夏のカムチャッカ  2005.8.17〜8.24 

8月17日(水)
 朝6時15分にタクシーを頼んで出発。前回名古屋空港に行くときに名鉄タクシーを予約しようと電話をしたがお話中ばかりでちっともつながらなかったので、安さが定評のMKタクシーに頼んでみたら、いつもは4千円以上していたのが3600円くらいだった。そこで今回もMKタクシーを頼んだ。金山発6時48分の特急のミューチケットを買っていたので、6時15分にタクシーを頼んだが、早朝で道路もすいていたので15分で金山に着いた。中部国際空港行きの特急はほぼ満席だった。7時21分に中部国際空港に着きJALのチェックインカウンターへ。自動機でチェックインをすませ荷物を預けた。ちょっと身軽になって(とはいえ日本酒と焼酎の入った重いリュックは残っているが)、3階へ行って朝食を食べた。天丼の店に入り、かきあげ丼を食べ、店を出るともう7時55分だったので、2階に下りて搭乗待合室に入った。青森行きの飛行機は3番ゲートからの出発で動く歩道を何本も乗り継いで奥から二つ目の3番ゲートに着いたのは出発時刻15分前の8時5分だった。まだ優先搭乗の人だけを乗せていた。続いて一般の乗客の搭乗案内があり、飛行機へ。飛行機に乗るときは曇り空だったのに、飛行機の中から外を見ていると大粒の雨が降り出した。飛行機の屋根に雨の当たる音が聞こえるほどの雨だった。でも5分もすると雨はやみ、離陸する頃には上がっていた。今から離陸しますという放送が入り、滑走路を走り出したとたん逆噴射がかかり、離陸せず滑走路をゆっくりと移動し始めた。しばらくして機長から離陸のための滑走を始めたところ前方に数百羽の鳥の大群が見えたので離陸を取りやめたとの説明があった。機体のトラブルではなくて良かった。飛行機は再び離陸のために滑走路の端へと移動し離陸を待っていたら、再び機長からの放送でエンジンに鳥が入ったかもしれず、異常を示すランプが点灯したので駐機スポットに戻り、点検後出発するとのことだった。駐機スポットに戻り、9時05分再び放送があり、9時半には出発できる見通しだとのことだった。待っている間、キャンディーと飲み物のサービスがあった。9時20分すぎに飛行に支障はないのでまもなく出発するとの放送があった。そして9時半、出発に向けての最終準備をしているのでまもなく出発できるという説明だった。いつ出発できるかやきもきしている乗客もいたが、こまめに状況を説明してくれたので不満の声は聞かれなかった。9時45分に再び飛行機は動き始めた。9時50分離陸。その後は順調に飛行し、10時55分、無事青森空港に着陸。
 重たいスーツケースを預けようと、コインロッカーのところまで行き、入れようとしたが奥行きがなくてスーツケースが入らない。500円の大きなロッカーに入れてみてもやっぱり入らない。空港の総合案内所で聞いてみたが、ロッカーは1カ所しかないとのこと。仕方なく荷物を載せる台車にスーツケースとリュックを乗せて到着ロビーの椅子に座って、妻と交代で空港ビルの中をウロウロと見て回った。15時30分発の飛行機に乗るとすぐに機内食が出るので昼はビールとかっぱえびせんですますことにした。ところが何と2階のお土産売り場には酒の試飲はやっていたがビールは売ってない。1階に下りてビール、ビールと探しながら歩いていると、あった!早速サントリーモルツを230円で買って店を出ると、何と入り口に地ビールの入ったケースがあるではないか。仕方なくサントリーモルツを1本飲んだ後、地ビールの「奥入瀬」のバイツェンを452円で買って飲んだ。一気に2本も飲んだので少し酔っぱらった。チェックインが始まるまで何もすることがないので、また2階のおみやげ売り場に行き、ねぶた祭のタオルを3本買ってロシアへのおみやげにした。ビールを飲んだり、本を読んだりしているうちに1時過ぎになり、ロシア人がやってき始めた。高校生の団体が20人くらいチェックインしていたので、それが終わるのを待って私たちもチェックインした。新潟空港よりも混んでなかった。2時頃チェックインをすませスーツケースを預けて2階の搭乗待合室へ。2階の売店で乾燥リンゴチップを2つ買ってスヴェータとアリョーシャに持っていってやることにした。ハバロフスクから青森への飛行機は30分ほど遅れて14時40分頃に到着した。出発ロビーの前でいすに座っていると、酔いが回ってきてウトウトしていて、目を覚ますともう3時だった。慌ててセキュリティチェックのところへ行くと、丁度始まるところで、1番だった。出国審査も終え出発ロビーに入ると免税店しかなかった。
 飛行機は新潟−ハバロフスク、ウラジオストクを飛んでいるいつものTU−|154ではなく、一回り大きなTU−|214だった。機内は3つの部屋に分かれており1番前にビジネスクラス(16人)があり、後方2つの部屋がエコノミークラス(82人と66人)だ。機内に入るとロシア独特の臭いがした。ほぼ満席で青森を15時45分に離陸した。上空に上がると飲み物のサービス(ビール、ジュース、ワイン等)があり、続いて紙のパッケージに入った機内食が出された。内容はバターロール1個、クラッカー2枚、バター、ジャム、スモークサーモン、レタス・キュウリ・プチトマトのサラダ、ミートローフ、ジャガイモ・ニンジン・インゲンの付け合わせ、缶詰の果物の盛り合わせ(黄桃、みかん、リンゴ)。そしてコーヒー又は紅茶が出された。隣の席のモスクワへ1ヶ月間のロシア語研修に行くという大学生の男の子はコーヒーを飲んでいたが、コーヒーの味がしないと言っていた。
 19時50分、ハバロフスク空港に着陸。気温は24度、涼しくて気持ちいい。バスに乗せられ入国審査のあるビルへ。1番のりと思っていたら、出入国カードを持ってなかったので渡されて、それを書くように言われ、最後になってしまった。でも入国審査の窓口は4つ全て開いていたのでそんなに待たされることはなかった。イミグレーションコントロールを経て荷物を受け取り、レントゲンの機械に通して出口へ。名前を書いた紙を持ってサッポロホテルの人が待っていて、私たち二人を乗せてホテルへ。この送迎は無料ではなく、一人千円である。お客は私たち二人だけで、15分ほどでホテルに着いた。部屋は5階の5050号室。電気ポット、テレビ、電話、紅茶のティーバックが一つあった。シャンプー、リンスはなかった。荷物を置いて明るいうちにアムール川の川岸を散歩しようと出かけたが、すごくきれいに整備され、柵ができていて、川岸に出られなくなっていた。以前は屋台がずらりと並んで、ビールやシャシリーク、フライドチキン等を売っていたのに、1軒も店はなかった。仕方なく近くの食料品店でサラダとビール、ヨーグルト、チョコレートを買い、路上で売っていたパンセという肉まんを買ってホテルに戻った。ハバロフスク時間11時半(日本時間9時半)に寝た。 
   夕日に赤く染められたコムソモーリスカヤ広場

