国会会議録に見る捏造問題  国会会議録検索システムより

2001年4月20日から国会会議録検索システム(http://kokkai.ndl.go.jp/)が一般公開されました。これを活用し、「遺跡」や「石器」をキーワードに拾い出した、神の手事件に関連する質疑を掲載します。時間に余裕がある方は、実際に検索システムに行って、「文化財保護法」とか「遺跡 道路」とか「登呂遺跡」とか「沖縄 海底 遺跡」とかで検索すると、興味深い質疑が見つかります

2000 参議院文教・科学委員会11/07 衆議院決算行政監視委員会11/09 衆議院文教委員会11/10
2001 参議院文教科学委員会10/30
2002 衆議院文部科学委員会04/05 参議院文教科学委員会06/25 衆議院文部科学委員会12/06
2003 衆議院文部科学委員会07/09


第150回−参議院−文教・科学委員会 2000/11/07

○松あきら君
 私は、著作権法の質疑に入ります前に二点ほどお伺いしたいことがございます。それは、今大きな衝撃が走っております発掘捏造の件でございます。やはり今これを伺わないと、大変なことであるというふうに思います。
 学者や専門家がなぜ捏造を見抜けなかったのか、これも厳しく議論をされる必要があるというふうに思います。また、過去の調査の検証に加えて、鑑定の手法の確立も目指さなければいけないのではないかと思います。やはり自己申告だけに頼っているという、今回、こういう考古学という点、また発掘という点、いろいろ考慮されるべき点はあるかとは思いますけれども、一般の国民にとっては、え、そうだったの、もう少し科学的な何か検証もあわせて行われているのではなかったのかなというふうに私は思うわけでございます。私だけでなく、思っていらっしゃる方は多いのではないかと思います。
 そしてまた、もちろんこれは大変なことで、在野の方でもこつこつと研究なさっていらっしゃる方、あるいは若手の研究者、学生の方にも大きな衝撃が走ったと。そしてまた、これは日本のみならず、もちろん大臣はよくそれはおわかりのことと思いますけれども、世界的なやはりこれは発掘に対する非常に大きな危機であるというふうに言われておりまして、簡単にこれは何か魔が差したなんということでは到底片づけられない件であるというふうに私は思います。
 この点に関しまして、九月五日に不審な作業を写真撮影していたという、こういう報道ももう過去に、九月の時点であったわけです。しかし、これは御本人が記者会見するまで本当かどうかわからないということで見過ごしていたのかどうか、この辺も踏まえてお伺いをいたしたいと思います。
○国務大臣(大島理森君)
 先般報道されました旧石器発掘捏造事件につきまして、今、松委員から内外の信頼を失っているものであって、そういう意味で大変深刻な問題ではないか、こういう御指摘であったと思います。
 あの報道にもございましたが、九月五日のあれは不審な作業があって、当然私どもも九月五日にそういうことを知っておったかというと、全く知らないわけでございまして、あの十一月六日の報道で初めて報道されたものでございます。まず、まことに遺憾で本当に残念だなと、こう思っております。
 どのように客観的に、特に考古学だけではありませんが、一つの新しい事実を発見する、あるいはまた科学的な実績というものを評価するかというのはなかなか難しい問題でございますが、いずれにしても、これは科学的な検証、どうあるべきかというのは、文部省がこうあるべきだというふうに技術的なことも決めてやるべきものというよりは、むしろ学界においての、今度の事件を踏まえて学界の中における自律的な結論を出していただくことが私は一番いいのではないか、このように思っております。
 しかし、私どもとしても、先ほど来松先生から御指摘いただきましたように、文化庁としてかかわった部分、あるいはまたそのこととして教科書にもいろんな形で記載されていること、そういうことを踏まえながら、文化庁としても文部省としても精査すべきものは精査しなさいというふうに申し上げているところでございます。
 いずれにしても、このことによって日本の考古学の内外の信頼が失われたということを重く受けとめながら、関係者各位の御努力と同時に、精査した事実を踏まえて、文部省として文化庁としてどのような点をこれから考えていかなければならないということは、やはり宿題は私どもにも全くないというわけではない、このような思いでこれから努力してまいりたい、こう思っております。
○松あきら君
 大臣のお気持ちは痛いほどよくわかります。  二つだけですというふうにおっしゃっておられますけれども、彼が過去にかかわった百八十ですか、すべてきちんと検証し直すというふうに私も伺いたいと思います。

第150回−衆議院−決算行政監視委員会 2000/11/09

○谷口委員
 公明党の谷口でございます。
 本日は、まず初めに先日の、考古学における戦後の最大のスキャンダルと言われております遺跡発掘捏造事件についてお伺いをいたしたいというように思うわけでございます。
 今回のこの事件、どうもマスコミの報道を見ておりますと、大変初歩的なやり方で捏造された、また、この結果、大変大きな衝撃が我が国の国内に走っている、このように思うわけでございます。
 今回のこの問題は、東北旧石器文化研究所の元副理事長が遺跡発掘を捏造しておったということが発覚をいたしたわけでございます。個人的な問題とはいえ、この問題が我が国の考古学そのものに対する信頼性と権威を揺るがせて、また、教科書の記述の見直しまで必要な状況にあるというような大変な衝撃が走っております。国内にいらっしゃいます考古学の研究者、六千人余りいらっしゃるようでございますが、その人たちにも大変な衝撃を与え、また、これから考古学を勉強したい、こういう人たちにも大変大きな影響を与えている。状況を聞いておりますと、大変初歩的なやり方で捏造しておるというような状況のようでございます。
 いろいろあるようでございますけれども、聞くところによりますと、ゴッドハンドというんですか、神の手と言われるような言い方をされておられたようで、行くところ行くところ奇跡に近いようなことが連続して起こった。九七年には、約三十キロ離れた遺跡で発掘した二つの石器の断面がぴったりと接合したというようなこともあったようでございます。山形県尾花沢市の袖原3遺跡と宮城県色麻町の中島山遺跡で、ともにこの元副理事長が発見したものであった。これはどう考えても、三十キロの間のこの二つの遺跡がぴたっと接合する、これで何の不思議も感じないというようなことが私は実は不可解で、本当に不思議に感じたわけでございます。
 このような捏造事件に対しまして、どのような結果こんなことが起こったと考えていらっしゃるのか、文部省の御見解をお聞きいたしたいというふうに思います。
○鈴木(恒)政務次官
 お答えを申し上げます。
 毎日新聞がこの特だねをスクープいたしまして、私も毎日新聞の記者をしておりましたので、特別この紙面からショックを受けた一人でございますけれども、どうしてこういうことが起きるのか、学術の世界にまで退廃の波が及んだかと、そういう意味で非常に私は衝撃を受けた次第でございます。
 いろいろ聞いてみますと、この藤村という人が掘ると不思議に石器が見つかる。最近は少し、ちょっとおかしいぞという声も出ていたと聞いておりますけれども、いずれにしても、そうしたことの積み重ねから当人の心の中に、まあよく言えば期待に対する何かこたえなきゃいけないという気分、もっと言えば名誉欲であるとか功名心であるとか、そういうものが次第次第に芽生えてきてこれだけのことをしでかしてしまったのではないか、これは推測でございますけれども、そう判断をいたしております。
○谷口委員
 今おっしゃったわけでございますけれども、これはそれだけでは済まないわけで、早急に対策を講じなければならない。先日も、テレビを見ておりますと、ある考古学者の方が怒り万感でおっしゃっていたわけでございますが、我が国全体の考古学が根底から信頼性を失った、一刻も早くこのようなことに対する対応を考えていかなきゃならぬと。
 また、この元副理事長が発掘にかかわったところが、どうも本人が言っておるのは、上高森遺跡と総進不動坂遺跡の二つは捏造したということを言っておるようでございますが、その他、かかわっておるところが百五十カ所以上に上るというようなことでございます。
 このようなことを再度調査するというようなことを考えていらっしゃるんでしょうか。
○伊勢呂政府参考人
 これまで前副理事長が関与いたしました旧石器時代の遺跡の数につきましては、百八十カ所あるいは百五十カ所といったような報道がございますけれども、この数値には、単に遺跡の所在を確認した程度のかかわり、要するに踏査をしたというものも含まれているのではないかと考えておりまして、実際に発掘をしたというものの数はそれほど多くはないのではないかと考えております。
 文化庁におきましては、現在、東北旧石器文化研究所と各地方公共団体におきます埋蔵文化財行政とのかかわり、あるいは発掘調査の経緯、体制につきまして、各都道府県教育委員会を通じまして調査をしているところでございます。
○鈴木(恒)政務次官
 事の重大性を考えまして、私どもでは、七日付で、全国の都道府県の教育委員会に対しまして、この藤村氏を中心とする東北旧石器文化研究所が実際に調査あるいは踏査にかかわったかどうかということを、事実関係の調査を、文書をもって報告していただくようにお願いしたところでございます。きょうが締め切りとしてございますので、来週中にも大まかな、ベーシックな調査を終えたいと思っております。
○谷口委員
 教科書の記述も問題になっているわけですね。見直しをしなきゃいかぬのじゃないかというようなことのようでございますが、これについてはどのようにお考えでございましょうか。
○鈴木(恒)政務次官
 藤村氏当人がやったのは上高森遺跡と総進不動坂、しかもそれは、ことしになって、九月、十月の段階だというふうに説明をされておるようでございます。
 本人が現在言っておりますことが正しいのであれば、直ちに教科書の記述訂正が必要であるかどうかは判断が非常にしにくいところでございますが、学会における学術上の、これはもう非常に専門的なごく限られた知識を持っている方々にお願いしなければならぬわけでございますけれども、改めるべき内容があれば改めねばならないと考えているところでございます。
 いずれにしても、教科書会社がその学術上の検討を踏まえて内容の改訂を申請してくる、これを待ちたいと考えております。
○谷口委員
 私、冒頭申し上げたように、九七年に二つの石器が、三十キロも離れた石器がぴたっと接合したなんてどうも信じられないわけで、どうもこの二つだけでおさまるようには考えられない。
 先ほど、冒頭お話をさせていただいたように、一刻も早く我が国の考古学の信頼性を取り戻すためにも、その状況をゆっくり聞いておるというよりも、むしろ当局の方でも積極的に、今のこの状況にかかわることをどのように回復していくのか、やっていただきたいというようにも思うわけでございます。
 それで、この遺跡発掘にかかわるやり方をいろいろ検討されておるんだろうと思うんです。私は思うのですけれども、例えば独立した機関がチェックを行うとか研究者同士でお互いにチェックをし合うとか、今後、このような発掘の捏造が起こらないような対応について、今どのように御検討されていらっしゃるんでしょうか。
○鈴木(恒)政務次官
これまでの調査の場合でございますと、各遺跡のある箇所を持っております都道府県の教育委員会が調査指導委員会というようなものを設けて、特別に学術的な知識を持っていらっしゃる方に入っていただいて、そういうチェック機能を持っていたと聞いておりますが、今度の研究所の場合は極めて個人的な組織で調査を進めるケースが多かったものでございますから、そうしたチェック体制が各都道府県教育委員会になかったケースが多いようでございます。
 今後、そうした委員会の活用なども含めて、国民の不信感あるいは学術上の混乱を解消するための手だてとして、文化庁といたしまして、あるいは文部省といたしまして具体的な措置を十分考えていきたい、これから練っていきたいと考えている段階でございます。
○谷口委員
 今お聞きしますと、具体的な対応のその詳細まではどうも詰めていらっしゃらないようでございますが、この問題は、我が国の祖先はどの程度までさかのぼれるのか、大変重要な問題が包含されておりますし、冒頭お話をさせていただきましたように、考古学全体に対する動揺が、大変大きな衝撃が走っているわけでございますから、丹念な調査をしていただかなきゃいかぬ一方で、処理のスピードも速めていただいて、考古学に対する信頼性を一刻も早く取り戻していただくよう、検討をしていただくようお願い申し上げまして、この問題の質問をこれで終わりたいと思います。

