12月28日(火)
今日のホテルの朝食はワラビサラダ、ハムエッグ、紅茶にプチケーキという
メニューだった。今日は珍しく他にもう一人お客が後から入ってきた。午前中
に一人で町を歩いてみようと思い、9時半頃にホテルを出てレーニン広場まで
歩いて行って来た。車でいつも走っていると近くに感じられたが歩くと片道3
0分近くかかってしまった。車道は除雪され、砂が撒かれているが、歩道は雪
がつもりそれが凍って気をつけて歩かないと滑って転びそうである。
また道路を渡るときが大変である。信号や横断歩道はないし、結構たくさん
の車が通っていてなかなか車の切れ目がない。思い切って渡る勇気が必要であ
る。ロシアでは歩行者優先などと思って悠々と歩いていると車にはねられかね
ない。さてやってきたレーニン広場では新年を迎える準備が行われていた。広
場の中央には大きなヨールカ(樅の木でクリスマスツリーのようなもの)がク
レーン車を使って立てられ、電球をつけて飾り付けがされていた。広場には子
供達が作った雪像が8個あり、ユーモラスなものもあった。
またレーニン像の周りを海軍学校の生徒達が雪を払って掃除をしていた。カ
ムチャッカの雪は乾燥しているので日本の雪かきのように重くない。11時前
にホテルの部屋に戻るとすぐにスヴェータとアリョーシャがやって来た。電話
をしたが出ないので心配してやって来たと言う。
今日はまず博物館へ行った。100年前に建てられたという古い木造の建物
だがペンキを塗り直してあるのでそんな風には見えない。
博物館では女性学芸員のような人がロシア語で説明をしてくれるという。彼
女の後について先ず、2階のカムチャッカの風景画や白樺の木の皮で作った絵
などが展示してある部屋を見て、その後1階にある展示室(博物館自体が斜面
に建てられいるので入り口が2階、展示室が1階と言うことになる)に降りて
いく。カムチャッカに住んでいる動物や魚、鳥等の剥製が展示してあるところ
を見る。次に火山の展示がある。カムチャッカ半島は火山の半島と言われるく
らいに火山が多く、半島の真ん中を南北に3000メートル級の火山が連なっ
ている。これらの火山の溶岩や噴石の展示があった。次に2階に上がると、先
住民の生活の歴史が紀元前1,100年くらいから展示してあり、カムチャッカ半島
の先端にはアイヌ人が住んでいたという。1852-1856年のクリミア戦争の時、英、
仏軍の軍艦が多数ペトロパーブロフスク・カムチャツキーを奪おうとやってき
たが、アバチャ湾に入るといたる所大砲が海に向けられており、人数が圧倒的
に少なかったロシア軍であったにもかかわらず、英仏軍は奪取を諦めて戻って
いったという展示があった。クリミア戦争ははるか遠くのヨーロッパで戦われ
ていたのに、こんな所まで英仏軍が来ていたと聞いて驚いた。
博物館を出た後、郵便局へ。昨日書いた絵はがきを出しに行く。日本まで5
ルーブル(25円)。その後ニコーリスカヤソープカという丘に登り、クリミア
戦争の時大砲が置かれていた所に今も大砲があり(記念碑として置かれている
もので、使われていない)、近くに記念碑が建っていた。
昼食はペトロフスキーというレストランへ。ランチが38ルーブル(190
円)だった。メニューは卵サラダ、ワラビのスープ、魚とキャベツの千切りを
オーブンで焼いたもの、そして紅茶。2時を過ぎていたのでお客さんは少なか
った。
お昼の休憩時間はアンドレイのところでは12時から、スヴェータのところ
では13時から時間ということで時間がずれているので一緒には食べられない
ということだ。最近はみんな家からパンに何かのせたもの(オープンサンドの
ようなもの)を持ってきて職場で食べるという人が多いと言っていた。アンド
レイは給料が良いのでレストランで食べているという。スヴェータは大学のカ
フェでパンとコーヒーですませているそうだ。
食事の後、再び昨日お土産を買った「ベリョースカ」という土産物店へ。こ
の店がある5階建てのビルの3階から外に向けてロープが張られていて、そこ
