| no | 地区 | 書名 | 発行日 | 時代名 | 旧石器該当頁 | 前中期記述頁 | 前中期遺跡 | 執筆者 | 備 考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 38 | 入間 | 名栗村史 | 60/09/30 | - | - | - | - | 大護八郎 | 発行日の記載は月まで。82/3/31復刻。「日本の国に人間が住みついたのは数万年以前にさかのぼることができる」 |
| 71 | 北埼玉 | 行田市史上巻 | 63/03/31 | 無土器 | 1-3 | - | - | 山口平八 | |
| 6 | 北足立 | 大宮市史第一巻 | 68/08/01 | 旧石器 | 34-39 | 34 | 不二山・権現山・今井・星野・福井・出羽 | 不明 | 資料編と通史編の区別をせず、第一巻が考古編 |
| 64 | 大里 | 深谷市史 | 69/12/20 | 先縄文 | 15-17 | - | - | 山口平八 | |
| 66 | 大里 | 花園村史 | 70/04/01 | - | - | - | - | 須藤儀重ほか | 村民による執筆。教科書的記述無し |
| 72 | 北埼玉 | 羽生市史上巻 | 71/03/31 | 無土器 | 47-48 | 48 | 星野・大久保 | 平井辰雄ほか | 平井辰雄・中島利治・大戸政治 |
| 25 | 入間 | 川越市史第一巻 | 72/03/31 | 先土器 | 21-28 | - | - | 不明 | 資料編と通史編の区別をせず、第一巻が原始古代編 「日本の考古学」の杉原編年に準拠 |
| 90 | 南埼北葛 | 越谷市史通史上 | 75/03/30 | 旧石器 | - | - | - | 高橋力 | 教科書的記述無し |
| 45 | 入間 | 毛呂山町史 | 78/01/31 | - | - | - | - | 田中一郎 | 教科書的記述無し |
| 47 | 比企 | 吉見町史上巻 | 78/12/10 | 旧石器 | 18-22 | - | - | 金井塚良一 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 1 | 全県 | 埼玉県史資料編1 | 80/12/25 | 旧石器 | 2-3 | 2 | (福井・不二山・権現山・星野・向山) | 不明 | 「それらの石器群のなかには、人工品かどうか疑われるものもあり、現在の学界でも重大な課題となっている」 小林3区分 |
| 75 | 北埼玉 | 加須市史通史編 | 81/02/16 | 旧石器 | 53-56 | 54 | 不二山・権現山・今井・星野・福井・出羽 | 宮崎勝也 | |
| 81年3月、座散乱木で"前期旧石器"出土 | |||||||||
| 26 | 入間 | 富士見のあゆみ | 82/03/31 | 旧石器 | 82-91 | 82 | 座散乱木 | 荒井幹夫 | 「その以前の時代については宮城県座散乱木遺跡などが報告されている」 |
| 58 | 秩父 | 吉田町史 | 82/03/31 | 旧石器 | 25-26 | 149 | - | 小林茂 | 「ヴルム氷期以前にも、人類が活動した痕跡が認められるとして、その追求に精魂を傾ける研究者もいる」 |
| 43 | 入間 | 坂戸市史原始史料編 | 83/03/15 | 先土器 | 43-52 | - | - | 橋口尚武 | いわゆる前期旧石器についての記述無し |
| 50 | 比企 | 嵐山町史 | 83/09/30 | 旧石器 | 19-21 | - | - | 石岡憲雄 | 町内の資料のみを記述 |
| 57 | 秩父 | 荒川村誌 | 83/12/28 | 旧石器 | 10-11 | - | - | 地元教職員 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 22 | 北足立 | 新座市史自然考古古代中世資料編 | 84/03/20 | 先土器 | 267-268 ,277 | 267,277 | 「宮城県下」 | 水村孝行 | 本文(267P)「全国的にはさらに古い時代に属する遺跡も存在するらしい」注(277P)「最近の新聞報道によれば宮城県下で四万年前の石器、またさらに古い時代の石器類が出土したという」 |