第150回−衆議院−文教委員会 2000/11/10

○大石(尚)委員
 民主党の大石尚子でございます。きょうは、質問のお時間をいただきまして、感謝いたします。
 まず第一番に、最近、十一月五日以来、マスコミ、テレビとかあるいは新聞等々で連日大変報道されております、東北旧石器文化研究所前副理事長による遺跡発掘の捏造事件について伺わせていただきます。
 これは、大変残念ながら暗い事件でございまして、御質問申し上げるのも何かつらいのですけれども、決してその前副理事長を追及するという立場ではなく、いろいろ広範囲に波紋を投げかけてしまいましたので、何とかこの災いを転じて福とできるような、そういう建設的な質疑をさせていただけるようにお願いいたしながら、きょうは大臣並びに文化庁次長に対して御質問させていただきたいと存じます。
 まず、この捏造事件と申しますのは、宮城県の上高森遺跡と、それから北海道の総進不動坂遺跡、この二つが捏造であったということが毎日新聞のスクープで発覚したわけでございます。
 いろいろな報道の中に、七日の産経新聞の「主張」に、日本に原人がいた証拠とされ、教科書にも記載されていた上高森、これが捏造であった。もう一つも捏造であったわけでございますが、「研究者による相互検証を 震撼すべきモラルハザード」という見出しで、「全国で六千人を超える発掘調査に従事する専門家だけでなく、一般の考古学ファンの夢まで汚してしまったのである。学問の自殺行為である。」と記されておりました。
 私も、この事件に接しましたときに本当にショックでございました。こういう考古学の世界の研究者に至るまで倫理観がここまで喪失してしまっていたのかと思いましたときに、子供たちに及ぼす悪影響をどうとめていったらいいのかと思いまして鉛を飲み込んだような思いでいたのですけれども、とうとうその心配が現実化してしまいました。
 きょうの読売新聞によりますと、埼玉県は、県民の日記念作文コンクールの入賞者発表・表彰式で予定していた中学三年の男子生徒本人による最優秀作品の朗読を取りやめることになった。これは、この前副理事長という方が余りにも高名な人であって、しかも旧石器時代の発掘の前期、中期、後期、ともに百八十を超える発掘にかかわっておられた、そのいろいろなところの発掘が今みんな疑惑の目で見られ始めているわけでございます。
 この男子の中学生が取り上げたのは、長尾根、小鹿坂、これは埼玉県だと存じますが、この題材によって最優秀作文を書いた。これが朗読のチャンスを得られなかった、取り消された。大人のモラルハザードというのは必ず子供の世に移ってまいります。今回のこの事件を、やはりマスコミの報道、豊かな情報提供によって子供たちは全部知っているわけでございます。そうしたときに、もしこれが負の影響、マイナスの影響、例えば、歴史も見つからなければ捏造できてしまうのかと。
 二十年間、学界でも大分批判があったようでございます。研究者の中では、隣接分野を含めていろいろ御批判があったにもかかわらず、大変、神の手あるいは英雄として認められてきた方でございます。この方の起こした事件だけに、これをどう認識され、どう対処されようとしていらっしゃるのか。また、こういう問題が起こってしまったその背景には、一体どういうものがあるのか、どういう要因が考えられるのか。まず、文化庁の次長にお伺いいたしたいと思います。
○伊勢呂政府参考人
 今回の事件が発生いたしました理由としては、さまざまな事情があると考えられますが、今後の調査が進む中で明らかになることであると思っております。
 したがいまして、現時点では一概には申し上げられませんけれども、ただ、個人の問題といたしまして、成果を上げたいという欲求に駆られる余り、遺跡から歴史的、学術的な意義を明らかにするといった、本来の学術上の発掘調査の趣旨を忘れたといったこともあったのではないかというふうに考えております。
 埋蔵文化財に関係しまして今回のような事件が発生したことは、まことに残念でございます。文化庁におきましては、東北旧石器文化研究所と地方の埋蔵文化財行政とのかかわりや、発掘調査の経緯、体制につきまして調査を行っておりましたけれども、昨日九日にすべての都道府県の教育委員会から報告を受けました。
 現在、その調査内容を分析、整理しているところでございますけれども、その中で、この東北旧石器文化研究所が関与した遺跡のある都道府県の数は九都道県、それから、東北旧石器文化研究所が発掘調査に関与した遺跡の数は三十三遺跡でございます。そして、東北旧石器文化研究所が踏査、要するに遺跡があるかないかをただ調べに行った、そういうのに関与した遺跡の数は百八十六でございます。ですから、百八十六のうち三十三遺跡を発掘した、関与したということになります。
 その他、あとの調査主体あるいは調査担当者、どういう人が協力したか、あるいは調査費用、その資金の状況、出土品の現状とか報告書の状況あるいは届け出の状況などにつきましては、来週にはその全体の調査結果を取りまとめて公表したいと考えております。
 この調査結果を踏まえまして、埋蔵文化財行政において改善すべき点を整理いたしまして、都道府県教育委員会に通知するなど、必要な措置を講じてまいりたいと考えております。
○大石(尚)委員
 伺っておりますと、何かこの研究者個人の問題であるように伺えるんですけれども、何かやはりその周辺の、背後の問題はなかったのか、そこはいかがでございましょうか。
○伊勢呂政府参考人
 今さっき、最初に申し上げましたように、いろいろな事情があるというふうに考えられております。
 要するに、複数の目が行き届いていたのか、あるいは資料の少ない旧石器時代を扱っていたとか、そういう話はあるとは思うんですが、今調査をしておりまして、その調査が進む中で明らかになるのであろうと思っておるわけでございます。そういう点については、調査の中で明らかになるであろうと思っております。
○大石(尚)委員
 立ち会われた全部の遺跡について調査を進めていらっしゃるわけでございますか。
○伊勢呂政府参考人
 百八十六踏査した遺跡、それから三十三の発掘に関与した遺跡、すべてについて調査しております。
○大石(尚)委員
 この方の携わられた遺跡の中で、文化庁が指定している遺跡がございますか。
○伊勢呂政府参考人
 三十三の発掘調査に関与した遺跡のうち、宮城県の座散乱木遺跡というのは、文部大臣の指定の遺跡に指定しております。

