関係者のみなさまの投稿集

スタッフ編

最終更新 2002/4/27

 

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山縣さん(元あっぱれプロデューサー)

初投稿・・・「頭が下がります」
質問に答えてくださいました。(髪型と「あっぱれ」を始めたきっかけについて)・・・「ありがとう」
「ゴールドラッシュ」について、他・・・「よくご存知ですね」
オーディション、劇、分校シリーズについて、他・・・「とりあえず「あっぱれ」の質問から」
何故タイトルを「やっぱり」に変えたかについて・・・「赴嶺夜さんへ」
プロデューサーの仕事について、他・・・「質問お答えコーナー」
あっぱれで印象に残ったこと、他・・・「難しいですね。」
何故全員卒業させたのかについて・・・「いつかは来ると・・・。」
(新)新生あっぱれについて・・・「大丈夫でしょう」
(新)小説の中に答えが・・・「シンイチさんの小説」
(新)「卒業式」と「入学式」 ・・・「中村さん」
(新)卒業後のことについて・・・「むかい山さん・・・」
(新)気恵ちゃんと会った話・・・「不思議なもので・・・」


竹石さん(元あっぱれAD)

「ふれあいドキュメント」制作について・・・「『分校シリーズ第1弾』 〜裏話し〜」
カラスに蹴られた話(笑)・・・「まさか見に来ていたとは・・・・」

 


山縣さんの投稿

[No.1015](新着) 頭が下がります。 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/09/19 (Tue) 17:58 先頭へ

4年前まであっぱれを担当していた山縣です。竹石から聞いて
以前からこのホームページを見させていただいてたんですが、本当に素晴らしいですね。
中村さんはじめ、向山さん、司さんその他大勢の皆さんには本当に頭が下がります。
よくぞ、これだけの資料を集めたね、と感心しています。

そして、中村さん本当によく整理されていて感謝の気持ちでいっぱいです。
最近は毎日このページを開いて見ています。
ブランドも書いていたように、このホームページのおかげで、久々に彼と会う事も出来ました。そういう意味からも感謝しています。
竹石から、「一度、山縣さんもカキコして見てください。みんな喜びますよ」と
言われていたのですが、中々出来なくて、でも今日ついに思い切って、書き込みしてみる事にしました。
毎日いろいろなコーナーを拝見しているのですが、ついさっきまた卒業式のところを見てしまって、涙してしまったところです。

当時僕は4,5年に亘って、夕刊フジにエッセイを月一回連載していたのですが
その中から96年2月の回の分をここに乗せさせていただきたいと思います。


「CD」
2月21日木曜日に「あっぱれさんま大先生」の子供たちが歌うCDが発売されました。
「あっぱれさんま大先生・キャンパスソング集〜笑顔の季節〜」という6曲入りの
ミニアルバムです。彼らによるアルバムは2枚目なんですが、今回のアルバムは前の
から「夏休み・冬休み・春休み」「記念樹」の2曲を再レコーディングし、それに新曲を4曲収録しました。
小学校3年生から、高校1年生までの18名の子供たちのうたごえがとてもさわやかで 素敵なCDが出来上がりました。

22日放送の「あっぱれさんま大先生」の中でもCDが発売された事をお知らせしました。
ありがたい事にたくさんの方が買って下さったみたいです。
と、いうのは早速23日番組宛てに沢山の電話を頂いたからです。
でもそのほとんどの内容は「CDに張ってある卒業記念アルバム・これがあっぱれ学園生徒達最後の歌声だ、
というのはどういう事ですか?」というものです。
そうなんです。番組の中ではまだ発表していないんですが、彼ら18名はこの3月で全員が「あっぱれ」を卒業するんです。
内山や裕太、佳奈子など長い子で7年半も番組にいた事になります。
彼らは人生の半分以上を「あっぱれ」で過ごしているんです。

