カムチャッカ夏の旅(その4)
 
  2002年7月21日〜29日 

7月24日(水)

 今日も良い天気で、7時に外の明るさで目が覚めた。朝食は2階のカフェで今日は3番のセットを頼んだ。太めのコップになみなみと注がれたオレンジジュース(もちろん氷なし)、カップに入ったフルーツヨーグルト、オムレツ、その後にペリメニのマヨネーズかけが出てきた。斜め後ろに座った日本人のおばあさんに「良いお天気ですね」と話しかけられ、話してみると物書きだと言っていて、今日カムチャッカを出て、ハバロフスクに行き、ユジノサハリンスクまで行くそうだ。彼女はロシア語はしゃべれなくて、英語で旅行しているそうだ。今回はウラジオストク、ハバロフスク、ヤクーツク、ユジノサハリンスク、そしてペトロパヴロフスク・カムチャツキーを1ヶ月で回っているそうだ。ここの道は良いと言っていたが、町の中は穴ぼこだらけだし、パラトゥンカやエリゾヴォへの道が良いだけで、そう感心するほどのものではないと思う。9時半過ぎにアンドレイに朝食が済んだと電話をして部屋で待っていたら、スヴェータから電話があって外に出てきてと言うので、用意をしてホテルの外に出ていくと駐車場にアレクセイとスヴェータが来ていた。アレクセイの車でメシェンナヤ・ソープカに登った。ソープカというのはロシア語で丘という意味でメシェンナヤ・ソープカはペトロパヴロフスク・カムチャツキーで一番高いソープカでテレビやラジオの送信塔が頂上に立っている。そんなに高くないが頂上まで登ればペトロパヴロフスク・カムチャツキーの町が一望できる。頂上への道路は舗装されておらず、石ころや岩がごろごろしていて、頂上付近になると一層ひどくなり普通の乗用車ではゆっくりと車を傷めないように慎重に登っていく。メシェンナヤ・ソープカの上からは町全体、アヴァチャ湾、遠くに太平洋も見えた。もちろん町の向こうにはカリャークスキー火山やアヴァチャ火山もきれいに見えた。

  
   メシェンナヤソープカから見た市街           メシェンナヤソープカから見たアバチャ湾

 夏のペトロパヴロフスク・カムチャツキーは雨や曇りの日が多いというのに、運が良かった。アンドレイと携帯で連絡を取り合ってメシェンナヤ・ソープカで合流した。一度アンドレイの家まで戻り、アレクセイは車をおいてアンドレイの車で太平洋を見に出かけた。車で30分くらい走り、最後は砂地の道を走りようやく着いた。黒い砂浜がずっと続いていて、難破した船が傾いたまま放置してあるところまで行った。長い海岸線を太平洋の波が押し寄せてくる様子は壮観なもので、波の音を録音しておきたいくらいだった。海岸に私たちの他には誰もいず、聞こえるのは大きな波の音だけであった。水は冷たくて泳ぐのには向いていないが、ズボンの裾をまくって足だけ水に入った。一方砂浜は日に照らされて熱くなっていて、裸足で歩くと火傷しそうなくらいである。休みの日にはここへ日光浴にやってくる人が多いそうだ。砂浜にシートを広げ、持ってきたトマト、キュウリ、ハム、チーズ、パン、イクラを食べ、コーヒーを飲んだ。風もなく良い天気で長く続いた海岸線がよく見えた。難破船に登って写真を撮ったり、押し寄せる波を背景に写真を撮ったりした。ペトロパヴロフスク・カムチャツキーの子ども達は泳ぐところが市内にある唯一のプールと温泉しかないので、泳げない子が多いそうだ。海の水や川の水は冷たすぎて泳げない。アンドレイはペルミ出身なので近くの川で泳ぎを覚えて上手いそうだ。ペトロパヴロフスク・カムチャツキーで生まれ育ったスヴェータは泳げないし、アレクセイも少ししか泳げないと言っていた。

  
   太平洋(この海の南には日本が)               うち捨てられた難破船

 海から帰る途中にタンクのある所を見に行こうということになり、道路からちょっと入った丘の中腹に戦車の上半分だけのような大砲が、海の方に向かって5つばかり30m間隔ぐらいで並んでいた置かれていた。大砲と大砲の間はコンクリートの溝があり行き来できるようになっている。かつて冷戦の頃まではここに兵士が常駐しアメリカの侵攻に備えていたという。冷戦の頃はこの地域にも立ち入ることは禁止されており、海にも行けなかったそうだ。冷戦が終わりアメリカとの関係が良くなってこの砲台は放棄されたそうだ。砲台に登って砲身を手で動かすと、軽く動いた。この砲台の上に砂を入れたペットボトルを置いて、6mくらい離れたところからアンドレイの持ってきたピストルで撃った。最初は本物のピストルかと思ったが、空気銃のようなピストルだった。良く狙いを定めて打つと的に当たった。

