Densibon or Die

極私的メモにつき、たまたまご覧になられた方がどのような感想を持たれても当方は関知いたしませんのでご了承ください。


(since1999.11.17)


031118.火曜日

【モバイル機器に最適なLCフォント生成技術を開発(SHARP)】

長体・平体も生成可能らしい。これはいいかも。


031114.金曜日

【2004年は“電子書籍元年”に? ソニーが本格参入(ZDNet)】

ソニーってば、松田さんを持ち上げてきたか。なんだか「次のAIBOはこの人がデザインしました」って河森氏がでてきたときのようなミスマッチ感が…。ともあれ、ソニーというブランドを利用して、おもしろいことやってくれるかもね。一年ぐらいでもっと堅実な人にすげかえられそうな気もするけど(笑)、それまでツッパってツッパって、好き放題やっていただきたいと思う。

レンタル方式ですか。是非はともかく、考え方としては徹底していると感じられるので、本好きが感じているよりも軌道に乗る予感。

“電子ブックの全フォーマットに対応”の文字がムチャクチャ気になるんだけど、詳細な記事がどこにもないね。松田さんが行ったんだから、ドットブックにも対応するってことでいいんだよね?

それにしても、ここ最近は毎年「電子書籍元年」が続いているな(笑)

「なるほど03年は「電子書籍元年」かも ケータイ読書が急増中(asahi.com)」とか。


031112.水曜日

【電子書籍の海外展開へ住商がイーブックに出資(ZDNet)】

わたしの記憶がたしかならー、「アンドロイドMAICO」というたいへんマニアックな作品の英語版が海外向け電子書籍サンプルとして紹介されていたハズです。というわけで、もともとイーブックイニシアティブジャパンは海外展開を目論んでいたわけで、そのパートナーがようやくみつかったと。

【小説はPocket PCで聞け! 音声合成機能で時間を有効に使う(WindowsCE FAN)】

単純に時間の問題なら、耳で聴くよりも目で読むほうが速度は速いと思うんだけど、かならずしも万人がそうであるかは分かりません。


031106.木曜日

【電子ブック端末は薄く、軽く〜東芝(ZDNet)】

漫画のコマ割りって、新聞に似ているかもしれないと思った。ページサイズの中をどのように割っていくかは、ある程度の法則性を維持しつつ、表現手法に委ねられている。コマの割り方自体が表現手法に直結している。これは、文字ベースの本とはまったく違った「言語」を持っているととらえるべきだ。漫画という特異なコンテンツのデジタル化については、いくつかのプロトタイプが登場しているが、まだまだ試行錯誤が必要だろう。たとえば、Flash を上手に使ったウェブコミックなんてのもあるんだけど、それは「Flash 作品」としか呼びようのないものであって、漫画のデジタル化とは違うと思う。漫画原稿の制作環境も、どんどんデジタル化が進んでいるようなので、そのへんをふまえた連動がいずれ出てくると期待したい。

“「自宅ではPCで楽しみ、外出時には専用端末に移して視聴する。ユーザービリティと著作権保護を両立したシステムだ。鍵を貸し借りすれば他人が視聴することも可能だが、それは本を貸し借りするのと同じことだろう」(東芝)。”

この考え方は正しい。東芝にはRD−Styleの片岡氏のような人が出てくる素地があるんだから、もうちょっとがんばってほしい。

ただ、東芝が提唱しているシステムもハードもいまのところピンとこないなぁ。どうにも現状の技術のよせあつめとしか思えないし、それがうまく融合しているようには感じられない。俗に言うイノベーションってやつがここには感じられない。


031105.水曜日

【Pook Plus(アーキタンプ)】

Pook の上位バージョンのようです。

“PooKPlusは単なるDOCリーダーとしてでなく、現在商用電子書籍でのみ利用されているPooDOCファイルをより多く活用してもらうための機能追加をメインにバージョンアップしていく予定です。”

ドットブックとの微妙な関係を思う。

…なるほど、T-BreakはドットブックをPooDOCにコンバートするツールだったのね。

【池澤夏樹氏のサイトも一部Movable Type化】

ブログはすすむよどこまでも。


031031.金曜日

【書き込むということ】

読み、書くこと、これすなわち読書。許されることならば、書き込むということにこだわりたい。

シグマブックはアジアの教科書市場への普及を構想しているらしいが、シグマブックは教科書としての機能を果たすことが残念ながらできない。教科書こそ、世界中でもっとも書き込みされる書物のハズである。

三色ボールペンを使い始めてから、読み書き一体に対する想いは強まるばかりだ。

書くことを欠いた電子書籍を教科書に学んだアジアの子供たちが、どのような学習習慣を身につけていくのか。これは研究に値するテーマだと思う。どこかの大学の研究室で、ぜひ調査していただきたい。


031030.木曜日

【ハワード・ラインゴールド『スマートモブズ』NTT出版】

『紙への挑戦』はしばしお休みして、今朝から『スマートモブズ』を読み始めた。示唆に富んだテクストに酔う。

ここで指摘されている事柄は、“電子書籍”や“ビークル”に関してもぴったり重なる問題である。

エキスパンドブックが登場した頃に感じた高揚感は、スマートモブズ的な可能性を感じていた、ということなのかもしれない。それは二十世紀の終わりごろには削がれていたと思う。電子出版は、スマートモブズの流れを獲得し得ないまま、次の段階に進んでしまったのではないか。

テッド・ネルソンが提唱したハイパーテキストは、スマートモブズと適合しながら拡大していける素地を内包していたと言えるだろう。マルチメディア幻想とか、インターネットの爆発的普及とか、ITバブルとか、歴史にもまれるようにして、変容していったと思える。

【Xerox研究所、「曲がる半導体」の開発に成功(ZDNet)】

“カメラの35ミリフィルムカセットのような形状で、幅1メートル、長さ30メートルのフィルムロールを作業員が運んでいる――そんな製造現場を想像していただきたい”

わお、昨日書いた話がそのままパロアルトで開発されてるよ。

こちらの記事も。印刷によるトランジスタ形成の柔らかいディスプレー、パロアルト研(HotWIRED)


031029.水曜日

【導電インクで「しゃべる新聞紙」も可能に?(ZDNet)】

インクが変われば本も変わる。

かつて「SFイズム」の連載コラムで、神林長平氏が「コンピュータもいずれ紙に印刷されるようになって、ロール巻きみたいな状態で販売されるようになる」なんて予言していたのを思い出す。

スピーカーの回路を印字することはできないけど、貼り付けるだけでポスターがスピーカーになるような仕組みのモノなどはすでにあるわけで、あとペーパーライクなディスプレイが実現すれば、ちょっとしたパソコンが一冊の本(ペーパーキット!)として発売されるようなことだって可能になるかもしれない。

とりあえず伊達や酔狂でかまわないから、そういうのをやってみせてほしいね。


031027.月曜日

【電子書籍のキーマンが語る、今後の構想(ZDNet)】

キーマンか…。“鈴木さん”って、業界や世間に対してどれだけの神通力を持っているんだろう。

“いま、新刊の本は四六版で出ている。あれが一番読みやすいというのが、市場の答え。”

これは詭弁でしょう。その新刊を数千部しか作らないで半年で「在庫切れ再版未定」にして、しれっ文庫版を出して食いつないでいるのが今の出版業界だろうに。

“ホテルに20インチの液晶を備え付けてイーブックを提供し、お金はフロントで受け取るという取り組みもある。

 ガストに備え付けられた端末で、食事をしながらマンガを読めるというサービスもある。ユーザーは続きを読みたくなり、またガストに来るとなれば、店の売上にもつながるだろう。ほかに、病院で入院患者に向けてイーブックを提供するのもいい。”

お、この戦略は前にここで書いた展開そのまんまだな。意外と堅実にやっているということか(笑)。

「専用端末が出たことで反響がふえてきた」と言うけれど、シグマブックってまだ発売されてないですよね。数百名のモニタだけが手にしていて、ほとんどの人にとってはあいかわらず「電子書籍」というお題目だけを聴かされているのが実際なわけで。

かつて、「電子書籍コンソーシアム実証実験」という国税の無駄遣いによって、「電子書籍」という言葉を汚した張本人が“鈴木さん”であることをぼくは忘れない。

あたりまえのことだが、ドットブックだろうがアドビの eBook だろうが、漫画の版下は画像データでしか扱うことができない。シグマブックはイーブックイニシアチブに頼り続けないで、もっと積極的に日本の漫画文化の電子化、その専用ビューワーとしての道を歩んだってかまわないのではないか。手塚治虫と水木しげるを電子化したからことたれりってわけにはいかないんだから。

世間は無視して、もっとコアな分野にクサビをうちこまないか? たとえば、同人誌のフォーマットとして定番化するっていうのはどうか。コミックスタジオのようなデジタル版下作成ツールと連動して、版下作成アプリから直接シグマブックで表示できるフォーマットのデータが生成できるようにするとか。

コミケを席巻するっていうのは、かなり重要なことだと思う。コミケで同人誌の売買でどれだけの金が動くか。そこには、書店で流通しない本が売り買いされているのだ。出版社・取次・書店のルートを介さない流通経済がそこにあるのだ。ここに上手に入り込むように手を打ったら、きっとおもしろいことになるぜ。

例によって、同人誌の印刷を助けてきた軽印刷の印刷所は軒並み大変なことになってしまうのだが…。


031023.木曜日

【特集:秋の夜長はイーブックで過ごす “紙の域”に達した? 電子ブックビューワーΣBook、試用中(ZDNet)】

テキスト表示機能のことが紹介されているのって初めてなんじゃないだろうか。

【シャープ、CDMA 1X WIN向けに電子書籍フォーマットを提供(ケータイWatch)】

“「Compact XMDF plus」は、シャープとKDDIが新たに開発したCDMA 1X WIN向けの電子書籍配信フォーマット。CDMA 1X WINネットワーク経由で配信される大容量の電子書籍コンテンツを、EZアプリ(Java)対応のビューワー「ブンコビューア」で利用できる。コンテンツの縦書き・横書き、文字サイズなどを切り替え可能で、リンク機能やマスク機能などもサポートされる。 ”