番組を卒業していく彼らだけじゃなく、7年半一緒に番組を作ってきた我々制作の
人間も感慨深いものがあります。小学校1年生だった内山がもう中学2年。
今では僕よりも背が高く、すっかりおっさんのようです。
小学校3年生だったちほちゃんはこの春から高校2年、もうすぐ17歳です。
ちほ、実咲、絵梨、裕太、亜由美、内山、佳奈子、奈穂美、綾佳、福長、
キーちゃん、章久、愛、ジャングル、加奈、リカ、ムシ、バイオリンの18名。
彼らと一緒に行った各地の分校、一泊のキャンプ、水泳大会、盆踊り、氷上運動会
・・・。
彼らの姿は3月21日の2時間スペシャルが最後です。
最後の収録で涙を流さない自信が僕にはありません。


原文のままです。
最近歳を取ったのでしょうか、何だか無性にあの頃が懐かしくて仕方がありません。
しかし、このホームページを見させていただいて、懐かしいのは僕だけじゃないんだ、
歳のせいじゃないぞ、と安心しております。
本当に皆さんありがとう。
随分長く書いてしまいました。すみません。
これからも皆さんの心の中にズ〜〜〜〜ト「あっぱれ」が生き続けて行くように

[No.1022]ありがとう 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/09/20 (Wed) 09:35 先頭へ

突然の書き込みで本当にスミマセンでした。
こんなに喜んでいただけて嬉しく思っています。
司さんの質問ですが、今の髪型は普通です。多少茶髪ですけどごく一般的なものです。
長さは両サイドが耳にかかる事もなくどちらかといえば、短い方です。

中村さんの質問にお応えします。
まず、僕は4年前に異動したんですが、以前にも司さんがさんまさんのラジオで
聞かれたという「衛星事業部」というところではありません。
フジテレビに「衛星事業部」という部署はないんですよ。
まあ、さんまさんのいつもの早とちりです。
僕が行ったのは「総合開発局媒体企画部」というところで、
ハイビジョン番組制作班でした。
これはCSではなくて、衛星9chで放送しているものです。
そこで、お笑い番組や旅番組を制作していました。
csで「あっぱれ」を、という皆さんの考えはずっと以前から読ませていただいてはおりました。

「あっぱれ」が出来たきっかけですね。
今から12年前僕は第2制作部から編成部というところに異動しました。
編成部というのは番組企画を考えたり、放送時間帯を決めたりする部署です。
さんまさんとは、「ひょうきん族」のずーと以前からの付き合いだったのですが、
僕の異動の時さんまさんが「どうせやったら、お土産持っていった方が編成も喜ぶやろ」と言ってくれたんです。
そして「秋から新番組やろか」という事で88年の7月から企画に入り、
番組改変期でもない11月からスタートという変則の番組になったんです。
ですからあの番組はスタート当初から社内の第2制作の番組にもかかわらず、編成部の僕がプロデューサーだったんです。
これが「あっぱれ」誕生秘話ですね。
もし他に何か、質問があれば、僕に答えられる事であればお答えします。
中村さんこんなところでいいですか?

[No.1024]よくご存知ですね。 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/09/20 (Wed) 13:22 先頭へ

ばおばおさん、はじめまして。どうもありがとうございます。
いつもこのページを見ていて、本当に皆さんよくご存知だなって
いつも感心していたんですが、「ゴールド・ラッシュ」の事まで
ご存知とは驚きです。皆さん長野や、茨城や福岡に居ながらフジテレビの関係者のようですね(^-^)
ばおばおさんにしても,中村さん,むかい山さん,司さん,しむさん・・・
皆さんの事なんてぜんぜん知らないのに、いつもこの掲示板を見させていただいて
いたので、何だかすっかり昔から知ってるような気がします。
当時、「あっぱれ」は隔週日曜日に収録だったのですが、「ゴールド・ラッシュ」というオーディション番組を始めたら、
これも隔週日曜日の収録になってしまったんですね。そのためいつも、収録が重なり、
「あっぱれ」と「ゴールド・ラッシュ」のスタジオを行ったり来たりしていたのを思い出します。
確かに、裕太や内山を始め生徒達から「山縣さんは一体どっちが大事なの?」ってよく責められました。
懐かしい思い出です。
ちなみに今の「あっぱれ」は土曜日収録です。