  
     冷戦時代の遺物                    軍服に身を包んだアンドレイ
 
 その後、帰る途中、かつてコルホーズがあったところの横を通ったが、畑は放置され草が生えているだけだった。財政難でやっていけなくなったそうだ。以前はここで作った野菜がペトロパヴロフスク・カムチャツキーの町で売られていたので安かったが、今ではペトロパヴロフスク・カムチャツキーではほとんど作られず、よその地域から送られてくるので高くなったそうだ。スヴェータやアレクセイは学生時代、ここのコルホーズに収穫の手伝いにも来たといっていた。
 一度アンドレイの家に戻り、お昼を食べた。スヴェータの作ったボルシチとイカの料理を食べた。ご飯もあった。ボルシチは肉なしのだったが、バターが入っていて十分美味しかった。イカはさっとゆでてブイヨンと塩、コショーで煮たそうだ。ゆですぎるとイカが固くなるといっていた。ご飯は多分中国米だろう。パサパサした感じはなく日本の米に近かった。昼食の後ちょっと昼寝をして、今度はパラトゥンカの温泉に行った。アレクセイもやって来て1台の車に5人乗って出かけた。夕方5時半出発。パラトゥンカへの道はきれいに舗装されていて30−40分で着く。やはり100キロ以上のスピードで飛ばし、1車線しかないので前に遅い車がいると対向車線に出て追い越すので冷や冷やだ。きっと正面衝突事故も多いのではないのだろうか。最初に行くつもりだった温泉に行くと水曜日は休みということで、他を探した。サナトリウムはいくつもあるのでどこにするか選ぶのが大変だという。近くの別のサナトリウムに行くとそこも水曜休みで更に次の所にいってようやく入れた。駐車場に大きなトーポリ(どろやなぎ)の木があり、白い綿毛をいっぱいつけ、風が吹くとその綿毛がふわふわと雪のように飛んでいた。イルクーツクでは6月にやはりトーポリの綿毛が町中を舞っていると聞いていたが、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーは少し遅いようだ。初めて見るトーポリはやはり感激だ。今まで話に聞くだけだった空中を舞うトーポリの綿毛を見たのは初めてだ。ロシア人はみんな迷惑がっているトーポリがロシア中どこにもあるのはどうしてかとアンドレイに聞くと、気候にあっているのと、成長が早いからだそうだ。

  
    トーポリの木                トーポリの綿毛

 更衣室で水着に着替え温泉へ行くと3つに分かれていた。一番大きなプールは少しぬるめで丁度良い湯温だった。大きな塩ビで作られた短い滑り台がついていた。二つ目の少し小さめのプールは熱めの風呂という感じで、ちょっと我慢すれば入れるが誰も入っていなかった。三つ目は熱湯で、ここには入れないように赤いロープが張ってあった。二番目の熱めのプールはお湯が緑色になり、トーポリの綿毛がたくさん浮かんでいて、あまりきれいではなかった。でも何回かここに入ったが、昨日マールキで焼けた足と背中が痛くてやはりぬるめのお湯に一番長く入っていた。私たち夫婦とアンドレイが温泉に入っている間、スヴェータとアレクセイはシャシリークの買い出しに行っていた。

  
        ぬるい方の温泉               熱い方の温泉(私たちしか入っていない)

 スヴェータとアレクセイが帰ってきたので、温泉を出て食べられる場所を探し、川が流れているそばの原っぱにシートを広げ買ってきたシャシリークや持ってきたトマト、キュウリ、チーズ、ハムといういつもの定番を出して食べた。蚊がすごく、人のまわりに群がってくる。蚊除けの塗るものをもらって服の上から、そして手や顔、頭にも塗った。これを塗ると蚊が嫌いな臭いがするらしく、蚊が寄ってこないが、周りを飛んでいるのは同じだ。蚊の大群に少々うんざりして食べ終わると、鮭を捕っているところを見に行った。途中道が川で遮られていたが、大丈夫だと言って10mくらいの幅の小川を渡っていった。鮭の猟師達の所に行くと捕った鮭が川の中の檻に入れられていて、ピョンピョンと跳び上がっていた。そこの猟師達と写真を撮り、漁をするところを見せてもらった。川に網を張り、片方の端を動かして閉じながら、川の上の方から船で魚を追い込むというやり方だ。体調70−80センチの鮭が100匹くらいとれた。それを小さな船に入れて檻の所まで持っていき、オスとメスを分け、オスは川に戻し、メスだけを檻の中に放り投げていた。イクラを取るのが目的で、オスはいらないというわけだ。

  
     鮭を捕っている猟師達と                捕った鮭を船に乗せて運ぶ

 川で漁をするには許可証が必要で誰でも魚を捕って良いというわけではない。でも子ども達は内緒で引っかけ釣りをしてイクラをとって売るそうだ。1匹分のイクラは400ルーブルし、一方魚の方は40−50ルーブルにしかならないので捨てていくそうだ。帰りにアレクセイの友人のダーチャに寄って、まだ家主が帰ってきていなかったが、勝手に入って見て回った。キャベツ、スビョークラ、ジャガイモ、キュウリ、トマト、木イチゴ、その他いろんなものが植えられていた。キュウリを1本もいで食べていると、家主が帰って来てお茶の用意をしてくれて、ウォッカがと魚の肝の缶詰が出された。少し飲んで、一緒に写真を撮って帰ったが、今日もホテルに着いたのは12時近かった。

  
  アレクセイの友人のダーチャ(別荘)       

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