ブンコビューアは、その出生のことを思うと、どうしても複雑な気分になってしまう。

それはともかく、シャープはこの先もずっと XDMF というフォーマットを非公開のままで走っていくつもりなんだろうな…。


031022.水曜日

【面谷信『紙への挑戦 電子ペーパー』】

夏ごろ本屋でみつけて、先月ぐらいにようやく買って、いまごろになって少しずつ読み始めている。技術屋さんが書いた本だが、なかなかするどい考察もあり、おもしろい。読みながらメモとったり、三色ボールペンでマーキングしたりしている。

でも、「第五回虹の海児童文学賞」の選考がはじまったので、しばらくはそっちに注力しないといけないのよね。


031017.金曜日

【立花隆氏が説く「電子書籍のゆくえ」(ZDNet)】

ふーん、思ったよりもまともなことをおっしゃいますね。シグマブックよいしょ発言でしかないとは思うけど。

著名人をかつぎだして、なんとかよいしょしてもらうことで権威付けをする。馬鹿馬鹿しい話だけど、大衆とか保守的な組織ってそういうことにコロリとやられる。

シグマブックと電子書籍コンソーシアムのトカゲの尻尾たちの選択が正しいとは思ってないけれど、なんとかうまく離陸してほしい。PDA機器オタクが「あんなもんイラネ」と言うだけで終わるよりは、よっぽどいい。


031004.土曜日

【萩野正昭/股旅ノート(Voyager)】


031003.金曜日

【「Nature」最新号、ビデオ映像も表示できる新技術採用の電子ペーパーを紹介(PC Web)】

【印刷機材の展示会“IGAS 2003”が開幕――津野海太郎氏が基調講演“比較メディア論−電子出版と東アジアにおける「ブックロード」再構築”(ASCII24)】


030924.水曜日

【本の経済価値】

古本の買い取り価格があんなに低いのはなぜか。ヤフオクでたいていの本が100円でも売れないのはなぜか。立ち読みを黙認しても、カメラ機能付きケータイで撮影すると泥棒よばわりするのはなぜか。平積みの本の上にカバンを平気で置く人があとをたたないのはなぜか。それを店員が注意できないのはなぜか。売り物の本を折り曲げたり、読み終わったら放り投げたり、なぜか。

会社の上司に本を貸したら、その上司は断りもなく家族にまで回し読みさせていた。なぜか。

俺はそれを「なぜか」と問う。問わない人をフシギに思う。が、問うこと自体をフシギに思う人もいるだろう。

かつて、とある電子書籍を読んで(その内容に)感銘を受けた人が、どうしても知人に読ませたくて転送したと告白したことがある。人々は「違法です(2ちゃんねる風に言うなら「通報しますた」)」と非難した。実際、禁止されている事柄である。しかし、その人がそうしたいと思った情動を受け止めることができない電子書籍なら、どこかが間違っている。俺の本を勝手に家族に回覧させた上司もどうかしてると思うけど。

…なんだかタイトルとちぐはぐな話になってしまった。


030919.金曜日

【Panasonic・ΣBookファーストインプレッション(Mobile NEWS)】

書き手がバリバリのPDAユーザーということもあって、非常に辛口なレポート。一見、客観的に書いてあるみたいだけど、ひたすら「悪く書いてやろう」というスタンスで書かれていて、ちょっとパナソニックが気の毒になるくらい。もっとも、自分が書いても評価は似たようなものかもしれないけど(笑)

この手の記事がおもしろくないのは、自分の感覚を絶対的正義のごとく位置づけて評価してしまうからだろうな。対象の背景についての調査や考察を著しく欠いたままに、私的な不満点を「残念だ残念だ」と書き連ね、最期には「○○が普及していくためには」といった大上段に構えたことを提言してしまう。そういうのって恥ずかしい。


030916.火曜日

【T-Break Mac 版】

8月29日に公開されていたようです。まだ試していません。ちなみに Pook を提供しているアーキタンプのサイトはいまだにマック環境からだとダウンロードがうまくできないようです。

【電子ブックをPalm向けに変換するT-BreakにMac版(ZDNet)】

ZDNetの記事になったりするのは、「週刊ドットブック」の連載のおかげか。

ブックブラウザ(エキスパンドブック)の OS X 版がとってもほしい今日この頃ですが、よく考えると、ブックブラウザが OS X に対応するということは、エキスパンドブック(ツールキット)も対応するのとほぼ同様のことになるわけで、かえって、それはちょっとないかもしれないなと思ってしまった(´・ω・`)。

【シグマブックのモニタに当選した人のレポート】

ちょっとうらやましい。たしかに500gは重いと感じるかもしれないけど、普段からハードカバーの本を持ち歩いているような本好きならその程度の重さはあたりまえだろと。これはたてまえで、実際はハードカバーの本とシグマブックを両方持ち歩くようなやぶ蛇状態になるんだろうな…

→トップの Flash がヘンな感じのシグマブックの公式サイト


030912.金曜日

【「電子書籍ビジネスコンソーシアム」設立――離陸するか? イーブック(ZDNet)】

“ΣBookでは複数のビューワを搭載できる仕様になっている。このため、マルチフォーマットに対応することは可能だ。「現在はイーブックイニシアティブジャパンと、松下電器の2種類の仕様に対応しているが、今後T-TimeやXMDF(用語参照)に対応させることも可能」(松下電器)とのこと”

よしよし、そうこなくっちゃな。あと HTML とテキストファイルも表示できるんだったら、SDカードだってなんだってバンバン買うよ(笑)

とはいえ、おそらく現段階ではなんにも考えてないと思われる。だって、ホントに考えているなら T-Time なんて言うわけない。ドットブックだろ。

【松下がΣBookで考える“ホームネットワーク戦略”とは(ZDNet)】

“早川氏は、そもそもΣBookのハードウェア自体、「量販店ではなく、書店で売る」と明言している。”

んん〜、それは書店に対して義理立てしているようにみえて、書店にとっては結果的には迷惑をかけることになるのでは。書店で高額なハードを販売して成功した話は古今例がないぞ。「書店しか売らない」という規制はおそらくできないんだろうし。

“早川氏はまた、ΣBookはDVDレコーダーとも連動すると話す。「パナソニックのDVDレコーダーは、SDカードスロットがついている。SDカードの中身(イーブックコンテンツ)を保存すれば、そこが“書庫”になる」。”

ほほう。ということは、データを“移動(コピーではなく)”させるなら、SDカードを扱えるデバイスならブックデータの保存が可能、ということか。


030911.木曜日

【「単なるデジタル技術ではなく、文化を残すための発明」――電子書籍ビジネスコンソーシアム発足(ASCII24)】

わはは、錚々たるメンツですな(笑) 電子書籍コンソーシアムに「ビジネス」がはさまって、ネクタイ締めてどこに向かうのやら鈴木さん。

立花隆氏なんて引っ張り出して、立花氏は立花氏でジェイコブソンのラストブックなんて持ち出して、なんだかなぁ。

乱暴な羅列だけど、ダイナブック、ラストブックのふたつぐらいしか、コンピューティングの世界は具体的なビジョンを持ち得ないまま21世紀に突入したってことか。メタメディアを体現したデバイスとしてのダイナブックと、メタブックのプロトタイプとしてのラストブック。ラストブックはすでに Latest ではないと思う。次のビジョンを誰かが示すべき時期がやってきている。

SDカードの位置付けについてはほんのりと触れられている程度だが、いまだにデータの扱いがはっきりとしないのは、なんとも不安。

あと気になるというか、ようやく出てきた意見がこれ。

“説明会の最後のQ&Aセッションで、記者から「端末の価格が高いのではないか。携帯電話のように、端末の値段を0円に近い低価格にして、コンテンツやサービスで収益を上げるべきではないか」と意見が出されると、秋山氏は「メーカーとして、本体(ハードウェア)で儲けを追求してはいない。コンテンツで利益を回収する仕組み(ビジネスモデル)が確立すれば、現在の想定(3万円台)の半額程度でも売れるだろう」と答えた。”

「携帯電話のビジネスモデルを導入してハードの価格を抑えるべき」。数年前から提唱してきたことだが、「コンテンツで利益を回収する仕組み」というまやかしは、場合によっては健全ではなくなってしまうかもしれない。電子書籍の価格が安くならない、ということではなく、あらゆる電子書籍にはかならずハード使用料が含まれるという点で。紙の本では取次が流通マージンを取る。電子書籍ではハードメーカーがマージンを取るようになるのだろうか。

【デジタル時代、出版業界が生き残る方策は?(HotWIRED)】

実際、オフィスで使われる紙の量は増える一方なのである。しかしながら、印刷物の出稿量は激減している。これまで印刷物として版下作成から外部に発注していた多くの資料関係が、担当者が直接PCを操作して版下まがいのビジネス文書を作成するようになり、会社備品のプリンタで出力するようになってしまったからだ。見た目の経費削減のために、これまで印刷物として発注していたものも、内部でコピーをとるようになった。ようは印刷業者が閉め出されて、プリンタ・コピー機業者に金が流れるようになったということに過ぎない。

表題の出版業界とやらのことは知ったことではないが、印刷業界に関してはそういうことだ。だいいち、出版業界はオフィスのペーパーレス化は直接関係ないだろうに。だれだ、こんなタイトルをつけたのは。原文には「出版業界」などという言葉はどこにも書いてないぞ。


030908.月曜日

紙の本を自分たちでも出せる。これは、いわゆる同人誌というスタイルで定着している行為である。しかも、コミケという市場までがすでに存在している。にもかかわらず、小さな出版社を興したいと考える人は、どのような線引きをしてそのようにするのだろう。そこには、かたくなな意志というものがあるだろう。強靱なシロモノかもしれないが、融通が利かないこともあるだろう。ただ単純に、コミケという市場とは相容れない内容である、というだけのことかもしれないけど。

