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県学労ニュース296号     2003/12/17発行
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自衛隊のイラク派兵に反対する!

 自衛隊が「自衛隊」としていられるのは、四方を海に囲まれた国内で専守防衛を果たしている限りである。

 米英両国は国連にも加盟しているイラクに対して、核兵器を保有している危険な国と断罪し、国連の決議も得られないままに二〇〇三年三月二〇日、一方的に戦争を仕掛け、占領した。その後イラク国内を探索した結果、核の保有を確認することができないでいる。さらに生化学兵器を保有しているとマスコミにリークしたが、こちらも確認できていない。今や、米英両国の行為は国際的に批判されなければならない。

 誤爆かどうか知らないけれど、肉親を殺されたり傷つけられたりしているイラクの人々の恨みや怒りを買うことは当然である。

 それでも米英軍は占領軍として駐留し続けている。

 政府は、そんなところに、米英軍の援軍として陸上自衛隊約六〇〇人が車両二〇〇台、重火器を携えて、航空自衛隊は航空機八機、海上自衛隊は艦艇二艘、護衛艦二艘を派遣することを決定した(「イラク人道支援特措法に基づく対応措置に関する基本計画」)。

 他国から見れば「自衛隊派遣」は軍隊派遣でしかない。

 太平洋戦争の反省に立って、「再び武力を持って国際紛争の解決としない」と戦争放棄をうたった憲法を作り、世界に「平和国家日本」を認めさせてきた国策をいま大きく踏み外そうとしている。
 
 それは、日本という国が「憲法」という最高法規を改正することなく、法をねじ曲げて運用することができる「無法国家」に成り下がることを内外に宣言することでもある。

 わたしたち公務員は法を遵守することを宣誓し、国民の付託に応えることを約束した。

 私たちは憲法違反の自衛隊イラク派兵に強く反対する。

 一方、すでに戦乱に巻き込まれ蹂躙されたイラクの国土を復興させることは必要である。そのために日本が果たす役割は大きいと思う。

 米英軍を撤退させ、国連に権限を委譲した後、復興支援活動に日本の技術力を注ぐべきである。


 
校内全面禁煙4月から
 教育委員会は私たちの永年の要求であった校内全面禁煙を決め、12月15日付けで職場に通知した。各職場では、職員への周知と校門前や玄関先などへ掲示するなど周知徹底をはかるとともに、早急に対策を!
 

もう止めない?
ボーナス支給時の厚生諸費明細書配布

 とても目減りして大いに不満な「12月期末勤勉手当」支給時に、厚生諸費明細書をわざわざ自治センターまで取りに行ったが、まったく無駄な労力ではないか。

 というのも、給料担当者ならわかるとおもうが、毎月の明細書受領時はこれだけでなく、給付金の明細書、支出個別表等の受領もあり、まだ受領に行く意味がありそうに思えるが、期末勤勉手当時は厚生諸費明細書のみなのだ。

 それもほとんどの職員は厚生諸費合計は〇円。福祉貯金の臨時積み立てをした一部の職員のみ金額がプリントされているので、実際に必要としている人数は一つの職場で一〇数人あればよいところだ。しかも、各学校の端末で打ち出される給与個人別明細書のC口座の金額欄をみれば、福祉貯金の臨時積立額がわかるのだから、これも本当に必要なのかどうかわからない。

 しかし、明細書は全員分を打ち出すので、とても用紙を無駄づかいする。そして、わざわざ出張して取りに行かなければいけないので、各学校の事務職員の時間を半日近く無駄にする。更にそれを待つ福利課職員も無駄な時間を過ごすことになるというものだ。

 もういい加減、止めたらどうだろう。それこそ、事務の合理化ではないかしら。

韓国・ 歴史探訪の旅6(2003/8・1〜4)

 旅行最後の日。この日はこの旅行の一番大切なイベント、東国大学の日本学研究所への本の贈呈式が行われ、教員・学生との交流が待っているのだ。そんな時に便を催したらどうしよう。冷や汗をかきながらバスに乗り込み、大学の校舎に入る。幸い大学に着く頃はずいぶん収まっているように思えたが、トイレの位置だけは確認しておいた。

 大学では研究員の呉先生(三好達治を研究しているんだって)と崔先生、助手の尹さんが対応してくれた。

 「日本人についてのイメージについては、一九一〇年から植民地にされていたから、祖父母からいろいろ聞かされ、余りよい印象を持たなかった。ところが、若い人を中心に日本に関心を持たなければいけないと考えるようになった。特にサッカーのワールドカップで非常に盛り上がった。日本人のワールドカップの関心と一致した。いまインターネットでの交流が増えている。」ということだった。また「韓国人の最低限必要な生活費は一〇〇万W(約一〇万円)ぐらい必要だ」とのことだった。さらに「南北統一への関心については、若い人を中心に北朝鮮へのイメージをよくする運動がされている」などと聞かせてもらった。

 韓国では従来よいイメージのなかった日本や北朝鮮について、善隣交流を進めるためあえて過去の過ちを深く追及することを抑えているのかも知れない。

 大学を後にしてロッテ免税店とキムチ土産店に寄り、これまで時間がなく買い物ができなかった人々はいろいろ買い物をし、荷物を膨らませて空港に到着した。ガイドが大韓航空のカウンターで飛行機のチケットをそれぞれに渡そうとしたら元新聞記者のM氏がいない。まだ時間に余裕はあるが、みんなで待っていても仕方ないとガイドとK氏を残して、出発ロビーで待つことにした。きっと空港の外でタバコを吸っているだろうと皆で予想しあったが、案の定、そうであった。27番ゲート、一番奥の搭乗口からの出発だ。時間までには全員そろって椅子に腰掛けて待っていた。

 18時50分ごろ仁川空港を飛び立ち、順調に日本に向かった飛行機のモニターが名古屋を通り過ぎて北上している。少し心配になりかけた頃、再度旋回して15分ほど予定時間から遅れて名古屋空港に到着した。強風のためだった。これで今回の旅行も無事終了。(おわり)
 
 

 

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