冬のイルクーツク2002(2002.12.22〜12.29)

(1ルーブル=4円)
 

はじめに
 私が初めてイルクーツク、バイカル湖に行ったのはもう12年前の1990年だった。ツアーでハバロフスク、イルクーツク、バイカル湖、ブラーツクを8日間で回るというもので、家族5人で参加した。そのときバイカル湖(リストビャンカ)の港で遊んでいる女の子の写真を撮って、写真を送ってあげるからと住所を書いてもらった。その子がナターシャでしばらく彼女と文通していたが、「あなたの顔を忘れてしまいそうだ」とういう手紙をもらって、家族でもう一度会いに行くことにした。2度目の訪問は1993年の夏だった。3年ぶりに会った彼女は大きくなっていた。そして翌1994年の夏もバイカル湖へ彼女に会いに行くことになった。それ以降96年、97年、99年、2000年、2001年と8回会いに行っている。そしてこの12年の間にイルクーツクに住む彼女のおばさんやいとこ達とも知り合いになった。彼女のおばさんやいとこのセルゲイは知り合った翌年に亡くなってしまった。しかし別のいとこのレーナの家は97年12月以来、行ったときには必ず訪問している。

 今回私がまたイルクーツク・バイカル湖へ行こうと決心したのは次のような理由からだった。一つは今年の5月に受け取ったレーナからの手紙だった。彼女の家に行った時に、いつもすばらしい料理を作って用意してくれる彼女の友達のスヴェトラーナの夫が敗血症で足に壊阻をおこし両足とも切断したという。当然仕事もなくなり、収入はコックとして働いている妻の収入だけになってしまい、大学2年生と11年生の2人の子どもを抱え、生活は大変な状況になっている。もう一つはナターシャからの手紙で彼女の母親が入院したという手紙をもらったからである。

 以前は新潟からイルクーツクまで直行便があったが、旅客数が少なくて廃止されてしまった。今はハバロフスクかウラジオストク経由で行くしかない。どちらのルートをとるにしても週2便ずつしか飛行機が飛んでいないし、国内線の乗り継ぎなどを考えてルートを決めるしかない。今回は初めてウラジオストク経由で行くことにした。

12月22日(日)
 12時にタクシーを呼んでいたが早く来たので11時50分出発。昨日一日中降っていた雨も朝には上がり、太陽こそ出ていないが良い天気になった。タクシーは上飯田から三階橋を通って30分で名古屋空港に着いた。荷物を預けるときにスーツケースの重さを見たら18.5キロ。20キロ以内なので一安心。20キロを超えるとウラジオストクへ行く飛行機は結構高い超過料金を取られる。イーラに頼まれたビデオデッキは機内持ち込みにした。2階の売店で名古屋名物天むすときしめんのついた根付けを買った。昨年の夏に行ったとき、イルクーツクの店で根付けを売っていたので。名古屋−新潟の飛行機はよくバスで飛行機まで行き、タラップを登って乗ることがあるが、今回は空港ビルから直接乗ることができた。乗客は少なく3〜4割しか乗っていなかった。おかげでビデオデッキはスチュワーデスが隣のシートにシートベルトで固定してくれた。名古屋空港では薄日が差してきて、良い天気になったが、新潟の天気は曇りで、気温6度との案内放送があった。名古屋空港を飛び立つと北へ進路をとりすぐに犬山城や木曽川が見えてきた。途中雪をかぶった御岳や乗鞍の山々が雲海の上に浮かんで見えた。北アルプスを過ぎると一面厚い雲におおわれ下は何も見えない。着陸のために高度を下げ、下に見えてきたのは海で、前方に佐渡島が見えた。飛行機はゆっくりと旋回し海の方から新潟空港に着陸した。空港には出発しようとしている中国東方航空と日本航空の2機しか停まっておらず、また遅れるのかと心配しながら国際線のチェックインカウンターに行くと搭乗手続きをしていたので一安心。新潟空港の空港ビルの入り口にテレビカメラを抱えた報道関係の人がたくさん集まって誰かの到着を待っていた。誰が来るのかとしばらく待っていたが、なかなか来ないので搭乗手続きを始めた。荷物検査を終え(レントゲンにお土産のフライパンがしっかり映っていた)、チェックインを終え、国内線の時刻表を見たとき、名古屋行きは11時45分の後は19時35分までなかったので、帰りにひょっとして早い便に乗れるかもしれないという希望はなくなり、家に予定通りの時間に帰ると電話しておいた。セキュリティーチェック、出国審査を経て搭乗待合室へ。免税店でマルボロ4カートンを買う。免税店で買っても7600円。ロシアで買えば4800円くらいで買えるということは、原価は一体いくらなんだろう。たばこのおまけで腕時計が2個ついてきた。飛行機はロシア人がほとんどで日本人は少ない。日本のビールもしばらく飲めないと思い生ビールを1杯飲む。 すぐに搭乗案内が始まったので急いで飲む。そして有馬記念の結果を聞きたくて家に電話すると、ちょうど外から帰ってきたばかりの妻が出て、テレビをつけて見てくれたが、1着はペリエのシンボリクリスエスだが、2着はわからないという。私は勝手に2着は自分の買ったファインモーションだと思いこみ、気分良く出発できた(帰ってきて結果を聞いてがっかりするのは1週間後だった)。

 飛行機はいつものツポレフ154型機。客室は3つに別れており、機体の一番前がビジネスクラス、日本の官庁の出張組のような人が2、3人乗っていた。あとはエコノミークラス。座席と座席の間隔が日本の飛行機と比べて狭い。上の荷物棚も小さい。そこに買ったマルボロとコートを入れ、リュックは自分の足下に、ビデオは隣の席の下に置いた。飛行機は空いていたので隣には誰も来ず、通路側にネクタイをしたロシア人が座った。定刻の15時40分になってもまだ動き出さない。15時57分、ようやく飛行機が動き出す。ウラジオストクまでは950キロ、1時間45分のフライトだという案内放送が入った。いつもはロシア語と英語だけなのに、続いて日本語の案内放送が流れたのには驚いた。日本とロシアを結ぶ飛行機だから日本語の案内放送があっても当然なのだが、今まではなかった。16時06分離陸後、上昇を続けながら機体を急旋回させ一路ウラジオストクへ。飛行機に乗る前に飲んだビールのせいでトイレに行きたくなる。すぐに飲み物、食事が出されるので早めにトイレに行っておく。トイレを我慢しながら飲んだり食べたりするのは落ち着かないし、食事をゆっくり味わえないので。トイレはきれいだったが、狭くて頭がぶつかる。おまけに手を洗う水が出ない。席に戻ると飲み物と熱いおしぼりが配られてきた。私は白ワインを頼んだ。離陸直後はまぶしかった太陽も地平線の下に沈もうとして雲海を赤く染めている。窓際の席はやはりすきま風で寒い。短い時間だからいいけど。機内食は時間が短いので簡単なもので、パケットに入っていたのは丸いパン、丸いケーキ、バター、チョコレート、チーズ3枚、サラミ3枚、オリーブが5個。そして紅茶かコーヒー。途中で小さな赤いリンゴを配ってきたので1個もらって食べた。冬のロシアでは野菜、果物は貴重品だから。ウラジオストクの気温はマイナス10度。時間はプラス1時間で18時10分という案内放送が入った。もうすぐウラジオストクに到着だ。

