土曜考古学研究会2001年1月例会報告
2001年1月20日(土)
末法の考古学・成長しない集落論
−『国民の歴史』と『縄文の生活誌』が投げかけるもの−
I.末法の考古学
- 世紀末2000年12月5日に起きたこと−宮城県築館町上高森・北海道新十津川町総進不動坂
- 『毎日新聞』2000年11月5日(日〉付全国版「日本最古の石器発掘ねつ造」
- 『朝日新聞』2000年11月5日(日)付宮城版「旧石器時代原人像見直し迫る可能性」
- 佐々木・・・『私が掘った東京の考古遺跡』前書きの書き直し⇔編集者・・・「逆風だー!」
- しかし、すでに前月には今回の事件を予兆させる現象=現代11月号「私には50万年前の地形が見える」
- 埼玉県秩父市小鹿坂遺跡出土の”秩父原人の住居跡・石器埋納遺構”−前期旧石器時代にさかのぼる貯蔵の計画性と半定住の可能性(単なる前期旧石器の存否という次元よから変質)
- 「石器の周囲にある礫は、たいてい腐ってたりするけど、石器は腐らない。生きているんです。土もほとんど石器には付着しないから、掘り出すときは『ふわっ』と軽く取れる・・・」(東北旧石器文化研究所全体の共通認識なのか?)
- 心がやましい人間ほどしばしば饒舌となり(いわゆる犯罪者心理)、必要以上に自分の行動を正当化しようとする(いわゆるアリバイ証明)。
- 当事者・・・それぞれの自己弁護劇
- 岡村道雄「困惑を禁じ得ません・・・今回の事件がこれまでの旧石器研究、ひいては考古学全体に大きな打撃を与えたことは間違いありません。これを機会に、前期旧石器時代研究の方法等について、義論を深めていく必要性を痛感しています。また、考古学界の一隅に身を置く者として、このようなことがないよう、私自身も今回のことを教訓に研究にたずさわってまいりたいと存じます。」(講談社「日本の歴史」読者の皆様へ−藤村新一氏の「事件」について)←まるで他人事。「一億総絵ザンゲ」でもしろということなのか?
- >芹沢長介「波乱の考古学界を憂える」中央企論1月号−座散乱木以前の再評価・岡村道雄批判=「自分たちの調査を自画自賛・・研究史の歪曲であり捏造」←ナント、ここにも捏造! 仁義なき内ゲバ。前期旧石器調査の指導者としての責任を見事に放棄した、旧石器研究の先駆者のこうした惨めな言い訳をこそ憂える。
- 鎌田俊昭・梶原洋「腹立たしい・・・」−腹立たしいのはこちら。一体、今回の事件はゴッドハンド氏一人が計画し、一人で実行したのか。何十年も一緒に調査をしていながら、石器や遺構の捏造を見抜けなかったとすれば、それは考古学者失格ということではないのか。
(土もほとんど石器には付着しないから、掘り出すときは『ふわっ』と軽く取れる!)
- 長崎潤一・・・(安蒜政雄・・・)
- 学界・・・相互批判の欠如・権威づけられた定説への追随・発掘資料の私物化=日本考古学を広く覆う職業病。「ローム真理教」
- 竹岡俊樹・・・『異貌』へこそ論文を寄稿すべきであった。
- 小田静夫「・・・・・」世界1月号
- 角張淳一・・・
- 某国立大学若手研究者「「五○万年前の遺跡」なんてホントに信用できるか」週間新潮3月号
- (佐原真『大系日本の歴史1 日本人の誕生』「馬場壇A遺跡の金字塔」岡村道雄・シカとイノシシの脂肪酸「なぜ埋まるのか」凍上現象・考古学では、層位関係だけを優先することはできない・「座散乱木、馬場壇の発見」藤村新一・岡村道雄・石器文化談話会・第二の岩宿・「座散乱木・馬場壇への疑問」凍上現象・しかし、所変われば土や気象条件も異なる。この論点から石器でないというのはむずかしいだろう←なんという自己矛盾!)