[No.1031](新着) とりあえず「あっぱれ」の質問から・・・ 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/09/22 (Fri) 09:55 先頭へ
 
中村さんお答えします。
まず、「あっぱれ」のオーディションですが、これは、一日に約300人ほどの子供たちに会います。
審査員は、さんまさん、僕、三宅、窪田、佐々木の3ディレクター(もっとも初期の頃は違うディレクターもいました)
大岩、詩村の両構成作家の7名です。
子供たちには、自己紹介や、自分の母親を動物にたとえたら?など簡単な質問に
答えていただき、後はフリートークです。(フリートークになるかどうかは別にして・・・笑)
もちろん小さな子供たちなので、好き勝手し放題です。
好きに遊ばせて、好きにしゃべらせています。
どの番組でもそうなんでしょうけど、合格の明確な基準がある訳ではありません。
学校の試験ではないので、点数が出るもんでもないですしね。
後は審査員の感性でしかないと思います。
先ほども言ったように、一日に300人ほどの子供たちにに会うものですから、
中々あの子がどうだっかというのは覚えてない事の方が多いですね。
内山にしろ、安達祐美さんにしろ正直に言って、今となってはどういう感じだったかはっきり覚えていないですね。

「桃太郎」
結構稽古が大変なんです。
放送されているのは、収録の半分もないと思ってください。
もっとも大きい原因は、「あっぱれ」というのは基本的に春夏秋冬の学校行事に合わせてある程度作られていました。
夏は水泳、キャンプ、盆踊り、秋は運動会などなど・・・。
普通の日は、国語、社会、理科などのお勉強ですね。(^-^)
出る人も見る人も飽きないようにいろいろな事をやったんです。
ですから、その後キャンプ場で章久監督のドラマとか、手を変え品を代えですか?

なぜ分校シリーズは北海道が多い?
やはり季節を大事にしたい事もあって、12月31日に放送される分校シリーズは北海道が多くなりました。雪がありますから。
それともう一つ、どうしても田舎の過疎化が進み、生徒の数が少ない学校が北海道には多かったんです。
さらにもう一つ、やはり生徒数の激減で廃校になる学校が多いのも北海道の特徴です。
そういう学校が熱心に、「ぜひ最後の思い出に来て欲しい」というのも多かった理由かもしれませんね。でも、ありがたい事です。

さんまさんはめちゃくちゃ「あっぱれ」の生徒達を愛してます。
「ました」ではなく、今もです。単なる番組でのお付き合いというのではなく
本当に子供たちの事を思っています。

三宅恵介は何故プロデューサーになれないか?
大きな間違いです。彼はなりたくないんです。
彼はずーと現場で番組を作っていたいから自らならないんです。
「あっぱれ裏話」ですか?どうでしょうね、たいした話でもありませんよ。

司さん
ひょうきん族のひょうきんディレクターズ、本当にふざけた奴等ですよね。
自分でもそう思います。でも、作ってる俺達がこんなに楽しんでいるんだよって言うのを見せたかったんですよね。
作ってる人が楽しくないと、見てる人が楽しめる訳ないじゃないですか。そんな気持ちでしたね。

赴嶺夜さん
懐かしいですね。ひょうきんのエンディングテーマ。
「あっぱれ」も勿論ですが「ひょうきん」も僕の青春の1ページです。

[No.1033](新着) 赴嶺夜さんへ 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/09/22 (Fri) 13:02 先頭へ

