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県学労ニュース249号     2002/1/8発行
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成績主義導入の画策を許さない!
  勤評D、E判定をされた者に対する勤勉手当の一部カットや、昇給延伸、特別昇給からの除外、昇格(3級から4級など)の不実施などの提案が当局からなされていたが、第2回目の交渉が12月27日におこなわれた。
 先ず、前回の宿題であった3点について説明があった。
 第1に、他府県の状況については、教職員課から一部には実施している県もあるが、その内容については評価の低い人が大勢いると見られることを恥ずかしいと考えるので、どの県もはっきり言わないという。ほとんどの県ではまだ勤評で給与をカットするなどという暴挙はやっていないということである。つねづね国や他府県の状況をみてと、横並びを口にしてきた県当局のスタンスとは相容れないものである。
 2つ目は、他職種の者と取り扱いが違うことについて納得できないということについてであるが、先回の答弁と変わらず、人事管理上知事部局の職員と同一歩調を取ることが望ましいというばかりであった。しかし、学校事務職員だけ職務がまともにこなせない人々がいるわけでなく、他職種の中にも同じような割合で職務がこなせない職員はおり、とりたてて学校事務職員だけ先行する必要はないではないかと問うと、では他の職種の人々についても制度化すれば導入を認めるということかと反論した。私たちの主張は勤務評定D・E評定者に対してやる気を起こさせるために研修等で奮起を起こさせることについては否定しないが、勤務評定によって賃金差別を作ることに反対であるという立場である。
 3つ目に、勤評の客観性について疑義があるとの組合側の指摘に対して、総務課から「勤評が一層公平かつ厳格におこなわれるよう」今回の制度実施に当たっては指導の通知文を出すという提案がおこなわれた。その内容は「勤評は公務能率の増進という目的達成にあたって個人の能力、資質を判断するものであり、人格や人物評価を行うものではない。性別や団体の所属によって差別があってはならないこと。被評定者に不審や誤解を招かないように客観的におこなうように。」というものである。これは今までも校長会や事務長会で何回も口頭指導してきた事柄であり、それを文書化したからといって勤評の客観性が確保され、恣意性がなくなるわけではない。また総務課は客観性を確保するために現在の勤評制度は一次、二次、三次、そして総務課行政もそれぞれの立場で見ているので客観性は確保されているということを力説したが、その内容を聞くと一次評定者の判断と180度違う判断を三次評定者がおこなっているとか、総務課が勤評の内容について追及してその場で直してもらうこともあるなどという話であり、いかに勤評が恣意的におこなわれており、いままで指導してきても客観性とはほど遠いものであったということが逆に浮き彫りになっただけであった。
 今回の問題は、単に「成績不良」者の給与カットの問題としてだけとらえるのではなく、成績主義、業績主義給与体系導入の突破口であると位置づけなければならない。
 12月25日に閣議決定された「公務員制度改革大綱」にも能力等級制度と能力評価、業績評価に基づく新人事制度が盛り込まれており、国家公務員だけでなく地方公務員ににも同様の制度の導入が押しつけられてくることが予想される。しかし、今回の改革が「キャリアのためのキャリアによる改革」といわれているように、第一線で国民、県民と向き合って仕事をしている多くの公務労働者の実態に全くそぐわない内容であることは、多くの公務員労組から指摘されているところである。
 学校事務の場合、どのようにして業績評価をするのだろうか?授業料の減免者数を減らし県の収入を確保すれば評価されるのだろうか。漏水で水道代を多く払うことになったら、給与が減らされるのだろうか?年休を20日とったら給与が減らされるのだろうか?本来公務員の仕事とは民間の利潤追求主義ではやれないけれども、県民や地域住民に必要な仕事がありそれを税金を使っておこなうというものである。そこに業績主義を持ち込めば、職員間で「成果(経費削減)」をあげるための競争が広がり、住民サービスの低下を招くことになるだろう。
 そもそも、今回の突然の、そして国や他府県に先んじた勤評による給与カットの背景には次のような事情もある。バブル崩壊後の景気浮揚策として大型公共事業を無計画に県債発行でやりくりしてきたために毎年三千億円を超える借金返済をしなければならなくなった。しかも常識的には万博、空港建設などとてもできない財政状況にも関わらず、これを中止する決断力もなく、ずるずると借金を雪だるま式に増やしていく不安があった。そのために、本来行ってはいけない職員の賃金カットを3年間も続けてきたが、これも人事委員会から「いい加減に止めろ」と言われ、来年からはできなくなった。そこで人件費抑制のために人員削減計画を50パーセント増しで行うことを発表した。そうした流れの中で今回のD、E判定をされた者に対する給与カットの問題がある。
 そして、D、E判定をされた者に対する給与カットの目的は総務課によると
1.D、E判定をされた者の奮起を促す。
2.D、E判定をされた者の周りの人達の士気高揚
ということであったが、果たして給与をカットされた本人が「頑張らなくて
は!」と思うだろうか、それよりもカットされたんだからカットされたように働けばよいと逆に作用するのが普通ではないか。3年間賃金カットされてきたときの自分たちの気持ちを考えてみれば明らかである。周りの人達でもD、E判定をされた者の勤勉手当が少しカットされ、昇給が延伸されれば腹の虫が治まるとでもいうのだろうか。そんなことよりもD、E判定をされた者がきちんと働けることを周りの人達は望んでいるのではないだろうか。今回の措置が問題解決にならないことは、総務 課自身が一番わかっているはずである。県学労の指摘したように今回の提案された制度はD、E判定された者を退職に追い込み、排除していくという力にはなっても、D、E判定された者がやる気を出す制度ではない。
 今回の交渉を終えて、当局はD、E判定者の処遇の問題としているのに対し、私たちは勤務評価による給与差別を認めるか否かという問題であると認識していることから論議がかみ合わないと感じた。主査の導入時もそうだった。最初は勤務評価をする職ではなかった。待遇改善になるのだから良いではないかというものだった。数年後、主査なのだから決裁するのは当然ではないかといって、中間職制としての位置付けをし始め、その翌年から勤評第1評定者としてきた。
 どんな制度も最初は自分たちに危害が及ぶように見えないものであっても、一旦導入が決まれば変化していくものであることは過去の経験から否めない事実だ。総務課の思うと思わざるとに関わらず制度がスタートすれば思わぬ効果を生み出すものである。特に今回の提案は勤務評定によって給与を抑制できたり、ボーナスをカットすることを許すことになるという恣意性の強いものであり、法律や条例で決められた私たちの給与が勝手に減らされることに道を開くものである。いつ自分がD判定を受け、個別研修、給与カットなどによりいたたまれなくなり退職に追い込まれるかもしれない。さらに本人に異議申し立て、不服申し立ての機会はなく、その代わりとなるような苦情処理システムもないという欠陥だらけの制度だ。このような拙速な制度改正はとても容認できるものではない。

 

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