出版するという行為が、紙の本から電子の本に変わったときに、同様に紙の本を出すのと同じ程度のモチベーションで動くならば、なまじ市場と呼べるものが存在しないに等しい電子書籍の世界に入門しようとする、その理由はさらに理解しづらい。

かつて「小さな出版・私的な出版」を提唱したとき、自分にとって電子出版とは、10〜50人程度の読者に対して著される書物、という考えに収斂された。が、そこまでいったところで出版活動を中断してしまったので、これが正しかったのかどうか、正直わからない。実際、100頁程度の紙の本でも、原価2000円程度で1冊から作ることができてしまうのだから。

紙の本にはない、モニタが切り替わっていくという電子書籍の肌触りのようなものが好きになりかけていた頃でもあった。

美しい電子本として、青空文庫のエキスパンドブックや、六角文庫や長谷川集平氏の電子書籍が取り上げられることもあるが、あそこまでアートな仕上がりでなくても、よくまとまったインターフェースだけで、読んでいて気持ちいいと思えることがたしかにあった。電子書籍の読み方が、身体感覚としてようやく身に付いてきた頃だったのだろう。

その時点の自分には、まだ電子書籍、電子本というものがカタチを持っていたと言えるかもしれない。

すべては過去形で語られるのだけど、現在の電子本、これからの電子本というものを語るには、まだ時間がかかりそうだ。食玩市場のような電子書籍市場がいまだ生まれないことには、非常な苛立ちを感じるけれど。出れば出たでイライラするのかもしれない。

タイムスリップグリコの音楽CDは、CDが売れないと嘆く音楽業界をあざ笑うかのように売れているのである。旧弊は打ち壊されるためにある。が、そのときに失われるものもある。どちらを愛するか、どちらの女神に愛されようとするのか。

電子書籍に海洋堂の視点を持ち込むことはできないだろうか。

もしそんな奴があらわれたら、ぼくは恐れ、忌避する側かもしれないけど。彼らは時には市場のパラダイムを徹底的に書き換え、大切にされてきた価値観さえ吹き飛ばしてしまうこともあるからだ。かならずしもすべてのひとにとってウェルカムであるとは言い難い。

それでも、もしそんな奴が暴れるようになったら、デジタル暴走族と呼ばれたこともある自分だから、やんやの喝采とともにおもしろがり、やられた、くやしいと地団駄を踏みたいね。

IT革命と呼ばれるものが有名無実であったというのは、人類にとって不幸だったかもしれない。ITがインフラや経済に成り得ないまま、偏った競争原理がこれからも進んでいくってことだろうから。「インターネットで食っていくことができる」という認識が一般化することなく、「個人ネット通販で小遣い稼ぎ」みたいなことがこれからもしばらくは横行していく。これは寂しいことなんだと思う。


030904.木曜日

【手塚作品など漫画1200冊を配信 「Yahoo!コミック」公開(ZDNet)】

中味は10daysbookですから、まぁ、そういうことです。やれやれ。


030830.土曜日

【シグマブック体験モニター】

そろそろ当選者には連絡が入りつつあるようです。何もメールがきてないところをみると、うちは選外だったみたい。


030829.金曜日

【東芝、SDカード利用の漫画配信を実験(ASCII24)】
【東芝、デジタルマンガサイトでSDカードを利用したデジタル著作権保護システムの実証運用を開始(ASCII24)】

それもこれもSDカードを売るための戦略に過ぎないんだっ(笑)

【リコー、ROM領域を持つハイブリッドCD-Rの販売を開始(ASCII24)】

こっちは画期的なコピー防止技術…のようでいて、そのうちこのフォーマットに対応したコピーツールも出てくるんだろうな。


030808.金曜日

【シグマブック体験モニター募集】

300名、2ヶ月間モニター。さっそく申し込みました。

テキストも表示できるという話しだけど、その場合どんなふうになるのか詳細がいまいちわからない。生のテキストを上手にレイアウトする機能があると考えていいのか、それとも…。

【ΣBook(シグマブック)さわってきました!(CG-Online)】

イラストレポートになっとります。電池が半年持つのは「猿岩石が持っていけるように」って発想はスゴイね。中国の教科書市場か…。「ペーパーレス」という魔法の呪文ふたたび。


030801.金曜日

【電子書店パピレスが個人出版物の依託販売を開始】

とはいえ、ものの見事にいわゆる同人誌…そっち系ですな。約三千冊のコンテンツがすでに揃っているということは、どこかの同人誌通販サイトと提携したのかな。

同人誌を同人誌というカテゴリでひとくくりにすると、エキスパンドブックなどで細々やってきたような人たちは居心地がわるいだろうね。これは本来あるべき商品カテゴリではない。いわゆる出版社と、個人出版を区別することなく、一覧されないかぎり、それはたんなる坩堝(るつぼ)に過ぎない。


030730.水曜日

【『はせがわくんきらいや』復刊】

長谷川集平氏といえば、青空文庫の黎明期を語るには欠かすことのできない方ですね。『あしたは月よう日』が出たときに、いっしょに『はせがわくんきらいや』を買いたいと思い、難波のジュンク堂で店員にたずねたら「絶版です」とつれない返事をされたのを思い出します。


030718.金曜日

【21世紀におけるエキスパンドブック】

エキスパンドブックはデータサイズが比較的大きくなるため、ネット時代には敬遠されるきらいがあったが、ブロードバンドの普及がその障壁をとりはらってしまおうとしている。

ひとつ大きな問題があるとしたら、それは OS X ネイティブなブックブラウザが存在しないということだ。

ボイジャーにとってはエキスパンドブックに関する技術は、完全にメンテナンスモードに入っているから、今から OS X ネイティブのブックブラウザが作成される可能性は極めて低い。もともと、QuickTImeが QT3 になって多くの画像フォーマットに対応したときに、それらに対応しなかったあたりから、エキスパンドブックの成長はストップしてしまっていたわけだけど。

…なんとなく祝田さんは個人的に作ってそうな気がしないでもないのだけど>OS X ネイティブのブックブラウザ


030716.水曜日

【まるで本!電源オフでも消えない液晶パネル 松下電器の電子書籍端末「ΣBook」(WindowsCE FAN)】

…こんなにベタ誉めの記事は初めて読んだ(苦笑) あんまりおめでたいので、自分の電子書籍コンソーシアム実証実験のレポートを懐かしく読み返してみたり。…四年前から何が変わったというのだろう?

“コンテンツの面では若干不安はあるだろう。5,000点の中に何冊話題の商品があるのだろうか。本と同じタイミングで登場するだろうか? 新聞や、雑誌は読めるのだろうか?と考えていくと、万人にとって魅力のあるコンテンツがどの程度あるかは、まだわからない。”

5千点。これまでシグマブックで読めるタイトル数に関しての情報がまるでなかったんだけど、もしこの数字が本当だとしたら、実証実験プラス 10daysbook の数にほぼ一致する。レポーターの人には申し訳ないが、あなたが読みたいと思うような「話題の商品」は一冊もないだろう。

ひさしぶりにこっちのページも読んでみたり(このタイトルは自分でつけたものではないので何がなんだかではある)。中華料理を指さして「フランス料理ではない」と言って悦に入る連中はこれからも絶えることがないんだろうな。

シグマブックという専用装置は、おそらく捨て石。批判の対象として叩かれることで、次のステージに向かうための捨て石。電子書籍をビジネスの土俵にすることに対して、まだまだ皆の本気が足りないと、松下が敢えて選んだ人身御供の道。

(せめて3DOと同じ道は歩まぬように…)

SDカードのメリットをもっと全面的に打ち出すといい。外出するときにはハンディな端末にカードをさして読む。家に帰ったら、もちょっとマシな装置(いつか高精細液晶を使ったディスプレイが家庭に入り込んでいるかもしれないし、大きなサイズのものがあるのかもしれない。革張りの高級感あふれる端末かもしれない(笑))で読む。SDカードがすべてを経由する。

だけどSDカードにセキュリティでしばられるのはおもしろくない、ホームサーバーにすべてのデータが格納されていて、必要に応じてSDカードにコピーして持ち歩く、そんなスタイルがのぞましい。

近鉄電車ではレンタルDVDといっしょにポータブルプレーヤーも貸し出すサービスをやっている。始発駅で借りて、到着駅で返却する仕組みだ。このビジネス手法に、シグマブックを仲間入りさせることは、そう難しい話ではないと思われるが、どうだろうか。


030709.水曜日

【サトエリがエキスパンドブックを…】

いま発売中の週刊アスキーで、佐藤江梨子が青空文庫からエキスパンドブックをダウンロードして読んでおります。なんの偏見もなく、素直に受け入れている姿には新鮮な感動がありますな。

エキスパンドブックはデータサイズが比較的大きくなる(画像を入れると顕著)ため、インターネットでの配布にはなにかと問題視されることが多かったわけですが、これだけブロードバンドが普及してくると、たいした問題ではなくなってくるわけで。

【『ヒロシマ・ナガサキのまえに』】

ボイジャーのトップページ更新につき。夏になると「やらなきゃな」と思う二つの儀式がある。ひとつはフリッパーズギターの『ヘッド博士の世界塔』を聞くこと。そしてもうひとつが、『ヒロシマ・ナガサキのまえに』のCD−ROMを立ち上げること。

【第四回「虹の海児童文学賞」受賞作品のTTZ公開】

受賞作品発表からずいぶんと時間がかかったけど、ようやく公開。みなさんおまたせしました。森しんじさんは、超絶的に忙しい時間の中、文字どおり命を削るようにしてイラストを提供してくださいました。ありがとう。

【第五回「虹の海児童文学賞」募集要項発表】

10月10日〆切り。発表は来年の3月。


030708.火曜日

【電子出版の普及は是か非か(ZDNet)】

“だいたいにおいて、出版業務なんていうのはとっくの昔にデジタル化が完了してしまっているので、電子出版に技術的な問題はない。だがこの動きに抵抗があるのは、基本的に出版という業態が、主にその物理流通で暮らしを立てているからである。