8月18日(木)
  朝7時に起きたが、外はまだ薄明るい。天気が曇りのせいもある。8時に2階にあるBARで朝食。メニューを持ってくるので、「えっ、きまった定食ではないのか」と思っていると、定食の種類が3種類あり、何とメニューは日本語表示だった。ペリメニがついている1番の定食を頼んだ。内容はガスなしミネラルウォーター、ジュース。トマト・きゅうり・ピーマン・ペトルーシカのサラダ。サラダにはオイル(ドレッシングではない)がかっかっていた。味がないので塩をかけて食べた。パン(トースト)3切れ、バター、ジャム、ペリメニ、コーヒー又は紅茶。コーヒーはインスタントではなく、一応本物のコーヒーだった。
  10時頃ホテルを出て町の散策に。朝、ひげそりを落として網刃の端が破れてしまったので、新しいひげそりを買うことにした。デパートの1階に電器製品売り場があったので、そこで1230ルーブルの水洗いできるという充電式のひげそりを買った。電池式のものが欲しかったけど、うまくロシア語が通じず、充電式のものになってしまった。売り場でこれが欲しいというと、メモ紙のようなもの型番、品番を書いてくれ、それをレジに持っていってお金を払い、更に商品受け取りカウンターに行って商品をもらった。相変わらず面倒な手続きだ.
 ディナモ公園に行ったが、まだ噴水も止まったままだったので、更に奥にある子ども公園に行った。ユニークな木の彫刻がいくつもある場所があったので、そこで写真を撮り、公園をぶらぶら散歩した。途中ベンチに赤ちゃんを連れたお母さんがいたので、子どもがかわいいので写真を撮ってもいいかと聞いて撮らせてもらった。最初は赤ちゃんが怖がってべそをかき始めたが、何とかなだめて笑い顔を撮った。
   