   〔池坊委員長代理退席、委員長着席〕

○大石(尚)委員
 この今おっしゃいました座散乱木遺跡と申しますのは、これは今から二十年ぐらい前、一九八〇年に発掘に携わられたのではないかと思います。そして、この遺跡について文化庁が既に指定している、そういう問題も抱えている。
 それから、海外の方への反響が余りにも大きいのでびっくりいたしました。毎日新聞、東京新聞、それから日経その他の新聞の情報によりますと、アメリカ、フランス、台湾、韓国、英国、それからドイツ、ロシア等々。
 その中の取り上げ方がいろいろございまして、単なる事実の報道あるいは、台湾は、日本の教科書の旧石器時代に関する歴史が書きかえられるかもしれないという指摘。それから韓国は、韓国のBBSテレビが報道したのでございましょう。写真入りで大きく日刊新聞も報道した。ある韓国記者は、歴史の美化に走りやすい日本人の気質をあらわしたものではないかという、単なる一人の研究者の問題という扱いではないんです。
 それから英国でも、上高森遺跡の調査全体の信頼が傷つくだろうと。それからドイツでは、やはり専門家、考古学者が、捏造だったのなら他の学者も矛盾に気づくべきだとチェックの甘さを指摘している。それからロシアでは、日本以外の国の研究者にとっても考古学的に重要な遺跡であるので大変怒りを覚える、そういうようなこと。
 それから、一番困ったのが中国新華社通信なんでございます。この前副理事長の起こしたことの背景には、おくれをとりたくないという日本民族の心理がある、現在の経済大国の地位には満足せず、世界的な政治大国、古代文明大国になりたいと考えているのではないか。
 ここまで報道されて、これはしかも、その国に報道されていくわけでございますから、これは一研究者の大変な行為が日本の国益すら損ねかねない、そういう波紋を投げてしまった。子供に対する影響のみならず、国際的にもこれだけの影響を与えてしまった。こういう問題に対して、大臣はどう対処しようと思っておいででございましょうか。また、現に対処しておられますでしょうか。
○大島国務大臣
 今、大石委員が各国の新聞の報道ぶりを御紹介しながら、内外の影響の大きさをお話しされました。その中で、謙虚に耳を傾けなきゃならぬ問題もあるし、いささかそれは、国外においてはなるほどそうとられているのかなというふうな思いもするのもあれば、さまざまではございます。
 ただ、私どもも、先ほど次長からお話しされましたように、まず第一点、日本の考古学の内外の信用をどれほどこれによって傷つけたことかということは、まず大変残念であり、腹立たしく思い、遺憾であります。
 そして、先生がこの背景は何かということをおっしゃって今質問しておられますが、背景は、今次長が言ったような、推測として言える部分はあると思いますが、やはり本人でなければいけません。しかし、あるいは競争という部分もあったのかもしれないし、いろいろな問題が背景としてあったと思うんです。
 文部省として、文化庁として、今後、遺跡発掘に対して、法律に基づいて、あるいはまた行政としてこの反省から何ができるであろうかといった場合に、やはりまず今調査している点、各教育委員会でやっておりますし、そして文部省としても、それらの報告をいただきながら分析をしていかなきゃならぬと思います。
 例えば、発掘調査をした場合に、そこの評価あるいはあり方というものを、やはり何人かの方々にそれを違った角度から判断してもらうとか、あるいは調査の仕方そのものについてもどうあるべきかとか、そういうふうな方法論の中で私どもがやはりきちっと考えて、皆さんに指導していくという仕事が一つあるのかなと思っております。そして、今日までのさまざまなかかわった問題あるいはそういう問題は、ある意味では学術の世界、学研の世界で判断していただかなきゃならぬところもあるのかな、こう思っております。
 いずれにしても、今先生がお話しされたような大変いろいろな報道ぶりがあるということは、いかにこの問題が我が国の考古学における信頼、信用を失墜せしめたかということは厳粛に受けとめていかなきゃならぬな、こう思っておるところでございます。
○大石(尚)委員
 ただいま大臣の答弁をお伺いいたしておりましても、また八日の読売新聞の記事を見ましても、これはやはり、文化財保護法、いわゆる文化庁長官の権限を都道府県教育委員会に移譲しておいででございますから、各自治体の協力を得なければならない問題かとは存じます。それで、読売新聞によれば、「自治体のチェック機能を強化する内容のガイドラインを各自治体に策定させる方針を固めた。」これは、次長さん、本当にお固めになられたんでございましょうか。
 それで、保護法によりますと、これは、発掘の場合、届け出の義務があるのみで、報告の義務が特にないんでございますね。そこら辺の、いわゆる文書による報告というものを今後どう考えていらっしゃるのか。何か法的な、法規の改正等々も検討されるのかどうか、その辺はいかがでございましょうか。
○大島国務大臣
 今そこまでの結論は出ておりませんが、いずれにしても、先ほど申し上げましたように、この起こったことを単なる学術の問題だけだ、こう言って過ごすわけにはいかぬと思っております。
 したがって、調査方法あるいはその他について、文化財保存行政として我々も何かなし得る、こういう点をしっかりやっておったらこういうことが起こらなかったかもしれない、そういう冷静な分析を今いたして、その上で判断をしていかなければならないことだと思いますが、何らかのことを考えていかなきゃいかぬ、こう思っております。
○大石(尚)委員
 よろしくお願いいたしたいと思います。
 特に、この国が指定した座散乱木遺跡の調査に関しては、これは都道府県にお任せになるのではないように、特にこれがスタートになっているわけなのです。
 ここに、ついこの間、十月の二十四日に発刊されました「日本の歴史」の第一巻というのが、これは講談社でございますが、この執筆者は文化庁の方でございます。それで、これを文献として読ませていただきますと、そうすると、既に、これは一九九七年、平成九年に文化庁が史跡に指定をしているわけでございます。それで、発掘したのは一九八〇年ごろから始めて一九八一年に見つかったのではないかと思いますが、この本の中から引用するので間違いないことだと存じますが、最初に見つけた方も、やはりこの方なのでございます。
 それで、これは、「道路の切り通しの下部に堆積して赤く風化した、」そこから引き出している。それで、ちょっとその後を少し読ませていただきますと、「すべてといっていいほど彼の発見を契機としている。彼が遺跡を探し求めて歩き回る範囲がそのまま、前期・中期旧石器文化が確認された範囲と同じであるのも、彼の業績のすごさを証明している。」という記述になっている。
 これは、文化庁の行政というものが少し一つの方向に偏り過ぎていたのではないか。それで、この方に対する疑惑とか、それから論文での批判というものは、学界を含めて前々からあったそうでございます。文化庁の中でも、隣接学派では違うんじゃないかとおっしゃっていたようなこともあったように聞いております。
 したがって、この座散乱木遺跡も、これは検証する必要があるのではないか。これは、都道府県に任せるのではなく、文部省と文化庁のお仕事ではなかろうか。
 この実績が教科書に記載され、教科書問題ともなって発展しているわけでございます。子供たちが、史実というもの、それから史実をつなげて歴史を見ていって、それでそこから一つの史観を各自がつくり上げていく、ここら辺が災いを転じて福となせる何かにつながるのではなかろうか。
 これから先々、教科書につきましても、検定された教科書一つを使うのではなく、例えば、IT革命によってコンピューターからいろいろな教科書をアウトプットして、そして、この教科書ではこういう学説、この教科書ではこういう学説、一体どうなんだろうか。あるいは、この学問の分野では当然のことですが、仮説のままであって、何年か後、何十年か後にそれがひっくり返ってくる問題もあるわけでございます。ですから、そこいら辺の教材に対する子供たちの見方、それを指導する一つの契機としてこういう問題も取り上げられなくはないと思うのです。
 それで、まず第一番には、文化庁の責任において指定した座散乱木遺跡を、文化庁の力と文部省の援助並びに学術経験者のお力を得て、再検証することをお考えにならないか。これはやはり絶対にしなければならないことだと思うのです。
 なぜかと申しますと、子供たちへのあかしであると同時に、国際的な、日本の考古学の権威失墜、それから日本の学問に対する疑惑、これらのものを一掃するためには、きちっと調査をして、この問題はこうこうこうであったという事実を、速やかに、日本の中はもとより世界にも、文部省並びに文化庁の手で公表するということが、やはりこの問題の一つの大きな、必要な対処の仕方ではなかろうかと思うのでございますが、いかがでしょうか。
○大島国務大臣
 今、次長から伺って、そこの問題は、いろいろな学者さんの中では一つの評価をされたことであったようでございます。
 私は、いずれにしても、あの問題が報道された日に、教科書の問題、それから文化庁が直接かかわって例えば文化財保護をしている場合、さらに、各教育委員会から今調査をしているところを総合的に分析して、二度とこういうことがないように、文部省、文化庁として何ができるか、今先生の御指摘もいろいろありましたが、そういうことを踏まえて、基本的な問題として、いずれの日にかお答えすることが一番の我々の使命だろう、こう思っております。
 今の具体的な関係については、次長から。
○伊勢呂政府参考人
 宮城県の座散乱木遺跡につきましては、国指定の遺跡でございます。これは、平成九年に指定したわけでございますが、先ほど先生がおっしゃいましたように、昭和五十六年、一九八一年の調査で、このときも、この副理事長だけでなくて何人かの目で見て発見をしたということで、その後の学術上の評価が定まった、そういうことで指定したものでございまして、今のところ学術上の評価は定まっているというふうに考えております。
○大石(尚)委員
 時間が迫ってまいりましたので。
 では、座散乱木については再度検証はしないということでございますか。私といたしましては、素人の発想かもしれませんが、やはり疑惑を持ってしまう、それだったら、学術経験者の方々とお寄りになって、再度検討だけでもしていただけないか。
 それからもう一つ、日本の歴史を書きかえるような発掘現場が見つかったときは、これは即刻、やはり都道府県に任せるのではなく、文化庁として、専門家がおいでになるわけですから、さらに広く専門家の力を動員して、任せないでともに発掘していく、あるいはきちっと速やかに検証していく、そういうチェック機能を果たすことを考えていただきたいと思うのです。
 この問題については、ぜひ都道府県とも協議されまして、二度と再びこのような悲しいつらい事件が起こらないように、子供に二度と再び弁明しないで済むように、ぜひ御努力いただきたいと思うのですが、大臣、いかがでございますか。
○大島国務大臣
 私どもとしては、先ほど次長からお話ししたように認識しておりますが、せっかく先生が、日本の考古学の観点から大変心配をし、子供たちのことも心配しておられますから、地元の教育委員会、それらの意見も聞きながら、私どもの今の客観的な判断に私は間違いないと思っておりますけれども、大事なことは、やはり先生最後におっしゃったように、考古学界の中で考えていただくと同時に、私どもとしても、発掘のあり方そのものについて、ほかの案件と違って学者の皆様方を信頼し切って今までやってきたものでございますから、この事件の反省に立って、なすべきことは何かよく研究して、そういうものがまとまったらまた御報告してみたい、こう思っております。
○大石(尚)委員
 ぜひよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

第153回−参議院−文教科学委員会 2001/10/30

○阿南一成君
 次に、ちょっと方向は変わりますが、捏造遺跡の調査状況等についてお伺いをしておきたいと思います。
 昨年の十一月、東北旧石器文化研究所の前副理事長によります遺跡捏造が二カ所において発覚をいたしました。現在ではその数が四十二カ所に上っておると承知をしております。この数は聞き取り調査における本人の告白によるものでありまして、告白がそのまま証拠になるとは限らないのでありますので、今後の調査、検証を待たなければならないと思います。
 しかし、この発掘捏造疑惑の発覚によりまして各方面に多大なる影響を及ぼしていることは否定できないのであります。中でも宮城県の座散乱木遺跡に関する捏造の告白は、我が国の旧石器時代の存在を裏づける遺跡と言われておりましただけに、考古学の学界のみならず社会全体に衝撃が走っているわけであります。
 この問題は、前副理事長の個人的問題として片づけるのではなく、学問の世界でのモラルハザードとも言われているように、我が国の学問の根本にかかわる問題として受けとめるべきであろうかと思います。特に、長年にわたりこれほどまで多数の不正を見抜けなかった責任は非常に大きく、不信を払拭するようしっかりとした真相解明を行うことが不可欠であると思います。
 そこで、この捏造の疑いのある遺跡の調査状況、現在どのようになっておるのか。また、調査にかかる国の支援体制はどのようになっておるのか。
 さらに、今回の捏造問題は学問上史実として権威づけされ、問題が発覚するまで事実関係に疑いなしとされていたのでありますから、教科書検定制度に直接問題ありとするつもりはないのでありますけれども、教科書の執筆者や監修者、さらには学界も含め教科書関係者全体に対して教訓を与えたものとも考えるわけであります。
 そこで、この捏造遺跡問題を受けて、教科書発行者の対応はどのように行われることになるのか、さらに文部科学省の今後の対応策についてもお伺いをしておきたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君)
 まず、旧石器遺跡の捏造問題に対する対応及び調査の状況について御説明を申し上げます。
 ただいまお話にございましたように、埋蔵文化財の学術調査におきまして事実の捏造という極めて重大な行為が行われたことが判明をいたしました。これは文化財の発掘調査に対する国民の信頼を著しく損なうものでございまして、まことに遺憾に存じております。
 最近のこの問題をめぐる状況でございますけれども、今月の七日、盛岡市で開催をされました日本考古学協会の大会におきまして、東北旧石器文化研究所の藤村新一前副理事長が日本考古学協会の調査に対しましてお話しのございました史跡、座散乱木遺跡を含む四十二遺跡につきまして捏造を告白したことが公表されたところでございます。
 藤村氏が関与をいたしました発掘の件数は直接あるいは踏査を含めまして百八十六遺跡でございますけれども、これまでに捏造が、本人が告白をしたものは四十二遺跡と。ただし、この百八十六遺跡以外のものもこの中には含まれているという状況でございます。
 その後、今月の十一日に日本考古学協会の会長を初め三名の方が文化庁を訪れまして、これまでの協会による調査の経過報告とともに、協会が行います遺跡の発掘調査等の検証作業につきまして調査費も含めた国の支援について依頼があったところでございます。
 これまでの文化庁としての対応でございますけれども、昨年の十一月にこの問題が報じられた後所要の調査を行いまして、昨年、埋蔵文化財の発掘調査に関する事務の改善について文化庁長官通知を発出をいたしまして、さらに都道府県の埋蔵文化財保護行政担当者会議を開催をし、通知の趣旨を徹底をしているところでございます。その内容は、埋蔵文化財の発掘調査に当たりまして都道府県が調査の申し出を受理する場合に、第三者による検証をきちんと行うようにするといったようなこととか、あるいは報告書の作成、公表というものをきちんとやらせるようにするといったような内容を含んでおります。
 それから、調査に対する支援でございますけれども、平成十三年度におきまして、地方自治体によります再調査に対しまして国の方から補助を行うなどの対応を行っているところでございます。座散乱木遺跡を含む今回の協会からの検証調査の依頼につきましても、今後、調査費の支援を含めまして適切に対処していきたいというふうに考えております。
○政府参考人(矢野重典君)
 御指摘の問題についての教科書における対応でございますが、今後、学術的な発掘調査等の検証作業が引き続き行われるものというふうに承知いたしておるところでございますが、旧石器遺跡に関する教科書の記述の訂正につきましては、既に訂正が申請された教科書もあるところでございまして、教科書発行者から申請されました具体的な訂正内容や訂正理由を踏まえまして、検定規則等に照らして適切に対応してまいりたいと考えております。
 また、文部科学省といたしましても、今後、必要がございますれば、学術的な検討の結果等につきまして関係の教科書発行者に情報提供を行うなどの対応をしてまいりたいと考えております。
 また、教科書の検定につきましては、これは検定の時点における客観的な学問的成果や適切な資料等に照らして教科用図書検定調査審議会における専門的な審査を経て実施しているところでございますけれども、今後とも、御指摘の旧石器遺跡の問題も含めまして、学説状況の確認など十分な検定調査を実施してまいりたいと考えているところでございます。
○阿南一成君
 これで私の質問を終わります。
 ありがとうございました。

