韓国新石器文化を巡る旅

(Last update: 99/9/18)

9/7 6時起床。6:20家を出る。6:45発の列車で上野駅へ。京成線特急で成田空港へ。9:20集合。江坂輝弥さんを筆頭に20人欠員無し。待ち時間に最新の論文や写真が回覧され、ますます興味をかき立てられる。縄文早期前半の押型文土器の破片も出ているという情報があったりする。11:20東京発ソウル行便で出発。入国手続きも滞り無く済み、14:55国内線で釜山へ。16:00釜山金海空港着。大型バスに乗り込む。1人当て2席分で快適。金海国立博物館へ向かう。同博物館は今年7月に開館したばかり。ガイドさんも初めて来たという。空間に余裕を持って作られ、デザインにも凝っている。展示は当然のように三国時代の伽耶の古墳が中心。伽耶式土器の大群には圧倒されるが、我らの関心はそこにはない。新石器時代のコーナーに群がり、ガラスに顔を押しつけ観察する者、メモを取り出す者、カメラを構える者、各自時を惜しんで展示された土器・石器・骨角貝器から情報を摂取する。閉館ぎりぎり18:00直前まで展示室に粘り、最後に売店で展示図録(日本語版)を購入する。

本日の見学はこれのみにて、夕食に向かう。晩餐は海鮮鍋。キムチもお代わりし、お粥で閉めようというところに、明日ご案内いただく河仁秀(ハ・インスー)さんが登場。ここで全員の自己紹介。都道府県では青森・福島・栃木・千葉・埼玉・東京・神奈川、年齢では80歳から大学生まで。共通するのは、縄紋時代の貝塚に興味を持っていること、その延長で韓国の貝塚について学びたいこと。鍋は閉じてひとまずホテルへ。チェックインを済ませたら再びロビーに集まり、歩いて喫茶店に。適当にビールやジュースを飲みながら、河さんに最新の動向を伺う。東三洞貝塚の最新の調査でケツ状耳飾が出土したそうな。その形態は縄紋文化では前期前半に見られる比較的に古いタイプだという。さらに貝輪が2000点以上出土したとか (@_@)  誰かが日本では余山貝塚に約3000点出ていると言えば、東三洞は整理すれば4000点を越えるのではないかとのこと (^_^;) 河さんが最近論文に示した考えでは、佐賀県腰岳の黒曜石と交換するために貝輪を製作した遺跡であろうとのこと。日本でいえば縄紋後期に相当する時期。確かに石鏃は黒曜石ばかり。

いよいよ、本番の2日目。まずは東三洞貝塚へ。海辺の貝塚。今夏発掘調査をしたばかり、その断面が一部残っている。そのわずかな断面にも貝輪が覗き、地表で貝輪を採集する者有り。確かに貝輪が“安い”。出土遺物を見せていただくために釜山市立博物館福泉分館へ。金官伽耶を代表する福泉洞古墳群に作られた博物館である。丁度、装飾品の特別展が開かれている。三国時代の金製品の大群には圧倒されるが、我らの関心はそこにはない。東三洞の最新出土品も展示されている。縄紋の風情をただよわせるケツ状耳飾に大半が興奮状態。確かに東日本では縄紋前期前半に見られる形態。ただし、出土層が比較的に上部で櫛目文各期の土器片が伴うそうなので、確実な年代は不明。以前から知られていた沙村里遺跡のケツ状耳飾も並んで展示され、これはいかにも縄文前期後半に伴いそう。同遺跡は青銅器時代を主とするが櫛目文土器も採集されるという。土製耳飾は大型のものばかり。鮫椎骨の耳飾も中小多数出土しており、どうやら、鮫椎骨製で耳たぶを広げた後、土製に移行したらしい。形態や大きさは上野原遺跡を連想させるとの意見が多く聞かれた。
 展示はその程度にして、整理中の遺物の見学に移る。初めに九州系の土器、装飾品、石器などが並べられる。整理中故、未公表の事実もあるかも知れず、詳細な紹介は控えるが驚くような遺物も出土している。石器について素人なりの感想を記すと、打製の石斧や黒曜石製石鏃が多く、これが縄紋文化の代表的な石器だとどこかに展示してあっても違和感が無いと感じた。九州系土器は前期から後期前葉まで認められた。いよいよ地場の土器に移る。写真や実測図でしか見たことのなかった櫛目文土器や隆起文土器を手にとって観察できる幸せ。施紋具は? 施紋技法は? 素地は? etc. この幸せに浸っていたかったが、道路渋滞の心配からスケジュールが前倒しになり、追い立てられるようにバスに乗る。徹底観察は叶わなかった。捲土重来を内心誓う。

