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県学労ニュース255号     2002/4/9発行
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  今年の人事異動
  専門員をなくし、主査を複数配置する
                                     しっかり仕事分担を持って欲しい!

 今年の人事異動の特徴はまず、行革(事務所の統合など)の影響でしょうが(専門員の主査への名称変更の人数を除いても)250名ほどの大異動となったことです。次に主任主査なるものが発令され、専門員が全て主査に変わったことです。そのため、一つの職場に複数の主査が登場することになりました。
 教育委員会総務課が以前から言っていた「主査は会計事務をチェックするためなくてはならない職だ」といい、専門員とは違うと言っていたことはどうなったのでしょうか。専門員も主査も変らないということでしょうね。また、チェックする人数ばかりを増やして実務をこなす人数を減らしてしまっていいのでしょうか。
 主査というのは待遇改善の一環で実質的にはいままでどおり一スタッフとして実務をしっかりやってもらわないと困るんですと注意してもらいたいものです。
   また、今年の主査級主任の昇任は全て女性でした。
 女性の昇任差別を反省した結果でしょうが、でもその平均年齢は47.1歳とまだまだ遅い昇任です。
 生徒数減少の影響で今年も春日井南、日進西、稲沢、平和、津島、祖父江(定数減)、昭和、豊田西(流用解消)などで事務職員の数が減っています。そんな時にポストばかり増やしてどうするんでしょう。

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 主査のほうが多くなる
 事務長会って変ですね
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 今年の人事で主査の複数配置校が一〇数校増えました。そのため事務長会の構成員の割合が当然のように主査が過半数を超え
ています。ところが、事務長会の役員はほとんど事務長ばかりですので、事務長たちのために過半数の者は会費を上納するというやくざな団体になってしまいました。
 事務長と主査では職務上で大きな違いがあります。そろそろ本来の名称どおり「事務長」だけの職能団体に戻ったらいかがでしょうか。そして主査たちは事務研究会がありますから、そちらで研究をされたらいいと思いますが、いかがでしょうか。

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給料個人別明細書、端末打ち出しで手間増えたら困る給料担当者かな
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 先日の書類交換会で年度末年度始めの給与事務説明会がありました。
 そこで給与個人別明細書の端末機での打ち出しに変更する旨の説明がありましたが、用紙は汎用用紙だというのですから、普通のPPC用紙に打ち出されてくることになるということです。
 すると、打ち出した用紙を個々人に分けるには裁断機やカッターなどで切り分けねばならないことになり、大変手間が増え、きれいに切り分けるために神経を使うことにもなります。
    教育委員会の経費と手間は削減できるかもしれませんが、そのために県立学校の方に負担がしわ寄せされてはかないません。学校現場からの要望で始まるわけではないので、せめてミシン目の入った用紙の配布か、販売斡旋をしてもらいたいものです。

ミレー展    (名古屋ボストン美術館)3/16〜9/1   1200円

 2点の「種をまく人」が17年ぶりに同時展示されるというので話題になった名古屋ボストン美術館に4月7日(日)に行ってきました。
 本当は平日にゆったりと鑑賞したかったのですが、2度チャンスを逃したので、混雑することを覚悟して出かけました。
 案の定エスカレータ前で15分ほど待たされ、入場してからもなかなか進めない状態でした。でも話題の「種をまく人」を過ぎると少し早く動けるようになりましたが。
    ミレーと言えば「種をまく人」と「落穂拾い」が有名です。彼はまだ肖像画や宗教画が中心であった一九世紀中葉に農民の生活を描くことで絵画の世界を広げました。そして1860年ごろになると、コンテによって描いた繊細な線にパステルや水彩で彩色するという新しい世界も開拓しました。更に1870年ごろには印象派のような描き方も現れており、まさに時代の牽引車でした。
 さて、1850年にサロンで発表した「種をまく人」はボストン美術館のものか、山梨県立美術館のものか。見ての感想として山梨県立美術館のものでなかったかと思います。
 推理はこうです。
 先に描かれたのはボストン美術館のものということはいままでの研究で判明しています。作品的にはこちらの方が躍動感があって優れていると思いました。しかし、まだ宗教画の世界から抜け出せていなかった美術界でこれを発表するのがためらわれたのではないでしょうか。その後の彼の作品の多くも静的な作品が多いことでもわかるのではないでしょうか。ひょっとして自分でも作品に驚いたのかもしれません。そこで慌てて再度同じ物を描きながら、少し腰のねじりも腕の振りも小さくして衆人の批判をかわしたのではないかと考えるのですが、いかがでしょう。
 そんなことを考えながら絵を見るのも一考かと思います。(わ)
   

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