 木の彫刻            木の彫刻       簡易有料トイレ

 
  べそをかいてた赤ちゃん       やっと笑ってくれた赤ちゃん
 
 公園の中に移動式トイレがあり、その壁に「トイレ以外の場所で用を足すと罰金500ルーブル」という貼り紙がしてあった。
 ディナモ公園からバスに乗ってホテルまで戻った。バスに乗るとすぐに料金徴収係のおばさんがやってきた。一人5ルーブルくらいかなと思って二人分10ルーブル出すと、「足りない」と言うので更に5ルーブル出すと、「あと3ルーブル足りない」と言われ、合計18ルーブル払った。一人9ルーブル(36円)もするようになった。
 ホテルに戻って11時50分にロビーに降りていき、鍵を返し、空港まで送ってもらった。空港には12時10分に着いた。ロビーにはいるとまず荷物検査と身体検査で、スーツケースは封印された。383便のチェックインカウンターに長い行列ができていたのでその最後に並んで待つこと20分。やっと自分の番になり、荷物を計量台の上に載せ、チケットを出すと、ここじゃない向こうに行くようにと言われたが意味がわからないでいると、係の女の人が案内してくれた。端の方に外国人専用のチェックインカウンターあり、中国人ツアー客が数人チェックインしていた。中国人添乗員にどこへ行くのかと聞いたら、ペトロパーブロフスク・カムチャツキーだというので彼女たちの後についていればいいかと少し安心した。チェックインカウンターの女性にリュックサックを「手荷物ですか」と日本語で聞かれびっくりした。ロシア語で「日本語が上手ですね」と言うと、「この一言だけです」とロシア語で返事が返ってきた。
 チェックインをすませると2番ゲートから入ってくださいと言われ、2番ゲートから(ここはロシア人も外国人も同じ)入ると、ボディチェックの機械があり、靴も脱がされた。その後ようやく待合室へ。空港への出口には126便の表示はあるが、383便はない。妻が「カムチャッカに行く人がこんなにたくさんいるのかしら」と言うので、他の便のお客さんもいるのじゃないかと答えた。トイレに行くとトイレの入り口で一人の男の人が立っていた。トイレの扉を開けて中にはいると洗面所で水を飲んでいる人が一人いて、更に奥に便器が一つあった。扉も何もないのでどうするんだろうと思いながら小の方の用を足して出ると、外に立っていた人が入ったので、彼もトイレを待っていたのに、私が割り込んで入ってしまったことに気が付いた。普通、空港のトイレといえば複数の人が同時に入れるものと思っていたが、どうやら一人用のトイレだったようだ。どうりで中に扉がなかったというわけだ。
 待合室で待っていると何か放送が入ったが、よく聞こえないので待合室の反対の方へ行ってみると、383便の表示があった。反対側で待っている妻を呼びに行って戻るとペトロパーブロフスク・カムチャツキー行きの飛行機への案内バスが出るという放送が入った。飛行機の第1サロンの人たちからで、私たちは第2サロンだったのでまだだと言われ、しばらく待った。すぐにバスが戻ってきて、私たち第2サロンの乗客を乗せて飛行機へ。私たちの席は27Aと27Bの席で隣には誰もいなかったのでラッキーと思っていたら、第3陣の乗客が乗ってきて(その中には中国人ツアー客もいた)、私の横にはロシア人のおばさんが座った。飛行機は定刻14時00分に動き始め、時間通りなのに驚いてしまった。ペトロパーブロフスク・カムチャツキーまでは2時間の飛行だという案内があった。機内食が出ると思っていたが、出てきたのは炭酸のジュースとパンとコーヒー又は紅茶だった。パンは中にクリームの入ったもので空腹だったのでとてもおいしかった。あと20分でペトロパーブロフスク・カムチャツキーに着くという放送が入ったのは15時45分だった。左手に大きな山が見えてきて、下には湖や川が見えた。16時05分ペトロパーブロフスク・カムチャツキー空港に着陸。タラップを降りると下に軍人の年配のおじさんがいて、パスポートを出すようにと言われた。先に降りた中国人もパスポートを取られていた。どこで帰してくれるんだろうと心配になって後ろを着いていくと、向こうへ行けと出口の方を指されたので、出口から出た。パスポートはいつ、どこで返してくれるんだろうと心配していたら、しばらくしてさっきのおじさんが外国人のパスポートを持ってきて返してくれたので一安心。迎えに来ているはずのスヴェータとアンドレイを探したが、見つからない。どうして来てないか心配になったが、飛行機が早く着きすぎたので(16時40分の予定なのに、16時20分にはもう門の外にいた)、そのうち来るだろうと思って待っていた。もし来なければタクシーで行ってもいいと思っていたら、16時45分くらいに二人が現れた。道路が混んでいて遅くなったということだった。アンドレイの車でホテルまで送ってもらい、荷物を置いて再び車に乗ってアンドレイの家に行った。大学4年生の長女のアーニャは軍隊に入っている彼氏に会いにウラジオストクに行っていていなかった。大学1年生の長男のサーシャは近くにある車の洗車場でアルバイトをしているということだった。4人でウォッカで乾杯し、スヴェータが準備してくれた料理をごちそうになった。ご飯もあったし、のり(韓国産だったが)、ウニ、しょうゆもあり、まるで日本のようだ。ウニはロシア人はあまり食べないが、日本人は好きだろうと言ってわざわざ買ってくれたそうだ。イクラ、鮭の薫製などカムチャッカの特産品もあり、ウォッカの杯も回を重ねすっかりいい気分になった。

8月19日(金)
 10時にホテルのロビーでスヴェータとアリョーシャと待ち合わせていたが、彼らが来たのは10時20分だった。スヴェータが医者に寄っていたので遅くなったということだ。ホテルの部屋に電話したが、私たちはもうロビーで待っていたので連絡がつかなかったようだ。明日の船による湾めぐりの申し込みをしに行った。明日はアンドレイが来てくれるということで3人分申し込んだ(一人60ドル、3人分で6200ルーブル)。湾めぐりのあと昼食を食べ、魚釣りをして午後4時に帰ってくるという予定だそうだ。そのあと車でパラトゥンカへ行こうと言っていた。日曜日はマールカへ行くという。明日は船に乗るので寒いからアンドレイとアーニャのジャンパーを貸してくれるそうだ。理恵子はサンダルだけで靴を持ってなかったので、市場に行って380ルーブルの靴を買ってきた。 そのあと海に行って、誰もいない海岸から陸地にかけて一面に生えている野生のベリー類を食べた。ジーマラスチという黒くて丸い実やガルブニークという黒くて長い実、マリーナ(木イチゴ)などを腹一杯食べた。スヴェータが家からパンやイクラ、ハム、ワイン、コニャックを持ってきていて、それも食べた。またお湯も持ってきていたので、暖かいコーヒーやハーブティーも飲んだ。すっかりお腹がいっぱいになり、キノコを探しに行ったがなくて、帰る途中に山の中に入って探した。直径が15センチくらいもある黄色くて大きなものと小さいものを見つけたが、大きいのは開きすぎて食べられないとのことで捨てていった。
 