 18時20分、ウラジオストクに到着。滑走路が長いので着陸してからの逆噴射も日本の飛行機よりも弱い。ただしターミナルビルまで戻ってくるのに時間がかかる。日本のように空港ビルとつながらないので飛行機からはバスでの移動になる。外に出るとさすがに寒い。空気が凍っているという感じがする。バスを降り、空港ビルに入ると入国審査の窓口はなんと4つすべて開いていた。一番手前に並んでいたらロシア人だけと書いてあったので、並び直したがそれでも待ち時間は5分くらいですんだ。入国審査を出るとイミグレーションコントロールがあり、そこでパスポートを見せる。そして荷物受取所へ。でもまだ荷物は出てきていないので、再びトイレへ。新潟で飲んだビールのせいだ。トイレに行くとタバコを吸っているロシア人がいた。ロシアでもタバコを吸える場所が少なくなってきていて、トイレでタバコを吸う人が増えているようだ。荷物が出て来始めるとすぐに私のスーツケースが出てきたので税関検査へ。税関のレントゲン検査も無事通過し、申告書にスタンプをもらって外へ。

 大勢の出迎えの人や「タクシー?」という声の中を通り過ぎて空港ビルの外へ出ると右手前方に3階建ての私の泊まる予定のホテル「ベニス」らしきものが建っている。そばの人に「あれがベニスホテルか?」と聞いたら「知らない」と言うので、別の人に聞いてみたら「そうだ」と言うので歩いてホテルまで行く。本当に空港から100mくらいだ。ベニスはロシア語でベネツィヤと言って、ネオンもロシア語だったので、戸惑った。イタリア・ロシアの合弁のホテルでとてもきれいなホテルだ。部屋は203号室で2階だ。3階建てなのでエレベーターはない。重いスーツケースを抱えて階段を上るのは大変だ。ロシアのホテルと比べると美しさの点では雲泥の差だ。部屋には冷蔵庫、テレビ、電話があり、ミニチュアボトルやジュース、コーラ、ビール、ミネラルウォーター、おつまみなどが入っているが有料だ。カミソリ、シャワーキャップが有料だというのには驚いた。ちなみに値段は日本のビール130ルーブル、ウォッカ50ルーブル、カンパリ120ルーブル、ミネラルウォーター500ml)80ルーブル、紙パックのジュース200ml)20ルーブル、スプライト30ルーブル、チョコレート30ルーブル、ナッツ30ルーブル、ポテトチップ30ルーブル、カミソリ20ルーブル。電気ポットがついていたので、水道の水を沸かして湯冷ましにして飲んだ。機内食が少な目だったので、レストランに夕食を食べに行こうかと思ったが、部屋にメニューがあり、見てみるとかなり高かったので止めて、非常食代わりに持っていったバナナチップを食べておいた。ちょっと淋しいロシア1日目だった。ぼんやりテレビを見ていると眠たくなったので、風呂にはいることにした。風呂とトイレと洗面台が1つの部屋の中にあるが、とてもきれいで明るい。日本のビジネスホテルのユニットバスよりもずっと良い。やはり高いだけのことはある。このホテルの1泊朝食付きの料金は11000円。何もすることがないので、9時過ぎには寝た。暖房もよくきいていて暑いくらいだったが、温度調節ができるようになっていったので、温度を下げて寝た。以前やはり冬に泊まった時に、乾燥して喉がカラカラになったことがあるので。今回は温度を下げすぎて、夜中に足下が寒くて目が覚め、暖房の温度を少し上げるとまたよく眠れた。

12月23日(月)
 朝、7時半にベッドから出てテレビをぼーっと見ていたが、9時前に着替えて1階のレストランに朝食を食べに行く。すごい大げさなメニューが出されたが、トマトジュース、ソーセージ付オムレツ、黒パン、バター、紅茶を頼んだ。ソーセージ付オムレツにはウインナソーセージの他にミニキュウリの酢漬け、大豆の煮たようなもの、トマト(半個が3つに切ってあった)、下にレタスが敷いてありパセリが付いていた。ロシアの卵は黄身が白いのでオムレツも白身だけで作ったように白い。紅茶のティーバッグとポットに入った熱湯が別にきて、自分で入れた。全部で270ルーブルくらいで、ルームナンバーと署名をしてOK。結構いい値段だ。日本のホテルの朝食と変わらない。レストランを出てフロントで「ここで両替できるか」と聞いたら、「できるが、あと30分ぐらい後に」ということだったので、部屋に戻ってテレビを見ていると電話がかかってきて両替できるようになったと言うので、フロントへ降りて行き、100ドル両替した。3150ルーブルになった。11時前にホテルの周りをちょっと散策してみることにした。帽子をかぶって、ダウンのコートを着て外へ出る。さすがに寒い。ホテルの写真を撮って、空港以外に何もないので空港に行ってみる。もう351便の搭乗手続きをやっていた。電光表示板には行く先は表示されてなかったので、351便がイルクーツク行きかどうかはわからなかった。空港を一回りしてホテルに戻りテレビを見ながら時間をつぶし11時25分にホテルを出た。フロントではミニバーは何も使っていないかと聞かれ、部屋を見に行き何も使ってないことを確認してチェックアウト。

 航空券を見ると先ほど搭乗手続きをしていた351便はイルクーツク行きだったので先程のチェックインカウンターに行く。さっきは7〜8人並んでいたのに、今回は前に1人いただけだった。スーツケースをはかりに載せると、奥へ持って行けという。奥にはレントゲンの荷物検査装置とスーツケースの山があるだけで誰もいない。どこへ行けばいいのかとチェックインカウンターに聞くと、検査の男の人が来て、荷物を機械に通すようにと言う。これは何だとレントゲンの映像を見ながら聞かれ、一つは缶切りだとわかったのでそう答えたが、もう一つ四角いものが何だったかわからなかったので、スーツケースを開けされられた。中を調べてみたが怪しいものはなく、四角い形のものがなんだったのかもわからないまま、「まあ、いいか」ということになり、スーツケースを閉めた。丁度荷物を運びに来た人に渡したが、「モスクワ?」と聞かれ、「イルクーツク」と答えたが大丈夫だろうか。チェックインカウンターの外へ戻ってパスポート、航空券、座席票を持ってセキュリティチェックへ。ビデオとリュックをやはりレントゲン検査の機械に通した。リュックの中に入っていた4コパックのデジカメ用電池を見て、これは何だと聞かれたがすぐに「電池だ」と答えて無事通過。やはり9月のテロ以降チェックが厳しくなっているようだ。待合室に入って飛行機を待つ。暖房が効いているから毛皮の帽子をかぶって、ダウンのコートを着ていると暑い。コートを脱いで人もいるがほとんどの人は外にいるときの格好で待っている。待合室の中には売店がありジュースやビール、おつまみ、ちょっとしたサンドイッチなどが売っているが、飛行機に乗ると機内食が出てくるので何も買わない。いすに座って旅行記を書いていると「イルクーツク、エカチェリンブルグ」と言いながらおばさんが呼びに来た。みんな外に出ていくとバスが来てそれに乗って飛行機まで行く。

