ブハラ
イスラムの図形を中心に
BUKHARA
ブハラは10〜11世紀サマニー王国の都、16世紀からはブハラ・ハン国の都であった。1920年最後のアミールは廃止され1925年ウズベク・ソビエト共和国を経て1991年にウズベキスタン共和国の一部となった。
ブハラ旧市街の眺め
イスラムの図形
モスクやメドレセに施された幾何学模様、植物模様、文字模様はひとびと(男達)にどのように語りかけているのか抽象画を見ているようで図形から認識表現するための言葉が浮かんでこない。
神学校(メドレセ)の図形
ミル・アラブ・メドレセ
最も権威の高い神学校で現在でも機能している
16世紀のシャイバニー・ハンの時代にシャイバニーの従兄弟ウバイドゥラ・ハンによって築かれ
ブハラのイスラム教徒のリーダで自分の先生であったミル・アラブに与えた
マンジの図形に見える(どうもアリーを現わす文字図形らしい)
アブドゥルアジズ・ハーン・メドレセ
17世紀半ばにアシタルハニー王朝(1601年〜1747年)のアブドゥルアジズ・ハーンが建てた
反対側に建つウルグベク・メドレセよりも規模・装飾ともに優れている
鍾乳石のように垂れ下がるムカルナスは霊的な光が天界からベールのように地上に降り注ぐようである
アーチの高いところには鳥が群れ飛ぶような模様に見えなくはない
花輪と星形の図形のあるドーム天井の模様
小さなアーチにもムカルナスが施されている
ナディール・ディバンベキ・メドレセ
リャビ・ハウズのほとりにあるナディール・ディバンベキ・メドレセは17世紀前半
ネディール・ディバンベキがもともとキャラバンサライの建物として建てたものであったが
イマムクリ・ハンが神の建物として誉めたたえたためメドレセにせざるを得なくなったとの語りがある
不死鳥の図形はなぜか残ることになったようだ
寺院(モスク)の図形
カーラン・ミナレットとカーラン・モスク
カーラン・ミナレットは12世紀1127年に建築家のバーコによって建てたと碑文に記されている。カーラン・モスクは
ミナレットと同時に建造されたカラハニー族の大聖堂モスクに代って16世紀初頭のシャバニー時代に建設された。
レイアウトは伝統的な長方形で四つのアイヴァンが四方を固めている。ブハラの大聖堂モスクの役割を果たしている。
ミヒラーブの模様
花柄のモザイク模様は楽園のように展開する
ボロハウズモスク
1712年に建築された古典的なモスクでアルク城門の前に残っている。柱は木製でムカルナスの飾りがついている。
テラス:ムカルナスの飾りのある柱
天井の模様
見上げると複雑な図形が見下ろしている。複雑な図形は何を語っているのか
廟の図形
イスマイル・サマニ廟
9世紀末サマニ王朝の創始者イスマイール・サマニが父親のために建てた霊廟で後にサマン王朝の王族の霊廟となった
イスラム廟の初期の形式だという
壁面の模様
幾何学模様で敷き詰められている
装飾にソクド様式の面影があるいう
ドーム天井の模様
平面の屋根の四隅に小さな古風な塔が立ち真ん中に大ドームが鎮座している
タキ(市場)の図形
十字路のドームが ぼこぼこと寄せ集まった形の建物がタキ(ドーム)で今風に言うならばショッピング・モールである。旧市街に3つのタキがある。タキ・ザルガラーンは宝石商市場、タキ・テルパック・フルシャーンは帽子市場、タキ・サラファーンは両替屋である。
タキ・ザルガラーン
宝石商市場
金物屋が打った鷺の形をしたはさみ
このような図形はモスクに描けるだろうか
アルク(内城)
ブハラ・ハン国の内城である。過っては宮殿、モスク、行政局、刑務所などが建ち並んでいた。1920年に赤軍の
焼夷弾攻撃を受けアルクは崩壊しアミールは廃止された。
アルク城の城壁と広場
お椀を伏せたような形が特徴的である
幾何学模様の繰り返しを見ていると宇宙空間に放り出されたような気持ちになる
浮揚感のなか光も闇も時間も透明な身体をすり抜けていくようだ
2011年5月
uzbekistan
bukhara