- マスコミ・・・ゴッドハンド氏の全国的なヒーロー化の最大の貢献者であることへの自戒の声、ほとんど聞こえず。しかも、「隔靴掻痒」的な見当外れの指摘が大半。
- 朝日新聞・NHK−努めて第三者の顔。その識見が疑われる。
- 読売新聞−毎日批判。
- サンケイ新聞−東北大学(敗者)×明治大季←記者は明大卒なのか?
- TBS−中国・韓国などの反応を含めて捏造事件と『国民の歴史』との関連について指摘←しかし、後述するようにややピンぼけ。西尾幹二ら新しい歴史教科書を作る会から逆に反論。
- アサヒグラフ別冊『古代史発掘総まくり』・・・古澤「あれほど専門家が周辺にいながら、なぜこれまで見過ごされてきたのか理解できません。遺物のみに目を奪われてはならぬと、自らを戒めています。」−戒める対象を間違えている。
- 週間ポスト11月24日号・・・「「古代史ねつ造」の裏はカネ、カネ、カネ」・・・マスコミがねつ造を”神格化”した・吉村作治「アマチュアが考古学者の権威をバックに跋扈・・・学問的未熟さ・・」(←あなたにだけは言われたくない。後述)
- 週間文春12月14日号・・・立花隆「私の読書日記」
- 現代1月号「藤村新一氏「石器発掘捏造事件」を考える」
- 文芸春秋1月号・・・林寛人「高森原人「石器捏造報道」を嗤う−原人ブームを煽る新聞に捏造を嗤う資格はない」・・・1959年朝日新聞岩手・花泉原人⇔毎日新聞=静岡・三ヶ日原人・・・田村貞雄1996『新編日本史を見直す 1地域と文化』青木書店=「高森原人骨の発見」!?
- 諸君1月号・・・西尾幹二「「国民の歴史」に降りかかる火の粉を払う−「歴史」と「科学」の相克」・・・『縄文時代の生活誌』=「科学に名を借りた現代人の作り話、神話の贋造」!? ←[目くそ・鼻くそ」の類い!
- 単行本
- 『私が掘った東京の考古遺跡』2000年11月30日ノンブック−”秩父原人の住居跡・石器埋納遺構”と前期旧石器時代にさかのぼる貯蔵の計画性および半定住の可能性を否定。ゴッドハンド氏と吉村作治・宜保愛子エジプト霊視行の驚くべき類似性。(「吉村作治教授が今は怪しむ宜保愛子エジプトでの霊視」週間朝日12月15日号←何を今頃!「アマチュアが考古学者の権威をバックに跋扈」とは誰のことか?日本のマスメディアにとって吉村が日本の考古学の顔であるという事実そのものが日本考古学の「学問的未熟さ」の何よりの証明ではなかったのか?あきれた自己弁護と恐るべき変わり身の早さ。それにしても、吉村をヨイショしている時なのか、朝日よ。朝日の記事と吉村の自己弁護が重なり合って見えるのは私だけか?)
- 『・・・・・・・』朝日選書−2001年1月
- 文化庁・・・なぜ捏造者本人からの事情聴取ができないのか。いや、しないのか。発掘報告書の速やかな提出云々とはとんだ田舎芝居・茶番。「新発見考古速報展」や教科書掲載問題、文化庁担当官によるマスメディアを通した意識的な数々の宣伝作業をみるまでもなく、彼らこそは今回の事件の共同正犯であり、その責任はきわめて大きいといっても誤りではない。にもかかわらずこの点に対する少しの反省の言葉もみられないのはなんとも不可解。そこにみられるのは大企業や官庁を舞台にした構造的な汚職事件などにみられる「とかげのしっぽ切り」そのもの。最終的に一体、誰が、どのような責任をとるのか?