 出版社の制作業務は大して変わらないが、印刷、運送、取り次ぎ、書店といった多くの人手が必要な事業で、その部分がまったく必要なくなってしまうというのでは、抵抗があって当然だろう。このメディアのデジタル化時代に、書籍だけがこうも遅れを取ったのは、このような意図的なものが働いている。”

まったくそのとおりだ。ここに触れることなしに「出版不況が」とか御託を並べても的はずれもいいところなのである。

とはいえ、過去に写植、精版、製本など製造の部分では容赦なく既存の産業基盤を破壊してきたのも事実である。

「我を殺すな」と声のデカイところが言ったから、流通面では旧態然としたままである…などと書くと、これまた一面的すぎるのかもしれないが。

“コンテンツ商売のやり方として、CCCDやDVDからAppleの「iTunes Music Store」に至るまで、ユーザーを「泥棒扱い」するか「客扱い」するか、幅広いバリエーションがあることをわれわれは学んだ。

 そして今、コンテンツの物流とファイル交換ソフトの狭間で、デジタル著作物の価値観が再構築されようとしている。今後の電子出版がどう動いていくかは、各出版社がその商売のあり方をどう見たかということに尽きるだろう。 ”

もともと本を販売する現場では、「立ち読み」というたぐいまれなる商習慣が許されてきた。その呑気なまでにモノ主体の商感覚を考察した文献には、ついぞお目にかかったことがない。リアルな世界では、もはや悪弊として残っているだけである。「立ち読み」のもつ、全情報へのアクセス可能という側面、書店員との精神的な駆け引きによる時限感覚、本というモノに対する神聖視性。

著作権にはじまる法規制という枷でしか、現代人は自分たちを律することができないのだろうか。

まずは本屋で平積みの本の上にカバンを置いて立ち読みする奴を抹殺せよ。カード決済のサインを、レジカウンターに置かれた本の上で書かせようとする書店員を抹殺せよ。


030707.月曜日

【高精細液晶が“eBook普及ストーリー”のページを開く(ZDNet)】

なぜか「鈴木さん」とカッコ付きで呼びたくなる鈴木雄介氏であります。

それにしてもシグマブックのコンテンツ供給はイーブックイニシアティブジャパンだけだとしたら、その関係はイヤだ。

久しぶりに 10daysbook のサイトに行ってみた。手塚治虫がひととおり読めるっていうのはわるくないな。まぁ、それにしても、よくもこれだけ古い「漫画」ばかりを集めたものです。「鈴木さん」のやり方では、印刷された本をスキャニングすることが前提になっているから、紙で出版されたことのある本だけが対象になる。こうなりゃ、徹底的に落ち穂ひろいやってもらいたいとも思うけど。

村野守美が充実しているね。石の森もけっこう集まってきた。永島慎二の全集とか、絶対に紙では出せそうにないものにも挑戦してほしいが、無理ですかねぇ? 手塚治虫だって、元ネタとしてのデジタルデータが「全集ROM」として発売されていたからできたことなんだろうし。

色が着いてないとか、音が出ないとかは「お馬鹿な大衆のないものねだり」だと思うね個人的には。シグマブックがコミック専用端末の道を歩むとするなら、なおさら。我々は超絶に粗悪な紙質の週刊漫画雑誌でも平気で読むし、フルカラーのコミックだからといってありがたがって買うわけでもない。

問題は、3万円も出してコミック用読書端末を誰が買うのか?という話だ。

3万円の商品として売りつけるのはやめれ。携帯電話以降の、もうちょっとスマートな課金システムを模索するべきなのだ。それができないのなら、売り込み先を大衆に求めるのはやめたほうがいい。新幹線、ホテル、図書館、マンガ喫茶…、いくらでもやり方はある。思い切ってアンダーな路線を突き進んでみてはどうか。


030704.金曜日

【パナソニックブースはΣBookが大人気(ケータイWatch)】

1.サンプル機のオレンジ系カラーはわりと好み。もっとシャーベットオレンジだったらよかったんだけど。

2.いまさら青白画面なんてながめたくない。黒白になってから出直してください。

3.520gという重さをどうとらえるかだが、いま通勤途中で読んでいる『知識創造の方法論』が軽く500gを超えていることを考えると、個人的にはたいしたことないと言えるかもしれない。

4.ナビゲーションのためのボタンが右下にしかないとしたら、かなり使い勝手はよくないだろう。片方の手で保持して、保持した状態でページめくり操作ができるようなインターフェースが必要なのである。

5.で、SDパブリッシュでどんなコンテンツを読ませるつもりなのよ?


030630.月曜日

読売新聞、週末はドタバタしていたため、さきほどようやく読むこと
ができました。…硬質な要約文の中にも、フォーラムのとりとめのな
さがそこはかとなく漂っていて……たしかにそんな会だったな、と思
い返した次第です。

唯川女史が「パソコンの画面で読むことに慣れた世代になればどんど
ん拡がっていくだろう、書き手としてはどのようなカタチであれ、読
んでもらえることを歓迎したい」といったことを発言していたのはす
っかり忘れていました。“活字”になると、しっかりしたオピニオン
のように聞こえるから不思議です。

それにしても、映像・文学の違いはあれど、4人のパネラーの中に
「作家」が3人では、やはりバランスがわるすぎますね(じつに75%!)。
作家イコール出版する人ではない、ということは大前提として認識し
ておかないと、大森氏のように手書きだとちょうどいい疲れ具合で本
の長さが決まるなどといったトンチンカンな意見が出てきてしまう。
本の長さをページ数で決めてきたのが出版社だというのに。

萩野さんが指摘した、本をモノし伝え残していく使命を今の出版社に
頼るのは難しいという問題。軽く流されてしまった感がありますが、
「活字は生き残るか」という問いかけは、じつは紙かデジタルかなど
といった二元論ではなく、ほんとうは出版の構造そのものの限界を認
識したところからしか始まらないと愚考します。

だから「オンデマンド出版は中小出版社が生き残る手法」という松本
女史の指摘は間違いだとも思う。数はでなくても貴重な書物を出版し
ているのが中小出版社に多いからそのように思えるだけで、実際は、
それでは中小出版社が食っていけるわけがない。大手出版社が、なり
ふりかまうのをやめてオンデマンド出版に取り組むことになるのでは
ないだろうかと思うのです。是非はあれど、彼らはそうやって過剰な
屋台骨を少しずつ小さくしていくしか、生き残る方法はないでしょう。
リンボウ先生の「本にはそれだけの力がある」なんて気力・根性論は
いかにも日本的ですが、もっと明白な理由によって出版産業はゆらゆ
らとした摩天楼が崩れ去らないように必死になっている。学者先生は
そんなことはおかまいなしだからあんなおめでたい発言ができるんだ
ろうなぁと思うのですが、これも人選の問題だから、読売新聞として
は正解なんでしょうねきっと…。

電子書籍の障壁(足を引っ張る現実)はいろいろとあるけれど、そい
つらはいろんな努力で蹴散らしていくことができるでしょう。唯一の
障壁はインターネットという無料文化の蔓延、ではないでしょうか。
いまのところ電子書籍はインターネットを敵にまわし続けているよう
に思えます。どんなすぐれたオンライン書店や出版システムができて
も、だめ。こいつのブレイクスルーが発見されることこそが電子書籍
が紙の本との二項対立の呪縛から解き放たれる条件なのだと思います。


030627.金曜日

【吉川英治の『宮本武蔵』全巻セットを期間限定で割引販売(@irBitway)】

千円割引きの3800円で購入できます。6月26日から7月10日まで。XMDF。

全八巻を文庫で揃えると5592円かかりますから、通常価格の4800円も割安だったりする。


030626.木曜日

【となりのメディアの現在:音楽】

第一期:SPレコード→EP/LPレコード/カセット/(ソノシート)

第二期:CD・MD/(レコード回帰)/(DAT)

第三期:MP3をはじめとするデータ化→iTunes

なぜかメディアの形式で呼ぶ。「レコード」「CD」「MP3」。レコード屋さんは今でもレコード屋さん?

【となりのメディアの現在:映画】

第一期:映画館/プログラムピクチャー/娯楽の殿堂

第二期:テレビ放送

第三期:ビデオ/LD/DVD

第四期:ストリーミング放送/PPV/DLPシアター

映画館という公共から自室(カウチポテト)への変化。かつては個人が所有できるシロモノではなかった。HDD内蔵レコーダーは、映像メディアの iTunes 化にかぎりなく近い。


030615.日曜日

「週刊誌で俺について書いていることは全部ウソだぜ」と岡村靖幸も言った】

この日の朝刊の記事を書いた読売新聞の記者に会ってみたい。目の前の出来事よりも、自分の考えたシナリオのとおりにモノゴトをゆがめて解釈し、黒いものでも白であると言い切る厚顔だろうと想像する。

どうやら記者の頭の中では、「活字本派」なるものと「電子本推進派」なるものが争いあっているらしい。どうして新聞記者は、なんでもかんでも二項対立で語ろうとするのだろうか。萩野氏、松本女史の話を本当に聞いていたのか?