「あっぱれ」のメンバーを全員卒業させると決めた後、
次のタイトルをどうしようかと、本当に真剣に討議しました。
その結果、悩みに悩み「やっぱり」さんまさんの力が大きいだろう、
子供番組は「やっぱり」これだろう、
日曜日の昼間は「やっぱり」この番組だろう・・・
諸々の気持ちを込めてつけたタイトルがこれでした。
「あっぱれ」はあの子達のものだという意識があったのも事実です。
その後、今年になって何故「あっぱれ」に戻ったかは僕は知りません。
僕は皆さんご存知のように「あっぱれ」も「やっぱり」からも
離れていますので。
2番目の質問は勘弁してください。ごめんなさい。

[No.1041]質問お答えコーナー 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/09/25 (Mon) 18:45  先頭へ

中村さん
そうですね、プロデューサーになると、番組のスタッフの管理、
制作費の管理が主な仕事になります。
その他、編成との調整、スポンサーへのプレゼンなど、
番組周りの事、いわゆる雑用がいっぱいですね。
ゲストを呼べば、ギャラの相談もするし、放送後、文句がくれば
謝りにも行くという、何でも屋さんです。
つまり、スタッフが気持ちよく仕事が出来るような環境造りですね。
「あっぱれ」で言えば、子供の相談、親の相談、なんかも受けます。
ディレクターというのは、直接番組をつくる人ですね。
作家と打ち合わせをし、出演者と打ち合わせをし、
美術セットを考え、カメラのカット割り、照明の打ち合わせをし、
本番で絵を撮り、そして編集します。
違いが少しは分かりますか?
横沢さんは「ひょうきん族」の「懺悔の部屋」というコーナーで、
神父さんの役をやってました。
赴嶺夜さん
よく報知のあんな場所の記事に気付きましたね。
名前を出されるのはいいんですが、年齢は辞めて欲しかったですね。
ハチミツさん
そうです、窪田君というのは「競技委員長」です。
そして佐々木君が「副競技委員長」です
途中で辞めた子、いましたよね。
もうすっかり大きくなったでしょうね。
理由というのは、それぞれあって、一口にどうこう言えるものでもないですね。
でも、みんな「あっぱれ」の生徒に変りありません。
シンイチさん
そうですね、ちほちゃんに「最近冷たくなった」とも言われましたよね。
実は「ゴールド・ラッシュ」のチャンピオンというのは26名居たのですが、
その最年少と、あっぱれの最年長(つまり、ちほちゃんと実咲ちゃん)が
同じ歳だったんですよ。そういう事もあってのちほちゃんの言葉でしたね。
しかし、収録が同じと云うか、「ゴールド・ラッシュ」のチャンピオン達の
レッスンも同じ日にやっていたので、「ゴールド・ラッシュ」の子達が
「あっぱれ」の控え室を覗きに来たりしてましたね。
そんな時は「千秋」や「B・I・G」や「アンバランス」の方が、
緊張しながら覗きに来たのを覚えていますよ。


[No.1046]難しいですね。 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/09/27 (Wed) 09:45  先頭へ

中村さん、難しい質問をしてきますね。
その前にシンイチさんのもう一つの質問に答えてない事に気がつきました。
収録後の彼ら。
そうですね・・・。
テレビの番組というのは放送されたものが視聴者にとってすべてなんですよ。
収録時間がたとえ2時間あったとしても、放送されるのは30分。
その30分でいかに視聴者の笑いを誘い、涙を誘い、そして感動を与えられるか、
そこが勝負だと思います。
ですから、収録後の事はあまりしゃべっても仕方ないと思います。
勿論「あっぱれ」はすべてドキュメントです。
「やらせ」がある訳でもないです。未央ちゃんが突然裕太を買う、
と言った時はびっくりもしたし、大笑いもしました。
でも多分未央ちゃんの素直な気持ちがそう言わせたのでしょう。
だから収録後の楽屋と言うのはそんな素直な小学生達の休み時間と
思っていただいて間違いはありません。
女の子同士遊んでいるし、男の子はプロレスごっこをしているし、
章久は静かに本を読んでいるしといった具合です。(^^)