次に釜山大学博物館に向かう。絶品の高麗青磁や三島も展示されていたらしいが、それどころではない。限られた時間の全てを新石器文化の展示に注ぎ込むのだ。我らの関心を集めたのが梧津里(オチンリ)岩陰遺跡最下層から出土したという「條痕文土器」。隆起文より下層で韓国最古の土器だという。表記からは縄紋早期などの貝殻条痕文土器を想像させるが異なるもの。ガラス越しに必死に観察したがどうもよく判らない。指によるか棒か、模様か器面の調整痕かも不明。縄紋早期に詳しい数名に意見を聞いたが答えはいずれも「わからない」。これもまた改めてじっくり観察させていただきたいものだ。乏しい在庫から報告書を分けていただいた。帰国後、ハングルの勉強も兼ねて読んでみたい。

早々に引き上げて駅に向かう。渋滞にも巻き込まれず駅に着き、1時間半の空き時間が生まれる。喫茶店に根拠地を築いた後、市街散策に。ハングルの氾濫を除けば街並み・人波に違和感無し。PCショップでものぞこうと思ったが見あたらず。PC/インターネットと看板の出た店に行ってみたが怪しげな雑居ビルの3階。エレベーターを出てドアから覗くといかにも危ない雰囲気。あわてて閉まりかけたエレベーターに飛び込み退散する。何も買わぬまま釜山駅に戻る。

以上まで、釜山からソウルへ向かうセマウル号車中で執筆
               (by Let's note CF-S22)

ソウルへの到着は8時をすぎており、ただちにバスに乗り込みカルビ宴会へ。

飲んで食べて、ホテルへ。コンセントの変換プラグをルームサービスにお願いして、ノートに充電。日韓五輪予選壮行サッカーは日本大勝。夜の街に消えた同室者はほっといてさっさと寝る

9/10 南大門市場にちょっと寄って(文化庁の某氏が行方不明になりかける)、国立中央博物館に

まずは奥へ通され、学芸研究室長に御挨拶。収蔵庫の土器を見せていただけないか交渉するもどうやら不調。常設展示へ。例によって青銅器は横目で通り過ぎ新石器のコーナーへ直行。おお、著名な土器が並んでいる。室長の許可があれば怖い者無し、どんどん写真を撮る。なにやら右手で騒いでいる、何だろう。

おお、済州島高山里遺跡の出土遺物がこんなところに! 高山里遺跡といえば縄紋草創期とそっくりの有茎尖頭器が出土し、それと同時期かも知れない土器まで出土したことで有名。えっ! その問題の土器も展示してあるの! おおおおおおおお、無紋様で、獣毛のような太い繊維痕があり、平底か。いかにも草創期の土器に見えなくもない。ええっと、石器の方は、小さな有茎尖頭器と大きな石鏃か。こういう組み合わせは関東だったらば草創期前葉の隆起線文土器の後半に伴うような石器ですな。それに比べると土器はもっと古い草創期初頭のものに似た感じかな? 石器と土器が同一の場所から出たわけではないそうなので、時期差が有るかも知れない。ただまあ、日本列島の草創期の遺跡で済州島に最も近い泉福寺遺跡では、本州・四国が有茎尖頭器を使っているときもしぶとく細石器を使っているんだよな.... などと勝手なことを言い合っている内に、もう時間だと急かされる。ええっ、まだ新石器時代も半分しか見ていないのに。あわてて残り半分を瞥見し、売店へ。図録など買い込む。

最終目的地の岩寺洞遺跡へ。櫛文土器文化の研究の原点であり、標式であり、今なお、最も代表的な遺跡の座を保っている。新石器時代の遺跡として唯一?公園に整備されている。入口は支石墓をイメージしたデザイン。ただし出来は悪い。その出来の悪さに、建設当時の文化財行政の第一人者が門を建て替えるまでは有料にしてはならないと命じたそうで、今も無料で入れる。公園内に復元住居が建ち並ぶ。日本だと適当に間引いて復元するところを、発見された竪穴住居跡の上に片端から復元したようで、異様な密集度。日本で見慣れた茅葺き円錐屋根に復元。さて出土遺物は、と向かった展示施設は建て替え工事中!
何テツイテナインダ

昼食は細いうどんのようなもの。土産店に寄って空港へ

17:40成田着。税関も無事くぐり抜ける。先生方が先にお帰りになったところで、今朝行方不明になりかけたH氏が、「実は河さんから東三洞貝塚の概報を10冊もらった。先生方は別途もらえるはずだから、ここに残った人でジャンケンしましょう」 おお、成田でジャンケンだって。勝ったらアメリカに行けるかな(^o^)などと呆けた頭に思い浮かぶ。しかし、ジャンケンするまでも無く、人格高潔な方々が自主的に辞退されて、貪欲無恥なる10人に配布された。筆者はもちろん後者。最後にうれしいおまけが付いて気分良く帰ったのであった。

写真集(約900KBあります。覚悟の上で読み込んでください)


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