- 悪いのはゴッドハンド氏一人なのか?(捏造を教唆した人物が存在したかどうかも未証明!)今回の事件、学界・マスコミ・文化庁・文部省を含めた構造的な問題それにしても文化庁などが数々の問題点や批判を承知した上で、半ば強引に列島の前期旧石器の公認と権威づけを強行した本当の理由は、一体、どこにあったのか?
II.成長しない集落論
- 捏造事件は前期旧石器だけの問題なのか?
- 21世紀に持ち越された縄文時代集落論の重要課題(20世紀集落論ワースト5ではないので間違わないこと。念のため。)
@与助尾根集落論・「三家族三祭式分掌論」・水野正好−都出比呂志のネオ単位集団論・『古代史の論点4 権力と国家と戦争』1998−侵蝕される縄文時代集落論時代集落論(異貌14、15号)
A氏族共同体論・ポスト和島集落論・勅使河原彰(石部正志)・中央広場=原始的平等がつねに貫かれた氏族制社会(ナント!?)⇔羽生淳子・小林よしのり−異貌13号
B姥山B9号住居内遺棄人骨・5人同居=5人同時死亡説−異貌12号
C鹿児島県国分市上野原遺跡第4工区(早期前半)・・・南の文明・南九州の初期定住集落・ 国内最古、最大級の定住集落・もう1つの縄文文化・竪穴住居址52軒・P−13(サツマ火山灰)・10軒の同時存在住居〈新東晃一)・13軒の同時存在住居(勅使河原彰 1998『縄文文化』新日本新書)・同時期10軒前後の集落がほぼ3時期にわたって数百年間継続(根田信隆1999「関東から見た南と北の縄文時代集落定住の始まり」『利根川20・シイの実形の家(宮本長二郎)・堀田希一「常識揺るがす垂直柱−鹿児島・上野原遺跡で「シイの実」形建物復元」(朝日新開『にゅうすらうんじ』1997年9月12日付夕刊)←異貌16、17号
D三内丸山遺跡・・・北の文明・「長い・大きい・多い」・五百人・千五百年・都市・巨大木柱遺構・20m以上・神殿(八畳間の?)・神官(横浜市歴史博物館・横浜ふるさと歴史財団 2000「発見!巨大集落−大熊仲町遺跡と縄文中期の世界」・・・移動論は解消されたのか?)←異貌16、17号
- 小山修三・・・@(A)からCDへと渡り歩く?
- 一種の文化的捏造=何故、問題にならないのか?
- とうてい歴史科学とはいいがたい虚構の横行と、それを許容する覆いがたい緊張感の欠如=今回の捏造事件やヴィジュアル系考古学者成立の土壌(佐々木1998、99「北の文明・南の文明−虚構の中の縄文時代集落論」異貌16、17号参照)。今回の事件は、変わり身の早さを含めた、そうした日本考古学の積年の体質に対する痛烈な警鐘!
III.『国民の歴史』と『縄文の生活誌』が投げかけるもの
- 西尾幹二 1999.10『国民の歴史』産経新聞社・・・やわらかな皇国史観・ネオ皇国史観
- 旧石器時代・・・宮城県月館町上高森遺跡出土の石器埋納遺構=ジャワ原人や北京原人よりもさらに古い約78万年前の人類の遺跡・・・「今度発見された日本列島内の「原人」の残した石器群から、これら人類がわれわれ日本人の祖先であるとただちにはっきり言い切ることはできないように思える。いうまでもなく、北京原人もまた中国人の祖先と断定することはできない。・・・あまりにもかけ離れた数字は、人間の歴史の意識というものとつながらない。「原人」の足跡が日本列島に刻まれていてもいなくても、正直、私の人生観にはほとんど関係はない。日本の歴史にかかわりを持ち始めるのは、後期旧石器時代の縄文時代以来である。」
- 縄文時代・・・世界最古の縄文土器文明。エジプト文明に並ぶ長期無変動文明(安田喜憲)。土間式の中国文明に対する高床式の縄文文明?神殿・陸稲・天水田・天文学・外洋航海術・家畜の飼育・縄文精神・「ほどなく王権の成立期を迎えるに足るだけの、文明的な成熟状態にすでに到達していた・・・」「大いなる“母なる母胎”、歴史を背後から支えているものとしての縄文文化−それこそが日本史のたんなる前史なのではなく、いわ基盤をなす土台として、考えられなければならない世界ではないだろうか。」←西尾論の問題点の詳細については、佐々木 2000「縄文的社会像の再構成−二つの「新しい縄文観」のはざまで」『異貌』18号参照。
- 岡打道雄 2000.10『日本の歴史01 縄文の生活誌』講談社・・・自身が消されてしまった、「もう、古い日本史は消してください」
- 第一章 「原人」たちの秋−前・中期の旧石器時代
「なぜ、石器は埋められたのか」(なんとも予言的なタイトル!)「「秩父原人」の意外に高度な生活」(そりゃそうだ)「六十万年前以前から日本列島にいた「原人」」「第二の岩宿の発見」(座散乱木)「旧石器発見の「神様」と、全国への広がり」・・・霊視・透視の世界!
