県学労ニュース200号      99/11/4発行

給与抑制の提示を撤回させる
   99年度給与改定交渉

11月2日、県学労は今年はじめての給与改定交渉に臨みました。提示は下記のとおりです。
 当初県教委は給与抑制についても提示したい旨の話があったが、昨年の交渉の折り、財政計
画など詳しく説明を求めたが要領を得ず、今年8月にでた「中期財政試算」においても単に現
在の数値を単純計算しただけで、内部努力が見えないものです。組合側(六〜七団体)からそ
の話を撤回しなければ話し合いに応じられないと強い申し入れがあり、提示を撤回するとして
若干の休憩をはさんで再開された。

 まず、給与改定時期については9月21日に自治省事務次官通達があり、必要な財源が得ら
れるまで給与改定条例を上程してはならないと圧力がかかっているという。公務員給与につい
て労働三権を奪う代わりに人事委員会勧告制度を生み出したのであり、勧告を理事者である知
事も議会も尊重する義務が当然あります。

 その勧告が今年度の抑制により生じた民間との給与格差を勧告に入れないのは本来間違って
いますが、それでも勧告に基づく交渉なのですから、人事委員会の勧告内容を尊重できない提
示をする場合、具体的な説明が求められます。ここでも今年の措置に対して、具体的な歳出削
減努力が説明されなければならないと考えます。参加団体全部の気持ちでした。

 つぎに早期退職の特別措置については、取り扱いの変更のみで、個別に勧奨を強制しない、
今年から実施したいので了承してほしいということでした。すでに大阪(平成10年から3年
間)兵庫(10年、11年)が実施している制度で、本人にも組合にも悪い話ではないとい
う。そして、予想として、一年間に60人勧奨退職者が増えると見込んでいると答えました。

 調整手当とへき地手当の併給については自治省から強く是正を迫られているし、制度的に矛
盾しているので県民の公務員給与への厳しい眼からも逃れられない。ただ誰も行かないという
のも困るのでなんらかの優遇措置も必要であると考えているという。次回交渉は11月5日。

口頭提示

 1.給与改定について
 (1)給与改訂の時期について、勧告尊重が基本であるが、現下の厳しい状況から不本意で
 はあるが、きわめて厳しい対応をせざるを得ないと考えている。
 慎重に検討しており、提示するにはもう少し時間がいただきたい。
 (2)改定する際の取り扱いについて
 改定時期は別にして、改定が可能となった際は次のように対応したいと考えている。
 ■給料表は国に準じて改定したい。
 ■期末手当の年間支給割合は、国に準じて改定し、平成12年4月1日から適応したい。
 ■育児休業者に対する期末勤勉手当の支給については法改正を待って、国と同様に取り扱い
 たい。
 ■宿日直手当については国のアップ額と同額を引き上げたい。

 2.退職時特昇について 
 昨年度の交渉経過を踏まえ、平成12年度の定年・勧奨・死亡退職者から勤続20年以上1
号としたい。

 3.早期退職者の特例措置について
 新陳代謝の促進による新規採用者の確保及び今後増大する退職者の平準化等を図るため平成
11年度から3年間に限って、早期退職の特例制度を次のとおり講ずる。
 ア.勧奨基準
 勤続年数については、25年以上となっているところを20年以上、年齢については60歳
定年職種50歳以上、これを45歳以上。63歳定年職種の53歳以上を48歳以上とする。
 イ、優遇措置
 適用条文ー勤続20年以上4条、25年以上5条適用を、勤続20年以上を5条適用とした
い。
 加算率ー定年前1年につき2%。これを定年前4年以降の者は1年につき2%、定年5年以
前の者は1年につき3%、ただし上限を30%とする。
 なお、この措置は11月議会に改正条例を提出したい。
 
 4.へき地手当と調整手当ての併給調整問題について
 このことについてはきわめて強い問題意識をもっており、調整手当ての一律支給の是正か、
併給調整の実施のいずれかをやりたい。

県教委交渉報告 10・27

 10月27日、九月に出した要求書に基づく対県教委交渉がもたれ、一番最初に職員給与の
抑制について、直ちに解消するよう求めました。

給与抑制は単年度解消に向け最大限の努力を
  これにたいして、「給与抑制は単年度での解消にむけて最大限の努力をしている。7月に
『財政中期見通し』が示され、非常に厳しい状況にあるので、厳しい説明になる。取り扱いに
ついては今後給与改定交渉等で十分話し合いをしていきたい。」と答えるだけで、具体的な再
建計画を示せませんでした。また、今年度の給与抑制については、特別条例で定めたので、給
与減額の補償はないということでした。昨年給与改定交渉で説明していたことと矛盾していま
す。

  職員に県が破産寸前の状態(財政再建団体への転落寸前)なので、職員がなにもしないと
いうわけにはいかない、ともに犠牲を払ってほしいというが、それにしては中部国際空港の
建設のための漁業補償に職員の給与抑制額とほぼ同額を支払おうとしているし、水道事業の
補填に一般財源から数十億円も支出されるということが発表されています。なんのために職
員は給与カットを我慢せよというのでしょう。強く申し入れるとともに、十分な説明を給与
改定交渉でするということで、ほかの話題に移しました。