 乗客が飛行機に乗るのに時間がかかるため飛行機の下で長いこと待たされた。ようやく飛行機に乗り込み搭乗券に書かれた25Aの席に行くとそこにはもう他の人が座っていて、しかも同じ席が幾人かの人に出されているようで、スチュワーデスも困っていた。適当に26Aに座り、コートと帽子をオープン式の棚に載せ、ビデオを真ん中の座席の下に入れた。後からこの場所に来る人もなく、3人がけの座席を独り占めできた。12時半、駐機スポットから押し出され、12時40分滑走路の端に向けて動き出した。途中ЯК−40という小型の飛行機が5、6機停まっていたので写真を撮ろうかと思ったが、トラブルのもとになるようなことはやめた。出発地点に着くのに7〜8分もかかった。日本の空港と比べるとばかでかい空港だ。滑走路も十分長いように思われる。12時50分長い滑走路を使ってゆっくりと離陸する。すぐに海が見えてくるが、ここで大きく旋回して一路イルクーツクを目指す。あいにく私の席からは主翼がよく見えて、景色は遠くのものしか見えない。でも今日はもやっていて下の景色はほとんど見えない。今日のТУ−154の機内は昨日の国際線のものよりもきれいだし、座席の間隔も少し広いような気がする。座席の布地も張り替えてありきれいだ。しばらくすると飲み物のサービスが始まった。リンゴ、オレンジ、トマトジュース、ミネラルウォーターでアルコールはない。食事は肉、魚のメインディッシュの選択ができ、私は肉を選んだ。四角いアルミの器にご飯と肉、タマネギを煮たのが入っていて、横の方にグリンピース、人参、インゲンの茹でたのがあった。オリーブの実4個、スモークサーモン2切れ白身の魚の塩漬け2切、缶詰の小イワシ4匹、レモン、ナチュラルチーズ((6Pチーズのようなもの)、丸パン、食パン2切、バター、ジャム、丸くて上に砂糖ののった黒パン、ミニチョコレートが2個、そしてコーヒー又は紅茶。コーヒーはインスタントコーヒーで砂糖、クリーム入りのパックとお湯が、紅茶はティーバッグとお湯が配られる。食事を終えると眠たくなりしばらく睡眠。3時40分に目が覚める。4時10分到着の予定だからもうすぐだ。ところが4時10分になっても一向にもうすぐイルクーツクだという案内放送がないし、飛行機はずっと高いところを飛んでいて降下していない。もしかして飛行機を乗り間違えたのではないだろうか。荷物を預けるときに「モスクワ?」と聞いていたので、モスクワ行きに乗ってしまったのだろうか。待合室でおばさんが「イルクーツク、エカチェリンブルグ」と言ったのは、エカチェリンブルグ行きの飛行機が別にあって、それに乗ってしまったのだろうか。座席カードがダブっていたのも乗り間違えたからではないだろうか。エカチェリンブルグからイルクーツクに戻ってくる飛行機はあるだろうか。モスクワから戻ってくる飛行機はあるだろうかと不安になりながらトイレに行く。そして席に戻ると、もうすぐイルクーツクにつくとの放送があり一安心。気温はマイナス22度だそうだ。

 2時45分(イルクーツクとウラジオストクの時差は2時間なので時計を2時間戻す)、予定より約1時間遅れて着陸。広い飛行場をぐるぐる回ってやっと空港ビルの前まで着いたが、そこからがまた長い。しばらく待たされた後、目と鼻の先にある空港ビルのそばまでバスに乗せられていく。空港ビルには入るとなくビルの横にある門から外に出される。門の外にはスヴェータのお母さんとお兄さんが車で迎えに来てくれていた。リュックとビデオを車の中に入れてスーツケースを取りに空港ビルの中に行く。イルクーツクは荷物受取所が空港ビルの中にあるので冬は大変ありがたい。いつもなら荷物が出てくるまで15分〜20分かかるのに、今回は何故かすぐに出てきた。おまけに私のスーツケースはすぐに出てきたので1番に荷物受取所を出ることができた。イルクーツクの気温はマイナス22度でウラジオストクに比べずっと寒い。でもしっかり防寒してあるのでそんなに寒さは感じない。車でイルクーツクの町の中心にあるホテル「ルーシー」まで車で送ってもらい、スヴェータから預かった荷物をお母さんに渡した。部屋は209号室で2階に上がっていったが、208号までしか部屋がない。掃除をしていたおばさんに聞いたら上だというので、3階かと思って上がっていくと中2階に反対側に伸びた廊下があり、そこに目指す209号室があった。窓の外には雪の積もった屋根がすぐ目の前にあり、何となく不用心だ。でも窓の外に鉄の飾り格子があるので大丈夫。イーラが4時にホテルに迎えに来てくれると言っていた。念のためにイーラの家に電話をかけてみるとお母さんが出て、もう出かけてそちらに行くからということだった。

 4時頃にイーラから電話があり、今ホテルのロビーに来たということだったので、すぐに下りていく。ビデオのお金を払いたいので両替をしてから家に行こうといって、近くの銀行へ行った。100ドルと後の100ドルはルーブルで3100ルーブルもらった。歩道は凍っていてまるで氷の上を歩いているようで、イーラの速さについて歩いていると転びそうになる。マルシュルートカという乗り合い路線タクシーを待っている間リュックを肩にかけていると、イーラにここはイルクーツクだから危ない、手に持っていた方がいいと言われた。16番のマルシュルートカに乗ってイーラの家へ行く。マルシュルートカの運賃は8ルーブル。去年の夏に来たときよりも上がっていた。イーラのアパートの前で初めて滑って転んでしまった。アパート形式のイーラの家に着くとお父さん、お母さん、6歳のマーシャ、犬のチャーナが迎えに来てくれた。チャーナは覚えていてくれたのか、全然吠えなかった。先ず洗面所で手を洗い(日本人は食事の前にちゃんと手を洗うものだと思っているらしい)、食卓へ。マーシャは大きくなっているが顔の作りが小さくなったような気がする。相対的に小さくなったのかもしれない。小さくて可愛いめがねをかけている。近視ではなくて凸レンズのめがねだ。テーブルに載りきらないくらいのビーツのサラダを始め3、4種類のサラダ、ハム(牛、豚、サラミ等)、イクラや肉ののったオープンサンドが並べられている。そして先ずシャンパンを開けお父さん、イーラと私の3人で1本を注ぎ分けて飲んだ。お母さんはミネラルウォーターでアルコールは飲まなかった。そして次にシャンパンは女の飲み物だ、男はウォッカだとお父さんがウォッカを開けて2人で1本(500ml)飲んだ。そのうちにお母さんがピーマンの中に米と肉を詰めた焼いたものを持ってきた。1個で十分だった。既にサラダやオープンサンド、ハムなどで結構お腹はふくらんでいる。最後にお母さんの手作りのケーキもあるので、その分も空けておかなければならない。お父さんとはアメリカの悪口を言い、おおいに盛り上がった。イーラが持っていったビデオでうまく録画ができないと言うので見に行ったが、私もウォッカを飲んで、冷静に考えられないので結局わからなかった。多分チャンネルの設定ができていないためだと思う。食卓に戻るとお父さんがソファーに横になっていびきをかいて寝ていた。10時頃にイーラの家を出てホテルまで送ってもらったが、酔っぱらって足下が不安定なためマルシュルートカに乗るまでに2回も凍った歩道で転んでしまった。イーラのお父さんもたばこを吸いに下まで降りてきて外で吸っていた。犬のチャーナもついてきて、家に帰るようにとイーラが途中で何度も追い返したのについてきて一緒にマルシュルートカに乗ってホテルまで送ってくれることになった。ホテルの部屋に戻ると歯磨きをしてすぐに寝た。部屋の中はセントラルヒーティングで20度以上あり、全然寒さを感じない。