- 第三章 縄文文化の成立
「鹿児島県上野原遺跡第4工区では、早期前葉の竪穴住居が合計五十二棟、炉穴十六基、焼け集石三十九基と、多くの土坑が発見された。また、桜島から噴出した軽石が竪穴住居内へ堆積した状況から見て、二本の道を中心に、十棟ほどが同時に存在した定住集落が百年から百五十年続いた遺跡であったことが判明している。」←いつ、誰が、どのような方法でこうした結論を導き出したのか?
- 第四章 三内丸山遺跡の生活誌
「自分たちの原点を求めて・・・日本人のライフスタイルの原型は縄文時代にさかのぼることが確実になってきている。・・・失いかけていた日本人のアイデンティティを求め、自信を取り戻すための原点・歴史探しとして注目・・・」「十年で書き換えられた縄文観・・・細々と獲物を捕り、貝を拾い、木の実を集めて、竪穴住居にひっそり暮らしてきた二十人から三十人の集団があったという縄文人のイメージは、この十年で完全に塗り換えられたのである。」(小山修三あるいは岡田康博の文章を読んでいるよう!)「三内丸山遺跡は、なぜすごいか・・・*遺跡全体が広い*建物が大きい(ウソ!肝心の竪穴住居は小さい)*出土した遺物が膨大な量*千五百年の長きにわたって続いた五百人近い人々のムラ」
- 石部正志 2000.5『国民の歴史』の誤れる縄文観」「教科書に真実と自由を」連絡会編『徹底批判『国民の歴史』』大月書店
- 「日本人優越論・・・上高森遺跡・・・日本における原人の存在を肯定・・・埼玉県秩父市における柱穴の発見が、この本の出る前であったならば、著者は誇らしげにこれを挿入したことであろうが、原人段階のものと思われる建物遺構の類例はきわめて少ないもののヨーロッパでも知られている。今回の発見は、原人段階の人類がすでにかなり高度の技術、つまり文化を保有していたことを傍証した点が重要なのである。ところが著者は、原人などいてもいなくても「私の人生観にはほとんど閑係はない」と、人類史にたいしてゆるしがたい暴言を吐いたうえで、「日本の歴史にかかわりを持ち始めるのは、後期旧石器時代の縄文時代以来である」とし、・・・。」←まったく自己矛盾した批判。TBSと同じ誤り。すでに論争依然の段階において石部側が論理的にも資料的にも自己破綻。勝負あり。西尾にとっては、もともと旧石器時代や原人などどうでも良い存在。北京原人でさえ中国人の祖先とは断定できない、とむしろ石部よりはるかに考古学的。彼にとってはあくまでも縄文時代、縄文人が問題なのだ。そうした根本的な命題を理解できない、なんともピントはずれな批判にもならない徹底批判。考古学研究者の思弁牲の限界を露呈?