さて中村さん
印象に残っている事ですか?
勿論いろいろな事があった7年半ですから思い出もいろいろです。
その中でやっぱり一番印象が強いのは何と言っても「卒業式」ですね。
分校ロケや、キャンプ、水泳大会、運動会、数え上げたら、きりがないのですが
でもやっぱり「卒業式」ですね。
次回、その時期に夕刊フジに寄せたエッセイをそのまま書かせていただきます。

何故教室に変ったか。
子供たちも大きくなり、あのセットでは何だか違和感も出てきたし、
「あっぱれさんま大先生」の名の通り、先生らしくするには、教室が一番だろうと言う事ですね。
それまではあまりにも、みんな小さすぎて、静かに座っている事が
出来ない子が多かったと言う理由もあります。
当時の章久を思い出してください。

内山のレポート
だってあんなに面白い小学生は居なかったんですもの。
街の人に何かインタビューをすればきっと面白いだろう、
と思うのはテレビ人なら当然ですね。
そして期待通り本当に面白かったです。
もったいないじゃないですか、あんな面白い奴をスタジオに
閉じ込めておくのは。
そんな感じですかね。

[No.1055](新着) いつかは来ると・・・。 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/10/02 (Mon) 09:18  先頭へ

中村さんの質問は、いつか誰かから来ると思ってました。
確かに、卒業当時、むし、バイオリン、リカ、加奈の4人はまだまだ小さい、
小学生でした。なのに、大きい高校生達と一緒に何故卒業させるんだ、と
思った方々もたくさん居たんじゃないかと思います。
これに関しては、「あっぱれ」を「やっぱり」にするなんて問題どころの
騒ぎではありませんでした。
本当に何日も何週間も皆で、悩みました。
スタッフそれぞれの意見があり、そして、それが、どれも間違いではないので、
本当に悩みました。
「小さい子はどうするんだ」「内山やちほちゃん、裕太、キーちゃん・・・無しであっぱれがやっていけるのか」などなどなどなどなどなど・・・。
卒業の前の冬、青森分校ロケがあった事は皆さん良くご存知ですよね。
子供たちが寝るシーンの収録を終え、温泉に浸かったのは夜中の1時過ぎでした。
僕と、さんまさん、三宅ディレクター、構成の大岩さん、の4人でした。
勿論そんな時間だから、他のお客も居ず、自然と話しは「どうするの?」
と言う事になったんです。
あの当時この4人が顔を合わせると、その話ばかりだったので、
「どうするの?」だけでみんな解っていたんですね。
大浴場の中で男4人。
ずーと話し合いました。
僕の中で結論を出したのは、この風呂の中でした。
さんまさんは「最終的に、山縣さんと三宅さんにまかせるわ。俺には決められへんから」と言っていたのが印象的です。
はっきり言って苦渋の選択でした。
あんなにつらい選択を今までしたこともないし、多分、これからもないでしょう。
でも、番組は留まってはいられないんです。
何処かで何らかの決断をしなければいけないんです。
ちほちゃんと実咲ちゃんが中学に入った時、も同じような議論がなされたんです。
「あっぱれ」は小学校じゃないのか?など・・・。
あの子達に限界があるとは思いません。しかし番組はどっかで・・・。
今でも、僕にとって、いや僕だけじゃなく、さんまさんや、三宅ディレクター
始めスタッフ全員にとっても、彼らは最高の子供たちです。
最後にさんまさんの、風呂場での発言を・・・。
「あいつら、みんな大人になるまでやってもええなぁ」
夜中の風呂場で流した涙を今でも忘れません。
多分竹石君などは、あの当時「何で卒業させるんだ」と思っていた事でしょう。
今度聞いてみたいですね。

しんみりした話でごめんなさい。

[No.1057](新着) 大丈夫でしょう。 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/10/02 (Mon) 11:30  先頭へ