12月24日(火)
 目が覚めて時計を見ると5時過ぎだった。時計をイルクーツク時間に合わせたかどうか記憶が曖昧で、イーラのお父さんとウラジオストクや日本との時差の話をしていたときに合わせたような気もするのだが、合わせてなければまだ3時過ぎだと思い、また寝ることにした。7時半過ぎに起きてテレビをつけるとテレビも同じ時間だったのでどうやらイルクーツク時間に合わせているようだ。テレビによると今日の気温はマイナス23度だ。外は雪がちらちらしている。シャワーを浴びて着替えて、朝食は昨日イーラのところでたくさん食べたし、今日も1時にスヴェータのお兄さんのワレーラの所へ行くのでなしにした。明日、リストビャンカへ行くのにまだリーナと連絡が取れていないので、電話してみたが出ない。今日はウィークデーなので仕事に行っていて家には誰もいないのだろう。昨日の夜、イーラの家から電話をしておけば良かった。イルクーツクのウラジオストク航空に29日のウラジオストク−新潟便のリコンファームを電話でやってみる事にした。チケットに書いてある番号に電話したら、別の番号を教えてくれて、そこへ電話してくれと言われ、そこへかけなおした。名前と便名、搭乗日を言うだけでOK。簡単なものだった。

 リストビャンカのリーナから電話がかかってきて明日と明後日の予定は何かあるかと聞かれたので、26日はナターシャの所へ行きたいと言った。25日の夜に午後7時から12時までインツーリストホテルで新年のお祭りがあるので行かないかという電話がかかってきた。行きたいと返事をして、明日の夜6時に迎えに来てもらうことにした。明日は夕方まで暇になってしまうので一人で町をぶらついて買い物でもしようか。

 朝食抜きだとお昼近くなるとさすがにお腹がすいてきた。1時にスヴェータのお母さんとホテルのロビーで待ち合わせていたので、10分前に下に降りて無料の広告紙を読みながら待っていたら、スヴェータのお母さんと妹のアーラがやってきた。トロリーバスで行こうと言っていたが(二人とも年金生活者なので無料パスを持っているので)、なかなか来ないのでマルシュルートカに乗っていった。イーラの所へ行った時と同じ16番のバスに乗った。イーラの所よりも少し先まで乗っていき、ワレーラの家まで歩いていったが、下り坂で雪が凍っているので滑って転ばないように気をつけて歩かなければならないので大変だった。若い子はスケートみたいにして滑って降りていた。帰りは飲んだ後だからきっと転ぶんじゃないかと言ったら、帰りはタクシーを呼ぶから大丈夫と言われ安心した。苦労してようやくワレーラのアパートに着き、3階にあるワレーラの部屋へ。扉を開けて入るとまた扉がある。防犯上どこでも二重扉になっている。でも建物の入り口には鍵がかかっていなかった。

 テーブルの上には妻のマリーナが作ってくれた料理が並べられていた。野菜サラダ、ハム、スビョークラのサラダ、イクラののったオープンサンド、キュウリの酢漬け、トマトの塩漬け。キュウリやトマトは別荘でとれたものだそうだ。ウォッカで乾杯し、おいしい料理に舌鼓を打ち、おしゃべりするうちに私の乏しいロシア語では会話の一部しかわからず、もっと勉強しなくてはと悔しい思いをする。イルクーツクでの平均給料は400ドルだと言っていたが、スヴェータのお母さんと妹のアーラは年金が月に50ドルしかないと嘆いていた。ワレーラのところにはコンピュータもあり、なかなか良い生活をしているように見えた。残念ながらインターネットにはまだつながっていないということだった。mp3形式の音楽やムービーがたくさん入っていた。驚いたことにフォトショップ6.0も入っていた。メインディッシュは魚とジャガイモの輪切りにチーズをかけたものと、鶏肉を煮たのが出てきた。今までさんざん食べているのでいつもメインディッシュは少ししか食べられなくて残念だ。メインディッシュの後には最後にケーキが出てくる。ケーキまでの間に時々ウォッカを飲み今日もまたワレーラと二人で1本(500ml)空けてしまった。マリーナはクリュークバ入りのウォッカ(青いウォッカで、少し甘い。私も最初1杯飲んだがやはり普通のウォッカの方が良い。)を飲んでいた。さんざん食べた後またケーキが入るという胃袋が私には理解できない。日本では酒飲みは甘いものを食べないが、ロシアではみんな最後にケーキを食べている。日本人の平均寿命の話になって、どうして日本人はそんなに長生きするのかと聞かれ、野菜をたくさん食べて医療費が無料だからしょっちゅう医者に行っているからではないかと答えた。おみやげに石でできたA6サイズの絵とイルクーツクの写真集、ドストエフスキーの小説、チョコレート、松の実をもらったが重い。完全に飛行機に乗るときに超過料金を払わなければならない。心配していた帰り道は6時にタクシーを呼んでもらったので酔っぱらって凍った坂道で転ばずにすんだ。

 ホテルに戻りぼーっとテレビを見ていて、9時過ぎに日本へ電話をした。何事もなく無事なようだった。有馬記念は万馬券だったそうで、私の買ったのは堅いところだったので外れたようだ。その後27日に行く予定のレーナに電話をした。27日は2時に迎えにきてくれるので、1階のロビーで待っていてくれるようにということだった。アーニャは大学2年生、カーチャは10年生になったそうだ。かわいい姉妹に会えるのも楽しみだ。レーナの友達はスヴェータはくるけれども、あとの人はわからないということだった。シャワーを浴び、髪を洗い11時に寝た。

12月25日(水)
 朝、目を覚ましても真っ暗で今何時なのか時計をみないとわからない。8時でもまだ真っ暗。8時45分にほんのり明るくなり始める。テレビの天気予報によると今日の昼の気温は−15〜17℃だ。現在の気温も表示されていて、−19℃だったが、8時過ぎにはー18℃に上がった。今日は夕方まで何もないので一人で町をぶらついて写真を撮ったり、おみやげを買ったりしよう。朝食はまだ昨日食べた分が胃の中に残っているようで食欲がないので今日もやめた。お昼に外で何か食べよう。

 10時にホテルを出て、先ず電車に乗って市場へ。開店したばかりの市場はまだあまり人がいなくて、ゆっくりとあちこちの店を見て回ることができた。肉屋が圧巻だ。大きな肉のかたまりや羽根をむしったままの形の鶏が丸ごと売られていた。子豚が丸ごと売られていたのには驚いた。おみやげにストロベリーの紅茶を10個買った。できるだけ軽いものをと思って紅茶にした。果物もリンゴ、ぶどう、バナナ、洋なし、オレンジ、ミカン等がきれいに並べられて売られている。魚コーナーでイクラの缶詰を見てみたら、100グラム入りが一缶120ルーブルで、どの店も同じ値段だった。ミンタイという魚の卵は50ルーブルで売っていた。夏にカムチャッカで作ってもらったイクラの缶詰は1個50ルーブルだったので、きっと原価で売ってくれたのだろう。鮭の薫製を売っていたが1キロ100〜300ルーブルくらいしていた。魚の種類や部位によって値段が違うようだ。市場を出て向かいのデパートに行って、CD売り場でマリコフのCDないかどうか聞いてみたがなかった。

