憲法改正への流れが加速している。
昨年の衆議院選挙で、自民党が圧勝し、改憲を強く主張する自民党や維新だけで3分の2以上を占めたことで、
次の参議院選挙で更に参議院でも改憲勢力を3分の2以上にしようと改憲勢力は意気盛んだ。
共産党や社民党などの護憲勢力はもはや国会勢力としては無視できる程度の落ちぶれようで、反転の兆しは
全く見られない。改憲を主張しつつも自民党や維新とは内容的に距離を置く民主党も党勢は振るわず、次の
参議院選挙で自民や維新などの最も強い改憲勢力だけで3分の2以上を占めることは確実な情勢だ。
自民党の改憲案は、天皇元首化、集団的自衛権の行使を可能にし、国民の義務も多く盛り込む保守的な内容だ。
維新は、現行憲法自体を否定し、更に強硬な内容に変えていくつもりのようだ。
みんなの党は、憲法改正を主張しつつ優先順位として公務員改革を先行して行ってから行おうと考えているようだ。
ところがこれらの改憲勢力がこれだけ優位にも関わらず、彼らがまず改正しようとしているのが憲法96条というのが
不可解である。
改憲派に言わせると、例え国民の半数以上が憲法改正を望んでいるのに、国会議員の3分の1の勢力が反対することで
国民投票が出来ないのはおかしいという主張である。
憲法96条では、憲法改正案に対して衆議院と参議院でそれぞれで総議員の3分の2の賛成があって初めて国会通過
とみなし次に国民投票で過半数の賛成が得られれば可決成立と定められている。それを衆議院と参議院でそれぞれで
総議員の2分の1の賛成ということに直そうというのである。
憲法というのは国の骨格となるもっとも基本的な法律であり、通常の法律と異なる。改正するには念には念を入れた
厳しいチェックを入れるのは当然のことだ。外国ではドイツなどは、日本と同じように憲法改正に国会議員の3分の2の
賛成を定めているが、戦後58回も憲法改正を行っている。3分の2という条件がきつ過ぎるというのは言い訳だろう。
改憲派の本丸は憲法9条の改正なのだろうが、まずは改憲要綱を緩和して素案を国民に投げやすい条件を 整えて外堀を埋めてしまえと言ったところなのだろう。 だが、そんな回りくどいやり方をするより、憲法9条の改正がやりたいなら、はっきりそれを打ち出せばよい。 何故、そのような改正が必要なのか、国民にわかりやすい説明をすべきだ。それが政治家の能力の見せ所と 言ってよい。
私個人の立場としては、基本的に現行の憲法を維持していきたいと考えているが、憲法に対して指一本触れてはならない
ものだとは思っていない。冒頭で述べたように、自民党の絶対多数の時代はここしばらくは続き、何らかの憲法改正案が
国会を通るのは時間の問題と思う。後は国民の考え次第だろう。
現行憲法はアメリカに押し付けられたものだという意見があるのも事実だ。
ここは一度、何らかの憲法に関する国民投票を行う機会を設けてもよいと思う。
だが、もし国民投票に行きついても、否決されれば単に改正憲法が否決されたというだけではなく、現行の憲法内容が
信任されたということにもなるということは忘れてはならない。
一度、憲法に関して国民投票を行って否決されれば、改憲派がよく主張する押し付け憲法論が通用しなくなるので
改憲派の中でも「一抜けた」と改憲に関心をなくす人も多く出るだろう。
憲法改正国民投票はしくじれば改憲派の政治生命にも関わってくるのだ。
下手な改正案を出して失敗すれば、暫くは憲法改正案を出しづらくなり、逆に護憲派が勢いづく可能性もある。
実は改憲派の人達も、国民投票で否決されたら怖いという思いがあって、絶対多数を持ちながら及び腰になっている
のではと感じる。彼らは占領憲法の状態の中での改憲を叫び続けることで政治生命を保っているため、例え国民投票が本当に
通ってしまったとしても次の目標がなくなってしまうし、否決されれば政治生命が終わる。どちらにしても国民投票は本心
ではやりたくないのでは?そう考えることによって、憲法改正派が多数を占めながら今迄一度も改憲出来なかった理由が
見えてくるのである。
裏を返せば、護憲派の方も国民投票を怖がる必要は全くないということだ。今はもう、やみくもに憲法改正案の
国会承認をさせないように、と考えるよりも、国会承認された後どうやって国民に現行憲法の素晴らしさ、改正しては
ならないのか等を理論武装させることに重点をおくべきだろう。もし、改憲派が憲法改正案を出して、国民が否決すると
いう展開になれば護憲派にとっては願ったり叶ったりだ。
そのときは、現行の憲法が名実ともに「占領憲法」から「日本国民の憲法」になるからだ。
現在の国会勢力は、言うまでもなく憲法とは無関係の経済問題を武器に与党が多数を占めたに過ぎない。 現在の国会勢力で改憲派が強いか、護憲派が強いかはあまり関係はない。憲法改正は国民投票を通してこそ意味があるのだ。 いずれにせよ今後は、改憲派も護憲派も憲法に関しては国民を説得する能力が問われることになる。