- 「縄文文化を世界最古の土器文化と称するのは誤れるお国自慢に過ぎないが、これを土器文明などというのは、文化と文明というまったく異なった社会科学の概念の区別も知らない西尾氏の無知を露呈している。」←西尾のいうエジプト文明に並ぶ長期無変動文明論はいわば確信犯。それを無知呼ばわりすることの滑稽さ。
- 「(縄文時代の集落は)建物はすべて中央に広場をおき、それを囲んで配置されていることから、日常経営の基礎単位は家族ではなく、複数の家族の集合体である血縁的な氏族共同体であったと考えられる。」←すべて?!ここにも大きなウソ。勅使河原のコピー。
- 「三内丸山遺跡はこうした(部族的なまとまりの核心をなす)拠点集落の代表例の一つ・・・約一五〇〇年間にわたって継続的に繁栄をきわめた・・・。」←石部よ、お前もか?『国民の歴史』にとっての三内丸山遺跡の政治的意味と意義に対する、どうしようもない無知。現代史的視点の根本的欠落。
- 「縄文社会には、すでに階層差や身分差があり、貴族もいれば奴隷もいたなどという突飛な意見・・・。」「縄文時代は平和で平等な国家成立以前の社会」←なんとも単純きわまりないアナクロそのものともいえそうな古い縄文観。まさしく西尾幹二や小林よしのりらが徹底批判する、少しも進化しない旧態依然の進化史観・発展史観そのものであり、これで西尾らに対抗するのはまったく困難。逆にいえば、小林らも同様のアナクロ的な視点から左翼=進化史観を固定的にとらえることしかできないというレベルの低さ=こっけいとしか言いようのない悲喜劇。
- 「採集社会の矛盾」「一見、文化の爛熟を思わせる現象の裏に、社会の停滞と行き詰まりを感じさせる・・・。」←岡本勇のゆるやかな発展論?
- 広瀬和雄 2000.12「日本考古学は有効か!−西尾幹二『国民の歴史』によせて」『考古学研究』47−3
- 「つい最近まで、原日本列島ともいうべき空間に織りなされた歴史は、60万年あるいはさらにそれ以上遡及するのではないかともいわれてきた。それに関して氏は、「あまりにもかけ離れた数字は、人間の歴史の意識というものとつながらない。『原人』の足跡が日本列島に刻まれていてもいなくても、正直、私の人生観にははとんど関係はない」と述べるが、多くの人びとの実感はそうかもしれない。しかし、ここには歴史をどう描くか、国家の歴史か、いやはてしなく人間の営みを遡及させるか、といった命題が深く横たわっている。旧石器時代の人間の足跡を解明してきた研究者は、こうした問いかけにいったいどう応えるのか。」←同様に、哀しいほどピントはずれな批判。「日本考古学は有効」にあらずと自ら答えているようなもの。
- 岡田康博「岡村道雄著『縄文の生活誌』を読む」週間読書人2000年11月17日号
「歴史を物語として再現」−物語り、すなわちフィクションという意味であれば、逆説的な意味できわめて説得的。
- 『国民の歴史』と『縄文の生活誌』を結ぶもの
- 前期旧石器の評価については微妙な、というより大きなズレ。
- 両者の際だった共通点はむしろ、過剰なまでの「豊かな縄文社会」論にもとづく新しい縄文観の呈示。
- とりわけ注目すべさは、両者がともに縄文文化を日本の歴史の原点・母胎、日本人のアイデンティティーの源とみなし、水稲農耕文化としての弥生文化の成立を日本史の一大変革期とする従来の常識の見直しを促していること。また、そのことによって、日本列島史と民族史の一体牲・継続性を高らかに謳い、返す刀で弥生式水稲農耕社会の形成をめぐる朝鮮半島や大陸の影響をことさら過小評価しようとしていること。
- そして何よりも、こうした、周辺文化(文明)に対する日本文化(文明)の独立性と優越牲の適度の誇示を背後から支えていたのが、いうまでもなく三内丸山遺跡の発掘を契機とした縄文文明論と縄文都市論のきわめてヒステリックともいうべき大合唱であり、この点において、縄文文明論や縄文都市論を一方で堆進してきたNHKや朝日新聞などのマスメディアの責任も重大。