大きな通りをシベリア鉄道開通記念のオベリスクの方へ歩いて行った。途中、以前パソコン用のCD−ROMを買った店に寄ったが、良いものはなかったので何も買わなかった。レーニン像の写真を撮って歩いていると、小学生の高学年くらいの女の子がビラを配っていた。「もみの木も生きている」というビラで毎年新年のヨールカのためにもみの木を切らないでという訴えのビラだった。ビラをくれた女の子にビラを持ってもらって記念に写真を撮らせてもらった。本屋の隣のおみやげを売っている店で青い色をしたロシア独特の陶器の羊が45ルーブルで売られていたので10個買った。次に本屋で子供用の推理小説が易しくて私にも読めそうだったので1冊買った。さらに進んで博物館の入口にあるいつも行くおみやげ屋さんに寄ってトパーズのネックレスを妻に買った。写真を撮りながらアンガラ川の並木通りを歩いた。川は大気の方が温度が低いので川面から水蒸気が湯気のように立ち上っており対岸の景色を曇らせて美しい眺めだった。スタジアムの前にあるデパートみたいなところに行ってCDやDVDを売っている店見つけて良いDVDがあったので買いたかったが、閉店の看板が出ていた。中に人が二人いたのでドアをガタガタ言わせたが、閉店だと言われた。DVD1枚250ルーブル。どうしてこんなに安いのだろう。DVDはアメリカの映画がほとんどだが、この店には過去のロシアのヒット曲のDVDがあったのに買えなくて残念だった。

 1時半にホテルに戻り、買ってきたヨーグルトを2つ食べ、1時間くらいベッドに横になって休憩。
 3時頃に再びホテルを出て、まずキーロフ広場へ。新年のヨールカや氷の像、氷の滑り台が作られていて、滑り台では子供たちが立ったまま滑り降りていた。夕日に氷が照らされてきれいだった。

 その後、古い家々を写真に撮ろうと歩いて市場まで行ったが、意外なことに新しい家を発見し写真を撮った。汚い通りという名前の通りがあり、文字通り古い家が並び、道路の雪が歩道に寄せ集められており、ゴミも落ちていて汚い通りだった。通りの名前の看板と実際の通りを写真に撮った。

 市場でマンダリン(日本のミカンに似ているが、皮が固く、種がある)を3個と普通の紅茶のティーバック(20袋入り、18ルーブル)を買った。その後デパートに行き、CD売り場でタトゥーのCD(入っている曲は持っているCDと同じだが、ジャケットが違っていた)とソユーズ31(ロシアの最近のヒット曲集)のCDを買った。何か暖かいものをジャーのようなものに入れて売っているのを見つけ買おうとしたが、売り切れていて買えなかった。仕方なく電車で帰ろうと停留所で電車を待っていたら4番の電車が来たので乗ったら、すぐに曲がってホテルと違う方へ走り出したので、慌てて次の停留所で降りて元の停留所まで歩いて戻った。今度は1番の電車が来て、行き先にイルクーツク駅と書いてあったので大丈夫だった。ホテルに戻ると5時15分くらいだった。鍵と一緒に電話があったと言ってメモを一緒に渡された。リーナからの電話で6時半まで待っていてくれとのことだった。部屋に戻り買ってきたばかりのミカンを3個食べ、来るときの飛行機の機内食についてきたチョコレートを2個食べ、ずっと持って回っているバナナチップを少しつまんだ。6時25分くらいにそろそろ下に降りていこうかと思っているところにリーナとビクトルが部屋までやってきた。慌てて用意をする。今日はパーティの後リストビャンカへ行くのかと思っていたら、彼らも今日はインツーリストホテルに泊まり、明日の朝早くマイクロバスでリストビャンカに戻るので持っていくものはカメラだけでよいと言われた。でもパスポートや現金を部屋に置いていくのは心配なので、ジャケットの内ポケットに入れて持っていくことにした。

 インツーリストホテルに行き、コートをビクトルたちの部屋に置き、1階でイーラを待つ。イーラは大学を卒業し、この9月から働いているということだった。イルクーツクのおばあさんの家に住んで、子供たちの養護施設で働いているようだ。すぐにイーラがやってきて、7階のもう一つの部屋にコートや荷物を置いた。そこで真っ赤なドレスのきれいな女性が出てきたのでびっくり。バイカルホテルのマネージャーをしているジェーニャだそうだ。今日は彼女の誕生日でもあるそうだ。みんなで2階のレストランへ行く。今日のパーティの参加費は一人350ルーブル(円に換算すると1400円とかなり安い)。レストランの3分の1は普通にやっていて、アコーデオンカーテンで仕切った向こうがパーティ会場で飲み物や食べ物が用意されていた。私たちは7人のテーブルで私の右にイーラ、左にジェーニャ、向かいにはビクトル、その右にリーナ、左にコーリャ、短い方の側にコーリャの妻ガーリャが座っていた。みんなバイカルホテルの人のようだ。最初に雪娘が出てきて「新年おめでとう。来年がよい年になりますように」みたいな挨拶をして、その後はお客さん参加のゲームをいくつかやって、私も2つに出た。最初は日本では12月31日に鐘をいくつつくかという問題が出され、108と答え、前に出され誰でも好きな女性を一人連れてきてくださいといわれ、近くのテーブルにいた金髪の可愛い女性を連れて戻った。そこでお正月にビールを飲み過ぎた時のポーズや何かいくつかやらされ、賞品として小箱をもらった。二つ目はなぜか指名され(外国人は私一人だったせいか)5人ずつ2つのチームに分かれ、メンバー全員がアルファベットを書いた札を持ち、司会の雪娘が問題を出し、5人が並び変わって答えの単語を作るというものだ。私は答えがすぐにわからないので、元気な女性たちに引っ張り回されてあちこち移動した。幸いにも私たちのチームが接戦の末勝った。後はダンスで、古いアメリカの曲やロシアの曲、ディスコチックなアップテンポな曲やスローな曲、いろいろあり踊りなれていないので汗だくになって踊っていた。イーラはこういうのはあまり好きでないらしく、最初のうちは一緒に踊っていたが、ちょこちょこといなくなっていた。ビクトルとリーナに送ってもらってホテルに戻ったのは1時半だった。明日は7時半にバスでリストビャンカへ行くというのですぐに寝た。

12月26日(木)
 朝、7時半にホテルに迎えに来るというので早く起きなくてはと思っていたら5時に目が覚め、まだ早いのでもう一度寝て、次に6時に目が覚めたので起きて準備をした。7時半に準備をして1階のロビーで待っているが、ビクトルとリーナは一向にやってこない。8時半になってもリーナたちはやってこない。どうしたのだろう?確かに7時半だと言ったのにもう1時間もロビーで座って待っている。今日はナターシャのところへ行かなければならないのに、そして今日中に帰ってきたいのに。8時40分にやっとリーナ、イーラ、ビクトルがやってきた。寝坊してマイクロバスに乗り遅れたとのこと。こちらは6時から起きていたというのに。タクシーで行くことになり、ビクトルがつかまえた。後ろに彼ら3人が乗り、私は助手席に乗った。町を走る車はまだライトをつけて走っている。道路は全く雪がなく(周りの雪景色が嘘のように)、車は80〜90キロで走っている。丁度出勤時間帯なのか市内に入る車は多く、渋滞しているが、郊外へ出て行く車は少なく私たちの車は快適に走っていく。小さな丘をいくつも登ったり下ったりして、両側には雪の積もった白樺林が続き、同じところをずっと走っているような気がする。9時をすぎるとようやく明るくなり、前方の空が朝焼けで赤くなっている。しばらくすると黄金色の太陽が少しずつ登り始め、上空に向けて黄金の光の帯がまっすぐに1本伸びている。その幻想的な光景に見とれているうちにバイカル湖が見えてきた。岸辺の近くはもう凍っている。