「新生あっぱれ」に変ったばかりだし、卒業なんてまだまだでしょう。
そんな心配は要らないと思いますよ。
それに卒業式ってこの先あるのかな?って気がします。
やっぱり、あの卒業式の印象が強いですからね。
同じ形のものって出来ないじゃないですか。

[No.1061]シンイチさんの小説 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/10/03 (Tue) 09:43  先頭へ

読ませていただきました。
あの小説の中に中村さんの質問に対する答えの一つが
ある様な気がします。
「何故小さい子まで卒業させたのか?」
シンイチさんの小説の中に何度も出てくる「クラスは一つ」。
そうなんです、「あっぱれ」も教室のスタイルを取るようになって
一つの集合体としての面白さが出てきたように思います。
最初から見てらした方々にはよく分かると思うんですが、
初期の頃は、たとえば、「あっぱれ隊」の佐藤がよく泣いたとか、
美樹ちゃんが可愛いとか、「ホームルーム」の章久がうるさいとか、
3人のオバタリアンが強いとか、それぞれ独立した面白さがあったと思うんです。
ところが、教室にしてからは、それが互いにうまくかみ合って、
また、みんなの面白さが出てたんだと思うんです。
たとえば、リカとさんま先生の戦いですが、これにしても、
さんま先生がリカのところに歩み寄ろうとした時に止める裕太の
存在が大きいですよね。
章久が訳の解らない事を言った時も、ホームルームではほったらかしでしたが、
教室になった時は、それが、裕太と章久の戦いになったり、
「あっぱれ隊」と「ホームルーム」で会う事がなかった福長と亜由美ちゃん
が教室で一緒になる事によって、4年間もの片思いが始まったり、
ブランドが佳奈ちゃんと実咲ちゃんの間で心揺れるようになったり、と、複雑に
色々なものが絡み合うようになったんですよね。
今までバラバラだった面白さが、第三者が絡む事で
2倍にも、3倍にもなったんですよ。
もし大きな子だけを卒業させて、
むし、バイオリン、リカ、加奈だけを残した時、本当に今までの
面白さが持続するんだろうか、と言う懸念がありました。
むしの面白さは、ちほちゃんや実咲ちゃんの力も大きいと思いませんか?
あの、バレンタインの時を思い出してください。
リカちゃんの面白さはクラスの皆が後押ししてるんだと思うんですよ。
そうなんです、クラスは一つだったんですよ。
小さい子も卒業させたのは、そんな事もあったんです。

でもクラスをそういう形に持っていったさんま先生って言うのは
本当に偉大な民間先生だと思います。

中村さん
卓っ君は本当に可愛い子が好きでしたね。
今思うと、ブランド顔負けですよね。

[No.1082](新着) 中村さん 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/10/10 (Tue) 14:00  先頭へ

9月27日にお約束した「卒業式」の件、96年4月に夕刊フジに書いたエッセイを
そのまま書かせて頂きます。

「卒業式」と「入学式」
 どんな人でも小さい時から経験するのが「入学式」と「卒業式」です。小さい4,5歳
の幼稚園時代からいろいろな「入学」があり、いろいろな「卒業」があります。
この春、僕は番組内で感動的な「卒業式」と大笑いの「入学式」を経験しました。
感動的な「卒業式」は3月21日放送の「あっぱれさんま大先生・卒業スペシャル」の中
で行われた「あっぱれ」の子供たち18名の「卒業式」です。
番組開始から7年半、今まで多少の生徒の入れ替えはあったものの、
生徒全員が卒業していくのは、もちろん初めての事です。
3月17日の「卒業式」の収録は本当に感激しました。
と、同時にこんなに寂しいものかとつい感傷的になってしまいました。
番組自体も最高視聴率を記録し、
沢山の方に見てもらえて本当によかったなと思っています。
今まで「あっぱれさんま大先生」を応援してくださった皆様、
本当にありがとうございました。