 スヴェータの家へ戻って彼女が作った野菜のボルシチを食べえた。このときもアルコールを勧められたがそうそう飲めないし、他の食べ物も勧められたがそんなに食べられない。家にはサーシャがいた。身長は184センチくらいだという。とても大きい。彼の友だちが来たが、サーシャよりも更に大きかった。アンドレイが帰ってきたが、仕事の途中でちょっと寄っただけで、またすぐに出かけていった。
 4時頃スヴェータとアリョーシャと私たち夫婦の4人でアゼルキーへ。アゼルキーまでは車で約1時間。ここは温泉があるところで、丁度日本のプールみたいな感じだ。更衣室が男女別に別れていて、更衣室を出ると温泉がある。大きなプールのような温泉もあれば、3,4人はいると満員になるような小さな物もいくつかある。そして温まった体を冷まして休息する台も設けられている。この温泉は名前のとおり(ロシア語で湖のことをオーゼラというので)すぐ横に湖があり温泉で暖まった体で、湖まで行き冷たい湖にはいると体によいそうだ。私も2回ほど入ったが、湖の水が冷たくてそんなに長い時間は入っていられない。アリョーシャとスヴェータは温泉に入らずに、私と妻だけ入った。温泉に入って気持ちよくなり更衣室で着替えていると日本人によく似たおじいさんがいて日本語で話しかけられたので、思わず「日本人ですか?」と聞いてしまったが、先住民族で以前日本の船や会社で働いていたことがあり、少し日本語を覚えていると言っていた。  
 温泉を出て途中で買った地ビールを飲んだ。さきいか(ロシアでも売っていた)をつまみに飲んでいると片目の黒い犬が寄ってきて、おすわりをして何かくれるのを上目遣いに待っていたが、さきいかは犬によくないのでやらなかった。他にやる物がなかったのでごめん!
 アゼルキーを出て、アーニャが19時35分にウラジオストクから帰って来るというので空港まで迎えに行った。アーニャは以前よりもやせてすらりとしていた。ウラジオストクに軍隊に入っている彼氏に会いに行ったそうだ。アンドレイもサーシャと二人で迎えに来ていた。みんなで帰る途中に「13人の魔法使い」というシャシリークの店に入って一人1本ずつシャシリークを食べた。長い金属の串に大きな肉のかたまりがたくさんついていて、これ1本を食べるのもやっとだった。他にもウズベキスタンのパンやニンジン、ワラビ、イカの入ったサラダやトマトとキュウリのサラダをとってここでも持ってきたウォッカを2杯飲んだ。帰りにペトロパーブロスクカムチャツキーの町のテレビ塔がたっているメシェンナヤソープカ(ソープカは丘)に登って町の夜景を見た。冬に見たときの方がきれいだったが、それでも十分美しかった。ホテルに帰り着いたのは11時少し前だった。
 

8月20日(土)
 朝から雨が降っていた。7時に起きて、昨日の夜たくさん食べ過ぎたので朝ご飯はレストランに行かず、昨日の朝食の時に食べきれずに持ってきたヨーグルトとチーズを食べた。
 9時15分にホテルのロビーで待っていると、5分遅れてアンドレイがやって来た。アーニャも一緒に行くことになったと言っていた。昨日予約した旅行社「フェニックス」に行くと今日は天気が悪いので船は欠航になったということで、ビリューチンスキー火山の麓を2キロぐらい歩くというツアーを勧められ、それに参加することにした。水着が必要だというのでアンドレイの家まで彼らの分を取りに戻った。10時15分にレーニン広場のところにロシア製の古いマイクロバスが止まっていて、それに乗って出発。途中ペトロパーブロスクホテルによって更にお客さんを乗せて満員になって出発。参加者は全員で24名。目的地までは2時間くらいだと言っていた。途中までは舗装された良い道路だったが(といっても町中では道路の舗装の部分補修のためにいたるところアスファルトを深さ5センチくらい削っているのでそこに来るとガタンガタンと車が揺れるが)、1時間も走ると舗装がなくなりスピードはがくんと落ち30-40キロに。
途中、木に布きれをたくさん結んでいるところ(先住民の何かの習慣のようである)で休憩。すぐ横に山からの水が流れており、ここの水は美味しいからと勧められて飲んだ。トイレはみんな道路脇の藪の中に入って男も女もすます。公衆トイレなどはなく天然トイレだ。そのあと火山がよく見えるところで写真休憩があり、山の麓に着いたのは1時過ぎだった。幸い雨も上がり、旅行社の人から石を落とさないようにとか、雪渓の縁に行かないようにとかいろいろな注意を聞いて出発。最初は灌木の中を30分ほど歩く。寒かったのでアンドレイの革の半コートを借りて登ったが途中で汗をかくほど暑くなった。灌木を抜け、石ころや岩のあるところを更に10分ほど行くと大きな雪渓にでた。そこからは雪渓を登り、大きな滝のそばまで20分ほど登った。滝の高さは100メートル以上ある。去年大雪が降ったので雪渓もこんなに大きく残っているし、滝の水量も多いと旅行社の人が説明してくれた。2年前は水が少なくて細い滝しかなかったそうだ。雪渓の端まで行って滝の水が落ちているところを見ると、更に段になっていてもっと下に落ちていた。この雪渓の下を滝から落ちた水が流れているようだ。このツアーにはおじいさんも参加していたがとても元気で1番先頭で登っていた。滝の下で写真を撮ったり、旅行社のおじさんにこの滝にまつわる伝説を聞いたりしてから降りた。雪渓は登るときより降りるときの方が滑らないよう注意しながら降りるので大変だった。