 先ずイーラの家に行く。ビクトルとリーナは仕事に行くと言ってバイカルホテルへ行った。リーナはホテルの医者として、ビクトルは電話技師として働いている。イーラが朝ご飯を作ってくれた。といっても昨日のインツーリストホテルのパーティのテーブルに残っていたものを持ってきてお皿に並べただけだが。暖かい紅茶を飲みながら朝食を取った。なぜか暖房が効かないと言って、イーラが温水ヒーターの水を捨てていたが、ちっとも温水にならない。電気の温風ヒーターをつけてくれたが小さいので部屋は暖かくならない。リーナからブラーン(スノーモービル)に乗らないかと電話がかかってきた。1時間1000ルーブルだそうだ。イーラはあまり気乗りしない様子だった。

 12時過ぎにジーマが帰ってくるとブラーンに乗ろう、山の上まで登っていけるし、そこからの眺めはすばらしいし、林の中は木に雪が積もってとてもきれいだというので行くことにした。リーナに電話してもちっともつながらないので、ジーマと二人でホテルのリーナのところまで歩いていった。ビクトルにブラーンに乗るところまで送って行ってもらわないといけないのでちょっと待ってくれと言われ、その間に模様替えをしてきれいになった部屋を3つ見せてもらった。新しい木製のベッドの入っている部屋や、部屋が二つに分かれていて、最初に応接セットやクリスタルの食器の入った戸棚が置かれている部屋があり、その奥にやはり新しい木製のベッドが置かれていた。トイレと風呂も大きくて白いタイルが貼られていてきれいだった。その後外に出てしばらくバイカル湖を眺めていた。天気は快晴で日が当たっているのでそんなに寒さは感じない。ちっともビクトルがこないのでこちらから行こうと100mほど歩くと丁度ビクトルが来るところだった。

 リストビャンカへ行く途中で、左側に入り、新しい木ばかりで造ったホテルのそばにあるブラーン乗り場へ行った。自分のコートは脱いで、スキーウェアのような服を借りて、ズボンの上からはき、ブーツも貸してもらい、ヘルメットをかぶり、手袋も雪が入らないように長い専用のものを借りて出発。ただ後ろに乗せてくれるのかと思っていたら、自分で運転するので驚いた。ひとまずジーマに運転してもらって私はジーマの後ろに乗る。途中でジーマと運転を代わったが、右側のハンドルにアクセルと緊急エンジン停止ボタンがついていて、左側のハンドルにブレーキがついていて、後はエンジンのオン・オフスイッチがあるだけの簡単なもので私にも運転できた。上り坂の時にはエンジンを吹かさないと登らないし、曲がり角はスピードを落としてゆっくりと曲がらないと曲がりきれない。下り坂でちょっと油断していたら道から外れ、木にぶつかってしまった。ほとんど止まりかけの状態だったので、けがはなかったが、スノーモービルを出すのが大変だった。山の上まで登り、そこからのバイカル湖の眺めはとてもよかった。以前歩いて登った山と同じだ。山を下りてイーラのアパートまで行き、イーラを連れて行く。スノーモービルを貸してくれた人の後ろにイーラが乗り、私とジーマが別の1台で走った。ジーマはスピードを出して走りたいらしく、前を行くイーラのスノーモービルとの距離を広げ、とばして一気に追いつこうとしている。こんなところでひっくりかえって足の骨を折ったりしたら大変だと心配していたが、無事だった。山の中を走り、大きな原っぱのような所へ行き、思いっきりスピードを出して走ることができた。でも平坦ではないので、スピードを出すと揺れて結構スリルがある。イーラもここで一人で運転させてもらっていた。持ってきたポットで紅茶を入れてくれて、クッキーをつまみながら飲んだ。12時45分に出発して2時半過ぎに戻ってきた。2時間で2000ルーブルかと思ったら、1時間半だから1500ルーブルでよいと言われ、得をしたような気持ちになった。3人で十分楽しめて1500ルーブルなら安いものだ。ビクトルが車で迎えに来てくれていて、イーラの家に戻った。

 ナターシャの家へのお土産を持って再び出発。ナターシャの家に3時に行くと準備をして待っていてくれた。スノーモービルに乗りに行くときに、ビクトルがナターシャの家によって3時に私が行くと伝えておいてくれたそうだ。夫のサーシャが家の外でオームリの薫製を作っていた。マクシムはおみやげのピストル(光って音がして、振動もする)が気に入って、ずっと手から離さず時々撃って喜んでいた。弟のアンドレイとお母さん(入院していると聞いていたのに)もいた。傾いた床の上に置かれたテーブルいっぱいに並べられたサラダやチーズ、ハムを食べながらウォッカで乾杯した。ナターシャの家は電気を止められているので、ローソクをつけているそうだ。電気代を払っていないからだ。サーシャは風邪を引いていて熱があるというので元気がなく、ウォッカも飲まず、ジュースを飲んでいた。弟のアンドレイができちゃった結婚で結婚したと聞いていたので、彼の妻にもマフラーを買っていったのに、なんと妻は家出してしまったという。8月17日にサーシャという男の子を産んで子供を置いて出て行ったそうだ。不幸な家庭にはこれでもか、これでもかと不幸が押し寄せてくるようだ。以前も電気が止められてローソクを使っていて火事を起こしして、しばらくイルクーツクに住んでいたが、また火事を起こさなければと心配だ。お腹がいっぱいになったのでバイカル湖の岸辺を散歩しよう熱のあるサーシャを残して出かけた。岸辺には薄い氷が張っていたが、まだ船は走れるようで、バーブシュキンという大きな船が丁度港に入ってくるところだった。その先にアンドレイの乗っている船が停まっていて今度夏に来たときには乗せてくれると言っていた。外はもう真っ暗になっていて、ナターシャの家に戻るとローソクではやはり暗い。写真を撮ったり、話をしてながらたくさん食べたのでトイレに行きたくなり、最初は小の方だと言ったら、家の外で適当にということだったのですませたが、しばらくすると今度は大の方にも行きたくなり、そういうとライターを明かり代わりにして持って外に行き、屋外にあるトイレに連れて行ってくれた。板で囲ってあり、真ん中に穴があるトイレで、冬場だからあまり匂わないが、夏はくさくてたまらないだろう。マイナス20度くらいのところで用を足すのはさすがに寒く、長くしゃがんではいられない。7時に迎えに来てくれるようにビクトルに頼んでおいたので、トイレから戻るともうビクトルが家まで迎えに来て待っていた。

 ビクトルの車でイーラの家に戻ると、まるで天国帰ってきたように明るい。ナターシャのところでできたてのオームリの薫製を1匹食べ、あと4,5匹は持っていってホテルで食べろと言って包んでくれたのでイーラの家にあげた。リーナたちも私がオームリの薫製をもらってくるのを期待していたようだ。イーラの所でも食事をしたが、少ししか食べられなかった。イーラも翌日は仕事があるので今夜のうちにイルクーツクへ送ってもらった。イーラのところで飲んだワインの酔いも手伝って車でイルクーツクへ行く1時間はウトウトしていた。

12月27日
 朝起きると足が痛い。昨日スノーモービルの後に乗ったのも結構疲れたようだ。昨日はシャワーも浴びずに寝たので、朝、髪を洗って、シャワーを浴びようと思って裸になり、お湯と水の栓をひねったがなんとお湯が出ない。仕方なく服を着て顔を洗うだけにした。テレビによると今の気温はマイナス20度。天気は昨日とうって変わって曇っていて粉雪がうっすらと積もっている。

