイレに行きたくなって捜しまわった思い出があったの
でトイレの場所は気をつけてみておきました。結構たくさんありました。道路に工事
現場で使っているような簡易トイレを二つ持ってきていてその前におばさんが立って
いて、使用料をとるというものまでありました。ちなみに私は普通の建物の地下にあ
ったトイレに行きましたが、値段は3ルーブル(18円)というところが相場のようで
す。大の方も覗いてみましたが、案の定、便座がありませんでした。日本のように無
料できれいなトイレが使えるというのは、幸せなことだとつくづく思いました。

アルバート通りからトロリーバスに乗って、昨日ちらっと見たプーシキン広場に行き
ました。今年はプーシキン生誕200年ということで、あちこちで記念行事があること
でしょう。そのプーシキンの銅像が建っているプーシキン広場には、氷の彫刻が作ら
れて展示されていました。でも、この暖かさで氷が融けてせっかくの作品が壊れてい
るものもありました。
  プーシキン広場の氷の像
プーシキン広場のそばにマグドナルドがあったので入りました。昼御飯を食べそびれ
ていたのでたすかりました。店の中はたいへんな混み様で、大繁昌していました。季
節限定のハンバーガー(マッカントリмаккантри)とコーヒーを買って43ル
ーブ ル(258円)払いました。まあまあの値段ですね。日本人にとっては。でもロシ
ア人 にとってはちょっと高い、贅沢な食事のようです。窓際の席に座って外を見なが
ら食 べていると、「ああ、西側の味だなあ」と懐かしさを覚えてしまいました。窓か
らプ ーシキン広場の向こうのビルの上に、コカコーラとNECの大きな看板が立ってい
たと いうのも影響していたのかも知れません。マグドナルドにいると、「ここはロシ
ア? 」と思ってしまいます。ここでも、出る前にトイレに寄ってきました。きれいな
こと はきれいだったのですが、臭いが気になりました。食べ物を扱っているので、も
う少 しなんとかして欲しいものです。
プーシキン広場のそばにあったマグドナルド
さて、ホテルに戻り、日本の家族へ電話しようとテレホンカードを買いに行くと、テ
レホンカードは高いから部屋からかけたほうが安いと言われました。もうチェックア
ウトしているから部屋からかけられないとというと、事務室の中の電話を貸してくれ
て、1分60ルーブルだよト言われました。結局3分話して180ルーブル(1040円)
払いました。その後、出発まで時間があるのでロビーでコーヒーを飲んだら何と40ル
ーブル(240円)もとられてしまいました。

荷物預かり所で荷物をもらい、ついでにそこで今日買ってきたCDやカセット、チョコ
レートにイクラをスーツケースに詰め込みました。5時半にインツーリストに行くと
もう車が待っているということで、すぐに出発できました。夕方のラッシュで道路が
混んでいたので抜け道を通ったのかもしれないが、人気の全くない道を延々と1時間
以上も走り、途中で大丈夫だろうかと心配になってきました。6時50分にシェレメチ
ェヴォ1空港に着いた時には、正直言ってホッとしました。

さてターミナルビルに入ると、どこにチェックインカウンターがあるんだろうと見回
してもどこにもありません。人が大勢並んでいる列が3つほどあり、なんだかわかり
ませんでしたが、まあここに並んでいればいいだろうと並んでみました。正解でした
。入り口にセキュリティチェックだと書いてあり、入り口の近くまで行くと奥にチェ
ックインカウンターがみえました。またお土産のエアーガンがひっかかるかなと心配
していましたが、止められずに通過できました。チェックインカウンターで荷物を預
け、「たばこを吸うか?」、「窓側がいいか?」と聞かれ、「おう、日本並ではない
か」と感心しました。2階の搭乗待合室に入ったのは、19時15分。まだ出発まで1時
間もあるので、腹ごしらえをしようと売店に行くとキャビアののったオープンサンド
あり、せっかくロシアに来たんだから、これを食べようと決めて並んでいたら、前の
人が最後の1個を買ってなくなってしまい、仕方なく甘いパンとビールを買って30ル
ーブル払い、流し込みました。ちなみにキャビアののったオープンサンドは148ルー
ブル(888円)。
後で気が付いたのだが、もう一軒売店がありそこには同じオープンサンドがまだたく
さん残っていました。