   
   


バスまで戻り温泉へ。少し戻ったところで車を停め、道の左側の山の中腹にある温泉へ行くという。3年前にアンドレイ達に車で連れてきてもらったところだ。以前はあまり知られてなかったので良かったが、今はたくさんの人が次から次に来るのでそんなに長く入っていられない。おまけに7-8人も入れば一杯になるので。もちろん着替えるところもなく、藪に入って着替えたり、女の人はバスタオルを巻いて上手に着替えていた。ここも結構急な斜面を10分くらい登ったところにあるので大変だった。下に降りて道の右側で旅行者の人(4人)が食事の用意をしていた。おきまりのハム、サラミ、トマト、キュウリ、パンイクラ等々。その他に各自持ってきた物を出して食べていた。おじいさんの家族はアルコールをたくさん持ってきていて、女の人はワインを、おじいさんはウォッカを飲んでいた。みんなテーブルについてしゃべりながら飲んだり食べたりしていた。私たちの横にはペテルブルグとモスクワの学生がいて良くしゃべっていたが、早いので何をしゃべっているのかよくわからなかった。しばらくして雪渓で声をかけたおじいさんがウォッカを持ってきて注いでくれた。2回も来て、コップに半分も注いでくれるのでたくさん飲んだ。おじいさんもすっかりできあがっていて、明日は自分の誕生日だから来てくれと言っていた。旅行社の若いアルバイトの娘がウハー(魚スープ)を作ってくれた。鮭、ジャガイモ、タマネギ、パプリカが入っていた。塩が足りなかったので少し塩を足して食べると美味しかった。たくさん作ってあったのでお代わりをして食べた。延々と食事が続いており、話している内容もよくわからないので席を立ってぶらぶらしていると旅行社の人が魚を見たいかというので、行きたいと言ったらみんなを集めて魚を見に行くことになった。歩いて5分くらいのところに川があり、急流から外れて水が澱んでいるところに背中の一部が白い大きな魚が見えた。魚を見て戻るとテーブルは片づけられていた。食事の途中から日が差してきて天気はすっかり良くなっていた。アンドレイ、アーニャと私たちはマイクロバスではなく、ワゴン車に乗って戻った。アンドレイの家に着くとまた夕食をスヴェータが用意してくれていた。デジカメの写真を見せながら説明した。お腹はいっぱいなのにミンタイの肝だとか生ウニを用意してくれていた。ウニをどうやって食べるのかと聞くので、韓国ののりとご飯もあったのでのりにご飯をのせ、その上にウニをのせてわさびとしょうゆを付けて食べた。アンドレイもスヴェータもアーニャも食べたが、奇妙な味だと言っていた。おかげで妻と二人でたくさん食べた。ホテルに戻ったのは10時45分。

8月21日(日)
 朝10時にアンドレイが迎えに来た。今日はマルキに行くという。アンドレイの車とアリョーシャの車2台で行き、アンドレイの車にはサーシャと彼の彼女のアリョーナ、アリョーシャの車には渡しと妻とスヴェータとアーニャが乗った。途中でウハーにする鮭とビールを買った。マールキへ行く途中でピロシキを売っている所がありそこでキャベツのやトゥヴォールク(ヨーグルトが固まったようなもの)、米、リンゴとジーマラスチなどいろいろなピロシキが売っていた。1個20-30ルーブルで結構大きいので1個でお腹がいっぱいになるのに、若いアーニャは2個も食べていた。アンドレイの車にはサーシャの友だちが2人(カップルで)増えていた。
 マールキについたのはもう1時だった。曇っていて寒かったが、水着に着替えて温泉に入った。川湯温泉と同じですぐそばを川が流れていて、温泉で暖まったあと冷たい川に入って、また温泉にはいることができる。温泉といっても露天の温泉で川沿いにいくつか大きな温泉がある。どこでも掘れば下から暑い温泉が出てくる。熱くなったら川の水を入れて調節できる。温泉に入ったあとはバドミントンをしたり、フリスビーをして遊びまた温泉へ。何度も温泉に入った。アリョーシャが作ってくれたウハーを食べ、ウォッカを飲み、また温泉へ。そしてしばらくすると豚肉のバーベキューを始めた。リブや普通の豚肉に塩コショーをして焼いて食べた。川で魚を釣っている人がいて、見に行くと背中の赤い紅ザケが急な流れを登っていくのが見えた。つりは針の代わりに鉤がついた釣り竿で鮭を引っかけて捕るものだった。捕れるのかと見ていると、子ども達が上手に引っかけて60センチもある大きな鮭を釣り上げていた。長いモリを持ってきて捕っている人もいた。曇っていた空から日が差し始め夕方にはすっかり晴れ渡っていた。おかげで背中や足が日焼けしてヒリヒリする。8時頃に日が沈んでもちっとも帰る気配はなく、残ったままでたき火をおこしその周りにみんなで集まってアリョーシャがギターを弾きながら歌を歌ってくれた。サーシャも何曲か歌い、アンドレイもギターを弾きながら歌った。ロシア人の男の人はみんなギターが弾けるんだ。何か歌ってくれと言われ日本の歌を歌ったが途中で歌詞がわからなくなり最後まで歌えなかった。暗くなると一気に寒くなり夜露が降りてきた。マールキを出発したのは11時45分だった。途中から霧が出てきて、突然対向車が見えてくるので怖かった。ホテルに着いたのは1時20分くらいだった。さすがに疲れた。