| 4 | 北足立 | 与野市史自然・原始古代編 | 84/06/18 | 旧石器 | 115-116 | 115 | 「南関東では発見されていない」 | 井上肇 | 「約一〇万年前〜三万年前を前期旧石器時代(ヨーロッパの中期旧石器時代)とし」 |
| 69 | 大里 | 熊谷市史通史編 | 84/08/31 | 旧石器 | 97-98 | 97-98 | 座散乱木 | 不明 | 先史文化の記述はきわめて簡素。発行日の記載は月まで |
| 49 | 比企 | 滑川村史通史編 | 84/10/31 | 旧石器 | 27-35 | - | - | 金井塚良一・梅沢太久夫 | 村内の資料のみを記述 |
| 86 | 南埼北葛 | 岩槻市史通史編 | 85/03/15 | 旧石器 | 95-101 | 95 | - | 不明 | 「二〇〜一〇万年前に人類が日本列島にたどりつき」。専門委員に小川良祐、調査員に庄野靖寿・谷井彪 |
| 48 | 比企 | 東松山市の歴史上 | 85/03/31 | 旧石器 | 2-7 | - | - | 金井塚良一 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 63 | 児玉 | 本庄市史通史編I | 86/03/30 | 旧石器 | 185-191 | - | - | 市史編集室 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 14 | 北足立 | 川口市史考古編 | 86/03/31 | 旧石器 | 31-42 | - | - | 斉藤悟朗 | 全国的な区分を敲打器→刃器→尖頭器→細石器とする |
| 27 | 入間 | 富士見市史資料編2 | 86/03/31 | 旧石器 | 21-24 | - | - | 十菱駿武 | 列島全般についての記述乏しい |
| 65 | 大里 | 寄居町史通史編 | 86/07/30 | 旧石器 | 29-36 | - | - | 梅沢太久夫 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 19 | 北足立 | 戸田市史通史編上 | 86/08/30 | 先土器 | 209-212 | 210 | 座散乱木・福井・星野・不二山・権現山 | 柳田敏司・塩野博 | 「これらの遺跡から出土した石器群のなかには人工品かと疑問視されるものがあるといわれており、問題解決に向って現在研究が進められているところである」 |
| 62 | 児玉 | 美里町史通史編 | 86/10/30 | 先土器 | 66-80 | 66-68 | 明石原人・座散乱木 | 矢代登ほか | (加工痕の有る木片は)「今から一一万年〜一七万年前の地層からの出土であるという」。矢代登・浅見明・菅谷浩之・岡本幸男の連名執筆 |
| 29 | 入間 | 三芳町史通史編 | 86/11/05 | 先土器 | 8-24 | - | - | 橋口定志 | 「私たちが確実なものとして知ることのできる日本の歴史は、現在のところは新人が現れてから以降」 |
| 81 | 南埼北葛 | 菖蒲町の歴史ガイド | 86/12/20 | 先土器 | 19-20 | - | - | 不明 | 「現在のところ日本の先土器文化は五、六万年前までしかさかのぼれない」 |
| 77 | 南埼北葛 | 鷲宮町史通史上 | 86/12/25 | 先土器 | 169-173 | 171 | - | 山本良知 | 「石器に関する限り、約一〇万年前と推定される関東ローム層中から発見されているが、まだ、その結論を疑問視する向きもある。確実に日本列島に人類が住み始めたのは、約三万年前頃とみられている」 |
| 2 | 全県 | 埼玉県史通史編1 | 87/03/30 | 旧石器 | 17-48 | 17-19 | 座散乱木・山田上ノ台 | 小林達雄 | 「一〇万年以上の古さにさかのぼる可能性がある」 |
| 3 | 足立 | 浦和市史通史編I | 87/03/31 | 旧石器 | 147-165 | 150 | 星野・座散乱木・早水台 | 青木義脩 | 「各地で、三万年前になるとされる前期旧石器が明らかにされようとしている」 |
| 20 | 北足立 | 和光市史通史編上 | 87/03/31 | 先土器 | 113-129 | 116-117 | (星野・早水台)座散乱木 | 谷井彪 | (星野等は人工品か疑問だったが)「座散乱木遺跡において三万年以前の層から明らかに人工品と考えられる石器群が発見され」「旧人の時代は化石人骨が発見されていたが、これによりようやくこの時代の石器も検討に値する時代に入った」。葛生・浜北・三ヶ日人骨を旧人として扱っている |