ペテルブルグまでの飛行機はツポレフ-154というソ連製の旅客機です。国内線なので
機内は超狭く、窓際の私の席の15Fにはもう皮ジャンを着たにいちゃんが座っており
、私は通路側に座ることになりましたが、座席の間隔が超狭い飛行機の場合は通路側
の方が楽なんです。大柄のロシア人が足が入らずに斜めに座って通路に足を出してい
ました。でもケーキと紅茶が機内サービスで配られている時には無理矢理足を押し込
んで大変そうでした。ロシアの航空会社も民営化され、新しい航空会社ができている
ようですが、価格もまちまちでよいサービスと快適なフライトを手に入れるためには
それなりのお金を出さなければならないようです。私のモスクワーペテルブルグの航
空券はおまけ(無料)なので、こんな窮屈な飛行機でもがまんしなければ。時間もわ
ずか1時間余りですから。

21時40分、ペテルブルグのプルコヴォ空港に着き、またバスに乗ってターミナルビ
ルへ。ターミナルビルに入ると友だちのセルゲイさんが迎えに来てくれているのが見
えました。奥さんのナターシャも来ていました。空港からはバスと地下鉄を乗り継い
でホテルへ。明日の朝、朝食後に彼のうちへ電話することにして、二人はホテルから
帰って行きました。この日も結局寝たのは12時過ぎでした。
窓が完全に閉まらず、すきま風がひゅーひゅー入ってくるのですがカーテンを閉めて
寝れば大丈夫だと思って寝ました。            
 

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四日目(1月23日)

さて、窓が完全に閉まっていないけどいいやと思って寝たのが間違いでした。夜中の
3時頃寒くて目が覚め、ベッドカバーを上から掛けて寝たが、まだ寒くダウンの半コ
ートを上からかけてやっと暖かくなったが、足元が寒く、うつらうつらしただけでよ
く眠れませんでした。

何度目かに目が覚めて、時計を見ると8時半でした。でも外は真っ暗。起きて2階の
レストランに朝食を食べにいきました。ここもバイキング形式で料理の品数は多いの
ですが、これと言ったものはありません。ここで美味しかったのはロールキャベツで
した。食事の後、売店で地図と新聞を買い、ガラスの中に彫り物をしたものを2個、
子ども達へのお土産に買いました。一個25ドルもしたが、2個買うので45ドルに
してくれと言うと簡単に45ドルにしてくれた。40ドルと言えば40ドルになった
かもしれない。カードでも払えると書いてあったので、カードで払いたいと言ったら、
カードにすると値段が高くなると言われ、現金で買いました。すぐに現金が入る方が
いいに決まっています。日々インフレで物の値段が上がっているロシアでカード決済
なんて、やっぱり無理なのかも知れません。
次に郵便局に行って、日本へ出すはがきと切手を買いました。日本へは5ルーブル(
30円)です。日本からロシアへ出す時は70円なので、半額以下です。

さて、いよいよサンクト・ペテルブルグからモスクワへの列車の切符をもらいにイン
ツーリストへいきました。列車のバウチャーがモスクワのホテルでなくなったこと、
いま手許はそのコピーしかないが、モスクワのホテルのインツーリストでコピーでも
切符を受け取れると言われたことなどを拙いロシア語で必死で説明しました。そして
「これでOKだから、今日の12時過ぎに取りに来て」と言われ、ホッとしました。

部屋に戻り日本の家族へ電話し、その後セルゲイさんの家へ電話し、10時40分に
スパルチーヴナヤ駅のプラットホームで待ち合わせました。ところが時間になっても
ちっとも現れず、どうも待ち合わせ場所を間違えたようだと気がつきました。でも下
手に動くとますます会えなくなるかもしれないと思い、じっとそこで待っていました。
そうすると11時頃に、セルゲイさんとナターシャがやってきました。最初はこの駅
にしたけど、サドーヴァヤ駅のセンナヤ広場駅への乗り換え口のところが待ち合わせ
場所だっっと言われました。電話の最後にどこで、何時ということを復唱して確認し
ておくべきだったと反省しました。