- いずれにせよ、「新しい歴史教科書をつくる会」の代表者である西尾のいわば「やわらかな皇国史観・ネオ皇国史観」と文化庁調査官岡村との間にみられる奇妙な一致が意味するものについての真剣な追求が不可欠。
IV.捏造の文化史・社会史
- 「新しい歴史教科書をつくる会」による買い上げ運動と教科書採択運動
- 『週間新潮』2001年1月4・11日号−長山靖生「歴史はいっも偽造された「偽書」の日本史
- 『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)−三春藩史?和田喜八郎1947年発見、1800巻?荒吐族アソベ族・ツボケ族=縄文人?アラハバキ神=遮光器土偶、超古代風景画=三内丸山遺跡、ダーウィン進化論・福沢諭吉からの引用、青森県市浦村史で収録。
- 『竹内文書』−竹内巨麻呂(天津教教祖、茨城県北茨城市)日本人=正統ユダヤ族、モーゼの十戒石、キリストの墓=東北、歴代天皇の治世=数千億年(神武は百五代目)、天岩船、ヨハネスブルク、メルボルン、二・二六事件青年将校の中にも信奉者。
(註 以上の記述は『国民の歴史』や『縄文の生活誌』のものではないので注意。それにしても何故、東北を舞台にした偽史が多いのか?)
- 『正論』2001年2月号−原田実「あまりにも罪深い”神の汚れた手”」
- 『東日流外三郡誌』と石器捏造事件の共通点=北東北の自治体による町起こし、村起こしの動きという前例・東北人のナショナリズム・「文化財捏造への法的制裁を」「さらなる文化財捏造を抑止せよ」=将来起こりうる現代史関係の史料捏造への法的対処の必要性・国益の問題!?←自分たちのことを言っているのか?
- 出版元はもちろん『国民の歴史』と同じ産経新聞社・方向性あらわ!南京大虐殺問題などと巧妙にリンクさせる姿勢=『新・ゴーマニズム宣言』
- 『偽史冒険世界』筑摩書房・・・・・・
- 明石原人問題(戦時中)
V.「新しい縄文観」とは、結局、何であったのか?
- 泉拓良 1999「新たな縄文観の創造に向けて」『季刊考古学』69
縄文文化=定住・貯蔵の文化、予想以上の人口、階層の存在、分業の発達、交易も弥生時より盛ん?←驚くべき無知・アナクロニズム。佐々木らによって30年以上も前からすでに指摘済みの問題がほとんど。三〇周遅れの「新しい縄文観」!同じく異貌18号で批判済み。
- 岡村道雄・・・前出
- 小山修三・岡田康博 2000『縄文時代の商人たち』洋泉社・・・商品交換=私的交換=第三の大さな分業・私有財産を前提・階級社会!=網野善彦『日本の歴史00 「日本」とは何か』339頁「「進歩史観」「発展段階論」の克服」への疑問・・・交易・商業は人類の歴史とともに古いことが、事実とともに証明された!?
- 『国民の歴史』『縄文の生活誌』およびその周辺の「歴史書」=いずれ二○世紀を代表する偽書と呼ばれる時代?
- 今もっとも望まれること=『私が捏造した日本の前期旧石器遺跡』の出版!!
掲載にあたって
- このページは佐々木藤雄氏の了解を得て、発表要旨を転載したものである
- 転載元の資料はA4版8頁であり、これをOCRにかけ、HTMLで書き直した
- 資料中に明らかな変換ミスも存在するが元資料のままとした
- 資料図版(4点)は省略した
- この発表内容を論文化した“自壊する考古学・成長しない集落論 −「日本最古の石器発掘ねつ造」と『縄文の生活誌』・『国民の歴史』を結ぶもの−
”が「土曜考古」第25号(2001.5)に掲載されています(「こまきのいせきものがたり」にダイジェスト版あり)
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