| 42 | 入間 | 鶴ヶ島町史通史編 | 87/03/31 | 旧石器 | 99-102 | 100,102 | 福井・馬場壇・星野 | 吉田恵二 | 小林達雄3期区分 「星野遺跡で住居址らしい遺構が発見」 |
| 87年5月、多摩ニュータウンで"前期旧石器"出土 | |||||||||
| 5 | 北足立 | 与野市史通史編上 | 87/06/15 | 旧石器 | 18-25 | 20 | 早水台・星野・座散乱木・山田上ノ台・馬場壇A・中峯 | 井上肇 | 「早水台遺跡はもちろん前期の筆頭に位置する」「星野遺跡が著名」「近年、宮城県内で・・(中略)・・前期旧石器時代の存在が確実なものとなった」 |
| 23 | 北足立 | 新座市史通史編 | 87/09/20 | 先土器 | 25-45 | 29 | 中峰・馬場壇A・座散乱木 | 水村孝行 | 「この数値が正しいものとすると」「可能性はある」「今後の調査、検討を待たねばならない」という具合に断定的な記述を避けている |
| 33 | 入間 | 所沢市史原始・古代史料 | 87/09/30 | 旧石器 | 3-13 | 6 | 福井・早水台・座散乱木・山田上ノ台・青葉山B・馬場壇A・星野・岩宿D・多摩ニュータウン | 早川智明 | 「所沢市付近の狭山丘陵や武蔵野台地でも」「前期旧石器の発見される可能性が大いにあってよい」「今後の探索が期待される」 |
| 37 | 入間 | 飯能市史通史編 | 88/02/11 | 旧石器 | 58-61 | 59-60 | 丹生・加生沢・早水台・不二山・権現山? | 不明 | 記述混乱。佐藤達夫説に沿った記述多いが、わずか数ページの中で用語が多義的に用いられている。巻末に執筆分担の記載無く、市民の手による市史編纂とある |
| 15 | 北足立 | 川口市史通史編上 | 88/03/20 | 旧石器 | 3-14 | 3-4 | 座散乱木・馬場壇A・TNT471-B | 宮明朝雄 | 「3万年以前の旧人段階の歴史もさらに加わろうとしている」 |
| 31 | 入間 | 大井町史通史編上 | 88/03/26 | 先土器 | 7-26 | - | - | 坪田幹男 | 「日本で発見されている石器で最古のものは、異論の少ないところで三万年前後である」 |
| 59 | 秩父 | 皆野町誌通史編 | 88/03/30 | 旧石器 | 148-152 | 149 | 「宮城県などでわずかに認められている」 | 小林茂 | |
| 88 | 南埼北葛 | 春日部市史考古資料編 | 88/03/31 | 旧石器 | 111-112 | 111 | 座散乱木・「多摩ニュータウン内遺跡」 | 不明 | 「やがて埼玉県内でも発見されることと思われる」 小林3区分 |
| 21 | 北足立 | 朝霞市史通史編 | 89/03/15 | 旧石器 | 113-135 | 113-115 ,122 | 座散乱木・馬場壇A・「多摩丘陵でそれに匹敵する遺跡」(・山田上ノ台) | 佐々木保俊 | 県史通史編から図を転載 |
| 60 | 児玉 | 神川町誌 | 89/03/20 | 先土器 | 233-240 | 233,234 | 上ノ台・座散乱木 | 田村誠ほか | 田村誠・篠崎潔・金子彰男・秋山英二 |
| 84 | 南埼北葛 | 白岡町史通史編上 | 89/03/25 | 先土器 | 3-18 | - | - | 西井幸雄 | 「現在、日本で最も古い石器は、今から約三万年前のものだと考えられている」 |
| 79 | 南埼北葛 | 久喜市史資料編I | 89/03/27 | 先土器 | 3-4 | - | - | 鈴木敏昭 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 12 | 北足立 | 鴻巣市史資料編I | 89/03/31 | 先土器 | 3-9 | 7 | 「宮城県下のいくつかの遺跡」「多摩丘陵」 | 西井幸雄・水村孝行 | 小林3区分 発行日の記載は月まで |
| 91 | 南埼北葛 | 八潮市史通史編I | 89/07/22 | - | - | - | - | - | 洪積台地の無い土地柄のため関連の記述無し |