にシーツが干されているのが見えた。マイナス10度の屋外に干して乾くのか
と思うが、風があるし、空気が乾燥しているので結構乾くようで、ここだけで
はなくあちこちでシーツを屋外に干している光景に出会った。土産物店では小
さな琥珀の粒を貼って作った絵とカリャークのお守り、あざらしの牙で作った
キーホルダー、それと妻にブローチとペンダントを買った。ロシアに行く度に
妻にはブローチやペンダントを買っているので、今回はやめようかと思ってい
たが、スヴェータに言ったら、「それはいけない。奥さんに何もお土産を買わ
ないなんて」と怒っていた。でもこれで、スヴェータも納得してくれた。
そのあと、市場へ。屋台の店がずらりと並んだもので、衣類や靴、食料品の
店が所狭しと100軒以上並んでいる。衣料や靴は中国製のものがほとんどで、
品質は良くないと言っていた。靴などは1カ月くらいで壊れてしまうこともあ
るそうだ。魚は薫製か、塩漬けで生の魚は売っていない。野菜はダーチャ(別
荘)で作ったものを売っているそうだ。
ロシアでは金持ちは野菜をお金で買うが、普通の人はダーチャに行って野菜
を作らなければならない。日本のように別荘でのんびりと何もしないでくつろ
ぐというのは考えられないと言っていた。
他に行きたいところはないかと聞くので、太平洋を見に行きたいとと言った
ら、雪で行けないかもしれないが、行ってみようということになった。途中軍
関係の人たちが住むという地区を通って行ったが、以前はたくさんの軍人がペ
トロパーブロフスク・カムチャツキーには住んでいたが、最近は冷戦終結、財
政危機で軍人の数も減ったそうだ。更に先に行くと、ごみ処分場があり、貧し
い人たちが袋を持ってごみを漁りに行っているという。
先に進むにしたがって雪は深くなり、海の方へ行く道は雪に埋もれていた。し
かし、アンドレイは果敢にこの雪道にチャレンジしたが、やはり動けなくなっ
てしまった。前にも後ろにも進めなくなり、アンドレイは車のトランクからス
コップを取り出し、タイヤの周りの雪を取り除いて車を動かしたがまたすぐに
動けなくなり、私も雪堀りを手伝った。日本の雪に較べると雪が軽いので楽に
できる。何とか車を元の大きな道まで戻し、もう一つ別の道があるからそちら
に行ってみようということになった。しかしこちらの道もやはり途中から雪が
深くなり先へ進めなくなってしまった。ジープでないと無理だということで、
今度夏に来たときに行こうということになった。
家に戻り、ペリメニの夕食をとった後、アンドレイ、スヴェータ、アリョー
シャ、サーシャと私の5人で最後の温泉に行く。食事の後、アーニャと彼女の
友達のサーシャが戻ってきて、「明日帰るのか」、「子ども達は何歳で、何に
なりたいと言っているか」とかいろいろ質問してきた。サーシャは早口でしゃ
べるので私のロシア語の能力では聞き取れず、アンドレイが通訳(?)みたい
に、ゆっくりと聞き直してくれた。
温泉にビールを持っていこうとアンドレイが言い出し、1.5リットルのミネラ
ルウォーターの空ペットボトルを持って近所の店にビールを買いにいった。は
かり売りのビールというのがあって、アンドレイはこのビールが瓶や缶のビー
ルよりも美味しいと言っていた。1.5リットルで25ルーブル(125円)。それを
持って温泉へ。道路は所々凍った雪が貼り付いていて、その道をスパイクタイ
ヤをはいているらしく大きな音をたてながら時速80〜90キロで走っていく。車
は少なく、信号もなく1時間ぐらいで温泉につく。ここは前のとはまた違った
温泉で、やはり部屋はいっぱいだと言われてたが、どこか部屋を探してくれて
着替えることができた。温泉は25メートルプールくらいの大きさで、隣に滑
り台の付いた小さな温泉があった。雪の上に寝たり、温泉で泳いだり、しゃべ
ったり、持ってきたビールを飲んだり、最後の温泉を楽しんだ。11時過ぎに
温泉を出発し、ホテルに戻ったのは12時過ぎだった。
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