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県学労ニュース306号     2004/6/15発行
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豊田西高校、今年も一部国公立大学受験者の激励に出張命令!?

豊田西高校の激励出張

 行政文書公開請求により2004年1月から3月までの豊田西高校の大学、高校への出張について旅行命令書、復命書等を請求したところ、今年も名古屋大学、名古屋工業大学など一部の国公立大学を受験する生徒のための激励、直前指導が行われていたことが明らかになった。

 県学労は従来から受験日の朝、大学を受験しようという生徒に対し、試験会場で激励や直前指導を行うのはやりすぎであると批判してきた。

 試験会場前で自分の学校の生徒に声をかけ、健康状況を聞き、忘れ物の確認をする。そんなことのために8名もの職員を半日、公費を使って出張させるのは明らかに過保護とともに無駄遣いである。

 そんなに心配ならいっそ受験会場には保護者同伴で行くように指導したらどうだろう。

 そうすれば一部の大学受験者だけでなく大学受験者全員に対して健康チェックや出欠確認、忘れ物チェックができ、何かあったら即座に保護者が対応できるので学校としても安心ではないか。
 

 大学進学指導に熱が入る余り、生徒の自主性、自立性を育ててこなかったのか、それとも当日受験指導に行かなければならないほど上記の6大学受験生には問題があったのか。

 他の大学を受けた生徒たちは職員の激励や直前指導なしに立派に受験しているとうのに、どうして彼らには過保護なまで職員の指導や激励が必要なのか、その理由がわからない。

 大学入試という高校3年生にとっては大きな試練に際し、一人で責任を持って受験するという気概を培わず、周りの大人たちがあまりにも手を出し、失敗のないようにサポートするというやり方が本当に生徒たちのためになるのだろうか。

 目先の○○大学何人合格という「成果」にだけ目を奪われ、自立できない社会人を作ってしまったら大きな損失である。甘やかしの構造を見直し、生徒の自主性、自立性を育てることに力を入れてもらいたい。

 新任者は減額  6月期末手当

 6月のデータ報告のとき、新任の期間率が期末手当、勤勉手当ともに30%であることを間違えないようにというメールがきた。

 従前は3月2日からの3ヶ月が在職判定期間だったので、期末手当は60%であったのに、12月2日からの6ヶ月が在職判定期間となったために勤勉手当と同様30%に値切られてしまったのだ。

 一昨年の給与改定交渉の折、こんな話は出ていたのだろうか。私たちの怠慢だが、判定期間が長くなることによって不利益を被る者がいることを提示したのだろうか。昨年の6月期末勤勉手当支給期には気づかなかったのはなぜだろう。

映画紹介
       チルソクの夏 名演小劇場で7月2日まで上映中

 
 2003年7月7日、長い間途絶えていた下関とプサンの高校生の関釜陸上競技大会が再開された。
 その大会を切り盛りしている体育教師郁子は自ら25年前この大会に参加していた。

 時はさかのぼって1977年7月7日、関釜陸上競技大会がプサンで開かれ、下関の高校の陸上部に所属する仲良し女子4人組が参加した。

 彼氏がいるのは真理一人だけ。巴と玲子はこの競技会で韓国の高校生安大豪(アン・テイホウ)にひかれる。一方2人に惹かれた安くんは郁子に一目惚れ。その夜、彼女に会いに下関の高校生が泊まっている宿舎を訪れ、郁子を呼ぶ。木に登った安くんと宿舎のベランダに立つ郁子は来年また競技会で会おうとチルソル(七夕)の約束をし、安くんは郁子の住所を聞く。

 下関に帰って郁子と3人の仲間は来年の競技会に向けハングルの勉強を始めた。「イル、イー、サン、サー、オー、ユク、チル、パル」、かけ声をかけながらグランドを走る。

 郁子はハングルで安くんと文通を始めるが、父親は「朝鮮人とは付き合うな」と怒鳴り、安くんのために編んでいたマフラーを引きちぎった。

 一方の安くんの母親もおじさんが日本人に殺されており、日本人とつきあうことに反対する。

 大学の受験勉強の妨げになるからと、郁子は安くんに文通を止めるよう手紙を出す。

 そして翌78年7月6日、下関での関釜陸上競技大会の前日に開かれた歓迎夕食会で郁子達女性四人組はピンクレディの「カルメン」を振りをつけて歌い、韓国の高校生に大受け。韓国からは安くんがイルカの「なごり雪」を日本語で歌う。

 歌の途中で韓国の教師に「日本の歌は禁止されている」と制止され、安くんは会場から連れ出される。

 翌日競技会のあと、郁子と安くんのことを案じる三人の女の子は、展望台で八時に郁子が待っているという手紙を安くんに渡す。なかなか現れない安。郁子はあきらめずに待つ。やがて一時間も遅れて安は走ってきた。

 花火を見ながら二人で四年後に再会することを約束して別れるが…。

 四人の女の子がきらきらと輝いてまぶしいくらいだった。高校生時代、誰もが経験したであろう切ない思いが胸を打つ。今から約30年前、日本の大人達は朝鮮人をどう見ていたのか、そして韓国の大人達は日本人をどう見ていたのか。(た) 

  

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