禁煙は当たり前、生徒の出入りする準備室も
  禁煙問題について、7月に総務課から調査があったが、全面的な禁煙を実施している学校
があるかどうか尋ねたところ、若干あるという。子どもの禁煙環境を要求しているポスター
を貼るよう指導している保健体育課に今の禁煙対策では足りないのではと追及したところ、
分煙すればよいというのではない。当然生徒が入ってくるようなところでは喫煙するのは間
違いであると答えました。各職場で、生徒の禁煙環境を整えるためもこのことを十分理解し
てください。

管理課の示した寄付の基準今後厳格に適用すると約束
  私費負担の問題について、本来県費で負担しなければならない学校運営費だとか、修繕費
が私費で賄われている実態が財務指導でも見受けられるという。財務指導で今後とも強く指
導していきたいと答えました。次に寄付について、管理課が基準を設けたにもかかわらず、
逸脱した寄付を(冷暖房装置だとか、机・いすなど)受け入れた学校(刈谷高校や半田高校
など)があったがどうなっているのかという問いに、「昨年生徒のことを思って、あのよう
な寄付受け入れをしましたが、あのようなものを受け入れたことについては誤解を生ずるこ
とになるので、誤解の生じないように指導していきたい。なお、今年はそのようなケースは
ない。」と答えました。「今後そのようなものがでてきた場合受け入れないと理解してよい
か。」と再度確認したところ、「そういう形で努力していきたい。」と答えました。

中国西安旅行記(6)
(1999.7.11〜16)渡 邉 研 治

 今朝は街の屋台で朝食を摂ることにした。AさんとSさんはクレープに似た野菜を詰めたもの、
Oさんは豆腐の上に少し辛いスープをかけた「豆腐脳(トゥブノー)」を頼む。ともに1個1元で
ある。私は麺を細く伸ばして二つ折りにして揚げた「油条(ユーチャオ)」というものを二つ頼み、
これが8角(1角は1元の10分の1)。街の人々は朝食を摂らないか、こうした簡略な朝食にす
る人が多いらしい。

 7時半出発なので、慌ててホテルに戻って洗面などを済ませ、ロビーに降りていく。Kさんたち
が待っていた。今日は唐の皇帝の墓である乾陵と釈迦の真骨が発見された法門寺に出かけることに
なっている。運転手のLさん、案内役のRさん、KさんそしてKさんの愛弟子RIさんと私たち4
名が車に乗り込んだ。 西安はいま、来年の国民体育大会にむけて建設ラッシュ。中国各地につな
ぐ高速道路網が急ピッチで整備されつつあり、まだあちこちで工事をしている。高速道路が畑の真
ん中を我が物顔で突っ切っているのが遠くまで見える。開発、それは破壊につながるのかもしれな
い。

  ところで、私たちが車を走らせているのは高速道路のはずだが、その道路を一人の掃除人が悠長
に長い箒で掃いているではないか。交通事故の心配はないのだろうか。

 さらには近くの農作業に出掛けるオートバイがリヤカーに人を乗せてゆっくりと走っている。一
般道なのか、高速道路なのかと悩んでいたところ、料金所があった。私たちの車は料金を払ってい
たので、有料道路であることがわかる。では、リヤカーを引いていたオートバイの農民たちはどう
するのだろう。道路を渡ったり、料金所と料金所の間で出入りする生活者は生活道路ということで
無料なのかもしれない。道路脇の柵がないところも有り、日本では考えられないスタイルだ。


                 (法門寺

  2時間ほど車に揺られて少し疲れたころで法門寺についた。かなり田舎に来たみたいだ。お
みやげ屋もお祭りの屋台のようなテント張りだし、入り口前の通路では土産を手に持って商売
している人が何人もいた。彼らはウィウアーズという少数民族だそうだ。

 お寺には私たちとKさん、そして案内役でRIさんが入場した(参観料15元、博物館は1
8元)。Rさん、Lさんは門前で待つという。まず寺に入ると地下の宝物殿に入る。大理石で
作られているようなその宝物殿の中に展示されていたのはキンキラキンの金の仏像。新しいも
のではないかと思えた。そしてもうひとつの地下宝物殿に入る。ここは昔の入り口(それは1
メートル四方の石室が続く)の横を大きく広げて作っただけの本物の洞窟のように思えた。そ
こに何重にも箱に入っていた釈迦の真骨を見る。展示されているのは、真骨の入っていたとい
われる重箱が2つ。そして大から小の箱が一列に並べられ、その最後のところに仏舎利を入れ
た筒が展示してあるものが1つ。ここが発見されて箱を開けたとき、暗い洞窟の中が一瞬明る
くなったと言う。だからここにある釈迦の骨は本物だと言うのである。