「活字本」という言葉が何度も繰り返される。もう活字を使った印刷物などほとんど製造されていないのにもかかわらず。それを言うなら、せめて「紙の本」としてくれないか。「活字本」の対向は「手書き本・写本」ではないのか。

ああ、最初から「活字本」は不滅で、「電子本」は奇矯なシロモノで、デジタル急進派(そういえば俺のことを「デジタル暴走族」なんて言った親父もいたな)のやっていることは本の持っているよさがなって云々…、そんな結論がでていたわけだ。フォーラムでどんなことが語られようと、そう結論づけるためのネタでしかなかったんだな、読売新聞よ。

今月28日には詳報が掲載されるとのことだが、「同じソースでもここまで内容を変容させて伝えることができる」というすばらしい資料になるだろう。


030614.土曜日

【第3回活字文化フォーラム「本は生き残るか」】

・当日、大阪はかなりきつめの雨降りだった。

・聴講者は50〜70歳ぐらいが圧倒的多数だった。業界関係者が多いのかと思ったが、どうもそうではなく、老後のたのしみとして「文化フォーラム」にしょっちゅう参加しているような「常連」が多かったようだ。男女比も半々ぐらいか。

・極若干名20〜30代の若者もいた。大森一樹の授業をうけている電通大の生徒かもしれない。

・リンボウ先生こと林望講演

・「高校生の○%が月に一冊も本を読まない」と言われているが、これは、昔にくらべて誰も彼もが高校に進学するようになったためで、母数の質が変化しているだけで、今の学生でも上位5%ぐらいは昔以上にたくさんの本を読んでいる。読書する人の数は、歴史的にみても、つねにほんのひとにぎりの層でしかなかった。

・日本では770年ごろには出版技術がすでにあり、100万部のベストセラーも登場している。しかしそれは仏典や経本であり、宗教の道具でしかない。まだ読書とは直結していなかった。“読む文化”はもっとあとの時代。

・かつて源氏物語を「読んだ」人は日本でも数十名しかいなかった。今のほうがよほど読まれている。

…など、このへんはまぁ、普通の話だった。その分、会場ではこっくりこっくりと船を漕ぐ人が続出。読み聞かせ文化の重要性をひとしきり語ったあと、リンボウ先生は豹変した。

・パソコンやマイクロフィルムは一覧性に欠ける。複数の本をいちどにひらいてみることができない。だから「研究」には電子本は使えない。

あなたはマルチウィンドウのOSを使ってないんですか?と、思わずツッコミいれそうに。あんた金持ちなんだから、マルチモニタにするとか、パソコンたくさん買うとかすればいいじゃねーかとも思った。あと、マイクロフィルムといっしょにすんなよ、とも。

そのあと、「本は高くない、おまえら本を買え、図書館は皆ドキュソ(意訳)」と支離滅裂な話を持ち出し、ハメをはずした内容に眠っていた聴衆も目を覚まして笑い出して、なんじゃこりゃーと思っているうちに本人おおいに満足した様子で講演を終わる。

氏の本を読んで、俺とはあわねーなーと思っていたけど、どうもメンタリティがあわないということをしっかりと認識できた1時間であった。ちなみに、この人が予定よりも10分オーバーしたことで、あとのパネルディスカッションは無駄な圧縮をうけることになる。

この講演のタイトルは「活字は永遠に不滅です」だったが、たしかに人類のほうが先に滅亡するかもしれないなと思える支離滅裂な講演だった。

・パネルディスカッション

・前からそうではないかと思っていたが、大森一樹はいくらなんでも頭がよろしくないのではないか。この人のまぬけな発言が無駄に時間を食ったために、貴重な会が台無しになってしまった感がある。馬鹿な発言を多数しでかしてくれたが、彼の本職である映画の分野の話については特に指摘しておきたい。

・彼はこう言ったのだ。「最近の映画はCGを使うようになって、どれも映像が同じになってしまっている。デジタルの欠点だ」。ではおたずねするが、あなたは自分の作品ではCGという技術をつかっても、自分独自の絵作りをしようと挑戦していると言えるのか? 他人事のように言うその姿は、どちらかというと無責任な言いぐさにしか聞こえなかった。

・松本侑子という女性はまったく知らなかったが、彼女のいかにも講演慣れしているような立ち居振る舞いはともかく、『赤毛のアン』という作品を通じて文学におけるデジタル化の恩恵と歴史について分かりやすく説明するその姿勢にはおおいに感心した。

・残念なのは、コーディネーターの吉島氏(読売新聞大阪本社編集局次長・科学部長)である。この人は、最後にパネリストに「心に残る一冊」をあげてもらうときに、「やっぱり赤毛のアンですか」と彼女を揶揄したのだ。松本女史の説明がどれだけ聴講者がインターネットやデジタルのメリットを明解に語ったか。吉島氏はそのへんをまったく理解してなかったのではないか?

・さて、萩野氏である。氏は、いつもの名調子だったと言えばそうだし、わざと飛ばしている部分もあるなとも思えた。聴講者がいかにも電子書籍などみたこともふれたこともない、ましてインターネットと電子本の違いもわからないと思えるような人ばかりだったのだから、PDA で T-Time が動いているところ、デスクトップでドットブックが表示されるところ、縦書き、ルビ、読み上げ機能などといった「ありきたりな話」に終始してもよかったところだ。おそらく読売新聞もそういう話をさせるつもりだったに違いない。が、氏は「作品/電子化形式/可読ソフト/可読ハード」といった4つの領域についての話や、架空のドットブックによる個人の作品出版システムのデモなどをプレゼンテーションした。ひょっとしたら、このあたりは自分のような、かなりハイブローな極一部の参加者へ向けてのメッセージだったのではないかと勘ぐったりもするのだが…。実際、そのデモにはかなり興奮した。なにしろそこには、これまでは既存の出版社との取り引きの仕組みとして使われてきたドットブックを、個人のレベルにまで開放しますよ、というメッセージがこめられていたのだから。

・電子出版の歴史を紹介するプレゼンテーションでは、テキストのバックに薄くモノクロームの写真をのせるボイジャーらしい洒落た画面づくりがしてあったのだが(やはり図版を表示させていた松本女史の絵作りのヘタレなことといったら!)、活版印刷の活字「文選」の様子などが使われていたりして、かなりニヤリとさせられるものだった。4枚ほどの画面だったが、最後に T-Time (PowerBook3400 と T-Time のパッケージと紅茶の入ったティーカップ)の映像につながっていくあたりがおみごとというか、さりげなく押さえているなぁと思わせるのだ。

・もうひとりのパネリスト、唯川恵は、大森一樹以上に「なにしにきたの?」感の強い女性だった。作家がみんな饒舌であるとは思わないから、たどたどしいしゃべりかたをするのはべつにかまわないんだけど、あきらか場違いな人選だった。彼女は「わたしの本も、いくつか電子本になっている“らしい”です。でも、ほとんど売れていません」と言い訳めいたことをしゃべるのだが、その言動が意味するのは、彼女は電子書籍を見たこともさわったこともないということである。そして、パネリストの中に電子書籍の草分けがいるにもかかわらず、彼女はなんの準備もしてこなかったということである(あとで萩野さんに会って話を聞いたが、萩野さんは唯川恵の本をわざわざ取り寄せて読んできていたぞ)。相手の活動をあらかじめ知っておくというのは、この手の仕事の、最低限のマナーではないのか? もし彼女たちが「週刊ドットブック」を少しでも読んでいたら、このディスカッションはもう少しまともな流れを持つことができたかもしれないと思うと、残念でならない。

・唯川恵が最後に、「今日ここに参加したおかげで電子本のことがとてもよくわかった。勉強になった。わたしも読んでみようと思う」と言ったときに、“今日の萩野さんの話はハイブローすぎてお前にわかったとは思えねぇっ”と胸の裡でツッコミを入れたことを記しておく。

・会場ではパネリストのサイン本が直販売されていたが、フォーラム終了後に大森一樹の本だけが大量に売れ残ってたのが印象的だった。じいさんばあさんの聴衆といえども、なんとも正直なものである。

・そこに、萩野さんの著作がないのはやや残念だった。T-Time のパッケージでも置いてもらえればよかったのだけど。けっきょく文化人な連中は、紙の著書のあるなしで人を評価したりするところがあるから、萩野さんは早急に『マルチメディア誕生記』と『週刊ドットブック』をまとめた本を上梓すべきである。

結局は人選のミスであり、シナリオのミスであった。コーディネーターの吉島氏に全責任があるとは言わないが、このフォーラムを企画した人間の、あきらかな企画ミスだと言う以外にないだろう。吉島氏については、もうひとつ苦言を申しあげたい。なんの配慮もなく「パワーポイント」という言葉を使っていたのはいかがなものか。スライドではだめなのか? スクリーンに資料を写す、ではだめなのか? 現に、萩野さんが用意していたのは、ひとつはたしかにパワーポイントを使って作成されたスライドだったが、もうひとつは Flash でつくられたムービーファイルだったぞ。

しかし、すべては読売新聞にとってはどうでもいいことだったと、翌朝の新聞を読んで知らされるのである。


030609.月曜日

【シャープスペースタウン 携帯電話〈J-SH53〉向け電子辞書・電子書籍サービス開始(SHARP)】

デモ機をみましたが、たしかにあの画面だったらこういう展開は十分可能。

ちかごろは、二つ折りタイプの携帯電話を開いた状態で移動中ずっと掲げ持っている人が多いですね。なんだかまるで、おじゃる丸がシャクを持っている姿みたいで、傍目には滑稽でたまらんのですが…。


030607.土曜日

【週刊ドットブック:連載第35回 ビートルズからシェイクスピアへ01(ZDNet)】
【最終回 ビートルズからシェイクスピアへ02(ZDNet)】

ここで紹介されたタイトルのいくつかをぼくは持っている。その中のいくつかはいまも宝物であり続けている。

敬愛するドナルド・ノーマン博士とマービン・ミンスキー博士、それぞれのCD−ROMが日本語化されなかったことが残念でならない。『失われたフィルム』が1巻しかリリースされなかったことが残念でならない。

当時リリースされたいくつかのCD−ROMは、現状の環境では再生することができない。それらを閲覧するためだけに、ベージュ色のマックを保存しつづけることはぼくにはできないだろう。

「このCD−ROMは、いつか結婚して子供ができたら見せてあげよう」そう思ってとっておいた。息子が3歳になって、ようやくそのときがきたのに、自分の目の前のパソコンではそれは動かなかった。いかなるテクノロジーも、文化も、時間線の上からは自由ではない。それは言い換えるなら、息子には息子の時代のおたのしみがあるということだ。

エキスパンドブックに心酔した自分にとっての T-Time とは、紙の本しか読んだことのない人間が電子書籍をみたときの驚きと困惑、受容と拒絶をはらんだものだった。ただ、T-Time がどういうものかということについては、当時の富田倫生さんのマックパワーでの連載や、ニフティへの書き込みなどで知っていたから、頭を切り換えるのもそれほど困難ではなかった。