まず今夜のコンサートの切符を買いにマールイホールへ行きました。フルートのため
の音楽の夕べというコンサートで、曲目は全部ビヴァルディのものでしたので、知っ
ている曲があるかなと思っていましたが、全然知らない曲ばかりでした。
次にプーシキン博物館に行きましたが、今年がプーシキン生誕二百年ということで今
改修中で2月11日から中に入れるようになるとのことで、残念ながら今回は見るこ
とができませんでした。次回の楽しみが一つ増えたと思うことにします。

さて次は「血の上の教会」という物騒な名前の教会へ行きました。どうしてこんな名
前がついたのかというと、1881年アレクサンドル二世が爆弾テロで殺されたその場所
に建てられたのでこの名前がついたそうです。この教会を作るのに23年かかり、第
二次世界大戦で被害を受けその修理に27年かかり、1997年の秋に修理が終わり、
その美しい姿がカラー写真入りで朝日新聞の夕刊1面にのっていました。外も中もモ
ザイク画が一面に作られており、これは修復するのに27年かかるはずだと納得しま
した。1年半前に家族でペテルブルグに来た時はまだ修理中で中には入れませんでし
たが、外から見ただけでも、その美しさはすばらしいもので、今回中に入れるという
ので期待していました。建物の外に切符売り場があり、外国人とロシア人の区別がな
かったので、大人2枚の切符(一人15ルーブル=90円)を買って中に入ると、中
で外国人は200ルーブルだと言われ、セルゲイさんが200ルーブル払い、15ル
ーブルの券を払い戻してきました。内部は壁から天井まで床を除いて一面宗教のモザ
イク画です。キリスト教の物語について無知な私は絵の意味はわかりませんでしたが、
息を飲む程すばらしいモザイク画でした。内部の写真は撮れないので、見せられない
のが残念です。

「血の上の教会」を出て、歩いて家まで帰ろうということになり、凍った運河やネヴ
ァ川を見ながら帰りました。運河の氷の上には石や瓶、ゴミなどが捨てられていて余
りきれいとは言えませんでした。ネヴァ川は流れの早いところがまだ凍っていません
でしたが、9割くらいは凍っていました。でも氷の上を歩くのは危険だと言うことで
した。もし、氷が割れて落ちたら、川の流れが早いのでまず助からないと言っていま
した。でもしっかり凍っているところを見つけ、氷の上を歩きました。
 凍ったネヴァ川とエルミタージュ
30分くらい歩いてセルゲイさんの家へ行きました。古いロシア時代からの建物で中
庭のある大きな建物の3階です。部屋の数が4つと台所、トイレ兼浴室があり、天井
が高く、使っていないけどペチカもあると自慢げでした。彼の家族は妻のナターシャ
と彼女のお母さん、15歳の息子ニコラと8歳の娘ヴェロニカの5人です。去年の6
月に同じ建物の別の部屋から引っ越してきて、夏休みにいろいろと息子と一緒に修理
したそうです。子ども達は二人とも音楽学校へ行っていていませんでしたが、しばら
くして帰ってきて、ピアノ(ヴェロニカ)とフルート(ニコラ)を聞かせてくれまし
た。

食事は(カニサラダ、ビーツサラダ、ビーツとニンジンのサラダ、キノコスープ、ソ
ーセージとポテト)以前来た時にソーセージが好きだと言ったのを覚えていて大きな
ソーセージを茹でて出してくれました。食事の時にシャンパンを飲み、後でワインを
少し飲みました。一昨年のイルクーツクと違って、ウォッカは飲みませんでした。私
にとってはその方がありがたいです。食事の後、子ども達にお土産を渡しました。セ
ルゲイさんが前もって子ども達の欲しがっていたものをメールで知らせておいてくれ
たので、子ども達は大喜びでした。ニコラはエアーガン、ヴェロニカは腕時計をあげ
ました。

夜はコンサートへ出かけました。セルゲイさんは風邪をひいているので早く寝ると言
ってコンサートには行きませんでした。券4枚でどうやって5人入るのだろうかと思
っていたら、ヴェロニカはこどもだから券はいらないということでした。お祖母さん
が自由席に座って、子ども達と私とナターシャは指定席に座りました。いかにもヴィ
バルディらしい曲が前半4曲、後半4曲ありました。ヴァイオリン2人、ヴィオラ1
人、チェロ1人、コントラバス1人、そしてメインはフルートのアレクサンドル・キ
スカッチという構成でした。7時に始まり、9時少し過ぎに終わりました。
ネフスキー大通りを少し散歩して行かないかと誘われましたが、疲れていたのでまっ
すぐホテルに帰りました。

