****************
県学労ニュース273号     2003/1/7発行
****************

県学労は昨年、育児休業者の扶養手当認定基準を緩和させました
 従来、育児休業者を扶養認定するときは、毎月向こう1年間の所得を推定し、認定条件に当てはまるかを確認してきましたが、今年4月からはほぼ県学労の要求してきた方向で認定条件の緩和が決まりました。
 12月の給与改定交渉での「育児休業の開始時に扶養を認定すれば、育児休業期間中は認定する」という改善提案です。わたしたちの要求に一歩近づいたので一定の評価はするものの、育児休業開始時には多くの育休者に育児休業手当金(給料の30%分)や期末勤勉手当が支給されるため認定されないことになり、子供の誕生から1年経過後の全く無収入に近い状態になったときの所得に対応できていないということで、ほかの組合が「条件の緩和」だと宣伝していた時、県学労はさらに育児休業開始時に認定できない場合も一年後に認定を見直すよう要求しました。
 その結果、わたしたちの要求が入れられ、育児休業開始時に認定されなかった場合でも生後一年を経過した時点で再度調査をし、認定基準を満たしていれば、それ以後育児休業期間中認定することになりました。
  きめ細かく要求を積み重ねる県学労の活動成果のひとつとなりました。
  しかし、その一方で嘱託職員の一月からの減額改定を止めることはできませんでした。
  期間を一年と定め、月額報酬額を定めて労働契約を結んでいる嘱託職員(用務員や介護員など)に対しても正規職員が一月から二%ほど減額されるのに伴って、減額改定するという。労働契約しているものを一方的に減額すろことはできないと抗議しました。すると、後日教育委員会給与グループの回答は、人事課が労働基準監督署に問い合わせたところ、口頭提示でよいという返事をもらっているということでした。回答を得ているといっても、労働者が口頭で減額されることを承諾したむねを当局として確認事項として記録しておくべきではないかと再度詰め寄ったのですが、それについても名古屋北労働基準監督署で確認したが、いらないということでしたと回答してきました。 そんなことでは働くことでしか収入を得られない労働者は一方的に労働契約を切り下げられても文句を言えないではないか。労働基準監督署の姿勢を正したいと思っています。
 今年もみなさんのご支援をお願いします。

────────────── 
厚生諸費の明細
ボーナス時は廃止せよ
────────────── 
 先の12月期末勤勉手当時に明細書を自治センターまで取りに行きましたが、とても無駄なことをしている気がしました。
 というのも、給料担当者ならわかることですが、毎月の明細書受領時はこれだけでなく、給付金の明細書、支出個別表等の受領もあるので、まだ取りに行く意味がありそうに思えるのですが、期末勤勉手当時は厚生諸費明細書のみで、それもほとんどの職員は厚生諸費合計は〇円。福祉貯金の臨時積み立てをした一部の職員のみ金額がプリントされているのです。しかし、これも職場で打ち出される給与個人別明細書のC口座に振り替えられる金額欄をみれば、福祉貯金の臨時積立額以外にないのですからわかるというものです。
 紙の無駄、出張して取りに行く事務職員の時間の無駄、それを待つ福利課職員も無駄な時間を過ごすことになります。

渡邉のいきあたりばったり中国・蘇州、南京、上海の旅9(2002.8.20-24)

 8月23日、上海はフリー行動日とした。京劇が土日しか上演しないというので、何かしらやっている人民広場近くの「大世界」前に午後6時に集合することにして解散した。
 Aさんは魯迅や宋慶齢故居などを回るといい、Bさん親子は預園にいくという。私たち親子も昼頃預園にいくので、会えたらご一緒しましょうといって別れた。
 午前九時過ぎにはすでに30度を超え、歩くだけでぐったり疲れてしまうほどだ。
 一〇時に寄った中国共産党第1回大会が開かれた「一大会址」入り口は近代的な建物で、共産党成立期から現在までの全国大会の説明があり、その建物見学を終えると横の出口から旧一大会址の建物にはいることができた。
 最初の部屋で、会議中の人形の中で、スポットを浴びて立って説明しているのは毛沢東だった。毛沢東は今も健在なのだ。
  ここから1qで預園だからと歩いたのが間違いだった。着いたときはぐったり。ガイドブックに紹介されていた小龍包を買って、店先で食べることにした。店頭の売り場の前には長蛇の列。やっと順番がきたと思ったら、売り切れ。次の小龍包が蒸せるまでチケットさえ売ってくれない。待たされること一〇分。一蒸籠一六個入りで八元。二つ買って、息子と前の建物の階段に腰掛けて食べる。立って食べている人、欄干に腰掛けて食べている人様々。Bさんたちが来たら分けてあげようと思っていたが、結局全部腹の中。食い終わって土産物を物色しているとBさん親子がやってきた。食事はまだというので、食堂に入る。私たちはすでに食事をしていたのでかき氷を食べた。Bさんは息子さんが疲れたというので一度ホテルに戻るという。別れた後、息子がジャンボ小龍包を食べるといい、ストローで中のスープを飲んだが、外の皮は固くて食べられないらしい。私たちもホテルに戻ることにした。
  五時半、ホテルから出なかったBさん親子と一緒にタクシーで「大世界」に行く。六時ちょうどにAさんも来たので入場することにした。一人三〇元(日本円で五〇〇円弱)で、時間によって雑伎も手品も映画も演劇も全部観られるところだ。ちょっと古いアミューズメント。越劇が七時からというので、会場内の食堂に入って、食事とビールで腹ごしらえ。越劇の会場には老人が二〇人ほどいた。場末の映画館のようなすえた臭いのする劇場では、捨て子を育てる人情話を生演奏付きで演じていたが、AさんもBさんもすぐに飽きて、先に帰ってしまった。私は途中で帰るのがもったいなくて最後まで息子をつきあわせてしまったが、京劇でさえ人が集まらず、観光客の多い土日しか上演しないのだから、古い演劇は廃れていく運命なのだろう。

 

県学労ニュースのトップページへ戻る| 県学労のトップページへ戻る