   


8月22日(月)
 今日は国立カムチャッカ教育大学へ、来年の9月から日本語教師として採用して欲しいということで副学長に会いに行った。10時にアンドレイとスヴェータが迎えに来てくれて大学へ。大学はすぐ近くにあり、5分もかからなかった。そこでエレーナという副学長に会って、履歴書や卒業証明書教員免許状のコピーなどを提出してこちらの希望を伝えた。まだ来年のことなので3月か4月に電話してくれということで彼女の電話番号を教えてもらった。副学長とは5分くらい会っただけで、そのあとスヴェータの知り合いがいるところにいってお茶をごちそうになり、しばらく話しているとアンドレイからスヴェータの携帯にまだかという電話が入ったのでおいとました。
 大学を出てまず市場に行きおみやげのイクラを買った。次にスーパーに行き、お菓子やコニャック、ウォッカ、紅茶を買った。そしておみやげ屋さんに行ってペリケンやマトリョーシカ、DVD、絵などを買った。スヴェータに絵を1枚プレゼントにもらった。アンドレイは仕事に行かなければならないので、ここでアリョーシャと待ち合わせて、アリョーシャの車でお昼を食べにレストランに行った。すぐにできるというのでコンプレックス(定食)を食べた。メニューはキャベツとニンジンのサラダ、ペテルブルグ風のスープみたいな物、魚のカツレツとマッシュポテト、ホットケーキの小さいのが2枚、乾燥果物のコンポート。5年前に来たときにスヴェータと入ったのと同じ店かと聞いたら、同じだと言っていた。店の名前は変わったが使っている食器は前の店のものをそのまま使っている。さっきのお皿にペトローフスキーと書いてあったとアリョーシャが言った。ホテルまで送ってもらって、昨日寝足りなかった分寝ることにした。寝ているとすぐに部屋の掃除に来たのでタオルの交換だけで良いと言い、水はどうかと聞くので、ミネラルウォーターを2本もらった。これでゆっくり寝られる。2時から2時間くらい寝た。
 5時半にスヴェータから電話がかかってきて、今から行くというので下に降りて待っていたがちっとも来ないので、フロントの電話を借りてスヴェータに電話しようとしていたら、丁度スヴェータとアリョーシャがやってきた。4人でパラトゥンカへ行く。途中で地ビールを買ってフラミンゴというサナトリウムに行った。温泉の色は緑色で、大きなプールみたいなのが一つあるだけのところだった。お湯に入っているのはアリョーシャ一組の若い夫婦とあとから来たおじさんと私たち夫婦だけだった。おじさんが先に出て、若い夫婦も出ていったので私たち二人の貸し切りになってしまった。温泉を出てすぐ横にある湖のほとりに置いてあるテーブルとベンチが置いてあったので、そこに座ってスヴェータが持ってきたパンやイクラ、カレイの干物、トマト、キュウリを食べながらウォッカとビールを飲んだ。でも蚊が寄ってきて大変だった。スヴェータがお湯を持ってくるのを忘れたので、紅茶が飲めず、帰りにカフェによってブリヌイを食べ、紅茶を飲んだ。とてもきれいなトイレでロシアのものと思われない程だった。濃い藍色の便器、トイレの床や壁には花柄のタイルが貼られていた。カフェを出てホテルに戻ってきたのは10時20分だった。おみやげの整理は明日にして、早く寝ることにした。

8月23日(火)
 昨日早く寝たので、6時過ぎに目が覚めた。外は雨が降っていた。ペトロパーブロスクカムチャツキーにいる間、雨に降られることもなくあちこち回れたので運が良かった。最後の日は雨でも仕方ないと思っていたら午後から雨は上がり太陽が顔を出してきた。
 10時半頃から1時間ほどホテルの近くを散歩した。まだ市場は開いていない店が多かったが、ぐるりと一回りしてきた。八百屋ではスイカ、メロン、リンゴ、バナナ、ザクロ、ウクロープ、セリョートカ、じゃがいも、なす、スビョークラ等が売っていた。魚屋ではチェブイチャ、ケタ、ニェールカ(いずれも鮭)の薫製、カレイの干物、イクラなどが売っていた。妻が職場の人にたばこを買っていくというのでロシアの一番高いたばこを買った。と言っても26ルーブル(約110円)だ。市場の少し先に昨日行った教育大学があった。来た道を戻りながら新しくできた店に入って携帯電話を見ていると高いのは4万円くらいしていた。安いのでも1万2千円くらいだった。ロシアでもあちこちに携帯電話を売っている店が目につくようになり、かなり普及しているようだ。土産物屋があったので買い足りなかったペリケンを2個買った。もう11時半すぎていると妻が言うので慌ててホテルに戻った。荷造りはしてあったので部屋で一息ついて1階へ下りていった。日本へかけた電話代90ルーブルを払って待っているとアンドレイが迎えに来た。アンドレイの家でお昼をごちそうになった。アーニャが朝から2時間かかってブリヌイを焼いてくれたと言っていた。昨日カフェで食べたブリヌイよりも美味しかった。おばあちゃん直伝のブリヌイだそうだ。ジャム、蜂蜜、スメタナ、イクラなどをつけて食べた。昨日スーパーで探したが見つからなかった乾燥したペトルーシュカやウクロープをスヴェータが探して買ってきたと言って20袋くらいくれた。食後、ビデオの映画の中で伊蔵(いぞう)という日本人が歌っている歌の意味を教えてくれと言うので何回か聞いてみたが、よくわからない歌だった。
 2時に家を出て、マンモスの牙や熊の牙、鹿の角、アザラシの牙を細工して、それに絵を描いている職人の所に寄っていき、彼のいろいろな作品を見せてもらって、一緒に写真を撮った。彼が「いくつだと思う?」と聞くので、60歳くらいかなと思ったが、実際の年寄り多く言うと悪いので5歳くらい若めに55歳だと言ったら、52歳だった。その店兼工房を出て空港へ。