| 30 | 入間 | 大井町史資料編I | 89/08/25 | 先土器 | 3 | 3 | - | 今井堯 | 「最近は数万年前にさかのぼる可能性のあるものも知られている」 |
| 67 | 大里 | 川本町史通史編 | 89/10/31 | 旧石器 | 39-43 | 40 | 座散乱木・馬場壇 | 今井宏ほか | 今井宏・村松篤・高橋好信・富田和夫。小林達雄3期区分 |
| 87 | 南埼北葛 | 杉戸町の歴史 | 89/11/03 | 先土器 | 2 | - | - | 増田 | 通史的記述無し |
| 10 | 北足立 | 桶川市史通史編 | 90/03/20 | 旧石器 | 23-34 | - | - | 吉川国男 | 「明石原人」等の人骨への言及はあるがいわゆる前期旧石器に言及無し。無土器新石器時代説への言及有り |
| 24 | 北足立 | 志木市史通史編上 | 90/03/31 | 旧石器 | 3-13 | 5-6 | 座散乱木・馬場壇A・TNT471-B | 市毛勲 | |
| 70 | 大里 | 大里村史通史編 | 90/07/25 | 旧石器 | 25-30 | - | - | 金井塚良一 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 52 | 比企 | 玉川村史通史編 | 91/01/31 | 旧石器 | 3-10 | 3 | 座散乱木・「多摩ニュータウン内の遺跡」 | 塩野博・吉田哲夫・小野安司 | 「『旧人』段階まで遡る可能性が出てきている」 |
| 41 | 入間 | 鶴ヶ島町史原始古代中世編 | 91/03/30 | 旧石器 | 15-25, 43-49 | 19,23, 44 | 「多摩ニュータウン」(P19,23)座散乱木(P44) | 益子敏之 | P15_25は89/3/12に開かれた座談会。荒井幹夫「今度多摩ニュータウンから出た」(P19) 早川泉「三〇万年前とか四〇万年まえとかいう極端な年代観」「少なくとも一〇万年はさかのぼりうることは確か」(P23) |
| 34 | 入間 | 所沢市史上 | 91/09/30 | 旧石器 | 91-128 | 94-95, 98-100 | 福井・早水台・座散乱木・山田上ノ台・青葉山B・星野・岩宿0・TNT471B | 早川智明 | 「所沢地方は、前期旧石器を出土する可能性が最も大なる地域の一つとして今改めて多くの研究者からの注目を集めており、市域の、そして関東平野西縁一帯地方のさらなる探索がすでにはじまっているのである。」 |
| 80 | 南埼北葛 | 久喜市史通史編上 | 92/01/20 | 先土器 | 103-111 | - | - | 鈴木敏昭 | 「現在、日本で最古の石器は今から約三万年前のものだと言われる」 |
| 44 | 入間 | 坂戸市史通史編I | 92/03/19 | 旧石器 | 3-17 | 8 | 座散乱木・馬場壇A・中峰C・471B | 田中一郎 | 小林達雄3期区分 |
| 7 | 北足立 | 上尾市史資料編I | 92/12/01 | 旧石器 | 51-57 | 51 | 中峰C | 荒井幹夫 | 「今後あらたな発見があれば、これからもその年代が次々と書き変え続けられることになるであろう」 |
| 17 | 北足立 | 鳩ヶ谷市史通史編 | 92/12/28 | 旧石器 | 55-65 | (62) | (座散乱木・山田上ノ台) | 市川修 | 県史通史編から転載した図のみ |
| 28 | 入間 | 富士見市史通史編上 | 94/01/31 | 旧石器 | 61-88 | 64-66, 73 | (星野・早水台)/山田上ノ台・座散乱木・高森・馬場壇A・中峰C・青葉山B・権現山・桐原・TNT471-B | 十菱駿武 | 「奥秩父山地に接するローム地層のある古い段丘や所沢市周辺の狭山丘陵で、前期・中期旧石器時代の遺跡が今後発見される可能性がある」 P73のみ荒井幹夫で、馬場壇Aをキャンプ跡として紹介 |
| 11 | 北足立 | 北本市史通史編I | 94/03/31 | 旧石器 | 161-187 | 170-171 | 座散乱木・馬場壇A・TNT471-B | 磯野治司 | 「日本に旧人段階の人類がすでに生活していたことは、もはや疑う余地はない」 発行日の記載は月まで |
