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県学労ニュース282号     2003/5/21発行
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土日試合引率で振り替え休暇
     修学旅行等長時間勤務は12時間が限度
            勤務割り振り変更で出勤簿はどうなる

 この4月から土曜・日曜の部活動で公式試合に生徒引率をした教員は旅行命令を受けて、振り替え休暇を取るか、特殊勤務手当の支給を受けて振り替え休暇をとらないか、自由選択になったようだ。
 これは勤務の適正化を図るという名目で、教員の研修権を狭く解釈し、今までの労働慣行を教育委員会が一方的に破棄したために教員組合が反発し、校長会と組合が週休日および時間外勤務について合意した結果であることがわかった。
 教員の場合、行政職員とは違って超過勤務が認められておらず、限定4項目(生徒の実習、学校行事、職員会議、非常災害等で臨時または緊急やむを得ない場合))について教職調整額で対応するとした給特法が作られた。
 ところが、特別活動として部活動があり、運動部では教員が監督しなければ大会に参加できない決まりになっている。大会
に参加できないとなれば、高校生は日頃の練習成果を試す機会を失うことになる。そこで変則的に出てきたのが、特殊勤務手当なる手当である。出張命令はできないが、日曜日等に生徒付添したから手当を出すというもの。おかしな制度である。これの見直しがはかられた点は評価すべきだと思う。
 修学旅行等、泊を伴う生徒の引率はもっと大変。超過勤務を命ずることができないから、1日12時間以内(実際にはもっと長時間労働をしているはずだが12時間を超えたら、ただ働き)の勤務命令をし、8時間を超えた勤務について振り替えをするということになったようだ。事前に勤務時間割り振り表を各職員に提示しなければならないが、本当に1日の勤務時間を12時間以内にできるのだろうか。勤務実態と勤務時間をきちんと合わせるということで始まった今回の大騒ぎだが、泊を伴う生徒引率の場合、勤務時間をきちん
と守ることができるのだろうか?生徒の事故につながらなければ良いが。
 また、家庭訪問や保護者会、校内の会議などで勤務時間外になった場合も勤務時間の割り振り変更を行うこととなったが、この割り振り変更についても週休日の振り替え簿のようなものを適宜用意しておき、職員に提示するとともに文書として保存しておかなければならない。
 教員が振り替えを平日の午前4時間とると、事務処理としてどうしていいのかわからない。教職員課に問い合わせたところ、出勤簿はその日を空欄のままにしておくということだそうだ。処理されない日が出現する。本当にそれでいいのか心配であるが、校長会と愛高教との合意だけで、事務職員に知らされない了解事項があるというのも変である。教職員課ははっきりとした指示を出すべきだろう。

1500万円の校門付き築庭
岡崎商業高校100周年記念事業で寄付
 

 県学労が入手した02年度寄付状況資料によると、周年事業実行委員会からの寄付は岡崎商業高校始め16校が受けていた(下表参照)。
 金額順に見てみると何回か県学労ニュースでも取り上げたが、本来寄付受納できない(学校設置者としての県が本来整備するべきものである)校門を含む築庭の寄付を受けた岡崎商業高校が1500万円で最高額である。続いて新城高校の陳列棚、表示・掲示板、陳列台の796万円、安城南高校の体育館用幕やカーテン、ライトの623万円と続いている。
 周年事業を機に学校が欲しいものを実行委員会に要求してはいないだろうか。
 本来周年事業は学校ができてから一定の期間が経過し、それを在校生、卒業生、職員等が祝うというものである。記念に学校に何か寄付をしようという自発的意志を否定するつもりはないが、実態はどうもそうではなく、学校が欲しいものをおねだりしているようである。
 集めた膨大な資金の大部分を学校への寄付に充てるというのは、いかがなものだろうか。
 また、再三県学労が指摘してきた学年会計から支出される卒業記念品費は寄付の強制であるという問題点については、多くの学校が理解し、卒業記念品を廃止している。
 その中で、春日井西高校始め12校が引き続き卒業記念の寄付を行っている。
 春日井西高校の時計塔63万円を始め津島北高の長椅子55万円、西春高校の案内板52万円など一覧表のとおりである。
 金額的には一人当たり1000円か2000円程度であるが、本人の自発的意志によらずに学年会計として集金されたお金の中から支出されるというのはおかしい。春日井西高校始め12校の再考を促したい。
 
 










映画
「裸足の一五〇〇マイル」 名駅南「ゴールド劇場」で上映中
 

 1931年のオーストラリア。アボリジニの混血の子供を本人や親の承諾もなく、強制的に白人社会に適応させる「隔離同化政策」によって、3人の少女が強制的に収容所に連れていかれた。
 そこではキリスト教の修道女による教育が行われていたが、それは下僕として白人社会に順応させようとするものだった。 大自然の懐に抱かれた生活をしてきた彼女たちはそこを脱走し、追っ手を巧みに欺き、また偶然にもすれ違いながら、約二四〇〇キロもの距離を九〇日間で歩き続け、母の待つ故郷にたどりつく。
 この映画が事実に基づくドキュメンタリーであるという重みを感じてほしい作品だ。(わ)





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