   

 3時頃空港に着いたらもうチェックインは始まっていて、荷物検査場の前でアンドレイ、スヴェータ、アーニャに別れを告げた。チェックインも並んでなくてすぐにできた。ウラジオストク便がすぐに出て、ハバロフスク便はまだ時間が1時間以上も合った。しかし、4時には飛行機への案内が始まり歩いて飛行機まで行った。おかげで飛行機と一緒に写真を撮ることができた。以前は空港で写真を撮ることは禁止されていたが、今はロシア人の家族連れが飛行機をバックに写真を撮っていた。16時45分出発の飛行機なのに、16時20分には動きだし、16時35分に離陸した。アンドレイが途中車を飛ばしていた理由がよくわかった。早く出発することがあるので、早めに空港に行かなければならないのかな?チェックインの締め切り時間が40分くらい前になっていたので。
 私たちの乗ったイリューシン62は17時10分(2時間の時差があるのでカムチャッカ時間では19時10分)、ハバロフスク空港に到着。気温25度。外はまだ明るい。17時半にバスに乗せられてターミナルビルに入ると、サッポロホテルのいつもの運転手がもう一人若いロシア人っぽくない助手を連れて待っていた。妻はリュックを持って運転手と車に行き、わたしはもう一人の助手と手荷物受取所の前で話しながら待っていた。カムチャッカの話しや日本のどこから来たのか、ロシアではどこに行ったか、子どもはいるのか、どこに住んでいるのか、大学では何を選考しているのかなどよくしゃべった。彼自身は話しからすると30歳を超えているのに、見た目は20台前半に見えた。ハバロフスクでもう8年も住んでいて、その前にはモスクワ、ペテルブルグ、ベラルーシなどにもいたと言っていた。ハバロフスクの給料の平均は8000ルーブルで、彼も車が欲しいけど買えなくて、でも来年には買うつもりだと言っていた。
荷物を受け取り、ホテルへ。ハバロフスクの気候はカムチャッカに比べると暑く、太陽も輝いていた。ホテルに着いたのは18時頃だった。荷物を部屋に置いて買い物に出かける。バスに乗ってディナモ公園まで行き、本屋でハバロフスクの地図を買い、以前行ったことのある市場へ行った。ところが市場の中は空っぽで、みんな片づけていた。営業時間が10時から19時までだった。がっかりしてディナモ公園まで戻り、ホテルまで歩いて帰りながら食料品店を覗いて行くことにした。途中で春雨のサラダ200グラム、ヨーグルト、クッキー(リングという名前のピーナツをまぶしたクッキー)を買い、も鬱す具ホテル十言うところに「すしバー」という日本料理の店があった。
ここまで来てロシア風にアレンジされた日本料理を食べようとは思わない。写真だけ撮ってもう少し歩くと24時間営業の酢^パーがあり、そこで買おうと思っていた紅茶やクッキーを買い、ついでに蟹缶も一つ買った。そして夕食の時に飲むビール(「シベリアの王冠」という名前のオムスクで作っているビール。値段20ルーブル50カペイカ)も。このビールは味も地ビール風で美味しかった。ホテルに戻ってアーニャが焼いてくれたブリヌイに春雨サラダを入れて食べた。市場で買った洋なし、桃、ネクタリンも皮をむいて食べた。どれも甘くてみんな1キロ50ルーブルで、1個ずつ計3個買って40ルーブルだった。