第154回−衆議院−文部科学委員会 2002/04/05

○大石(尚)委員
 民主党の大石尚子でございます。
 きょうは実は、NHKのテレビを聞いておりましたら、暦の上で清明という日だそうでございます。ちょうど節変わりの日で、清く明るいという日だそうでございますが、きょうこの質問が終わりますときには、その日のごとき気持ちにさせていただけますように心から念じながら、一昨年の臨時国会でも追及させていただきました旧石器発掘捏造事件について質問させていただきたいと存じます。
 ちょうどきょうから一年と五カ月前、二〇〇〇年の十一月五日、これは毎日新聞の大変な努力の結果、藤村新一さんの遺跡捏造がスクープされた日でございます。これがちょうどきょうから一年と五カ月前の日でございます。その五日後の二〇〇〇年の十一月の十日に、私はこの問題を取り上げさせていただきました。当時の文教常任委員会の席上でございます。
 そこで、この問題というのは、私は、日本の考古学学界上もそれから日本の教育上も大変な汚点を残してしまった、いわば知的文化犯罪だと思っております。この知的文化犯罪と私が名づけるのもおかしいのですけれども、要は人間の、狂牛病とかあるいはエイズとかのように、命には差しさわらなかったかもしれないけれども、これは日本民族の命を狂わせた事件でございます。
 この延々と続いた、二十年続いた発掘捏造、これに対して、どうやってその責任を果たしていったらいいのか。見抜けなかった責任というのは追及されなくてもいいのだろうか。あるいは、ある意味では推進してきたその責任というのは行政上追及されなくてもいいのだろうか。
 私は、きょうこれからあと四十数分の間、この問題を追及するというよりは、関係者の皆様と御一緒になって、二十一世紀の文科行政を考える上に、二度と繰り返してはならないこの種の問題に関してどう考えていったらいいのか、どういう片をつけていったらいいのか、御一緒に考えさせていただきたい、そういう気持ちでここに立たせていただいております。
 それにつきましては、私は、きょうはどうしても新しい文化庁長官、河合隼雄さんにこちらにお出ましいただきたかった。二十一世紀の文化庁をしょって立つ方でございますから、答弁者として要求させていただきました。しかし、それはかなっておりません。なぜなのか。まず冒頭、大臣、お答えいただけますか。次長からでございますか。
○銭谷政府参考人
 文化庁長官の出席の件についてのお尋ねでございますけれども、従来から、文化庁関係の国会審議におきましては、基本的には文部科学大臣や副大臣、大臣政務官が質疑に当たっておりまして、細目的、技術的な事項につきましては、国会のお許しを得まして、文化庁次長が政府参考人として御説明を行っているところでございます。
 御案内のように、文化庁長官は、我が国の文化の顔として国内外の文化関係者との活発な交流を行うことが期待されるなど、その業務は他の行政部局の長に比べて特別の性格を持っている職と考えております。このような文化庁長官の職務の性格にかんがみまして、文化庁関係の国会審議におきましては、従来ございました政府委員制度の時代から現在の政府参考人制度の時代に至るまで、行政の細目的、技術的な説明は、日常的に行政事務全般を取りまとめさせていただいております文化庁次長が担うことで国会の御承認をいただいてきたところと理解をいたしております。
○大石(尚)委員
 慣例として答弁にお立ちにならないということのようでございますが、小泉総理がぜひといって招かれた文化庁長官だと伺っております。
 文化庁は、これから大きくさま変わりして発展していかなければならない省庁でございます。この財政難の折、唯一と言ってもいいほど、唯一ではないかもしれませんが、予算も増額されております。そういう中で、どういうビジョンを新しい長官が描いておられるのか、これは私たちとしてもぜひ議論させていただきたい課題でございます。
 したがって、今後はこのような慣例にとらわれることなく、このような席に文化庁長官もお招きして、お互いに意見を闘わせる、そういうことができるように、ぜひ委員長もお取り計らいいただきたいと存じます。
○河村委員長
 本件につきましては、理事会で十分検討させていただきたいと思います。
○大石(尚)委員
 ありがとうございます。ぜひ前向きに解決してくださいますようお願いいたします。
 それでは、本論に入らせていただきますが、けさの毎日新聞、それから昨日の日経新聞夕刊、ともに、「山形県尾花沢市の袖原3遺跡登録来週にも抹消」、これは前副理事長藤村さんが関与した遺跡でございますが、山形県教委が登録を抹消しようとしているという記事が出ております。
 この問題をめぐっては、上高森遺跡とそれから小鹿坂遺跡などが、既にこれは宮城県、埼玉県の教育委員会が遺跡登録を抹消いたしております。
 きのうきょうも、こうやって新聞紙上に出てくる。この藤村さんの関係した発掘作業というのは百八十六カ所に及んでいると聞いておりますし、そのうちの四十二カ所、これは数え方でいろいろあるようでございますが、四十二カ所は捏造だったということをみずから証言している。そういう中で、この一連の事件をどのように掌握しておられるのか、まず概要をお尋ねいたしたいと思います。
○銭谷政府参考人
 先ほど大石先生の方からお話がございましたように、平成十二年の十一月に、藤村新一東北旧石器文化研究所前副理事長による遺跡発掘の捏造が発覚をしたわけでございます。そして、昨年の十月には、日本考古学協会の大会におきまして、四十二遺跡について、藤村氏が捏造を告白したということが明らかになったわけでございます。藤村氏が関与をいたしました遺跡は百八十六遺跡でございますが、この四十二遺跡はその中に含まれるものとそうでないものがございますが、御本人が四十二遺跡について捏造を告白したということでございます。
 先ほど来お話がございますように、このような行為は、我が国の考古学に対する国民の信頼を損なうものであり、ある意味では学問に対する冒涜でもありますので、国際的な影響も大きく、私ども極めて遺憾なことであると思っております。
 そこで、その後の状況でございますけれども、藤村氏が関係をいたしました遺跡の検証作業につきましては、関係の地方公共団体や日本考古学協会などで順次現在行われているところでございます。これまでの検証作業の結果、各地方公共団体において遺跡登録の抹消等の措置がとられたものは、六都道県、九遺跡というふうに承知をいたしております。なお、四十二の捏造を告白した遺跡の中で何らかの検証作業が行われた遺跡は、これまで十九遺跡というふうに私ども承知をいたしているところでございます。
○大石(尚)委員
 まことに残念なことに、この捏造発覚、そしてこれが世の中に認知されていった最初の遺跡というのが、宮城県の座散乱木遺跡でございましょう。
 そして、これは、お手元にお配りいたしております、私どもの部屋でつくりました資料をちょっとごらんいただきたいと思いますが、その一番目に、一九九七年七月二十八日、国が史跡として指定しております。
 ついでにちょっとこれをごらんいただきたいのですけれども、なぜこの資料をつけたかと申しますと、この座散乱木遺跡、これは一九八一年、座散乱木の第三次発掘で、いわゆる旧石器が出てきたということで大変な話題を呼び、学界で認知されていった、そのスタートの遺跡でございますが、そこは約四万年前と推定された。
 それから、この推定された年代というのをちょっと見ていってくださいませ。そうすると、四万年前、大体三万五千年ぐらいまでは検証されているようでございます。それが、この捏造のために、約二十万年前、四十から五十万年前、それから上高森になりますと約七十万年前、それから次のページに参りましても、六十万年、六十万年、約五十万年、約四十五万年。
 こういうふうに、日本列島に人間が住んで、そして生活をしていたという年代がどんどんと古くさかのぼっていったわけでございます。ですから、私は、日本民族の命を狂わせたという言い方をしたわけでございます。
 この座散乱木遺跡を検証し直した方がいいということを、私は第一回目の質問でくどいように繰り返し繰り返しそのときの大島文部大臣にお願いいたしました。この座散乱木遺跡に関しては、国も指定したという責任があるわけでございます。これに対しての検証作業は今どうなっているのでございますか。
○遠山国務大臣
 座散乱木遺跡につきましては、昭和五十年代に三次にわたって発掘調査が行われまして、平成九年に後期旧石器以前の遺跡として指定されたところでございます。この遺跡につきましては、昨年十月の日本考古学協会の大会で、藤村氏がその一部を捏造したという旨の告白をしたということが明らかになりました。
 この遺跡の学術的な検証につきましては、昨年の十月にこの協会から、みずから検証を行いたいという旨の意思表示がありまして、我が省に対して協力要請があったわけでございます。その内容としては、一つは、国、自治体、協会、三者の連携協力の環境づくり、それからもう一つは、調査費も含めた支援という二点についてでありました。
 これを受けまして、我が省としましては、所要の調査費を措置いたしますとともに、早期に調査を開始いたしますよう、現在、同協会及び関係自治体との調整を進めてきたところでございます。日本考古学協会を中心に、国その他の関係機関などの職員を含めた調査団を編成して、近く調査を開始する予定であります。
 座散乱木遺跡の史跡指定の取り扱いにつきましては、こうした調査の成果などを踏まえながら、適切に対処してまいりたいと考えております。
○大石(尚)委員
 二〇〇一年十一月九日付の毎日新聞の記事によりますと、今大臣は考古学協会側の方からむしろお話があったというふうにおっしゃいました。私がお願いしていたのは、国の方から積極的に調査をすべきではないかということを再三申し上げていたのですけれども、この毎日新聞の記事によりますと、「文化庁が先月」というのはこれは二〇〇一年の十月のことでございます、「十五日、協会側に発掘調査を打診。文化庁の科学研究費を充てる方向で調整している。」こういう記事が載っておりました。逆ではないのですか。文化庁の方から協会の方へ何らかの働きかけがあったのではないかと考えますけれども、いかがでございましょうか。
 それと同時に、これがもう既に私が調査をお願いして以降約一年たっているわけでございます。その間、何ゆえにほっておきになったのか、それもあわせて伺わせてください。
○銭谷政府参考人
 昨年の十月十一日でございますけれども、日本考古学協会の方が文化庁を訪れまして、日本考古学協会による前・中期の旧石器遺跡についてのこれまでの調査経緯について、私ども御説明を受けたわけでございます。
 その際、日本考古学協会の方から、まず藤村氏の捏造の告白の件について御説明がございました。藤村さんからは全部で五回告白がございまして、御指摘の座散乱木遺跡につきましては四回目と五回目に言及があったそうでございますが、四回目と五回目の説明内容に食い違いがあったりして、全体として説明内容が揺れているという印象があったというお話でございました。
 その際、あわせて、日本考古学協会の方から文化庁に対しまして、次のような御依頼がございました。一つが、今後、国、地方自治体、日本考古学協会の三者が連携協力をしていけるような環境づくりを検討してほしいということでございました。
 それから二つ目は、座散乱木遺跡につきましては、発掘調査も含めた検討が必要であって、発掘調査はできるだけ早く実施できるように、文化庁において、日本考古学協会に対して調査費も含めた支援を検討してほしいという御依頼でございました。
 私どもといたしましては、御依頼を受けて、前向きに対処したいという旨お話を申し上げたという経緯でございます。
 なお、座散乱木遺跡につきましては、昨年の十月の藤村氏の捏造の告白によって明らかになったわけでございますけれども、この遺跡は宮城県の北部に所在をいたしておりまして、ある意味では、雪解けを待たなければなかなか再調査に着手できない気候条件下にあることから、日本考古学協会では、当初から、年明け、春になりましたこの四月ごろから調査に着手すべく準備を進めてきたというふうに承知をいたしております。
 私どもといたしましては、これまでの間、日本考古学協会が予定をしております調査に対して所要の調査費を措置するとともに、可能な限り早期に調査を開始すべく、同協会及び関係自治体との間の調整を精力的に今進めているところでございます。近く調査団を編成し、調査を開始する予定になっております。
○大石(尚)委員
 約一年半前に国側の積極的な調査をお願いいたしておりましたが、それに関しては、なさる御意思がなかったと考えてよろしゅうございますね。
○銭谷政府参考人
 座散乱木遺跡につきましては、先ほど来申し上げておりますように、昨年の十月に藤村氏が捏造したということを告白して、座散乱木遺跡について、これは再調査の必要があるということがはっきりしたわけでございまして、私どもも、調査をみずからやるのか、あるいは考古学協会と協力をしてやるのか、関係自治体あるいは地域の住民の方々のいろいろなお気持ちもございますので、検討していたところでございますが、先ほど来申し上げておりますように、考古学協会の方から発掘調査を行いたいというお話がございましたので、それではその発掘調査に文化庁としてもいろいろな面で、財政的あるいは関係者間との連携等について協力をしようということで、座散乱木遺跡の再発掘調査を今準備を進めているという状況でございます。
○大石(尚)委員
 この問題は、子供たちの学びの方へ大きな影響を与えております。
 それで、特に座散乱木遺跡の指定ということもありまして、それでいろいろな教科書に旧石器時代、それが、後期まではともかくとして、中期、前期まで取り入れられていったわけでございます。
 私どものお配りいたしました資料の次のページに、これは山川出版社の新日本史改訂版のコピーがございますが、ここをちょっとごらんいただいただけでもわかりますように、夢を膨らませるのではなく幻を膨らませていた、こういう記述が、これは教科書至るところにございました。
 それで、例えば二〇〇一年の五月十七日の日経新聞の報道によりますと、「「中学歴史」六社が訂正」、要するに教科書を自発的に書きかえていったわけでございます。上高森遺跡の記述の誤りが発覚したので、これはもう自発的に書きかえなければいけなかった。
 それから、二〇〇一年の十月の五日には、これは高等学校の日本史教科書、そこで、主要八社のうち五社は四日までに、この旧石器の時代の記述を削除する、残る三社も削除を決める見通しだという。文化庁は、文化審議会に諮って指定の見直しをするというようなことも、これは去年の十月五日の記事に出ております。
 教科書にこのような打撃を与えているということ。既に子供の頭の中には、何十万年前に日本列島に人間が住んでいて、そして生活していたということがインプットされているということ。この問題に関しては、教科書の検定問題もございますゆえに、どのようにとらえておいでになりますでしょうか。
○矢野政府参考人
