教育基本法の改正案がまとまったようだ。 「愛国心」を入れたい自民党と、愛国心が戦前のような国家主義につながることを恐れる公明党がせめぎ合った。 その結果、「伝統と文化をはぐくんできた我が国と郷土を愛する」との表現になり、「他国を尊重し」という 言葉も加えられた。
「愛国心」のことばの意味は、人それぞれ曖昧であり、そもそも法律によって強制すべき問題ではないと思う。
私自身は、というと愛国心を持っているつもりである。将棋や相撲など日本の伝統文化は好きであり、国内を
色々旅をするのも好きである。
当サイトでは今迄に、様々な私なりの提言を行ってきた。正直言って、私自身の文章センスはあるとは言えないであろう。
時として、荒い言葉を使用し、他人を見下すような言動もあった。
しかし、言っていることには一貫性があったと自負している。出来ること出来ないこと、やるべきことやめる
べきことにメリハリをつけてはっきりさせ、同時に進めたとしても矛盾が生じないものばかりだ。国としての
一定の方向性を意識して文章を書いてきたつもりだ。
経済発展を抑えてでも環境保護を重視する、自由で民主的な教育や社会を維持するが、勝手なことや犯罪を犯したものは
厳罰を適用することを主張しているのがよい例だろう。
国を愛すればこそ、厳しいことを書いてきたと理解していただきたい。
それは、ともかくとして、どうも日本が世間一般で使用される愛国心とは私の考えているものとは違うようだ。
日の丸を掲げること、君が代を斉唱すること、外国人には強硬な姿勢を貫き戦争が起こったら御国のために命を
投げ出して戦う、国家の方針には服従することなどを指しているように思える。
愛国心がこれほど重要視されるようになった背景は、戦後の民主主義教育や自由な社会によりわがままな人間が
増えたということらしい。
おかしな人間が増えたことは確かだ。マナーのなっていない若者、すぐキレる若者、無気力な若者などが増え、
凶悪犯罪も増加している。
しかし、日の丸、君が代でそれが直るのか、愛国心を上から押し付ければ直るのかといえば全く疑問である。
強い国家権力で彼らを従がわせた場合、従わせる内容が正しければ問題ない。しかし、いつでも権力側が正しいとは
限らない。権力側が間違ったときに、誰も逆らえずにそれを実行してしまうことこそ恐ろしい。
そもそも、若者や子供がおかしくなった要因は、家庭のしつけなどの要素が大きいのではないか?
父親は深夜に帰宅、母親はパートに出掛ける家庭も多く、親と子供の接する時間が減少していることなどが大きい。
企業による労働力酷使などの問題が希薄な家族を作り上げ、家庭教育が希薄になっていると言えないか?
戦後の民主主義導入とともに施行された少年法などの犯罪者に甘い法律なども大きな要因であろう。
何かことが起こると、日教組が悪い、戦後教育が悪いなどで済ませて、本質的な問題が理解されていないような
気がするのだ。
愛国心なんてものをどうこういうよりも、国民に認識してもらうべき問題はもっと他にもあるだろう。
まず、選挙の投票率の低さ、政治的無関心、が大きな問題だ。こういう人間をしっかり投票所へ向かわせ、
政治に興味を持たせることが必要だ。選挙に行かない、無関心な人間は、それだけで愛国心なしと断定でよい。
払うべき年金や税金を払わない人間も多い。そういう人間からからきっちり取り立てることだ。私の目からは
まだまだなまぬるい。少なくとも「私は貧乏で税金を払えません」と言っていながら裏ではブランド物の商品を
借金してまで買っているような人間は厳しく取り締まることだ。納税は国民の義務だ。それを怠る人間を
愛国者などと言えるはずがない。
環境問題も大切だ。自分の快楽のために、必要以上に車を乗り回し空気を汚し、ゴミを出しているような人間、
タバコを平気で道端に投げ捨てるような人間も厳しい規制が必要だ。国土を汚すものは非愛国者どころか国賊
と言ってよい。
まだまだ他にもあるかもしれないが、一言で言えば道徳心といったところであろうか。
道徳心のある国民こそが本当の愛国心があると言えるのではないか?
いくら祝日に日の丸を掲げようと、威勢よく中国にモノを申したとしても、道徳心のない人間に愛国者を語る
資格はない。