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県学労ニュース280号     2003/4/23発行
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土曜・日曜の対外公式試合引率は出張?
週休日の振り替えを!
 
 この4月から教育職員の勤務時間適正化が行われた。

 その中では土・日の部活対外試合の引率を出張で行うことができるようになり、週休日の振り替えが行われることとなった。 勤務時間の適正化の話し合いの中で愛高教と校長会で申し合わせが行われたらしい。

 事務職員はこの4月になって突然教員が土・日の部活対外競技生徒引率の代休をとりたいと言ってきてびっくり!

 組合と校長会の申し合せもいいが、事務職員は寝耳に水で、双方から話を聞いてやっとどういう申し合せがなされたのかを知ることとなったというのではこまるのだが。

 それによると今まで学校運営の都合上、土・日の部活指導は教員特殊業務手当を支払うこととし、代休を与えてこなかったが、この4月からは練習試合や校内部活動以外は旅行命令を出し、代休をとることもできるようにするという。
 
 しかし、代休とせず(当然旅行命令もなされず)に今までどおり教員特殊業務手当を支給することもできるという。ただし代休にするか特勤手当にするかは本人の意向を尊重して行われるという。ただ、学校運営上の支障の有無を考慮して校長が命令するかどうか判断する余地も残しているそうだ。

 しかし、二人の教員が同じ日に同じ部活の対外試合に生徒を引率して行き、一人は特勤手当、一人は旅行命令されて代休をとるということが可能なのだろうか。

 監査のときに「同じ業務をしているのに二人の勤務形態が違うというのはどういうことか、何を基準に旅行命令しているのか」と聞かれたときに明確に答えられるだろうか。また、対外公式試合は旅行命令しているのに、練習試合はどうして命令しないのかと言われたときにも明確な判断根拠を示すことができるのだろうか。
 
 対外公式試合の解釈についても曖昧で、事務職員の間では特勤の3号該当と考えている人もいるようだが、愛高教情報によると「練習試合を除く対外運動競技等とする」ようだ。どうやらそうではないらしいことがわかる。

 せっかく代休をとれるようにしたのなら、原則代休、ただし学校運営上支障がある場合のみ教員特殊業務手当とするべきであろう。また部活動を正規の勤務と認めた以上、対外公式試合とそれ以外の部活動を区別するのもおかしい。同じように原則代休がとれるようにすべきだろう。

 付け加えて、事務処理をする上で、いつも困らされる事務職員にも申し合わせ事項なるものを知らせてもらわねば困る。
 

学校基本調査で電子政府?    よしてほしいなあ

 各学校とも昨年秋に試行して、この4月に実際の学校基本調査の入力をしていることだろう。 試行した者が転勤などした職場は無事に入力できただろうか。さぞ困ったことだろう。

 まず文部科学省にインターネットを使って仮パスワードで接続し、3日以内に接続しないと無効になってしまう正式パスワードをもらう。

 正式パスワードで学校基本調査のページに接続し「学校基本調査総括表」をダウンロードする。しかしこれはPDFファイルだから直接書き込めない。一旦コンピュータにダウンロードして保管する。「卒業後の進路状況」も別のファイルとして保管する。

 このPDFファイルを開いた状態でインターネットエクスプローラー(IE)を開き、PDFファイルをドラックしてIEの画面に貼り付けると、やっと書き込めるファイルになるのだ。最初から全ての項目を入力するのではなく、去年のデーターが文部科学省にあるのでこれをダウンロードする。そしてそのデータの変更部分を修正していく。これは初めて担当になった職員には大変なプレッシャーを与えるだろうと思う。

 書き終えると、今度はチェックボタンを押して、入力データの間に矛盾がないかどうか確認する。矛盾があればその部分が赤字になり、どういう間違いがあるかメッセージが表示される。訂正後、もう一度チェックボタンを押してOKが出たら表の一番下の「一時保存」というボタンをクリックする。表の左上に「送信中」という赤い表示がでる。これがなかなか消えないのだ。不安にさせられる。次に「卒業後の進路状況」に移ろうとすると、ファイルを一度閉じて別に保存してあるこのファイルを開き、同じ手順で繰り返す。

 むやみにいろいろなルールが入っていて、コンピュータ嫌いを増やすだけではないか。これが電子政府というものか。一言二言文句を言いたくなるシステムである。

血の味 沢木耕太郎著
新潮文庫 本体476円
 
 「深夜特急」が大ヒットしたエッセイストの小説「血の味」。鋭い感性でエッセイを書き続ける沢木氏の小説というので、非常に興味を持って読んだ。

 文章の組み立て方は私がそれまでに読んだ彼のエッセイ「敗れざる者たち」などと同じように感じた。

 まず結果としての状況を語り、その者の過去に入っていく。そして回想が終わると現在に戻って、その者の深層心理をえぐるという手法。誰もができるというものではない。そこが沢木氏のすばらしいところだ。

 15歳の少年が殺人を犯して少年院に入る。少年院では優等生だった主人公が出所すると、院内で世話してくれた篤志面接委員が世話して、彼の息子の会計事務所に雇ってもらうことになった。彼の息子の税理士と女性事務員との3人の事務所は居心地がよく、やがて大学の2部に入学。税理士の資格や公認会計士の資格も取った。結婚もして子供もできた。過去は遠くに消すことができたと思っていた。

 しかし、手に残った血の感触は、今まで乗ったことのなかった昼間の電車が地下を抜け、地上に出たときの高架のプラットホームのむこうに広い河原と、傾きかけた赤い夕日をみたときよみがえってきた。

 そこから中学時代の回想が続く。彼は中学2年まで野球部でショートを守っていたが、陸上部の顧問の強い勧誘があって二股をかけて陸上の大会にも出た。やがて、幅跳びに夢中になって3年になって陸上部に移った。陸上部では有能な幅跳びの選手だった。しかしある時、優秀なコーチに指導を受けて記録を更新した時、空中に浮くことの恐怖感を持ってしまった。先が見えない不安感なのか、違った世界が見えてしまう恐怖感だろうか。彼の人生の歯車を狂わせ始めた。

 受験勉強のリズムの中、銭湯に夜遅くはいることが組み込まれた。そこにオカマが現れ、彼の興味が誘い込まれる。殺したのは実の父。沢木氏がこの本でいいたかったのは「異邦人の風景」ということか。重い読後感のある本だった。(わ)

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