 中学校社会科及び高校日本史の教科書において、捏造したとされております旧石器遺跡に係る記述があったものにつきましては、委員お示しになりました教科書も含めてでございますが、いずれも、発行者から申請されました訂正によりまして、昨年十二月までに該当の記述がすべて削除、修正されておりまして、本年四月から使用される教科書におきましては、該当の遺跡に関する記述はなくなっているところでございます。
 また、委員のお尋ねの、該当の遺跡が記述されていた訂正前の教科書で学習した生徒についてでございますけれども、これは、年度途中に訂正が行われたものにつきましては、各教科書発行者から当該教科書を使用する学校に対しまして、訂正内容が周知されることとなっておりまして、教師等によって訂正された内容が適切に指導がなされたものと考えているところでございまして、また加えて、みずから一般の新聞報道等に接することによりまして、それらの遺跡等が問題とされている状況について適切に理解できるものと考えられるところでございます。
○大石(尚)委員
 多くの教科書にここまで記述されていたという事実、これに関して、文部科学省、どういうふうに責任を感じておられますでしょうか。私思いますに、これは、見抜けなかった責任以外の推進責任というものがある程度問われるのではないかと思うのでございます。
 なぜかと申しますと、このお手元の資料の最後の二枚、これをちょっとごらんいただきたいと思いますが、これは「発掘された日本列島 新発見考古速報」という、文化庁が出しているものでございます。こういうものが毎年、文化庁編で朝日新聞社から出されていたわけでございます。これには二〇〇〇年、二〇〇一年と二つございますが、この二つの年表のところのコピーがこれでございます。
 まず、二〇〇〇年からの抜粋をごらんいただきますと、一番右の六十万年前というところに「日本列島に人(原人)が住み始める」と書いてございます。
 それで、これは直近の一年間に、「新発見考古速報」としてここに、これは一九九五年あたりから発刊されているものでございますが、文化庁がつくっているのです。ここにこのような形で、まだ検証されていない、だけれども、発掘された旧石器時代中期、後期の石器というものが掲載されている。そして、これを全国数カ所、展示して回っているのでございます。これは、地元の教育委員会等々も力を入れておられますけれども、文化庁主催の行事でございます。
 こういうことがあって、そして、ついでに申しますけれども、最後のページ、これは捏造が発覚してから二〇〇一年に発刊されたこの「新発見考古速報」文化庁編でございますが、この年表からは、ごらんのとおり、最初の一行が削られております。そして、その二〇〇一年の冊子の最初のごあいさつ、文化庁長官のごあいさつの文章が載っておりますけれども、この文の中には、藤村さんの捏造によってこれだけ日本の歴史を狂わせていたということに触れられておりません。ただ年表のこの一行が削られていった。何か、そっとしておこう、隠しておこう、触れずにいよう、そのような姿勢を私だけが感じ取るというのでしょうか。
 こういう文化庁お墨つきの展示、あるいはカタログ等々、こういうものがあったからこそ、教科書への記載として取り上げられていったのではないか。このことに関して、大臣、文部科学省としての責任はどのようにお考えになりますでしょうか。
○矢野政府参考人
 教科書行政にかかわる実務的な点もございますので、まず私の方から御説明をさせていただきます。
 教科書の検定といいますのは、これは、検定の時点における客観的な学問的成果あるいは適切な資料に照らして、教科用図書検定審議会における専門的な審査を経て実施しているわけでございます。
 そこで、今回のようなケースでございますけれども、これは、この検定を行いましたその時点では、この遺跡について、発掘結果について論文が発表されておりましたり、学会等で発表されており、また学会誌でその発掘を踏まえた旧石器時代の研究動向として取り上げられていたということが学界の状況としてあるわけでございますし、またさらに、考古学の概説書、考古学事典、日本史事典などの一般的な資料におきましても、この発掘成果について、発掘成果に基づいた記述がなされていたということがあるわけでございます。そのような学界の状況、またそういう一般的な概説書等における記述の状況、こうした状況を踏まえまして、教科用図書検定審議会における専門的な審議を経て、検定上、これを記述することを認めたわけでございます。
 教科書の検定というのは、あくまでもその時点における学界の状況あるいは資料の状況を踏まえてやるものだということについて、まず御理解をいただきたいと思うわけでございます。
 しかし、この問題に限らず、検定以後、学界の状況が変わったり、あるいはその記述について誤りが発見されるということになりますれば、これも制度上、この場合に限りませんけれども、検定済み教科書の訂正、そういう制度があるわけでございます。
 そして、今回につきましても、その制度にのっとって、今、先ほど御報告申し上げたような形で、既に訂正の申請が行われ、訂正が認められ、この四月からは訂正されたものが子供たちの手に渡るようになっているところでございます。
○銭谷政府参考人
 先生お話しいただきました資料は、毎年文化庁が実施をしております発掘された日本列島展の資料でございます。これは、お話ございましたように、全国数カ所において巡回展を実施しておりまして、その前年に発掘されました考古関係資料について展示をし、国民の御理解を得るために実施をしているものでございます。
 一般的に、遺跡の発掘の価値づけというのは学界の一般的な見解に沿って行われるわけでございまして、学界の見解を尊重すべき立場にある行政の側としては、今回のような捏造の可能性までを想定するということは、その時点においては困難であったのかなというふうにも思います。
 ただ、私ども、今回のことを教訓に、今後の行政に生かしていきたいというふうに考えている次第でございます。
○大石(尚)委員
 何かいろいろお話伺っておりますと、対岸の火事のような感じがいたします。
 それで、私は、この犯罪というものは、旧文部省、現文科省の連係プレーによる、現在持てる科学技術を総動員する、総動員までしなくても、考古学のみならず、人類学、地質学、自然科学、今文科省の中にそういう頭脳がおありになる、それを連携作業さえ密に行われていれば防げた問題だろうと思っているのです。
 例えば、この「縄文の生活誌 日本の歴史」ナンバー1、これは講談社が出したものでございます。これは前回の質問でも一部引用させていただきました。きょうは、また別な箇所を引用させていただきます。
 十二ページ。「一九九五年、宮城県築館町上高森遺跡で、六十万年前のものと思われる地層を掘っていた人たちの間に衝撃が走った。」これはどなたが書いていらっしゃるかと申しますと、座散乱木の指定につながっていった第三次発掘の現場責任者、発掘責任者の方が書いておられます。
 そのところ、もう少し読みますと、「石器発見の名人、藤村新一氏が突然、「ここだけ土が円く軟らかい。小さな穴があるんじゃないか」といいはじめた。」という記述がございます。六十万年もの地層の中で、ここだけ土が丸くやわらかい、ここで気づかれなければいけないのではないでしょうか。
 この座散乱木遺跡の第三次発掘に関して、同じこの方が書かれた、どこかで文章を読んだことがございますが、その中にも、石器を抜き出すときの衝撃的な、本当に興奮するような文章が記されていて、やはり周辺がやわらかかったと書いてございます。ここで既に、専門官であれば気づくべきではなかったのか。それで、この方は、その後、シンポジウムですとかあるいは講演の中で、自分もおかしいと思っていたという発言をしていらっしゃいます。
 この方は、座散乱木遺跡が発掘された数年後、どこに赴任された方でございますか。お名前はA氏とさせていただきます。
○銭谷政府参考人
 お尋ねの方は、当時、宮城県立の東北歴史資料館にお勤めの方だったわけでございますが、その後、文化庁の文化財保護部の方に勤務をしたものでございます。
○大石(尚)委員
 私が知っております限りでも、本年の三月三十一日まで、文化財の主任調査官とおっしゃるのでございましょうか、要するに、この事件の中核にいらしたという言い方は過ぎておりますけれども、そこに添うように存在していらした。
 それで、ごく最近、昨年の十一月三日に、さるところで「日本最古の旧石器と化石人骨」という講演をなさっていらっしゃるのですけれども、その中でも御自分みずからおっしゃっております。これ変だなという指摘は実は前々からありました。そして自分もおかしいと思うことがあったということも、さきに申しましたようにシンポジウム等でもおっしゃっている。
 この方が、座散乱木遺跡の発掘の成果によっても文化庁に招かれたのではないかと私は察しておりますけれども、それから今日に至る十数年以上にわたって文化庁の考古学の中枢におられたということ、大臣、やはり責任をお感じになりませんでしょうか。
○銭谷政府参考人
 先ほど来申し上げておりますように、座散乱木遺跡の価値づけは、当時の学界の一般的な見解に沿って行われたものでございまして、学界の見解を尊重すべき立場にある行政の側としてやむを得ない状況というのもあったのではないかというふうに考えております。本人につきましても、一生懸命職務を行っていたわけでございますけれども、当然十分な注意を払いながらの作業だったと思いますが、力不足という点もあったかとは思います。
 先ほど来申し上げておりますように、今回のことを私ども教訓にいたしまして、今後の文化財行政に生かしていきたいというふうに考えております。
○大石(尚)委員
 既にこの一連の藤村新一さんの捏造につきましては、座散乱木遺跡、一九八一年第三次発掘の後、もう三、四年後から批判論文が出ていたわけでございます。学界でもそれに対しておかしいという御意見が出ました。そういうものがすべて取り上げられてこなかった。ここに、今どきこのような文化行政があったのだろうか、もう少し公正に取り組めなかったのだろうか、私は残念で仕方がないのでございます。
 かつて、このような類似した事件がやはりございました。これは、永仁のつぼ事件というのがございまして、永仁というのは、皆様御存じのように、鎌倉時代、蒙古襲来のあの直後の年代でございますが、そのつぼが、昭和三十四年、古瀬戸の名品として重要文化財に指定された。これは文部省の仕事として重要文化財に指定された。しかし、その後贋作だということがわかって、この指定に奔走された当時の文部技官はみずから職を辞して責任をとられた、そういう事件がございました。
 この著書の方は、講談社の「日本の歴史」ナンバー1「縄文の生活誌」、これを執筆されて、そしてその中に大変誤った記述が多くなされていた。しかし、この本は、これはもう発覚する直前に本屋に並んだものでございますが、その後自主回収したというようなことも伺っておりますけれども、でも、私はこれと同じ本をこの国会内の本屋さんでことしの二月八日にもう一冊手に入れております。それから、この方は他の著書にもいろいろとございまして、こういう中にももう既に改めなければいけないような記述が載っかっております。これがやはり文化庁の主任調査官の執筆というふうになっていくわけでございますから、こういう問題に関して、何かもう少しすっきりとけじめをつけるべきではなかったのか。
 四月一日に、この方はどちらへいらしたのでございましょうか。
○銭谷政府参考人
 御指摘の文化財調査官につきましては、この四月に、埋蔵文化財の発掘調査を専管業務といたしております独立行政法人の機関、奈良文化財研究所でございますが、そちらの方に移っております。
○大石(尚)委員
 それは出向されたのでございますか、退職されてそちらに就職されたのでございますか。独立行政法人というのは、よく天下りの席と言われている場所でもあろうかと思いますけれども。
○銭谷政府参考人
 いわゆる出向という形になろうかと思います。
○大石(尚)委員
 私はこの方を責めたくはないのですけれども、しかし、やはり最初の国指定になった遺跡の発掘責任者であって、それから十数年にわたって文化庁考古学の中枢におられた。この方がもう少し御自分の学問的な良心に謙虚に敏感に反応しておられたら、書かれたもの等を読みますと、もっともっとさかのぼって、その発覚当初にこれはおかしいと気づかれていたのではないか。
 そうなりますと、これからの文化行政、二十一世紀へ向かって大きく発展していかなければならない。文化芸術振興基本法も制定されたゆえもありまして、文化庁の予算は、前代未聞、前年度比八・何%かの増額だと聞いております。そういう中で、この一連の捏造事件に関しては、私は、文部科学省、文化庁の中に、見抜けなかった責任、ある意味では推進してきてしまった責任というものがあるのではないかと思うのでございますけれども、それに対して大臣はどのようにお考えでございますか。
○遠山国務大臣
 私も、捏造事件が発覚いたしまして本当に驚嘆いたしました。これは学問の世界の冒涜であり、決して許されるものではないと思いました。しかも、学界においてそのことが長年見抜けなかったということは、これは本当に残念なことでございます。
 文化行政は、やはり学問成果の上に立って行政を行うというきちんとした哲学がございます。その意味で、学界の成果というものを尊重して行政をやってきたということでございます。ただ、今回のケースは、大変私はこれからのあり方について警鐘を鳴らしてくれたといいますか、今後のあり方についてはやはりもう少し細心の注意をしていかなくてはならないと思いますが、ただ、行政と学問の世界との間の関係というものは、これは慎重でなくてはいけないということがございます。
 また、今回の事件は余りにも特異な、学問の世界に携わる者がそういうことをやるということは、およそ想像もできなかったという特異なケースであろうかと思いますが、いずれにしましても、この問題を契機にして、今後の文化行政をしっかりやっていくというために、人材の確保を初めとして、もう少し行政のあり方についてきちんと見直しを行い、またその考え方に沿ってやっていくべきだと私は考えております。
○大石(尚)委員
 時間が来てしまいましたので、最後に、二点お願いでございます。
 とにかく子供を犠牲にしてしまった、それから国際的にも大変、日本の考古学界に汚点を残してしまった、これをどう説明責任を担っていくのか。それから、これからは文化行政そのものが国際水準をきちっと満たしていかなければいけない。
 そういう中で、人事面におきましても、いろいろな博物館ですとか美術館ですとか、いろいろな独立行政法人にしてもお世話をしていらっしゃるわけでございますから、そういう館長の人事等も含めてどうあるべきか、二十一世紀の文化行政というものはどのようにしていかなければいけないか、大変重大な岐路に差しかかっていると思いますので、ぜひ、この大変な問題を糧として、災いを転じて福となすような文化行政をこれから発展させていっていただくように皆様にお願いして、責任のとり方はけじめをつけるということをお願いして、質問を終了いたします。
 ありがとうございました。