それから2週間。3月31日に、今度は「入学式」を経験させて頂きました。
4月7日[日]午後12時55分放送開始の「やっぱりさんま大先生」の入学式です。
幼稚園児から新小学2年生までの21名が「やっぱり学園」に入学してきたのです。
その、煩さ、喧しさ、騒々しさはとても紙上でお伝えできるものではありません。
さんま先生の言う事など、お構いなしに叫ぶ子、歌う子、踊る子・・・
いやはや何とも。こっちとしてはただ笑ってるしかありません。
もちろん7日に放送されるものは編集されたものですから、
多少は見やすく、聞きやすくなっているはずです。
実際はその10倍ぐらい煩かったんだなと思って頂ければ幸いです。
ふと、7年半前「あっぱれ」を始めた頃の事を思い出そうとしたんですが、
こんなに煩かったかどうかを、鮮明に思い出す事は出来ませんでした。
しかし、年齢的なものを考えるとやっぱりこうだったんだろうなと
思わざるを得ません。
しかし本当にすごいのは子供たちじゃなく「さんま先生」です。
この子供たちを上手にあしらい、子供たちが気がつかないうちに自分の土壌に
引き込んでいくのですから。
これから何年かたった時この子達がどんなに素晴らしい「やっぱり学園」の生徒に
なっているのかを思う時、いつまでも「あっぱれ」を引きずっているわけには
行かないなと思います。
でもね・・・。
                               [原文のまま]


[No.1081](新着) むかい山さん・・・。 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/10/10 (Tue) 12:53  先頭へ

残念ですがと云うか、当然と云うか佳奈子の写真集は見ていません。
うまく説明できないんですけど、
僕にとってのあの子達は4年半前でとまっているのかも知れませんね、僕の中では。
どう言えばいいのか、よく分からないんですが、
あの子達があのまま大きくなってくれている分には、いいんですが、
今の芸能活動にはそんなに興味はないんですよ。
こんへんの感情はうまく説明できなくてごめんなさい。
僕にとってのあの子達はあくまで、「あっぱれ」の子供たちであって、
今は違う訳じゃないですか。
中村さんの云うように、同窓会があれば、
一気にあの頃に戻れるんですが・・・。

しかし、同窓会はどうでしょうか?
よほどの何かがないと、もしくはあと5年、10年たたないと、
無い様な気がするのは、僕だけでしょうか?

僕だって、皆に集まって欲しいとは思いますけど・・・。


[No.1099](新着) 不思議なもので・・・。 投稿者:山縣慎司 投稿日:2000/10/16 (Mon) 13:02  先頭へ

ブランド君や、竹石君が書き込みをしているように
久々にキーちゃんと会ってきました。
[裏あっぱれ第4弾か、どうは知りませんが・・・〈^^〉]
不思議なもので僕の知ってるキーちゃんは幼稚園児とまでは言いませんが、
チッコイ、キーちゃんです。
「たぬきが欲しい」だの、老人ホームで「大きくなったら何になりたいですか?」
だの、そんな質問をしてくれるキーちゃんなのです。
でも今は、当たり前なのですが、「ウエイ!」などとは言わず、
ちゃんとお話してます。[ますます当たり前か]
でも、カラオケで歌った歌が「森のくまさん」って言うのがいいでしょう?
渋谷辺りでうろついている高校生じゃなく、本当にいい子に育ってました。
不思議なもので、ブランドやキーちゃんは子供から大人になってるのに、
僕や竹石君はなんにも変ってない。もともと大人だから。
でもすごく不思議だった。
これからどんどん人が増えていくんでしょうかねえ。

かのんさん
収録でジーンと来て、放送でジーンと来て、
エッセイ書いてジーンと来て、中村さんのこのページを知ってジーンと来て
ジーンと来っぱなしの僕です。
制作者であろうが、視聴者であろうが一緒ですよ。
僕もいまだに旧あっぱれから抜け出ることが出来ないんですから。