 10時にホテルを出て電車で市場へ。ハムやソーセージを売っているところで牛肉のハムとベーコンを買った(234ルーブル)。ホテルに戻ったら冷蔵庫に入れておかなくては。ルーブルへの両替ができるところを探してうろうろしていたら寒さのために耳が痛くなってきたのでサーカスの建物の中にあるカフェに入ってブラックコーヒーを飲んだ(6ルーブル50カペイカ)。本物のコーヒーかと思ったらインスタントだった。日本の10分の1以下の値段だから仕方ない。急がば回れで、とりあえずホテルに戻って両替できるか聞いて、できなければインツーリストホテルまで行って換えるしかない。今日はとても寒いので当てもなくうろうろすると凍えてしまう。ホテルの近くまで戻って来るとなんとそばに銀行があるではないか。そこで両替をした。100ドルが3110ルーブル。再び電車に乗って市場へ。先ずデパートの南にある有料トイレで小用を足す。4ルーブルで扉は上と下がない中間だけのものが3つ並んでいて、私が入った一番奥のものは便座もないし水洗タンクのふたもないというしろものだった。大の方でなくて良かったと思う。その後デパートを見て回り、子供たちへのおみやげを探すがなかなかない。結局533ルーブルの懐中時計を買った。他にチョコレート4枚(1枚20ルーブル)とイクラの缶詰(1缶120ルーブル)を4缶買った。露天でタオルを売っている店を見つけておいたので、リーナのところでもらった茶碗とポットのセットを包むのにカラフルな色のタオルを5枚買った(1枚60ルーブル)。ちょっと高いけど厚い地のまあまあ良いタオルだった。すっかりリュックが重たくなり、また電車に乗ってホテルまで帰ってきた。荷物をまとめるとスーツケース半分にほとんど入ってしまうが重い。

 リーナと2時にホテルのロビーで待ち合わせていたので、下に降りて待っていたがなかなか来ない。おみやげ売り場をのぞいていたらバイカル湖のビデオCDが売っていたのでいくらか聞いたら、150ルーブルというので3種類あったビデオCDを1枚ずつ買った。20分ほど遅れてレーナがやってきた。レーナが家から乗ってきたタクシーでレーナの家へ。いつものレーナの友達は来られないということだった。レーナの家に着いて中にはいると最初にカーチャがいた。10年生ですっかりきれいになっていて驚いた。5年前に初めて会ったときはお人形さんのように可愛かったが美人になった。でも勉強の方は怠けていて、あまり成績は良くないとレーナは言っていた。姉のアーニャは大学2年生で彼女もすっかり美人になっていて、一体レーナに似たのか父親のボーヴァに似たのか、どちらだろう? レーナも今でこそすっかり太っているが、私が初めて会った6年前はほっそりとしていて美人だったので、彼女の血を引いているのかも。レーナの友達のスヴェータが今日の料理をいろいろ考えて作ってくれていた。彼女はレストランのコックとして働いていて、今日も午前中仕事をして、帰ってきてから急いで作っているが間に合わなくてごめんなさいと言っていた。3時過ぎにはすっかりテーブルの上に料理が並び、スヴェータ、レーナ、アーニャ、カーチャ私の5人で食べ始めた。最初にシャンパンを開けようとしたがなかなか開かなくて、スヴェータ、私、レーナとやってみたが開かず、最後にスヴェータが栓もとばさず、中身もこぼさずに上手に開けた。今日いろいろとスヴェータが作ってくれた料理は彼女のオリジナル料理で、すごい才能だ。今回は特に巻物が3種類もあり、手の込んだものだった。しばらくして、レーナの夫のボーヴァが帰ってきた。彼はもうすでに飲んできているらしく、かなりできあがっていた。スヴェータの夫が両足切断して来られないのでタクシーを呼んで彼の家へ行く。すぐ隣かと思っていたら、ちょっと距離がありタクシーで5分くらいかかった。以前次男を連れてきたとき子供たちだけでスヴェータの家に行ったが、歩くと15分くらいかかったようだ。せっかく車いすを買ったが、スヴェータのアパートはエレベーターがないので外出するときは大変だといっていた。スヴェータの夫はソファーに座ってテレビを見ていたが、元気そうだった。両足切断というよりは下半身がなかった。毎日家でテレビを見ているようで、テレビで日本のことをやっていたと話してくれた。レーナの所から持ってきた料理でまたウォッカを飲んだ。車いすはベランダに置いていた。外に行くときしか使っていないようだ。私たちはまたタクシーでレーナの家へ戻った。飲んだり、踊ったりして10時過ぎにホテルまで送ってもらった。

12月28日(土)
 朝4時に目が覚めた。冷蔵庫のコンプレッサーが入るとうるさくてウトウトしただけだった。7時に起きたが昨日のウォッカが残っていて食欲はない。結局このホテルの朝食は1回も食べなかった。昨日レーナのところでもらったおみやげをスーツケースに詰めたが、なかなか閉まらない。いろいろと入れ替えてみてようやく閉まった。9時45分頃ホテルを出て昨日両替をした銀行に行ってみたが今日は休みだった。最初の日にイーラが行った銀行も休みだった。とりあえずキーロフ広場の氷像の写真を撮りに行った。ヨールカの前の氷像の前で写真を撮っていた親子連れ(4歳くらいの男の子を連れていた若い夫婦)に頼んで写真を撮ってもらった。母親が液晶の画面を見ながら撮ってくれたが、後でみたら写ってなかった。シャッターの押し方が弱く、スタンバイ状態で彼女は写ったと思ったようだ。キーロフ広場の横にアンガラホテルがあるのでそこに行って両替をすることにした。玄関を入るとすぐ正面左側に交換レートを表示した電光掲示板があったのですぐにわかった。ここで100ドル両替した。これで荷物の重量超過料金を払える。すぐそばにある3つの教会、イルクーツク州役所、永遠の火の写真を撮って11時過ぎにホテルに戻った。部屋のベッドに寝転がって休憩した。胃が少し痛くなったので、今回初めての薬(正露丸)を3粒飲んだら治った。

 12時5分前に超重いスーツケースをかかえて1回のロビーに降りていき、チェックアウトの手続きをすます。電話代(着いた日と今朝の2回日本へかけた)323ルーブルを払って、ワレーラの来るのをロビーで待っていた。12時20分にワレーラとスヴェータのお母さんがやってきてスヴェータに持っていってほしいという荷物をどかっと預かり、私のリュックは一杯になってしまった。スヴェータはお母さんからの荷物はイクラ2缶、板チョコ数枚と聞いていたのにお兄さんからのチョコレートや何かもあり、リュックはポンポンになった。スーツケースはとても重いし、この中に入れるかと聞かれたが、とても入らないのでリュックに入れると言った。空港までは20分くらいで12時40分には着いた。346便のウラジオストク行きは予定通り飛ぶようで一安心。