第154回−参議院−文教科学委員会 2002/06/25

○岩本司君
 質問に移りますが、捏造問題、もうこの捏造ということでぴんとくると思いますけれども、前期石器の発見を積み重ねてきました東北旧石器文化研究所の藤村新一前副理事長による捏造事件、これは大きな衝撃を同じように日本の国民に与えました。このすべての藤村関連遺跡に関する検証作業の経過はどうなのか。藤村関連遺跡は幾つもあり、三十以上あるわけでありますが、それらについてどのような検証が行われているのか、また、今回の捏造事件発覚を受けて国としてこれまでどのような対応をしてきたのか、お答えいただきたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君)
 藤村新一東北旧石器文化研究所の前副理事長が関与した遺跡は、文化庁の平成十二年十一月の調査によれば百八十六遺跡ございます。昨年十月の日本考古学協会の大会において藤村氏が捏造を告白したことが明らかになった遺跡は、この百八十六遺跡のうち二十五遺跡でございます。さらに、この百八十六遺跡以外にも藤村氏が捏造を告白した遺跡が十七遺跡ございまして、合わせて四十二遺跡が藤村氏が捏造を告白した遺跡ということになっております。
 この問題が発覚をして以来、地方公共団体や日本考古学協会などによって石器の検証でございますとか再発掘調査などの検証作業が順次行われております。これまでに三十の遺跡についてこのような作業が行われております。去る五月二十六日には、日本考古学協会の前・中石器問題研究調査特別委員会から、これまでに検証が行われた藤村氏関与の前・中石器時代の遺跡は学術資料として扱うことは不可能という判断が示されております。
 文化庁といたしましては、平成十二年の十一月にこの問題が報じられて以来、ただいま申し上げましたように、藤村氏が関与した発掘調査の状況の調査を実施をし、その結果を公表し、さらに十二年の十一月十七日付けで文化庁長官通知を発出をいたしまして埋蔵文化財の発掘調査に関する事務の改善について指導を行っているところでございます。この点につきましては、その後も各種の担当者会議等を通じまして指導の徹底を図っております。また、地方自治体や日本考古学協会による再調査に対する補助等を行ってまいりました。加えて、こういった検証のための調査を行う際に、関係自治体との連絡調整といったことを行いまして検証を進めてきたということでございます。
○岩本司君
 藤村氏関連遺跡の中で唯一の国の指定史跡であります宮城県の座散乱木遺跡の再調査が今月の九日終了しまして、国や日本考古学協会などの発掘調査委員会は同遺跡が捏造だったと断定する報告書を発表しました。この検証作業はどのように進められたのか。また、この座散乱木遺跡はまだ指定解除がされていないんですね。今後どのように指定解除の手続を進められるのか、御答弁をお願いします。
○政府参考人(銭谷眞美君)
 国指定の座散乱木遺跡につきましては、今年の四月の下旬から日本考古学協会が中心となりまして、国その他の関係機関等が協力をいたしまして、その学術的価値を検証するための再発掘調査が行われてきたところでございます。去る六月九日に、調査の結果、この遺跡は前・中期の旧石器時代の遺跡とは認められないという見解が示されたところでございます。
 その調査の結果でございますけれども、過去の調査において、前・中期旧石器時代の石器が出土したとされる旧第十三層上面及び旧第十五層上面出土の石器につきましては、石器の出土がなく、過去の出土の状況が極めて不自然であるというような結果が出ております。それから、この地層、層の辺りは火砕流が堆積していると判断をされておりまして、生活面が存在するとは考えにくいといったような結果が出ております。ただ、より地表に近い層では石器や土器、遺構が見付かっておりまして、座散乱木遺跡は後期旧石器時代ないしは縄文時代草創期から古墳時代の遺跡とは認められるという判断も示されたところでございます。
 こういった調査結果を受けまして、文化庁としては、この史跡の史跡としての価値付け及びそれを踏まえた指定解除の可否につきまして、専門家や関係自治体から成る調査検討会議を設けまして行政的な検討を開始をすることといたしております。第一回会合は六月二十七日に開く予定にしております。その専門家会議の検討の結果、史跡指定を解除するという場合には文化審議会の文化財分科会に諮問を行うということになろうかと思っております。
○岩本司君
 国指定の青森県の三内丸山遺跡、また九州の佐賀県の吉野ケ里遺跡のように、観光化されまして国や自治体から大変な額の出資があったと推測される史跡もあるわけであります。
 国の指定ではありませんが、藤村氏のかかわりました前期旧石器秩父原人問題に関して、秩父市では原人祭りというお祭りを開かれたり、また遺跡にちなんだ秩父原人サブレですとか、これはおせんべいとかそういうものですけれども、あとパンやお酒、こういうものを売り出したり、遺跡を生かした町おこしが行われ、大変な騒ぎだったというふうに聞いております。ところが、捏造と分かったとき、この市民の落胆、計り知れないものがあったと。それどころかもう怒りですね、地域の方々は投資しているわけですから、この不景気なときに。純粋に、それだけではなくて、考古学を愛して古代のロマンに夢をはせていた方々もたくさんいらっしゃるわけであります。
 今の日本考古学会、純粋な学問としての側面と、また、歴史を書き換えるような発見をする、そのことを通じて地域の人々に夢を与える、この側面があるのかもしれません。お国自慢を満足させるために歴史を書き換えるような発見を重視する風潮、これは大変悲しいことであります。
 世界的な信用をなくしてしまいました日本考古学会、今後どのように信用を回復されるのか、大変疑問でありますが、こういったことをかんがみまして、座散乱木遺跡を史跡指定にした国としての行政責任をどうお考えになっているのか、大臣の御所見をお伺いします。
○副大臣(青山丘君)
 御指摘の点は率直に受け止めて、誠に遺憾な事態だと思います。
 この九日の日に前・中期旧石器時代の遺跡とは認め難いという見解が示されたことは今お答えいたしましたが、正に座散乱木遺跡につきましては、史跡指定は当時の学会の一般的な見解でございまして、学会の見解を尊重すべき立場にある行政の側といたしましては、その当時、その時点において、今回のような捏造の可能性まで想定することはおよそ困難であったというふうに考えております。
○岩本司君
 困難であったというか、だからこういう結果が出たのかも分かりませんけれども、地域ですね、地方自治体も投資しているところもあると聞いております。また、地方自治体よりは、自治体ももちろん大変ですけれども、地元の住民の方々、こういう方々がやはり身を削って投資しているわけです、生活するために。国は、指定しなかったところはいいというような考えではなくて、やっぱり国としても何らかの指針を出すべきではないかというふうに考えます。
 ちょっと時間の関係がありますので次に移ります