ホテルの自分の部屋に戻ると今朝かけた国際電話の請求書がカギのところに挟んであ
りました。それを見てびっくり。何と320ルーブル(1,920円)も請求されていまし
た。モスクワの時は部屋からかけた方が安いと言われていたので、ペテルブルグもそ
うだと思っていたのが間違いでした。

部屋の窓は朝、きちんと閉まるようにしておいて欲しいと頼んでおいたので、直って
いました。今夜は暖かく眠れそうです。明日から2日間風呂に入れない(明日は夜行
列車、明後日は飛行機の中です)ので、ゆっくりと風呂に入り髪も洗っておきました。
もちろんバスタブも風呂の栓もちゃんとついていました。
                               
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五日目(1月24日)
今日は窓がちゃんと閉まったので、寒くないと思っていたのに、やっぱり午前4時頃
に寒くて目が覚めました。結局またベッドカバーをかけて寝ました。前の日程寒くは
なかったのでちゃんと眠れ、朝は7時半に起きました。
朝食に2階のレストランに行ったあと、インツーリストによって列車の切符をもらい、
パスポートオフィスでパスポートとビザを返してもらい、昨日請求のあった電話代を
払いに行きました。テレホンサービスのカウンターには確かに1分158ルーブルと
表示してありました。見なかった私が悪いのです。
ホテルのチェックアウトは12時なので、荷物は友人のセルゲイさんのところへ持って
行くことにし、11時に彼の家の近くの地下鉄の駅(スパルチーヴナヤ)で待ち合わ
せることにしました。今度は復唱して確認したので間違いはありませんでした。彼の
家でコーヒーを入れてくれたのですが、煮だしコーヒーなので香りはなく、日本人に
とってはあまり美味しく感じられないコーヒーでした。ロシア語でもコーヒー豆から
コーヒーを入れる時は「コーヒーをたてる」ということを聞き、驚きました。インス
タントコーヒーの時は「たてる」とは言わず、ただ「入れる」です。何となく日本語
と同じ言い回しをするというのを聞いて楽しくなりました。
あまり美味しくないコーヒーを飲んだ後、奥さんのナターシャも入れて3人で私のリ
クエストであるドストエフスキー博物館へ行きました。この日は珍しく太陽が顔を出
し、日が射していました。こんな天気は冬には滅多にないことだと言っていました。
でも晴れているからといって暖かいわけではなく-7℃という寒さでした。ロシアの冬
はいつも曇っているか、雪が降っているかで薄暗い毎日だそうです。ドストエフスキ
ー博物館では彼の子ども時代からの写真や、手書きの原稿、彼の論文の載った雑誌や
新聞、本などが展示されていた。私が持っている河出書房から出ている日本語版のド
ストエフスキー全集も陳列されていました。入場料はロシア人15ルーブル、外国人
45ルーブル(270円)と良心的な金額でした。ここでもトイレを見てきましたが、
とてもきれいで驚きました。
ここでナターシャはお昼の用意をするからと一足先に帰っていきました。
私とセルゲイさんはフォンタンカ運河沿いにあるシェレメチェヴォドームという大き
な屋敷の中の一つの建物にあるアンナ・アフマートヴァ博物館に行きました。アンナ・
アフマートヴァはロシアの詩人で、彼女が住んでいた部屋もそのままに保存されてい
ました。そこを出て、セルゲイさんの家まで歩いて帰りましたが、ネヴァ川にかかる
橋の上を歩く時はさすがに風が強く、風上の側の頬が痛くなり感覚がなくなるので、
時々手袋を外して手で頬をこすっていました。この時が今回の旅行の中で一番寒い時
でした。家に戻り、ナターシャの手作りの暖かい料理を食べてゆっくり休憩して、昨