手書きから活版印刷に移行したとき、手書きの持っている力強さが失われて、こんなものは読めないと人々は言った。

活版印刷から電算写植に移行したとき、活字の力強さが失われて、こんなものは読めないと人々は言った。

電子書籍があらわれたとき、画面で本が読めるわけないと人々は言った。

受容と拒絶は繰り返されてきたのだった。みんな、喉元過ぎれば忘れてしまうだけのことだ。

富田倫生さんの『パソコン創世記』については、連載では何も語られなかったけれど、CD−ROM版には、おどろくほど貴重な映像資料が大量に収録されている。ダグラス・エンゲルバートの伝説的プレゼンテーションの映像もあれば、富田さん自身がビデオをまわした(当時)現存するTK−80が動作する様子や、開発者のインタビュー。『パソコン創世記』という偉大なルポ同様、忘れ去られてしまうにはあまりに惜しい資料の数々。

が、それも泡沫的な時間線の上での出来事に過ぎない。だがしかし、それを手にしたときのエキサイティングな感じを忘れることができないのも、極私的な事実なのである。


030605.木曜日

【第三回 活字文化推進フォーラムの聴講券到着】

まだ若干の空きがあるみたい。ボイジャーで席を確保しているみたいなので、希望者は問い合わせてみるべし。

さて、申込項目に「質問事項」という項目があった。「スグに申し込まないと」と焦っていたので、あわてて質問を書いてファックスした。いま思えば、もう少しネタを練り込んで書くべきだった。いや、べつに書く必要もなかったのだった。

●林望先生の講演タイトルは「活字は永遠に不滅…」ということですが、現在、社会に流通している出版物のほとんどは活字・活版印刷ではなく、デジタルデータの製版出力による印刷物となっています。この事実をふまえてなお「活字」とおっしゃる。これは、林先生が活字という言葉に託している意味が、おそらく実際の活字とは違ったものを持っているのだろうと推察いたします。なぜ、「活字」なのか、なぜ我々は適切な用語を獲得しないまま、現在の状況を招いているのか。よく「活字離れ」という言葉が使われますが、この言葉のせいでしょうか。「不滅」であるところの「活字」の対局に想定されている「仮想敵」はなんでしょうか。やはり「電子本」や「インターネット」といったお決まりの「デジタルなるもの」なのでしょうか。

●「本」というものを語るときに、なぜ作家と学者の話だけが取り上げられるのでしょうか。小説と学術書を並列に語ることはもちろんできませんが、小説でも学術書でもない書籍の存在を無視することはできないのではないでしょうか。また、年間の書籍出版数が雑誌の刊行数よりもはるかに下回っている現在、「雑誌」の存在を無視したまま「本」を語ろうとするのは、やや高踏すぎるのではないでしょうか。

●ボイジャーの萩野氏は日本の電子書籍・電子出版の草分け敵存在であり、現在も電子書籍の分野では業界の牽引役として活躍されています。氏にとって、電子書籍・電子出版とはどのような意味を持っているのでしょうか。ボイジャー創設当時は、エキスパンドブックというツールを発表して、「たったひとりの読者のための本」を出版するという過激なスタイルを提唱しました。現在は、ドットブックという電子書籍フォーマット(システム)の普及に邁進されていらっしゃいます。当時から変わらない志、一貫して「出版すること(パブリッシュすること)」に対する想いがおありだとお察ししますが、電子書籍普及期とも呼ぶべき昨今、出版そのものがデジタル化に向かっており、業界の環境整備が整うに連れて、誰もがパブリッシュできる、誰もが世に問う手段としては、電子書籍はいささか遠のきつつあるのではないかと思うのです。一方、インターネットが一般化しており、ホームページをつくれば誰でも簡単に世に問うことができてしまいます。つまり、パブリッシュすることと、ドットブックビジネスとはかなりの乖離をみせていると思えるのです。それでもなお、ビジネスとしての電子書籍の推進のために粉骨砕身の努力をなさっている萩野氏の現在の心境をお聞かせください。

●本は、出版社、取次、書店の3業種が完全に取り仕切っています。一方、電子書籍はそのソフトウェアを開発したソフトハウスが主導権を握ろうとしています。ソフト会社は時に、ハード会社でもあったりします。紙の書籍をあつかってきた企業は、そのことを忸怩たる思いで巻き返しを考えているようですが、紙の出版のノウハウだけしか蓄積してこなかった業界に、デジタル化への対応はそう簡単にはいかないと思います。かといって、出版物というある意味、きわめて特殊な情報伝達媒体を生み出す仕組みを、特定のソフト会社が席巻してしまうのは、これもまた異常事態だと思います。このような相関関係において、出版を志しながら、ソフト会社としてスタートしたボイジャーの存在は、極めてユニークであり、本質的な解決策に辿り着くことのできる唯一の可能性ではないでしょうか。

●ところで、この場で映画監督であるところの大森一樹氏は何を話すつもりなのでしょうか。映画の分野でデジタル化が急速に推進している現状をふまえて、本の世界のデジタル化について語ろうというのでしょうか。

リンボウ先生が“基調”講演しでかしたり、パネラーの人選からして、読売新聞の意図は甘いなと思える。質問事項もそのあたりを意識した内容にしたつもりだが、もっとするべき質問があるのではないか、と思いながらも「時間切れ」でファックスした(ちっともあわてることはなかった)。きっとこれ以前の話で終わってしまうんだろうなと。ここよりももっと先の話をしたいのに。

泰平に黄昏れ続ける世の中を嘆くことのないつよさと、現実を妄想でごまかないでうけとめるたおやかさを両立させながらも、わかりあいながらたかめていく方法はないものか。それを忍耐といった概念でまずとらえてしまう自分の弱さはどうにかならないものか。


030523.金曜日

【「「超」整理法1‐押出しファイリング」 野口悠紀雄(PDABOOK.JP)】

文庫化に際して同時刊行とのこと。…って、XMDFなのですね。改訂補増版ということで、どのあたりをいじくっているかは気になるところ。

この本ではパソコンにおける文書管理を、英数8文字のファイル名と拡張子を組み合わせたテクニックとして紹介している。出版当初からギリギリだったけど、今の時代に即した管理方法ではないのよね。ってゆーかマックオタだったぼくは、「誰か野口センセにマックのこと教えてあげろよ」と歯がゆく思ったのもほほえましい思い出のひとつ。


030519.月曜日

【今までの人生でインパクトを受けた本10冊】

…書き出してみよう。ぼくの場合、ほとんどが10代から20代前半に読んだ本だった。30歳になってから読んだ本はどうだったか、昨日読み終わった本はどうだったか。

そのリストには富田倫生さんの『青空のリスタート』が含まれている。いまでもたまに読み返す。…そう書いて、ここ2〜3年は本棚から取り出してもいないことに気が付いた。

もっと勉強してもいいハズなのにな、と思う。25歳までに読んだ本だけが、人生の糧だなんて、たしかにそうかもしれないけれど、それで済ませていいはずがない。これから読む本にも、もっとインスパイアされていきたい。

ドストエフスキーは何冊読んだ? 正直に告白する。ぼくは1冊しか読んだことがない。高校時代に1冊読んで、とてつもない厭世観にとらわれて、それからまったく手をつけていない。この先も生きていくのなら、ドストエフスキーぐらいは読破してしまいたい。

手塚治虫は何冊読んだ? 富野アニメは何本観た? タルコフスキーの映画は何本観た? 吉永小百合が出ている映画は?

たった1冊を選ぶなんてことはできない。でも10冊ではものたりない気がして、11冊目から書き出して、15冊目でペンが止まった。これ以上はインパクトも何も、たんに自分が読んでおもしろかった本の列挙でしかない。

このリストを、書き換えていくだけのインパクトを感じる読書体験ができるか。それは、書物の内容ではなくて、読む側の姿勢なのではないか。二十歳の青年のように、本との対話の中で、自分の人生に「これを読んでしまったから、俺はもう読む前の自分には戻れない」と思うことができるだろうか。

今できなければ、残りの人生でそれを獲得することはできない。


030514.水曜日

【モバイル・キーワード:XMDF(ZDNet)】

いままで意識したことがなかったけど、「ブンコビューア」なのね。「ブンコビューワ」と勘違いしてた。

【週刊ドットブック:連載第34回 自分で「本」をつくるということ (ZDNet)】

“電子出版の新機種を導入するともっぱら噂でもちきりのソニーが、これも開催直前になってキャンセルしたとかいうことで、まるでようすを明らかにしなかった”

そんな動きがあるのかぁ。ソニーは余計なことはしないほうが…ゴホゴホ。


030509.金曜日

【電子ペーパー、実現に向け前進(ZDNet)】

え?“「電子ペーパーに最も近い」ディスプレイ”って、いままでの試作品って電子ペーパーじゃなかったのか…。「E Ink が目指している(実現目標としている)電子ペーパー」という意味だろうけど。

彼らは E Ink つまり「デジタルのインク」を名乗っているのに、作っているのは「電子の紙」という分かるようでよく分からない名称を与えられていて、それらは紙ではなくフィルム状のものである…。ここには電子本とか携帯情報端末よりもはるかにややこしい根元的な誤解の元があるように思えるのだがどうか。

電子ペーパーという言葉にまどわされてはいけない。“「われわれの研究により、高品質の電子回路を非常に薄く、柔軟な基板上に形成できることが証明された」”。この言葉の持つ可能性は大きい。湾曲した構造のすきまに電子回路を組み込むことができるようになるということであり、たとえばちょっとした回路を紙筒にまるめて入れることだってできるだろう。あまたのプロダクトデザインが根底から変革していけるかもしれないってことではないだろうか。奇抜なアイテムの登場を夢みる今日この頃。