第155回−衆議院−文部科学委員会 2002/12/06

○大石(尚)委員
 民主党・無所属クラブの大石尚子でございます。
 きょうは、従来から追っかけております旧石器発掘捏造事件の問題につきまして、これは平成十二年の十一月五日でございましたか、毎日新聞のスクープで、その当時、東北旧石器文化研究所の副理事長であった藤村新一さんによる旧石器発掘が捏造であったということがスクープされた。その直後でございました民主党の国対におきまして、この問題は何とかしなければならない、そして、当時、国対並びにこの文教常任委員会におりました私が担当させていただいて今日に至っております。
 これは、前回申しましたように、日本列島における人類史が塗りかえられてしまった、特に日本民族の命を狂わせてしまった事件でございます。
 これは文化庁の記念物課の主任調査官、今まではお名前は伏せておりましたが、これはもう公になっていることでございますので、岡村道雄さんの著書、これは「日本の歴史」のナンバー1として講談社から出版されたもの、その事件発覚直前に出版されたもの、それがついこの間改正されまして、改訂版が出たのでございます。
 その中身を拝見いたしましても、この問題に関しては、決して意図的ではなかったけれども、文化庁みずからがこの問題を見抜くことができずに、そして拡大推進に加担してきてしまったという、大変ずさんな、実にずさんな文化行政であった、そう言わざるを得ないと思うのでございます。
 まず最初に、この藤村新一旧石器発掘捏造事件というものを、これは莫大な損失、被害を各地方自治体にも与えてしまったことでございますゆえに、どう総括しておられるのか。文化庁並びに、できましたら、統括される文部科学省としてのお立場からも御発言いただきたいと存じます。
○銭谷政府参考人
 まず、藤村新一氏による旧石器発掘捏造の件につきまして、その状況を御説明させていただきます。
 平成十二年の十一月に文化庁が都道府県の教育委員会を対象に行った調査によりますと、藤村氏が関与した遺跡は百八十六遺跡でございます。そのうち、実際に発掘調査を実施したのは三十三遺跡でございます。昨年、平成十三年の十月の日本考古学協会の大会におきまして藤村氏が捏造をしたと告白したことが明らかになりました遺跡は、百八十六遺跡のうち二十六遺跡でございます。実際に発掘調査を実施した三十三遺跡につきましては、そのうち十六遺跡について捏造を告白いたしております。
 なお、都道府県教育委員会によって把握されていなかった発掘現場というのがほかにございまして、それについては十六遺跡について捏造したというふうに告白をいたしております。
 したがいまして、藤村氏が捏造を告白した遺跡は、教育委員会調べの二十六遺跡に加えまして、それ以外の十六遺跡と合わせて、四十二遺跡ということになっております。
 この問題が発覚して以来、地方公共団体や日本考古学協会などによりまして、この関係遺跡について石器の検証や再発掘調査などが行われているところでございます。
 それから、国の指定した遺跡はこの中で一つでございまして、これが座散乱木遺跡というものでございます。これは昭和五十年代に藤村氏がかかわって発掘調査を行いまして、平成二年に文化財保護審議会の方から史跡指定の答申が出ておりまして、平成九年七月に実際の史跡指定が行われております。
 この遺跡につきましては、日本考古学協会、文化庁、それから関係の都道府県、市町村などがいろいろ協力をいたしまして、発掘調査を行いまして、先般、これは史跡としての価値が認められないということで、文化財分科会の方から史跡指定解除の報告をいただいております。近く史跡指定解除の告示をする予定にいたしております。
 私どもといたしましては、このような発掘捏造事件を見抜けなかったということについて、文化財行政担当者としては極めて遺憾に思っております。
 なお、私どもといたしましては、この座散乱木遺跡の指定解除も含めまして、文化財行政に対する国民の信頼を回復すべき最大限の努力を今後とも続けてまいりたいと思っております。
○大石(尚)委員
 今お話ございましたように、この宮城県の座散乱木遺跡を国が史跡指定していたということの事実、これは前回も御指摘申し上げましたように、ここの捏造が世の中に認められたこと、これがスタートだったわけでございます。それで、そのスタートの捏造を見抜けずに、そしてこれを国指定した。
 そして、もっと私が本当に返す返す残念でならないことは、この捏造の発掘責任者その方が、この著書の著者でございます岡村道雄さんで発掘の現場責任をしておられた。そして、その成果によってでございましょう、後に文化庁に招かれて、先ほど申しましたように、文化財部記念物課の主任調査官としてずっと十数年、二十年弱でしょうか、お勤めになっておられた。そして、その間に国の指定の手続がなされた。その指定の手続をする資料を作成されたのはやはり岡村さんであったと私は聞いております。
 そして、今まで百五十国会並びに百五十四国会の文教並びに文部科学常任委員会の質疑の中でいろいろと、学界と行政、文化庁とのつながり等々にも触れられておりますけれども、ここで本当に、学界云々というその学界にその情報を発信した発信基地がやはり文化庁にあったということ、これは、そういう中にあって、文化庁の文化行政としての責任をどういうふうにとらえ、どういうふうに関係者に謝罪していったらいいのか。
 これは、やはり前回も前々回も、当時の大島大臣もまた遠山大臣もそして銭谷さんも、文化行政の今後の改革について、改善していかなければいけない、これを教えとして、糧として、この体験を生かして今後改革していかなければならないと触れておられますけれども、この岡村さんの改訂版を読まれた私の地元の考古学愛好者の方から御意見が寄せられてまいりました。
 そして、この中で岡村さんは、藤村さんの件を早期に見抜くことができなかったことを悔やむということ、それから誤った情報を提供し続けてしまったということを深く反省するということ、それから座散乱木のその指定に関しても、座散乱木の捏造を見破れずに大変遺憾に思い、重い責任を感じているということがこの中にも書かれているのでございますが、その市民の方は、何か弁解がましくて、そして根本的な原因の追求も甘く、本当に謝罪する気持ちがおありになるのだろうかという意見を寄せてこられました。
 これらのことを考えますと、文化行政を担ってこられた文化庁として、そしてそれを統括してこられた文部科学省として、この責任をどうやってけじめをつけようとなさっていらっしゃるのか、どうやって国民に、あるいは関係者に、あるいは、これは広く世界の考古学者からも大きな関心を寄せられている問題だけに、謝罪していこうとしていらっしゃるのか、そのなさり方を伺わせてください。
○銭谷政府参考人
 座散乱木遺跡につきましては、ただいま先生からお話がございましたように、第三次にわたる調査が行われて、その結果に基づいて史跡の指定を行ったわけでございます。
 その調査に参加をした者が後に文化庁職員に採用されたのは事実でございまして、具体的には、昭和六十二年四月に文化庁の文化財保護部の調査官になっております。その者が、平成二年の座散乱木遺跡の史跡指定に係る資料についても、調査官として、審議のための資料作成にかかわっております。
 先ほど、本人の著書のお話もございましたわけでございますが、本人も、当時その捏造を見抜けなかったということについて、力不足を感じて責任の重さを痛感しているということをその本の中では述べているわけでございます。
 私ども文化行政を担当する者といたしましては、今回のケースは、多くの考古学研究者が直接的にかかわり、調査員、作業員も多数参加する発掘現場で捏造が行われ、それが学界で相応な評価を得ていたという極めて特異な事例であると認識をいたしておりますが、文化財行政が学問の成果の上に成り立っていることにかんがみれば、このような事態は本当に遺憾な事態であるというふうに思っております。
 このたび行おうとしております座散乱木遺跡の指定解除は、学問と行政のあり方に一つの問題をやはり投げかけておりますし、結果として文化財行政に対する国民の信頼を著しく損ねたものと私どもも思っております。
 私どもといたしましては、今後このような事件が再び起こることがないように、平成十二年十一月に、事件が発覚した直後、文化庁長官名によりまして、埋蔵文化財の発掘調査に関する事務の改善について通知をし、その後も継続的に周知徹底を図っているところでございます。
 それから、去る十一月の指定解除の答申に際しましても、文化審議会文化財分科会で、今後の旧石器遺跡の審議に当たりましては、出土遺跡の十分な調査、理化学分析等の活用、関連分野や異なる学説を持つ研究者の意見聴取を行う旨決定をいただきまして、再発防止を図ることといたしております。
 それから、文化庁長官から私ども文化庁関係職員に対しまして、調査結果やそれに対する学界における評価について、より慎重な検討を行うよう、当日御指示をいただいたところでございます。
 私どもといたしましては、全力を尽くして文化財行政の信頼回復に努めてまいりたいと思っております。
○大石(尚)委員
 最後に、大臣にかわって副大臣からお考えを伺わせていただきたいと存じますが、その前に、これは十一月四日の読売新聞、「「書類だけ」では危ない!? 史跡指定 現地調査も」という見出しで記事が載っておりました。この中を見ますと、前回御紹介申し上げました永仁のつぼ事件というのがございましたが、その教訓は生かされていなかった。
 そして、これも記事によりますと、当初から人類学や地質学の専門家などの中からいろいろと異なった意見が出ていたという記事も新聞の中にございましたし、何か、今後大いに改善していかなければならないということを文化庁もお認めになり、そしてみんなで、関係者で英知を絞っていただけることになるとは思うのです。
 例えば考古学者自体の養成課程についてもやはり今の日本の現状でいいのかどうか、これを問題提起していらっしゃる方がございました。東京都立大学の人文学教授の小野昭先生、「ヨーロッパの旧石器と研究教育体制―ドイツの例で考える―」こういう論文を拝見いたしましても、これはむしろ、今の日本の考古学者の養成課程で、周辺の隣接科学を学べる大学のシステマチックなカリキュラムを用意できていないというようなことが指摘されてございます。
 それで、私もちょっと自分のところで計算してみたのですけれども、日本の大学の傾向は、考古学というものが人文系に属しておりまして、理系の学部に所属している考古学関係の講義が行われている大学というのは、これはわずか七大学。そして、文系、人文系が百八十三大学でございました。大学院もそのような傾向でございます。ところが、アメリカにおける考古学関係の講義がどういうふうに行われているかと思いますと、それはちょうど逆でございまして、理系が二百四十八校、そして文系が三十校、ちょうど比率が逆転いたしております。
 ですから、こういう、これから研究者を養成する、それから大学人を養成する課程においてもいろいろと問題点があるのではないか。ここら辺のところは、直接関与はなされないかもしれませんが、やはり、日本のこれからの大学改革の中で大いに検討していかなければならない問題ではないかと思います。
 大変時間が、あと一分か二分、最後に副大臣の御意見を伺わせていただきたいと存じます。
○河村副大臣
 このたびのこの事件は、本当に文化行政を預かる者としてもざんきにたえないことでございまして、これは、どういうふうに謝るかというのは、なかなか、こう謝ったら納得いただけるというようなものではございませんけれども、あとは、いかに信頼を回復するかということであります。
 これは、文化行政を預かる者総力を挙げて取り組まなきゃいけない課題でございますし、今御指摘のように、こうした、特に旧石器時代の遺跡等においては、この指定の審査というのは、その真正性をきちっと確保するための努力をもっとしなきゃいかぬ。御指摘のような科学的な検査といいますか、そういうものをもっと導入しなきゃいけませんし、また、大学における研究等についても、考古学協会中心に、アカデミズムの責任において十分な検討をしていただきたい、こうも思っておりますし、今の学科の編成等々についてもさらに研究の余地がある、このように思っておるところでございます。
 今後、こうした問題を再び起こさないということで、総力を挙げてこの問題に取り組んでいくという姿勢が非常に大事だろうというふうに思っておりまして、大変大きな教訓を与えられた、このように自覚をしておるところでございまして、御指摘の点についても十分踏まえて、これからの文化行政に、特に史跡の指定に当たりましては、最大の注意を払いながら皆さんの期待にこたえるようなものをつくり上げていくという努力をしていかなきゃいかぬ、このように思っておるところでございます。
○大石(尚)委員
 ありがとうございました。