 荷物検査とボディチェックがあるのでここでスヴェータのお母さん、お兄さんのワレーラと別れた。幸い荷物検査は何も言われずに通過。まだチェックインはやっていなかった。待合室でチェックインが始まるのを待っていたが、一向に始まらない。1時20分過ぎからようやくチェックインが始まった。荷物の重量超過料金を取られると思っていたが大丈夫だった。国際線では取られるだろう。スーツケースを預け、リュック一つになってほっとしておみやげ屋をのぞいたら、オームリの薫製や松の実などが売っていた。買いたいけれどもうリュックにも入らないし、あきらめて飛行機の案内が始まるのを待っていた。しかし一向に放送がない。出発時間2時10分になってもうんともすんとも言わない。2時頃に乗り遅れたと思って男の人が走ってやってきて、346便はもう出発してしまったかと聞いていたが、まだだと聞いて安心してトイレに行っていた。日本では5分でも遅れるとちゃんと表示されるのに。待合室で待っていると暖房で暑いので、外へ出るのを待つ部屋があり、そこで待っていた。目の前にダリアビア航空のTU−154が停まっているので、たぶんあの飛行機だと思ってみていた。燃料補給が終わり、私たちの荷物を乗せた車が出て行ったがちゃんと飛行機に載せたかどうか心配だ。2時半過ぎくらいに何かの放送が入ったがよく聞こえなかった。なんだかペテルブルグというのが聞こえたので、私たちの乗る飛行機じゃないと思っていたが、念のために空港の人に聞いてみたらこれだというので搭乗券を見せて外の部屋に入った。外への待合室への出口に便名、行先の電光表示板があるがこわれているのか全く表示されていない。放送を聞き逃したら飛行機に乗れなくなってしまう。

 飛行機までは歩いていき、飛行機の前方の部屋へ行くようにと言われた。もうすでにたくさんの人が乗っていて、どうもどこかから来てウラジオストクへ行くという飛行機のようだ。3人掛けの席の真ん中に一人だけで座っている男の人がいたので隣は空いているかと聞くと、OKだと言うのでそこに座った。後の席に奥さんと子供がいるようだ。2時53分ようやく飛行機が動き出し、3時に離陸。ウラジオストクまでは3時間20分だという放送があった。6時20分、時差があるので8時20分に着く予定だ。朝から何も食べていないので機内食が待ち遠しい。上に上がってしばらくしてジュースを配りに来た。ファンタオレンジ又はミネラルウォーターだ。次にアルコール飲料の販売に来た。500mlのビールとピスタチオを買った(60ルーブル)。機内食は丸パンと黒パン、バター、肝のペースト、温かいものは鶏とソーセージのうちから選ぶことができ、私はソーセージにした。蕎麦の実をゆでたものの中にソーセージが2本とミックスベジタブルが入っていた。ビスケット(3枚入り)もついていた。飲み物は今日はコーヒーを頼んだが、まあまあおいしいコーヒーだった。斜め前の席に座っている男の人(60歳くらい)の左手の甲に数字の入れ墨があった。もしかして、収容所にいた人かもしれない。まじめそうな感じの人で収容所の過酷な生活で痛めつけられたような感じのする人だ。背が高いらしく前の座席との間に足が入らないくらいなのに、前の席に座っている女性はシートを倒して彼の足下をますます狭くしている。さっきからトイレのドアの調子が悪く、中に入ったら出られなくなるようで、非常ベルを押してスチュワーデスに助けを求めルーブルという事態が2回もあった。私もトイレに行ったが扉が開かなくてあきらめて帰ってきた。次にピンクのワンピースを着た女性が入ろうとしたが入れず、他の男の人が開けてくれたので入ったが今度は出られなくて非常ベルを押していた。その後何人かの人が行っても大丈夫だったので私ももう一度行ってみた。トイレのドアが固いだけで、力を入れて押せば開くし、出るときにも力一杯引っ張れば開く。トイレは相変わらず汚いし、便座は木の便座で、男の人が便座を上げずに用を足しているようだ。便座を上げようとさわったら汚れていた。手を洗おうとしたが、水が出ない。来るときの飛行機もそうだったが水が出ないのには困ったものだ。今日の飛行機にはサルフェートカもなかったので食事前にトイレに行ったら悲劇だ。それと前方の客室にいるので操縦席が見える。前方の客室の前にトイレがあり、その先が操縦室になっている。さっきパイロットがドアを開けてゴミを捨てにきた。ハイジャックをしようと思えば簡単にできると思った。もうすぐウラジオストクに着くのか、ジュースとミネラルウォーターをスチュワーデスが配ってきた。

 6時30分、ウラジオストクに着陸。気温はマイナス14度。バスで出口へ運ばれ外へ出る。手荷物受取所の前で手荷物が出てくるのを待つ。冬だからどこか建物の中で待てるのかと思っていたら、夏と同じで乗客は外で20以上待たされる。以前1999年の冬にカムチャッカからの帰りに来たときは、市内のホテルまでのトランスファーを頼んでおいたので、車の中で待っていて、荷物が出てきたという放送を聞いて取りに行ったので寒くはなかった。今年の夏は30度近い炎天下でやはり待たされうんざりしたのを思い出した。イルクーツクの空港は建物の中で待つようになっているので良かったのに。何とかしてほしいものだ。吹雪いていたりすると悲劇だろう。9時15分にやっとペテルブルグーおムスクーイルクーツクーウラジオストクの346便の荷物を出すとの放送があった。心配していた私のスーツケースはちゃんと出てきた。空港のすぐ前にあるホテル「ヴェネツィア」へ。先に仕事できているらしい日本人がいて、カードでホテル代を払っていた。商用ビザを持っているのだろうか。フロントでロシア語は話せるかと聞かれたので「少し」と答えたら、英語は話せるかと聞かれ、慌ててロシア語の方がよいと言って、明日の朝食の説明をロシア語で聞いた。今回はちゃんと食券をくれた。

12月29日(日)
 行きに泊まったときは食券をくれなかったので適当に頼んだが、結局アメリカンスタイルという朝食メニューで、ジュース、パン、バター、ジャム、オムレツ、ソーセージ、ハム、ベーコン、小さなキュウリの酢漬け、大豆の煮たもの、トマトが大きなさらに載ったもの。そしてコーヒー又は紅茶。メニューをみると250ルーブルもする。1000円だから日本のホテルの朝食と同じくらいする。12時までテレビを見たり、ベッドに横になったりして過ごす。1時にチェックアウトし、空港へ。空港の売店で、かにの缶詰を2個買う(1個300ルーブル)。安くはない。ロシアの缶詰というだけだ。12時10分くらいに手荷物検査、税関検査が始まり、無事通過。チェックインカウンターで荷物の重さがやはりオーバーしていて(31.9キロ)、ちょっと待っていてくれと言われ、受付の人が電話で係の人を呼んだ。超過料金1602ルーブルを払うように言われた。両替しておいて良かった。最後に出国審査。審査官の女性は愛想が良く「ダスビダーニヤ(さようなら)」と言ってくれた。その後ボディーチェック。ここではあらかじめ小銭を出して通ったので無事通過。2階の待合室には12時半に着いたが、まだ1時間以上もここで待っていなければならない。売店も閉まったままだし、何もない。椅子だけが置かれただだっ広い待合室にただ色を添えているのはヨールカだった。テレビも1台あるが、全然おもしろくない。待合室は暑いので帽子もコートも脱ぎマフラーはリュックにしまった。待合室にはバラバラと乗客が増えてきて50〜60人になったようだ。待合室は幸い禁煙なので長時間待っていても苦にならない。イルクーツクも禁煙だった。ハバロフスク空港は昨年たばこの煙が充満していて大変だった思い出がある。新潟への飛行機は予定通り飛び、1時間の時差を戻して2時15分に新潟に着いた。
 

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