 となりの建物の二階に観光客が昇っている。私たちも昇ってみることにした。Sさんが中国
語の般若心経のカセットテープを買う。
 
 参観を終えて乾陵に向かう道中Sさんが購入したカセットを流してもらう。私たちはなかな
かいいじゃないと喜んだが、運転手のLさんやRさんは迷惑そう。しばらく農村地帯を走って
いくと、陵墓が見えてきた。平地にポコッとあらわれる山。それが漢代や唐代の皇帝の墓であ
ることが多い。そのひとつである目的地、乾陵が見えてきたのだ。今までの物と比較してひと
きわ大きな陵である。細い一本の道が横たわった女性の乳房に見える陵門跡の間を抜けて乾陵
につづいていた。私たちは団体旅行で、横目に見ながら乾陵博物館(15元)がある永泰公主
墓にゆく。ここは地下の墓に入ることができて、そこに宝物が展示してある。奈良の飛鳥遺跡
で発見された美人画の壁画とよく似た壁画が描かれていた。日本の方がこちらを模倣したのか、
技術者が日本にわたってきたのかどちらかであろうことが良く分かる。そこできり絵を買う。
1セット20元と表示してあったものを半値の10元に値切って2セット買った。でも通常価格
がいったいいくらか疑ってしまう私であった。


               (公道から乾陵をみる)

 永泰公主は則天武后の怒りに触れ、17歳の若さで没した4代中宗の第7女、悲運の少女
です。

   博物館の外で土産物を押しつけてくるけれど絶対に買わないようにとKさんから注意され
ていたが、土産物を持ったこどもはほとんどいなかった。その代わり小母さんが立っていた。
私たちが相手をせずに車に乗り込むと、運転手のLさんがこどものお土産だといってひとつ
5元するところ、3つで5元で買ったという。やはり地元の人は値切り方も上手い。

 車は一路乾陵に向かう。片方の乳房の脇道を上っていった。今度はRIさんも外で待つと
言う。私たちとKさんの5人が入場する(25元)。参道の両脇にはペガサスやらくだなど
西洋や中近東の影響を受けた動物の石像が並び、その次に人物像が並ぶ。大きな門跡の内側
には唐に朝貢していた国々の使節の石像が左右に20対ほど並んでいる。しかし、それらの
像は首から上が全て破壊されていた。

               (乾陵 首のない石像)

 Kさんの説明によれば、ある時期外国人排斥運動が充満したときに壊されたのだそうだ。
巨大な権力者の墓を破壊するなら解るが、そこに朝貢してきた各国の使節像に八つ当たり
しても仕方ないと思うのだが。

  Kさんと私たち4人は山頂へ登坂した。あまり山頂に登る人は少なかったが、それでも
その途中に何人もの土産物を売る人が客が来るのを待っている。また後ろからこどもがつ
いてきてそっと土産物らしいものを私たちのからだの前に差し出すのだが、無視をして歩
き続ける。山頂はOさんの高度計のついた時計では約一〇〇〇メートルの高度になるとい
う。目の前に5メートルほどの大きさの石像が見えると、その全部を見てみたい衝動に駆
られた。どん欲な好奇心にKさんは付き合いきれず、駐車場の隅に車を回すからどうぞと、
車に戻っていた。

  OさんとSさんがどんどん先に歩いていって階段を下り、陵の下まで行きそうな勢いな
ので、声をかけて引き留める。車が陵の下まで回ってくれるものと思っていたという。慌
てて引き返すことになったが、KさんとRさんが心配で探しに来てくれていた。

 遅くなってしまった。また2時間の道のりを車を走らせて市内に戻った。そしてホテル
に戻る余裕もなく、夕食会場に出かける。今日の夕食のメインは鍋料理ダーバンジー。野
菜を炒めたもの4点ぐらいの単品を頼んで、中央に野菜をふんだんに入れた鍋が出てくる。
そして、そこにうどんのような、きしめんのような麺を入れる。うどんすきの要領だ。こ
れもまたおいしい。周囲は家族連れでいっぱいである。2級食堂の看板がかかっていたが、
1級と2級の違いはなんだろう。食事を終えてホテルまで送ってもらったが、そのまま寝
るのはもったいないと考えるのが私たちである。西門は城郭の上に上れると聞いていたか
ら、タクシーを拾って、出かけてゆく。しかし、開門時間は午後5時までだった。先ほど
から見ていたイルミネーションは日本のビアガーデンにそっくりだったが、入場できなけ
れば単なる飾り。あきらめて城内の商店街を歩くことにした。ところどころ店が開いてい
るのでのぞき込んでみたりしていたところ、陶器屋でなにやら解らない話に巻き込まれて
しまう。優柔不断な私は相手が一生懸命話し掛けてくるのをむげにすることが出来ず、店
の前から仲間がいなくなっても、「じゃあどうも、失礼します。」と別れを告げることが
できない。見かねたAさんが引き返してきて「もう帰るよ」と助け船を出してくれた。タ
クシーで無事ホテルに戻る。(つづく)

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