| 73 | 北埼玉 | 川里村史資料編I | 94/03/31 | 旧石器 | 3-4 | - | - | 不明 | “日本列島最古の石器”への言及無し 発行日の記載は月まで 委員・調査員に塩野博・新屋雅明 |
| 36 | 入間 | 入間市史通史編 | 94/08/31 | 先土器 | 117-136 | 121-122 | 「宮城県下」「多摩ニュータウンの一角」 | 水村孝行 | 「宮城県下の発掘調査では50万年前のものという石器群」「この数値が正しいとすると」「類似の資料が乏しく」という具合に断定的な記述を避けている |
| 89 | 南埼北葛 | 春日部市史通史編I | 94/09/10 | 旧石器 | 16-25 | - | - | 細田勝 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 68 | 大里 | 江南町史資料編I考古 | 95/03/10 | 旧石器 | 16-19 | 16 | - | 川口潤 | 「現在確認されている国内最古の遺跡は約五〇万年前の原人段階のものとする説がある。一〇万年を越える遺跡の発見も近年徐々に増えつつあるが、発見地域が限られている」 |
| 18 | 北足立 | 新修蕨市史通史編 | 95/03/15 | 旧石器 | 49-52 | 49 | 高森 | 青木義脩 | 旧石器文化の項の冒頭で高森の発見をとりあげる |
| 92 | 南埼北葛 | 三郷市史通史編I | 95/03/31 | 先土器 | 6-17, 32-39 | 11-13 | 座散乱木・馬場壇A・高森 | 沖松信隆 | 脂肪酸分析への言及有り |
| 35 | 入間 | 狭山市史通史編I | 96/03/29 | 旧石器 | 77-87 | 77 | 座散乱木・中峯・馬場壇 | 事務局 | |
| 61 | 児玉 | 上里町史通史編上 | 96/03/31 | 旧石器 | 63-65 | - | - | 井上唯雄・外尾常人 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 16 | 北足立 | 草加市史通史編上 | 97/03/31 | 旧石器 | 119-126 | 120 | 高森 | 高橋一夫 | |
| 39 | 入間 | 日高市史原始・古代資料編 | 97/03/31 | 旧石器 | 51-56 | 51, 53 | - | 栗島義明 | 「このうちで三万年より古い前・中期旧石器時代の遺跡は一パーセントにも満たず」「日高市や飯能市周辺には四十〜六〇万年前に堆積した火山灰が厚く観察され、今後、ここから石器が発見される可能性もある」 |
| 46 | 入間 | 越生の歴史I | 97/03/31 | 旧石器 | 91-100 | 95-96 | 上高森 | 石川久明 | |
| 54 | 比企 | 都幾川村史考古資料編 | 98/01/31 | 旧石器 | 3-6 | 3 | 座散乱木・上高森・「栃木・群馬・東京」 | 梅沢太久夫 | 「埼玉県では未発見である」 |
| 82 | 南埼北葛 | 蓮田市史考古資料編I | 98/03/31 | 旧石器 | 2-3 | - | - | 金子直行 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 55 | 比企 | 小川町の歴史資料編I考古 | 99/03/26 | 旧石器 | 21-25 | 21-22 | 上高森・「東北地方で約30か所」「群馬県・栃木県」 | 栗島義明 | 「埼玉県の日高市を中心とした西部地域や秩父市域には、五〇〜六〇万年前に堆積した火山灰が厚く積もっており、今後、このなかから石器群が発見される可能性も高い」 |
| 99年3月、秩父市長尾根で"前期旧石器"出土 | |||||||||
| 8 | 北足立 | 上尾市史通史編上 | 00/01/31 | 旧石器 | 15-53 | 16, 21, 29 | 上高森・長尾根・多摩ニュータウン内遺跡・群馬県下 | 荒井幹夫 | 「平成十一年に秩父市長尾遺跡で約三十五万年前の遺跡が発見され」("根"は欠字) |
| 40 | 入間 | 日高市史通史編 | 00/03/10 | 旧石器 | 3-10 | 4 | 上高森・中峰C・馬場壇A・長尾根 | 小倉均 | 「『埼玉原人』の活動の様子が明らかになる日もそう遠くはないだろう」 |