【第3回活字文化推進フォーラム】

ウェブページもできていたのね。大阪中之島の中央公会堂で萩野さんが吠える…ぜひ拝聴したいと申し込んでみましたが…。


030507.火曜日

【ドットブック版『新世紀へようこそ』(池澤夏樹)最新版ダウンロ−ド開始:第1号から第100号まですべて収録(ボイジャー)】

一時期中断していたのだけど、最近また読み始めています。

以前、このようは補増版のリリースは控えるべきではないかと書いたけど、このブック限ってはどうもスタンスが違うみたいなので、むしろ定期的な改訂・補増を推奨。ただ、あんまりサイズが大きくなるといろいろ不都合もあるので、100号までがひとつの区切りでいいのではないかと思う。


030502.金曜日

【iTunes Music Storeは“バランス・オブ・パワーを変える”(ZDNet)】

またエキスパンドブックの話。年寄りの繰り言でしかないが…。

初代エキスパンドブックには「ライブラリ」という機能があって、個人の蔵書管理が容易にできるようになっていた。これは2代目エキスパンドブックでは失われてしまったが、柔軟なノートブックや「親ブック」を自作することで対応できた。T-Timeに至っては、それらもすべてなくなってしまった。HTMLをちょいと工夫することで管理できなくはないが、ちまちまとそんなことをやっているヒマがあったら、他のブックを読みたいと思う。

iTunes や iPhoto のブラウジング能力は、仮に文書管理にも有効だろうか? ハイパーカードの時代、スタックでつくられたテキスト管理データベースを愛用していたことを思い出す。

電子出版が紙の本のように世間に浸透していくなら、蔵書管理は必須の機能となるだろう。誰かが解決するべき問題だ。iTunes 4 は蔵書管理と商品の視聴と購入を一本化してしまった。

そういえば、アドビはこれを実現してるんだっけ?


030430.水曜日

【究極の全部入り端末〜シャープの「J-SH53」を激写(ZDNet)】

携帯電話は埒外に置いていたのですが、いまどきのケータイは320×240ピクセル表示ですか。XMDFに対応しているとは聞いていましたが、専用フォントも搭載しているようだし、この表示領域なら読書環境としても十分イケそうです。

「電子ブックリーダ搭載」であって、「ブンコビューワ搭載」とはどこにも書いてないので、どうも XMDF 以外の、たとえば生テキストなどは表示できなさそうですね。細かい話はその手の情報サイトにでも行ってみないと分からないなぁ。

SDカード経由でPCからブックデータを持ってくる方式で、端末そのものでコンテンツ購入はできないとのことですが、この単体で流通経路ができあがるか、そして軌道に乗るかは、一見、重要な問題のように見えて、じつは現状ではさほどたいしたことではないのかなーと思っています。そこまでして読みたいと思っている人はそうするし、そこまでするのが面倒と思っている人は、現状では顧客対象に成り得ていないでしょう。

まだまだ小さなマーケットなのです。が、ここまできたら、数年でブレイクするかもな、とも思います。それでしないのなら、次のステージに至るまで、20年は今のままかもしれません。

電車の中で携帯電話を熱心にながめている人って、最初の頃は電話帳をながめている人がほとんどで、それからあっというまにメールを眺めたり打ったりしている人に入れ替わって、ところが最近はゲームをしている人が圧倒的だったりしますね(私的調べ)。本でも読めばいいのに…って思うんだけど、そういう人は、携帯電話をながめる行為そのものに依存しているのでしょうから…(!)。

【週刊ドットブック:第33回 なぜ、いつ、誰の、電子出版(ZDNet)】

あー萩野さん「インディーズ電子本」なんて書いちゃってるよ。仕方ないか。とりたてて本筋ではないし。

いま、音楽業界が「CDの売り上げが落ちている」って騒いでいる。業界はそれを「デジタル化による違法コピーの蔓延が原因である」と考え、コピーコントロールという考え方を持ち出してきた。

(考えてみたら、「コピー」を「コントロール」しようだなんて、なんてスゴイ技術!)

中にはそれでCD買わなくなった奴もいるだろうけど、実際は、趣味の消費対象が、CDから別のモノにシフトしているだけなんじゃないだろうか。たとえば、映画のDVDなどはどんどんとロープライス化がすすんできて、封切り映画が半年で3800円とか2800円で買えるようになってきた。映画のサントラCD買うお金で、その作品のDVDを買ったりしていないだろうか?

ほんの数年前、携帯電話がカラオケボックスを駆逐してしまった。若者たちは、ケータイに支払うお金が嵩むので、カラオケに行くお金がなくなってしまったのだ。

個人が趣味に使えるお金なんてたかがしれている。その中で、本を買い、ゲームを買い、映画を見て、音楽を聞く。時間だって有限だから、魅力的なあれやこれやに振り回されて、誰もが「時間がない」と言う。「あれ、やってみたいんだけどねー、なかなか時間がないんだよねー」、おそらく時間ができたとしても、その人はそれをやることはない。


030428.月曜日

【松下が電子書籍に参入、記憶型液晶を採用の端末を開発(ZDNet)】

イーブックイニシアティブジャパンのコンテンツは、イラナイかも(苦笑) SDカードの抜き差しもあんまりやりたくない。

バッテリ持ち時間の問題をクリアした点は、大いに評価に値します。それで3万円の読書装置を買うかというと、それはまた別の話で、テキストファイルを自由に読めるなら、少しは考える余地はあるかな。

たとえば、手塚治虫全集が全部ROMに焼いてあるとか、そういうの出ませんかねぇ…?


030419.土曜日

なぁんにもしないでもメシが食えたりしてしまうのが今の世の中で。それでも、もし月給遅配などという事態が起こったら、いまの生活はさすがにできないし、それをしのいでいく余裕もない。

が、人はパンのみに生きるにあらず。誰かと語り合ったりぶつかりあったり、情緒を刺激されて、触発されて、また行動を起こす。その繰り返しがなければ、いつか衰弱死してしまう。


030418.金曜日

【第四回 虹の海児童文学賞 最終選考発表】

『かずお君の痛い一日』『まるのしっぽ』が優秀作品賞受賞。最優秀作品賞は今回も該当なし。


030417.木曜日

【東京国際ブックフェア/デジタルパブリッシングフェア2003出展のご案内(VOYAGER)】

テーマは「なぜ、いつ、誰の、電子出版」。


030415.火曜日

【「ザウルス文庫」に新書店、岩波書店、宝島ワンダーネットの2社が参画(SHARP)】

『「捨てる!」技術』も電子書籍で読めるぞ。これで「紙の本を捨てる!」と考えるのは普通の人、「PDAを捨てる!」と考えるのは通の人。


【週刊ドットブック:第31回 デジタル編集 映画と出版(ZDNet)】

【週刊ドットブック:第30回 なんでアニメは強いのか?(つづき)人知れず微笑まん(ZDNet)】

【週刊ドットブック:第29回 なんでアニメは強いのか? 見えないところを取材した(ZDNet)】


030213.木曜日

【業界初、インプレスが書き下ろし新刊書を先行電子出版!】

紙の書籍と電子書籍が同時発売っていうのは昨年もありましたが、いよいよ電子書籍が先行。おそらく版下作成の段階から電子書籍へのルートがつくられているのだと思われます。版下からある程度はダイレクトにTTX(ドットブック)とPDFとXMDFのソースをはき出す機能が開発されているのかもしれません。

同時か先行かはたいした問題ではないと思います。新刊刊行物が版下作成の段階から電子書籍化を前提とした制作体制づくりが進んでいるということが重要なのであります。って、いまさらだな。

【Kacisプロノート/マイノートの体験版ダウンロード開始】

ダウンロードするためには、住所やら電話番号やらプライベートな情報の入力を強制してくるのでまだ試していません。

【週刊ドットブック:第28回 玉のあと、弾のまえ(ZDNet)】

【週刊ドットブック:第27回 電子ルリユールとは?(ZDNet)】

電子ルリユールについては何の興味もわかない。この感じ方をうまく伝えるのはとても難しい。たとえば、電子ルリユールをホームDPEみたいなものと比べたりしたら、それはお門違いである、という感覚は理解してもらえるだろうか。


030123.木曜日

「ドットブックというのはフォーマットではなく、ライセンスのビジネスである」と思っている。「テキストか、エキスパンドブックか」「T-Time か、PDFか」といった対立する候補を立てて「フォーマット戦争」と決めつけるのがPC雑誌の常套手段だった。(以下中断)


030122.水曜日

三井住友銀行は、太陽神戸銀行だった頃からの因縁でそのまま口座を持ち続けている。カードも太陽神戸当時のものをそのまま使っている。これが通用しているというのはなんとなくうれしい。

いくつもの銀行が何度も合併して今の三井住友になったから、ATMにも何種類かあって、機械ごとに操作性やレイアウトが違っている。これがじつに困りものなのだ。いちばん困ったことになったのは、お札と硬貨の投入口が左右で統一されていないことだ。

小銭を貯金する専用の口座を持っているので、よく硬貨で貯金することが多いのだが、先日、そちらが札の投入口だと気付かないで小銭を投げ込んでしまった。厳密には、目で見たときには気付いていたが、自分のアクションを停止することができなかった。機械は停止、係員が装置から小銭を取り出すまで、立ち往生することに。

次は鉄道の話。関西では鉄道の自動改札というものがいち早く取り入れられたという。券売機の自動化も、ずいぶんと早かった。が、日本の券売機システムは本質的に間違っていると思う。

日本の券売機は、お金を入れて、料金を指定して切符を買う。目的地までにいくらかかるのかは、前もって把握しておく必要がある。近鉄の場合は、券売機の部分に路線図を模した料金表が掲載されていて、それを見ながら買えばいいのだが、JRの場合は、上部に大きな路線図が掲載されているだけで、券売機に近付くと、その図は大きすぎて見ることができない。混雑している場合は、順番待ちのあいだに確認しておけばいいのだが、目が悪くなると、その大きな路線図もよく見えなくなってきた。