第156回−衆議院−文部科学委員会 2003/07/09

○大石(尚)委員
 民主党の大石尚子でございます。
 きょうは、私が二〇〇〇年の十一月から取り上げてまいりました旧石器発掘捏造事件の問題と、それから世界遺産登録の問題に関連いたしまして我が国の文化財保護行政について、そのあり方についてお尋ねいたしたいと思っております。
 本年の五月二十五日の各紙に、全く残念な記事が出ておりました。これは、スクープが毎日新聞でスタートした事件でございますので、毎日新聞の記事を引用させていただきます。
 まず、「東北旧石器文化研究所の藤村新一・前副理事長による旧石器発掘ねつ造問題で、日本考古学協会の旧石器問題調査研究特別委員会」、これは委員長が小林達雄国学院大学教授でございますが、「二十四日、東京都内で開かれた同協会総会で最終報告を行い、藤村氏が関与した九都道県の計百六十二遺跡でねつ造があったと断定。」されたと。これで、旧石器の前・中期全遺跡が無効となったわけでございます。これによりますと、日本列島に七十万年前ぐらいから人間が住んでいたという歴史が完全に覆されて、三万年以上前の全遺跡は無効となってしまったわけでございます。
 このときに、日本考古学協会が最終報告として「前・中期旧石器問題の検証」という、三センチ以上の厚さを持った膨大な報告書をまとめられました。これが五月二十四日、総会の日に発行されているわけですが、その六百四ページ、これは総括の記されたところで、幾つかの課題が分けて記載されているところでございます。
 まず、その課題の一は「張本人の責任」、これは藤村氏の責任でございます。それから二は「第一次関係者」、三は「第二次関係者」、四は「対極者」、それぞれの責任が問われているわけでございます。ここの、第一次、第二次には文化庁関係者もおいででございました。
 それから、第五に「行政関係の課題」というところがございます。そこにどういうことが書かれているかと申しますと、「文化財を管轄する行政の対応の課題がある。有体に言えば、ことの重大さの意識に欠けるところはなかったのか。事件発覚後の埼玉県当局の迅速な対応と、宮城県や文化庁」ここで出てくるわけでございます。「文化庁の初動対応の仕方との間には、大きな差があったことを、戸沢前委員長は指摘している。少なくとも、相応の責任の自覚に基づく、より迅速な具体的対応措置が期待されたところであった。」
 ここで私は、本日、この最終的な総括の意味合いで文化庁長官にお越しいただき、御所見を伺おうと思いました。出席をお願いしたのですけれども、この席にはおられません。それはどういうことなのでございましょうか。まず、その点だけお教えくださいますでしょうか。
○河村副大臣
 文化庁長官の国会への出席につきましては、昨年の通常国会の本委員会におきましても大石先生から御指摘のあったところでございますが、これまで、文化庁関係の国会審議、基本的には文部科学大臣、副大臣、大臣政務官が質疑に当たっており、さらに細目的な、技術的な事項、あるいは法案も含むわけでございますが、こういうケースについては、国会のお許しをいただいておりまして、文化庁次長が政府参考人として説明を行っている、こういうことできておるわけでございます。
 文化庁長官が、日本の文化の顔として国内外の文化関係者との活発な交流を行うとか、そういうことが非常に期待をされているし、現実にそういう性格なものでございますから、その業務が他の行政部局の長に比べて特殊な性格を持っているという観点もあるわけでございます。このようなことで、文化庁長官の職務の性格といいますか、その特性から、文化庁関係の国会審議においては、従来の政府委員制度の時代から現在の政府参考人制度に至るまで、行政の細目的、技術的な説明は日常的に行政事務全般を取りまとめている文化庁次長が担う、こういうことでこれまで国会の御承認をいただいてやってきたところでございます。
 しかし、今御指摘もございまして、これまでも幾多かそういう点について御指摘がございまして、文化庁長官、国会に出てくるべきだ、こういう意見もあるわけでございます。非常に専門的な、法案的な審議はともかくといたしまして、文化行政に関する基本的な長官の見解を述べる、それをまた聞いていただくというような形のものについては、これは出席を検討すべきであろう、こういうふうに考えておるところでございます。
 ただ、文化庁長官が、先ほど御説明申し上げましたように、国内外のお客様との対応とか諸行事への出席等、文化庁長官を中心にやっておるものでありますから、その点も非常に重要な職務である。国会の日程等もこれは最優先だと言われるとあれでございますが、かなりそういう点にウエートを置いたスケジュールを持っておられるということもひとつ理解を願いながら、我々もこれについては、御要望の点について適切に対応していかなきゃいかぬ、このように考えておるところでございます。
○大石(尚)委員
 お話のように、大変高い識見をお持ちの特別な方であればなおさらのこと、この委員会にお出ましいただいて、今文化行政のちょうど曲がり角の時期でもございますので、国民に対して御自分のお考えを吐露していただく、大事なことだと思っております。むしろ、お出ましいただかないということは、そのチャンスを阻止しているのではないかと思うくらいでございますので、委員長、今後はぜひ積極的に答弁に立っていただけるようにお取り計らいいただきたいと思います。
○古屋委員長
 大石委員に申し上げます。
 文化庁長官の出席問題につきましては、委員会の慣習上、今副大臣が申し上げたようになっております。したがいまして、きょうは文化庁次長が出席をされておられます。本日の委員会につきましては、ぜひ次長の答弁で対応していただきたいと思います。
 ただ、今後の問題につきましては、今御指摘のこともございますので、改めて理事会で協議をさせていただきます。
○大石(尚)委員
 前にもそのような委員長答弁を伺った覚えがございますので、今度こそはよろしくお願いいたしたいと思います。
 それでは、続きまして、この藤村新一事件をどう決着をつけていったらいいかと私なりにずっと考えてまいりました。そして、一つ、藤村さんが関係した発掘に関しましてはほとんどまともな報告書が出ていないということに気づいたのでございます。これは考古学協会等の資料によって数えてみますと、九十二件私数えました中で、報告書はたった二十二件きり出ておりませんでした。
 そこで、文化財保護法をひもといてみますと、現在、埋蔵文化財が包蔵されていると思われるところを発掘する場合に、第五十七条の規定によって文化庁に届け出しなければならないという規定があるわけでございます。しかし、届け出して掘り返した後の報告義務がないわけでございます。
 そこで、私は、文化財保護法を皆様の御協力をいただいて改正に踏み切っていこうかと思いました。今でもそう思っております。しかし、いろいろ意見を聞いてまいりますと、特に市町村現場にそれに対応し切れるだけの余力があるかどうかということに気づきました。文化財保護行政の特に末端、一番最先端でその行政に当たっていられる部署の今置かれている実態というのが、むしろ大変厳しい状態にあるということがわかってまいりました。
 今、どこの自治体も人を減らさなければならない、それから経費を節減しなければならない、そういう状態の中で、直接市町村民の暮らしにかかわりのない、さらに人命にも直接は関係のない文化財保護行政というものが、どうしてもしわ寄せの対象になっている。そういう中で、民族の歴史を後世に残す文化財行政の仕組みというものは一体どのように構築していったらいいのか、これは大きな現日本の課題であるのではないかと思いました。
 そのときに、まず先立ちまして、文化財保護法に報告義務が抜けている、なぜそうなのかという理由と、それから、特に最先端を行く各市町村の文化財行政の任に当たる方たち、これは聞くところ、文化庁から最低一人は専門家を置くようにという御指導もあるやに聞いてはおりますけれども、各市町村の人事の問題。これは、それぞれの市町村で採用するわけですから、その人事はほとんど、他の市町村やそれから県、国の機関との交流がない、したがってずっとそこに勤務せざるを得ないような人事面のこと。それから、研究業務に徹し切れない。あるいは、そこにポストが少ないために、人材を養成しても就職場所がない。あるいは、もっとポストがあれば、人材を招いて、そして文化財保護行政にもっと力を入れることができる。いろいろな実情があるように承知いたしました。こういうことをどうやってこれから解決していけばいいのか。
 では、次長並びに大臣あるいは副大臣の御見解を伺いたいと存じます。
○銭谷政府参考人
 御説明させていただきます。
 二つお尋ねがあったわけでございますが、まず、文化財包蔵地を発掘する場合の報告義務の件について、御説明を申し上げます。
 お話にございましたように、文化財保護法におきましては、埋蔵文化財の調査のために土地を発掘しようとする人は、かつては文化庁長官に、平成十一年以降は都道府県または市の教育委員会に届け出るということが義務づけられているわけでございます。ただ、この届け出に関しましては、報告義務というものは今は課せられていないということでございます。
 これは、文化財を発掘してまいりました場合に、遺跡などが発見された場合には県、市町村への届け出が義務づけられているということから、もしこれに違反をした場合には停止、禁止を命ずることができるなどの措置がございますので、報告書の提出自体が、罰則がかからないという意味では、義務づけはされていないということでございます。
 ただ、都道府県あるいは市の教育委員会は報告書の提出を指示するということはできるわけでございまして、私どもといたしましては、できるだけ報告書を出してもらうように指導を行っているところでございます。特に、先ほど来お話のございました旧石器の捏造事件に関連をいたしまして、平成十二年の十一月には文化庁長官通知を発出いたしまして、報告書の提出を徹底するように指導しているということでございます。
 法令上罰則が伴うという意味の義務はございませんけれども、報告書の提出を指示できるというのが今の制度でございます。
 それから、二点目でございますけれども、実際の発掘に当たる市町村の体制の問題でございますけれども、先生お話ございましたように、現在、埋蔵文化財の発掘調査は、大体八割ぐらいは都道府県や市町村が実施をしているわけでございます。
 昨年現在でございますけれども、この発掘などに当たります埋蔵文化財の専門職員は、都道府県教育委員会に約二千七百人、市町村教育委員会に約四千四百人、合わせて七千百人ほど配置をされてございます。近年の推移を見ますと、発掘の届け出件数は、ずっと伸びてきたのでございますけれども、近年はやや減少傾向にある、それから埋蔵文化財の専門職員の数は、ずっと伸びてまいりましたけれども、近年やや横ばい傾向にあるというのが実態でございます。ただ、お話にございましたように、個々の市町村について見ますと、状況は区々でございまして、配置が十分でない市町村が必ずしも少なくないというのが実態でございます。
 私どもといたしましては、これら市町村につきましては、専門職員の量的確保を図る必要がありますし、そのためには、新規の定数措置のほか、配置の多い自治体から少ない自治体への人的支援など、自治体間の連携を図るということが必要ではないかと思っております。また、都道府県の教育委員会が市町村の教育委員会に対して協力をする体制をつくっていくといったようなことも考えていかなければならないと思っております。
 また、あわせて、こういう発掘に当たる専門職員の量的な確保とともに、研修の充実など、専門職員の資質向上をさらに図る必要がございまして、文化庁といたしましても、研修機会の充実にも努めてまいりたいと考えている次第でございます。

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