日ネフスキー大通りを散歩しなかったので行ってみようとまたセルゲイさんと二人で
5時半頃に出かけました。地下鉄でモスクワ駅まで行き、そこからネフスキー大通り
をエルミタージュの方へ歩きました。途中寒くなって、本屋に入って、本を見ました
が、重いし、買って帰ってもなかなか読めないので、今回は何も買いませんでした。
ネフスキー大通りはまだ人通りがあったのですが、エルミタージュのあたりからは人
通りがほとんどなく、またあの寒い橋を渡って、今度はペトロパーヴロフスク要塞の
中を通って帰りました。この要塞の中には同じ名前の教会があり、代々のツァーリが
葬られています。去年もロシア最後のツァーリ、ニコライ二世がここに葬られ話題に
なりました。8時過ぎに家に戻るとまた夕食を出してくれ、いささか食べ過ぎ状態で
す。食事の後にアイスクリーム、ケーキが出て、食べないと悪いので少しにしてくれ
るように頼みました。お茶を飲みながらナターシャのお母さんが自分のコレクション
の絵はがきを見せてくれ、数枚もらいました。そのうちに子ども達が帰ってきて一緒
に写真をとりました。ベロニカは友だちの誕生日に呼ばれていて、ニコラが迎えに行
ったようです。ロシアでは大人になっても誕生日には友だちを呼んで飲んで騒いで楽
しむという習慣だそうです。
11時過ぎに家を出て駅へ。セルゲイさんとナターシャが駅まで送ってくれました。
ニコラとベロニカは宿題をやっていました。駅に11時40分に着き、列車は「赤い
矢」という愛称で、文字どおり赤い列車です。一般的なロシアの列車は緑色なので、
すぐにわかります。16両編成の列車でモスクワ側が1号車、最後尾が16号車です。
私の切符は16号車の6番、一番後ろの車両でした。4人部屋だと思っていたら何と
二人部屋、つまりファーストクラスでした。確かに日本で頼んだのはエコノミークラ
スだったのに、どこかで間違えてファーストクラスになってしまいました。ロシアの
列車の寝台車はほとんどがコンパートメントになっています。私の部屋にはすでに女
性がいて、車掌(年輩の女性)が困ったという顔をして、同性同士に部屋を変えてあ
げようかと彼女に聞き、彼女はいいと断わっていました。しばらくして彼女が歯磨き
に行っていル間に今度は私に同じ質問をしてきましたが、もちろん私も断わりました。
間もなく弁当が配られました。これは明日の朝食です。パッケージに入っていて、中
には丸い白パン、サラミ、チーズ、ケーキ、ヨーグルト、紅茶のティーバッグ、イン
スタントコーヒーが入っていました。他にガス入りのミネラルウォーターが1本つい
ていました。車掌さんが陶器製のポットにお湯を入れて持ってきてくれました。紅茶
を飲んで、彼女と少し話をし、12時半頃に寝ました。彼女はカザンに住んでいて、
小児科の医者だと言っていました。彼女は窓側は寒いのでと入口側を頭に寝ていまし
た。私は窓側を頭にして寝ましたがすきま風はなく、1日中よく歩き回ったのですぐ
に寝入りました。何時頃かわからないが目が覚め、トイレに行ったが、彼女は咳き込
んで眠れないらしく、何度も寝返りを打っていました。うとうとして、彼女が起きた
ような様子なので私も起きると7時半で、モスクワまであと1時間でした。朝食の弁
当を食べ、少し話をしているとモスクワに着きました。と言っても、着いたという案
内放送があるわけでもなく、列車が止まって、外を見て「ああ、着いたな」と思うだ
けで何とも変な感じです。一夜を共に過ごしたエレーナに別れを告げ、駅の方へスー
ツケースを押していきました。最後尾の車両だったので駅まではとても長い距離でし
た。
 夜行列車で同室になったエレーナ                             