8月24日(水)
 今日も晴天のハバロフスク。天気予報によれば23度まで気温が上がるそうだ。ペトロパーブロスクカムチャツキーでは15度だそうだ。8時半に2階のバーに朝食を食べに行き、メニューを見ると1番ペリメニ、2番ブリヌイ、3番目玉焼きだったので、ペリメニは前に食べたし、ブリヌイは昨日アーニャが作ってくれたのを食べたので3番にした。ミネラルウォーター、ジュース、パンの上にソーセージとチーズののったホットオープンサンド、そしてメインの目玉焼き3個にはトマト、キュウリが添えてあった。そして最後にコーヒーまたは紅茶。私たちが行くとテレビをNHKに変えてくれたが、私たちの部屋と同じで音が出ない。部屋のテレビのNHKの音声が出なくなったのはどこかリモコンを触って出なくなったと思っていたが、全館出てないようだ。店の人もどうしてかわからないと言っていた。朝食を済ませ9時半頃から町へ写真を撮りに行った。とおりを歩くと建物が修理され新しくなっているし、新しい建物もいくつか造られていた。歩道もきれいに整備され日本と全く同じようだ。写真を撮りながら路面電車の走っている所まで行き、ハバロフスク駅へ行く電車に乗った。10分くらいで駅に着く。運賃は9ルーブル。何回か値上げしたらしく車内の運賃表示がペンキで消されて書き換えたあとがあった。無賃乗車の罰金は以前のままの10ルールになっていたが、今は料金徴収係の人がすぐにやってくるので、昔のようにただ乗りはできないので罰金を値上げする必要がないのかも。ハバロフスク駅の前には町を開いたハバロフ大きな像が立っていた。駅に入って案内板を見ると丁度シベリア鉄道のモスクワ行きの列車が止まっていたので写真を撮った。昨夜ウラジオストクを出てきた列車だ。ハバロフスクで30分停車するので乗客は列車から降りてたばこを吸ったり、おしゃべりをしていた。駅舎は最近改修されたようで、きれいになっていた。2階に待合室があると書いてあるので見に行ったら、入り口に机が置いて人がいたので、そうもチケットを持ってない人は入れないのかなと思い、入らずに中2階にあるトイレに入った。有料トイレなのできれいだった。扉も日本のトイレのように上まであるし、臭いもしなかった。便器は日本の和式スタイルだった。料金は7ルーブル。駅を出て再び路面電車に乗って戻った。ムラビョーフ・アムールスキー大通りで電車を降り、昔からロシアで売っている歩道の立ち売りアイスクリーム(7ルーブル)を買って食べながらホテルまで戻った。

   
    改修された建物         ハバロフの像       改修されたハバロフスク駅

 11時45分にホテルをチェックアウトし空港までホテルの車で送ってもらう。料金は一人1000円。ホテルを出てすぐ近くに空手の道場があった。日本の武道はロシアでは人気のようだ。空港まで約20分。あっという間に着いて、国際線ターミナルにはいるとまず荷物チェックと金属探知器のゲートを通る。なぜか妻が何回も引っかかり、ポケットの中にはティッシュと100ルーブル紙幣しかなく、ポケットを空にしてもアラームが鳴る。サンダルの金具かもしれないと思って、脱ごうとすると、検査員がもういいと言って通してくれた。ようやく通過できてホットしていると日本人の男の人が寄ってきて、日本で手紙を出して欲しいと頼まれ、引き受けた。お礼に箱入りのチョコレートをもらってしまった。ハバロフスクから航空便で出しても10日〜14日かかるが、日本で出せば2、3日で着くので頼んだのだろう。チェックインのための部屋に入ろうとすると、空港使用料を払わなければならないと言われ、係員に聞いたらインフォメーションで売っているという。買いに行くと一人850ルーブル(約3400円)もとられてびっくり。チェックインを受け付けている部屋の入り口で空港使用料チケットの半分を切られ、イミグレーションの審査、手荷物検査を終え、チェックインカウンターに。ここで10人ぐらいの列ができていて、預かる荷物を運ぶベルトコンベアーの調子が悪いようで誰か人を呼んでいて渋滞していたようだ。10分ほど待ってチェックインも無事終了。そして最後に出国審査だが、驚いたことに8つの窓口が開いていて、全く行列はなかった。出発待合室ではドリンクスタンドが開いていた。免税店もあったがとても高くてとても買う気にはなれなかった。待合室のトイレは日本のようにきれいで、便器や壁は男子用は薄いグリーンに、女子用は白に統一され、INAXの便器が使われていた。850ルーブルも空港使用料を取られたのだからせめてきれいなトイレを使わなくては。13時50分、バスが待合室の前まで迎えに来て飛行機へ。1台では乗り切れず、2回に分けて乗客を運んだ。定刻14時00分より少し遅れて飛行機は動きだし、14時15分離陸。青森までの飛行時間は2時間という案内放送があった。昔はロシア語と英語の案内放送だったが、最近はロシア語と日本語になった。飛行機はTU−214できれいな飛行機だった。座席と座席の間も国内線に比べて広い。
上空に上がると飲み物のサービスがあり、白ワインを頼んだら甘口のワインだった。食事は肉と魚から選び、肉はハンバーグ、魚は鮭だった。どちらもライスとグリンピースが添えてあった。他にパックに鮭の薫製2切れ、イクラ、オリーブ、サラダ(トマト、キュウリ、ピーマン)、パン(丸いのと四角いのの2個)、バター、ミニケーキ、チョコレート、紅茶又はコーヒー。
 時差2時間を引いて、14時10分に青森空港に到着。名古屋行きは19時40分なので時間はたっぷりあるがスーツケースがあるので町には行けないと思っていたら、日本航空の搭乗手続きをもうやっていて、スーツケースを預けることができたのでバスに乗って青森の町へ行くことにした。青森駅まで行き、かつての青函連絡船が博物館になっていたのでそれを見て、買い物をして空港へ戻ってきた。青森からは40分で名古屋。そこからまた電車に乗って金山へ。そしてタクシーで我が家へ。家に着いたのはもう11時前だった。さすがに疲れた1日だった。
 

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