| 32 | 入間 | 上福岡市史通史編上 | 00/03/24 | 旧石器 | 41-63 | 48-50 | 山田上ノ台・座散乱木・馬場壇A・高森・上高森・長尾根・TNT471-B | 加藤秀之 | 岡村編年図を転載 |
| 13 | 北足立 | 鴻巣市史通史編I | 00/08/31 | 旧石器 | 3-46 | 13, 16-18, 21-22 | 上高森・「福島県でも」・長尾根・小鹿坂・ | 水村孝行 | 「今から五〇万年前には県内に原人段階のヒトが住んでいたことが明らかとなった」「約六〇万年前、日本列島にヒトが住んでいたことは明らかであるが」。馬場壇の脂肪酸分析にも言及有り 発行日の記載は月まで |
| 00年11月、捏造発覚 | |||||||||
| 74 | 北埼玉 | 騎西町史考古資料編I | 01/03/23 | 旧石器 | 2-9 | 2 | 「東北地方」・「尾田蒔丘陵」 | 水村孝行 | 「東北地方では六〇万年前から七〇万年前にまで遡るという報告が伝えられている。埼玉県でも、秩父市尾田蒔丘陵から前期旧石器時代に相当すると考えられる遺跡が発見されている。しかし、それらの諸遺跡から出土した資料については考古学のみならず、地質学など関連分野からの検証も不可欠であり、詳細については今後の分析・検討を待たなければならない」 |
| 53 | 比企 | 都幾川村史通史編 | 01/03/30 | 旧石器 | 3-4, 14-18 | 3, 15 | 「宮城県内」・長尾根・小鹿坂 | 小倉均 | 「埼玉県でも秩父でその存在が確認された」(P3)「埼玉県内においても最近、秩父市の長尾根遺跡や小鹿坂遺跡から『前期旧石器時代』の遺跡発見が報じられたが、その実態究明には多少時間がかかるだろう」(P15) |
| 85 | 南埼北葛 | 宮代町史通史編 | 02/03/31 | 旧石器 | 25-38 | - | - | 西井幸雄 | “日本列島最古の石器”への言及無し |
| 78 | 南埼北葛 | 幸手市史通史編 | 02/06/28 | 無し | 49-53 | 50 | - | 鈴木敏昭 | 「幻の原人が、いずれ幻でなくなることを期待したい。しかし現状では、さかのぼることのできる最古の列島内の遺跡は約三万年前といわれている」 |
| 83 | 南埼北葛 | 蓮田市史通史編I | 02/12/25 | 旧石器 | 3-11 | - | - | 西井幸雄 | 「日本列島に人類が到着し生活を始めた時期は、今のところは約三万五千年以降の後期旧石器時代からと考えられている。今後、原人や旧人の一部が列島に到着したかどうかが問題となろう」 |
| 9 | 北足立 | 伊奈町史通史編I | 03/03/25 | 旧石器 | 27-40 | 30 | (上高森・長尾根・小鹿坂) | 村田章人 | 「これらの遺跡のほとんどがある人物の手によってねつ造されたことが明らかとなり…(中略)…(平成十四年五月記す)」「三万年以前の石器群については、研究の再構築がこれから行われるところである」 |
| 51 | 比企 | 嵐山町博物誌4原始・古代 | 03/03/31 | 旧石器 | 14-26 | - | - | 宮崎朝雄ほか | 「およそ三万五千年前ころから確実」「日本に人類が住み始めた約三万年前」 発行日の記載は月まで 執筆分担不明で宮崎朝雄・石川安司・植木智子・富田和夫・村上伸二・植木弘 |
| 56 | 比企 | 小川町の歴史通史編上巻 | 03/08/29 | 旧石器 | 9-28 | 15-16 | 早水台・金取・「群馬県や福岡・静岡・長野県など」・野尻湖底遺跡 | 栗島義明 | 早水台・金取=>「約一〇万年前」・「群馬県や福岡・静岡・長野県などからも五万年前後・野尻湖底遺跡では四〜五万年前」 「いずれにしても、列島にもホモ−サピエンスに先行する人類が生息していた事だけは間違いない」。後期は5期区分 |
| 76 | 北埼玉 | 大利根町史通史編 | 04/03/30 | 旧石器 | 2-7 | (5) | - | 鈴木敏昭 | 「原人の渡来も十分可能性がある。しかし今のところ、確実にさかのぼることができる日本の歴史は約三万年前までである」 |
| 参考 | 東村山市史資料編考古 | 01/03/30 | 旧石器 | 49-120 | 59-61 | 層位・年代の確実な遺跡として、金取・柏山館・星野・桐原・権現山・不二山・半分山・房谷戸・立ヶ鼻・福井・後牟田 | 野口淳 | 都内ではあるが、近接地域での発覚直後の事例として興味深いものなので付けておく | |