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六日目(1月25日)
列車を降り、レニングラード駅の中を通って外へ出、雪の降る中を駅のすぐ前にある
レニングラードホテルへ荷物を預けに行きました。駅の名前はレニングラード方面へ
行く列車が出る駅がレニングラード駅で、他にキエフ駅、ベラルーシ駅、ヤロスラー
ヴリ駅など九つの駅がモスクワにありますが、モスクワ駅というのはモスクワにはあ
りません。荷物を預けたレニングラードホテルはスターリン時代に作られたホテルで、
いわゆるスターリン様式とも呼ばれる高層建築です。ホテルに入るとすぐにフロント
があり、正面にタクシーの予約コーナーがあったのでそこで荷物預けの場所を聞くと
すぐ横にありました。預けようとすると「部屋の番号は?」と聞かれ、今ペテルブル
グから着いたばかりだと言ったらそれ以上はは聞かずにスーツケースを預かってくれ
ました。ついでに夕方の空港までのタクシーもここで予約しましたが、何とシェレメ
チェヴォ2空港までたったの290ルーブル(1740円)でした。相場では100
0ルーブルなのにここはロシア人料金です。飛行機は19時05分なので、何時にこ
こを出れば間に合うか聞いたら、4時半と言われたが、余裕を持って4時に頼みまし
た。荷物を預け、身軽になって外へ出るとトイレに行きたくなり、また駅へ戻ってト
イレに行きました。もちろん有料で3ルーブル(18円)払いました。日本のとよく
似た便器がありましたが扉の方に向かってしゃがむというのが日本と違うところです。
トイレで歯を磨き、顔を洗ってさっぱりして地下鉄に乗ってクレムリンの近くにでき
たという3階建ての地下街に行ってみました。でも11時からということで中に入れ
ず、雪の降る中をうろうろした後、また後で来ることにしました。雪は降っているけ
ど気温はそれ程下がっておらず0℃前後のようで、雪がべた雪ですぐに融けて道路は
シャーベット状になり泥んこ状態でした。
地下鉄に乗って今度は救世主教会を見に行きました。完成したと言う噂があったので
行ってみたのですが、まだ工事中で中には入れませんでした。この教会の再建のため
の募金を呼びかけるポスターが貼られていました。結局ここも見られず、アルバート
通りに行き、お土産にCDを買いました。そしてこの通りに何と「ドトールコーヒー」
の店を見つけたので、入って一服することにしました。日本では「ドトールコーヒー」
と言えば立ち飲みの安いコーヒー屋さんと言うイメージがあったのですが、ここの店
はいわゆる普通の喫茶店という感じです。コーヒーをお金を払ってその場でもらって
テーブルに持って行って飲むと言う点ではセルフサービスなので日本と似ています。
経営者は日本人だということを後で旅行社の人に聞きました。コーヒーは大と小があ
り、小が日本で飲む普通のコーヒーである。大はどんなものだったのか、飲んでみれ
ばよかったと後で思いました。コーヒーの味はまあまあだったが、熱くなくてちょっ
と冷めていたのが残念でした。そうそう、値段は12ルーブル(72円)と安かった
が、店内はがらんとしていて他にお客は4人程しかいませんでした。30分程いまし
たが一向に店内が込んでくる様子はありませんでした。ウィークデイの11時という
時間のせいかもしれません。
さて、21日に訪問したバズジェンコフさんの家にもう一度行くからと約束してして
あったので、1時半に行くと電話をしようと思ったが、どうやって電話をかけたらい
いのかわからず、地下鉄を降りたところの店で聞くと地下鉄の切符売り場で電話用の
コインを売っているということだった。4ルーブル(24円)でジェトン(電話用の
コイン)を買ってバズジェンコフさんの家に電話をかけ、1時半に行くと伝えました。
それから、またクレムリンのそばの地下街に行ってみました。今度は開いていて中に
入ることができました。全く日本の地下街と同じでぴかぴかに磨きあげられていて、
明るく、エスカレーターが地下2階と地下3階を結んでおり、中央の広場には噴水と
ガラス張りのエレベーターが2基ありました。また地下3階から地下1階の天井まで
吹き抜けになっているところが3ケ所あり、その天井には星座が描かれていました。
店は衣料品や靴、化粧品、鞄などの店が多く、値段は日本と同じかそれ以上し、ほと
んど店内にはお客がいませんでした。地下3階にはファストフードの店が数軒ありま
した。トイレは各階の中央附近にありました。もちろん有料。しかも一般相場の3ル
ーブルよりも高く、5ルーブルもしました。でもその代わりにトイレの中はきれいで、
洗面所にはせっけん液がついていて(もちろん中身も入っていました)、洗った手を
乾燥させる温風機もついていました。日本では当たり前だけれども、ロシアでここま
でやると5ルーブルとっても高くはないのだろう。
  