学生時代に韓国に旅行したことがある。韓国の地下鉄の券売機は、じつによくできていた。ボタンはすべて路線図を模した状態で配置されていて、目的地のボタンをプッシュすると、画面に料金が表示される。お金はそれから投入すればいい。とても分かりやすく、ハングルが読めなくても、「この駅から3つめ」と数えるだけで購入できた。

もちろんそれは、リニアな路線図であったからできたことだろうし、路線図が拡張・短縮された場合には変更の手間がかかることは分かっているのだけど、誰のための券売機なのかを考えれば、これほど明解なシステムはなかった。

日本の鉄道は複雑に錯綜しているから、単純には「どこからどこまで」と指定しづらいところがある。近鉄などは、近畿一円はもちろんのこと、大阪から名古屋までカバーしているのだ。メンテナンスの都合もあるだろう。が、それはすべて送り手の都合だ。切符を買うときに「●●円の切符を一枚」と頼む人は珍しいだろう。買うのは、目的地までの切符なのだから。

読者の「読書体験」(そこには、本を選ぶ、本を買う、本を読む、本棚に並べるといった一連の行為を含む)と、出版・販売するがわの「本を出す、本を売る」という行為には、決定的な齟齬があるのではないだろうか。そして、電子出版は常に送り手の考える「出版とは、書籍とは」をベースに展開してきた。いや、厳密には出版社はそこでは「送り手」であろうとはしなかったのだけど。アメリカのボブ・スタイン、日本の萩野正昭率いる両ボイジャーという希有な頭脳集団と、祝田久という天才プログラマの手によって、ギリギリのつなわたりが続けられてきたのだ。

…まずいな、この論調だと、「電子出版における“送り手の都合優先の自動券売機”をつくったのはボイジャー」と誤解されかねないや。

電子出版において、“送り手の都合優先の自動券売機”にならないように苦心を重ねてきたのが、ボイジャーである。

いや、電子出版において、“送り手の都合優先の自動券売機”のことを考える前に電子出版のフォーマットづくりをしたために、“送り手の都合優先せよ”という有言無言の圧力に翻弄され続けてきたのがボイジャーである。うん、そんな感じ。


030119.日曜日

「小さな出版、私的な出版」については、たしか、「エキスパンドブック横丁」に変わるイベントの総称を考えよう、という話の中で提案したように思う。自分がメンテナンスしていた頃は、ポシブルブック倶楽部のサイトにもその文字が踊っていた。が、どういう理由だったか、却下。分かりにくいとか、長いとか、そんな理由だったかもしれない。

プライベート・パブリッシングに対して「パーソナル・パブリッシング」と言い換えた人がいた。そこで「パーソナルじゃない、プライベートなんだ。断じてパーソナルじゃないんだ」と言い返したような気がする。

ともかく、「小さな出版、私的な出版」という考え方は受け入れられなかった。それで、じゃあこれでどうですか、と代案として出したのが「インディペンデント・パブリッシング」。その人々や事業体集団を指して「インディペンデント・パブリッシャーズ」。

「横丁」とか、ぬるま湯のままではダメだと思っていたし、自分がポシブルブック倶楽部を始めてから、何を目的としているのかをいいかげん言葉にする必要があった。

そのときに書いた原稿は、いちどだけポシブルブック倶楽部の目録に掲載されたんだけど、すっかり忘れ去られてしまった。ただ、インディペンデント・パブリッシャーズという言葉だけが生き残って、いまもイベントの名称として使われている。

「もうやめようじゃないか、そんなことは」。この呼びかけに、耳をかす者はなかった。

いや、喧騒の中でわめいていただけだから、あたりまえといえばあたりまえのことなんだけど。

いま読み返してみると、目指したのは「電子出版を利用した新しい出版スタンスの確立」だった。これは過酷な要求だ。


030118.土曜日

千年紀のおわりだったか二十世紀の終わりだったかに、これから自分が電子出版をやっていくとしたら、どういう方向に向かうかの答えが出た。それは、「小さな出版、私的な出版」。カタカナで言うならスモール・パブリッシング&プライベート・パブリッシング。

それまでに何冊かの電子書籍をリリースしてきた。中には数百冊も売れたタイトルもあったけど、たいていは五〇冊も売れなかった。一〇冊でなかった本もある。しかし、それでいいのだ、と思えるようになっていた。「これから自分が出していく本を本当に必要としている読者は、世界中にほんの数人しかいないかもしれない。が、そんなことを実現できるのが電子出版なんだ」。そんなことを当時、誰かに宛てたメールに書いた気がする。少部数とか在庫レスとか、そういうことじゃなくて、本当に限られた対象に宛てたタイトルでも、書物として成立させて出版していくことができる、これが「小さな出版」。

私的な出版っていうのは、わかりやすく言うなら、自分史なんていうのがそれにあたる。あるいは卒業文集とか。身内や、同じ学級の仲間、ひょっとしたら読者は奥さんだけかもしれないし、自分自身だけかもしれない。そんなプライベートな事情からスタートして、プライベートな読者に届けられる出版物。これが「私的な出版」。「小さな出版」よりももっと小さな出版。

「自分史を出しませんか?」っていう広告をみたことがあるかもしれない。オンデマンド印刷を使っても、たいていは100万円かかってしまう。もっとも、手書き原稿やワープロ原稿を業者に丸投げで「出版してもらおう」となったら、当然それだけの原価と人件費が発生するものなんだけど。電子出版は自分史を小遣い銭で出すことを可能にする。ホームページよりもプライベートな、出版物というクロージングしたパッケージで提供する。

小さな出版のほうはビジネス的な側面を残している。ようするに、一冊1万円でも読みたい、という人に向けて出版される本だからだ。それで生計をたてていくには、事業としての努力が別途必要になるだろうけど、本を著すということに対する正当な対価を受け取ることは可能だ。

SPPP。当時の自分をとりまく環境は、そういう方向を切り開いていく可能性が、まだ残されているような気がしていた。その扉は、もうほとんど閉じようとしていたのだけど。


030117.金曜日

かつて、パーソナルコンピューティングという思想があった。まだコンピュータがペンタゴンとか巨大企業とか、ひとにぎりの人間だけが利用することを許されていた時代。8ビットの「マイコン」でもエキサイトできた時代。

マイコンはやがてパソコンに取って代わられた。パーソナルコンピューティングという言葉は形骸と化した。

パソコンという言葉が嫌いだった。

エキスパンドブックを使った電子出版を、パーソナルパブリッシングと呼ぼうと提案した人がいた。ぼくはそれに大反対した。が、もしかしたらその人は、パーソナルコンピューティングの思想を受け継いで、そう提唱したのかもしれなかった。

いまとなってはどうでもいい話だけど。

本を著すという行為には、さまざまなハードルが存在している。書店で流通させること、それを実現するためには、さまざまな既得権益の搾取を許す必要がある。ネクタイをしめられるようになってから出直してこい、と硬く門を閉ざす。電子出版はそれを打破するための道具だったのか? たしかにボイジャーはそのように提唱した。が、出版すること、流通させることが目的ならば、べつに電子出版である必要なんて、ない。同人誌というスタイルと、コミケという巨大なマーケットがすでにあるではないか。

電子出版をやっている人と話していると、考え得る選択肢の中から電子出版を選んだ理由はなんだろうかと、考える。

まだ、パソコン通信がやっと普及しようかという時期の話だけど。

インターネットが手軽にできるようになって、誰でもホームページを持てるようになると、黎明期に電子出版をやっていた人のほとんどは、そちらへ流れて行ってしまった。何かを著したり、発信したりするのには、いちばん確実で強力でピュアな仕組みだったからだ。

それからの電子出版はしっちゃかめっちゃか。やれ著作権保護がどう、やれ課金がどう、やれ作家直産がどうなどと、小難しいことを唱えているけど、酒場での与太話で盛り上がるのとたいして違わないことばかり。

そうこうしているうちに、20世紀も時間切れになって、ぼくはポシブルブック倶楽部という場所から逃げ出すことになる。ぼくが辞める少し前に T-Time はバージョン2.3 になった。そのあとほとんど変わっていない。変えないという選択なのかもしれないが、エキスパンドブックからスタートした電子出版は、20世紀でブレーキがかかったということを暗に示しているようにも思える。それから、ボイジャーはドットブックに邁進していく。


030115.水曜日

【Kasis の新バージョンは2月21日】

ようやく OS X 対応バージョンになるようです。

最初の頃にしばらく試していたけど、あまりしっくりこなかったのでその後はほったらかしにしてましたが、まだがんばってます。


030110.金曜日

【小規模出版作品の展示即売会「インディペンデント・パブリッシャーズ」(ZDNet Mac)】

ようやく正しい名称で紹介されたことを、まずは喜びたい(苦笑)。

【週刊ドットブック:第26回 メディアを拡張する小道具 〜道具の常識は変化している〜(ZDNet Mac)】

エキスパンドブックを気に入っていたのは、テキスト・静止画・動画・音声といったあらゆるメディアが、とても簡単にシームレスに取り扱うことができた点です。そのバックボーンには徹底したオブジェクト指向が存在するのですが、とにかく作り手としては、そういった小難しいことを意識することなく、パレットからポイポイとページ上に投げ込むだけで、あらゆるものがレイアウトでき、あらゆるものにリンクを設定することができました。メディア・インテグレートのためのツールとしても、エキスパンドブックは刺激的だったと思います。計画は頓挫しましたが、T3と呼ばれる新しいエキスパンドブックのプロトタイプは、さらにその上を行っていたのですが、今となってはすべて過去にすぎません。

電子出版における「書く力」の不足は、ようするにそこに人の力、創作する力がまだまだ集まろうとしないからに他ならないわけで、そういう意味で、いわゆるコミケのような熱気に満ちた空間を獲得することに失敗している電子出版は、当面は冷たい市場として拡大していくものと思われます。

いや、“市場の不在”と“カメラを底辺にした電子出版術”はきちっと切り分けて語るべきだ。間違っても混同してはならない。

で、「カメラを底辺にした電子出版術」は、デジカメでは到達できなかった部分に踏み込んでいるっていうのが注目すべき部分なんだな。