竹石さんの投稿

「分校シリーズ第1弾」 〜裏話し〜 投稿者:竹石康晴 投稿日:2000/03/12 (Sun) 14:23 先頭へ

 年末の「分校シリーズ」は、私の場合、実は9月に入ると直ぐに作業が始まります。
「全国学校総覧」という本を基に、「あっぱれ学園」と同数か、それに近い学校を、ピックアップして行きます。
その時点で100校近い数を挙げ、各学校の特徴を、地図と照らし合わせていきます。

 特産や文化などです。

 そして30校近くまでしぼり、各学校の校長先生へ宛ててアンケートと、以前放送した「分校シリーズ」のビデオを送ります。

 返事は4分の3くらいしかありません。

 その中から全ての条件を満たしている学校、3〜4校に絞込み、10月の中旬頃に、
 たった一人でロケハンに行き、実際に校長先生や生徒さん達と会います。

 この時点で、おおよそ私の中ではこの学校にしたいという目星はつきます。そしてその時点で、
 旅館やバスの手配などを済ませて東京へ帰って来ます。
 ロケハンは1泊2日で済ませます。

 そしてこの資料をもとに、「あっぱれ」の会議でプレゼンをし、11月には技術スタッフと
 ディレクターの窪田さん(競技委員長)を連れて、第二回目のロケハンに行くのです。

 普通、みなさんは「地方に行けて良いなぁ」と思うでしょうが、
 この「あっぱれ」の「分校シリーズ」は、案外ハードスケジュールなのです。

 フジテレビを出発するのが12時前後、現地の旅館に着くのが17時前後。
 そのあと「食いしん坊漫才」や「前日ミーティング」の収録を済ませ、
 スタッフや出演者(さんまサン)が食事をするのは、21時から22時くらいになるのです。

 それまでは常に(空港到着から旅館までの間)4台のカメラは回っているので、 スタッフにはかなり辛い作業になるのです。
 さらに子供達の寝顔の撮影もあるわけです。子供達は興奮しているので、
 深夜1時になっても、なかなか寝ようとしないのです。子供達にとっては一種の修学旅行のようなもので、常に騒いでいます。

 そういう場合は仕方が無いので、スタッフの誰かが子供達の部屋へ行き、電気を暗くして寝るまで待機しています。
 もちろん「寝ないと怒るよ」と言っておきます。

 こうして撮影が終わると、翌日は6:30分頃から朝食をとり、8時には旅館を出発します。
 
 こうして分校シリーズを撮影し、だいたい18時前後の飛行機にのり、東京へ帰って来ます。
 この2日間で使用するβカムのテープは、30分テープて80本〜100本近くになります。

 結構大変でしょう?

 でも今思うと、全然辛いとは思わなかったんですね。とても楽しい仕事でした。

 スタッフが「辛いけれども楽しい」と感じた番組だから、皆さんのような多くの方達の支持があったように思います。

 今回はここまで。また時間があったら書込みます。短くてすみませんでした。 


[No.559]まさか見に来ていたとは・・・・。 投稿者:竹石康晴 投稿日:2000/04/20 (Thu) 23:51 先頭へ

竹石康晴です。

シンイチさん、まさか「カラスに蹴られた」現場を見に来ていた
とは・・・・。

あそこは当時通勤途中の場所で、実は私は当時「ごきげんよう」も担当
していたのですが、水曜日の収録日に、あやうく遅刻しそうになったの
です。
 そこで当時、池袋からフジテレビまでは、タクシーで10分ちょっと
だったので、タクシー待ちをしていた矢先に、数回蹴られたのです。

 それを、「あっぱれ」の木更津での潮干狩りロケの時、帰りの船の中
でんまさんとの雑談中、「カラスに蹴られた」事がバレてしまいました。

最初は信用してもらえず、でも私も主張していると、さんまさんが「そ
れならカメラ出すから撮って来い」という事になり、あの一連のニュー
スが成立したのです。

「あっぱれ」って意外な事で番組として成立していたんですよ。

ではまた・・・・。


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