12時45分になったので地下鉄に乗りバズジェンコフさんの家へ。ソーコル(日本
語では鷹という意味)という駅で降り、そこから路面電車で3区間。4日前に来たと
ころなのですぐにわかり、建物の入り口でインターホンみたいなものがついていたの
で適当に押してみたら誰かの声が聞こえてきたので驚き、説明をよく読んでみると部
屋の番号を押すとインターホンでその部屋の人と話ができ、中から扉のカギを開けて
くれるということが書いてあったので、今度はバズジェンコフさんの部屋の番号を押
し、カギを開けてもらいました。リーマさんがお昼を用意してくれていて、ボルシチ、
ハンバーグ、サラミ、チーズそしてなすの漬け物みたいなものを出してくれました。
またバルチークというポーランドの黒ビールも2本飲みました。そして、名古屋に住
んでいるロシア人の友人に持って行って欲しいものを出してきました。大きな袋に一
杯で、それをリュックに詰め込みました。黒パンが好きだと言ったら、リーマさんの
お母さんがわざわざ買ってきてくれました。そして持って行けと切ってくれました。
香草の匂いがして美味しい黒パンでした。帰る前に体重計でリュックの重さを計った
ら10kgもありあました。
2時45分にバズジェンコフさんの家をおいとまし、レニングラードホテルに荷物を
とりに行きました。ホテルでトイレを借りて、出てくると荷物預かりのおじさんがい
つ荷物をとりに来るかと聞くので、今すぐにと言ってとりにいきました。まずフロン
トでお金を払って、領収書を持ってくるようにといわれ4ルーブル(24円)を払っ
て、領収書をもらってスーツケースをもらいにいきました。タクシーの予約コーナー
でもう来ているかどうか聞くと、駐車場に止まっているナンバーが303の車だとい
うのでスーツケースを持って駐車場に行くとすぐに車はみつかりました。ヴォルガと
いうロシア製の車で、きれいな車でした。シェレメチェヴォ2空港には4時50分に
着き、出発まではまだ大分時間がありました。名古屋に住むロシア人の友だちにロシ
ア語の「コスモポリタン」(110ルーブル=660円)を買い、喉が渇いたので紙
パックのジュースを買って飲んだら、何と40ルーブル(240円)もしました。日
本では100円もしないものです。5時半頃から出国審査と搭乗手続きが始まり、税
関の検査を無事通過し、アエロフロートのチェックインカウンターで荷物を預けまし
た。日本人の女の子が重量オーバーで超過料金を請求されていましたが、もじもじし
ていましたがどうしたのか。私の前に並んでいた外国人も重量オーバーで超過料金を
払ってくるように言われていました。幸いにも私はスーツケースが19キロ、リュッ
クが10キロでしたが超過料金はとられませんでした。出国審査も無事通過し、やっ
とホッとできました。荷物がいっぱいなのでもう免税店では何も買わず、ビールを飲
みに行きました。104ルーブル(624円)で中ジョッキのビールが飲めます。
ビールを飲みながら、この旅行を振り返ってみると実に充実した旅行だったなあと思
わず笑顔になりました。
帰りの飛行機はムソルグスキーという名前のエアバス310で、同じエアバスの中で
もきれいな飛行機でした。お客さんは少なく定員の半分以下でした。機内食の夕食を
食べたあと寝ましたが、あまり眠れず、すぐに明るくなってきました。
                     
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七日目(1月26日)
朝10時40分、予定通り成田に着き、帰国の手続きをし、税関もスーツケースを開
けることもなくすんなりと通過しました。スーツケースを宅急便で送ろうかと思って
いましたが、ロシアで重い荷物を運ぶのに慣れてしまったので、もって帰ることにし
ました。成田から名古屋まで15000円もしました。高い。成田エクスプレスに乗
って滅茶苦茶明るい日本の日射しを浴びていると、ロシアの人達がハワイや沖縄など
に憧れる気持ちが何となくわかる気がしました。新幹線もホームに入っているひかり
に乗り込み、幕の内弁当を買って、「ああ、日本だなあ」と感じながら食べました。
4時には家に帰りつき、なんだか昨日までロシアにいたのが嘘のようにずっと前のこ
とのように感じられました。翌日からは仕事です。また日常が始まります。

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