3 発がん性

3−1 要約

(1)実験動物を使用した長期試験では、ラット、マウス及びハムスターなどの動物種で2,3,7,8-TCDDおよび類縁化合物の発がん性が示されている。ラットにおいては、Kocibaら(1978)が肝細胞の過形成結節及び肝細胞がん、硬口蓋及び鼻甲介、肺の扁平上皮がんの有意な増加を、NTP(1982)では、肝の腫瘍結節、甲状腺濾胞細胞腺腫の増加を報告している。それぞれの無影響量(NOEL)及び最小毒性量(LOAEL)は、1ng/kg/day、1.4ng/kg/dayであった。

(2)ラット及びマウスの肝臓、肺と皮膚の二段階発がんモデルにおいてプロモーター作用が認められている。このプロモーション活性にはEGF受容体及びエストロジエン受容体との相互作用の関与が示唆されている。

(3)間接的なDNA傷害は認められるが、2,3,7,8-TCDDにはDNA付加体の生成などのDNAとの直接的な結合は認められていない。各種の変異原性、遺伝毒性試験においても陰性を示す結果が多い。ゆえに、遺伝毒性はないものと総合的に判断される。

(4)上記2、3の知見は2,3,7,8-TCDDの発がん機構には閾値があることを示唆している。

(5)他の多くの疫学研究と同様に2,3,7,8-TCDDへの暴露量の評価には不確実な点が多い。しかしながら、適切に計画されたと考えられるコホート研究並びに患者・対照研究が、異なる国において実施され、それぞれの結果にほぼ一貫性や整合性が認められる。すなわち、2,3,7,8-TCDDへの暴露(主として男性)により、一部のがん、特に軟部組織肉腫についてはそのリスクの増加が示唆される。疫学的結果は、高濃度暴露をうけたヒトの集団(主として男性)において、ダイオキシン類は複数の部位にがんを発生させる可能性を持つ物質であることを示唆している。

(6)閾値なしの考え方に基づいたリスクの推定では、ユニットリスク(pg/kg/day)-1は動物で0.8×10-4から3.1×10-4、ヒトで3×10-4から27×10-4の範囲である。

3−2 動物実験における発がん性について

 2,3,7,8-TCDDおよびその関連化合物についての実験動物を用いた発がん性試験は、ラット、マウス及びハムスターで実施されている。実験群の動物数、設定用量の数などから、リスクアセスメントの資料として用いられる動物実験を表3にまとめた。2,3,7,8-TCDDについて過去において行われた発がん性試験では、すべて発がん性があるという結果が示されている。2,3,7,8-TCDDの発がん性には性、系統および種を越えて広範囲に、さらには多くの臓器にがんが発生している。

表3 準備中

 Kocibaら(1978)による研究及びNTP(1982a)の研究が発がんリスク評価に使用されている。Kocibaら(1978)による研究では、Sprague-Dawleyラットに0.001、0.01、0.1μg/kg/週の2,3,7,8-TCDDを混餌飼料として投与した。雌ラットにおいて0.01μg/kg/dayで肝細胞の過形成結節の増加が認められ、0.1μg/kg/dayで肝細胞がん、硬口蓋及び鼻甲介、肺の扁平上皮がんの有意な増加を認めている。雄ラットでは、0.1μg/kg/dayで硬口蓋及び鼻甲介と舌の扁平上皮がんの有意な増加を認めている。0.001μg/kg/dayの投与群では対照群に比べて有意な腫瘍の増加が見いだされておらず、無作用量(NOEL)と考えられた。しかし、Squireは雄ラットの0.001μg/kg/day投与群においてみられた2例の鼻腔の腫瘍(内1例は舌にも扁平上皮がんが発生している)が、ラットではきわめて稀ながんであることから、NOELが0.001μg/kg/day以下の可能性を指摘している。ただ、これらの部位のがんについて量反答関係は認められていない(Huff et al., 1991)。一方、2,3,7,8-TCDD暴露による自然発生腫瘍の減少も認められている。膵臓腺房細胞の腺腫、副腎皮質の腺腫および副腎髄質の腺腫、子宮の良性腫瘍、乳腺の腺腫および腺がん、下垂体腺腫の有意な減少が報告されている。
 NTP(1982)の研究では、雌雄Osborne‐Mendelラット及び雄B6C3F1マウスに0.01、0.05、0.5μg/kg/週の2,3,7,8-TCDDを、雌B6C3F1マウスに0.04、0.2、2.0μg/kg/週の強制経口投与を実施している。ラットについては、0.5μg/kg/週(0.07μg/kg/day)の用量で、雌に肝の腫瘍結節及び肝細胞がんの有意な増加と、統計的に有意ではないが甲状腺濾胞細胞腺腫の増加が認められている。雄では、0.01μg/kg/週(0.0014μg/kg/day)から用量依存的に甲状腺濾胞細胞腺腫の有意な増加を報告している。従って、NTP(1982)のOsborne-Mendelラットを使用した研究では、雄の甲状腺濾胞細胞腺腫の結果を採用して、LOAELは0.0014μg/kg/dayとみなされる。これらKociba及びNTPの両試験間で、雌における肝腫瘍の発生以外の標的臓器が異なっている点に関しては、系統差の違い、あるいは混餌飼料と強制経口投与による投与形態の違いの可能性が考えられる。NTP(1982)におけるB6C3F1マウスの研究では、雄に肝細胞癌、雌に肝細胞癌及び甲状腺の濾胞細胞腺腫の増加が報告されている。Della Portaら(1987)による実験ではB6C3及びB6Cマウスに脾リンパ腫、肝腫瘍等が見いだされている。シリアンゴールデンハムスターは、2,3,7,8-TCDDの急性毒性においては抵抗性のある動物種であるが、50あるいは100μg/kgの2,3,7,8-TCDDを4週間以上かけて皮下注射した実験では、皮膚の扁平上皮がんが発生している(Rao et al., 1988)。
 以上の発がん性試験の結果から、2,3,7,8-TCDDの発がん性には、性差及び臓器多様性のあることが明らかとなった。この性差及び臓器多様性には標的臓器における内在性のホルモン作用と2,3,7,8-TCDDの生理活性の複雑な相互作用がんの発生に関与していることが示唆される。また、2,3,7,8-TCDDの発がん性の強さは、その物質を一生涯与え続けて50%発がん量、50%の動物にがんを発生させた場合の一日摂取量である。TD50で比較した場合、アフラトキシンB1やビス(クロロメチル)エーテルの50倍、塩化ビニルモノマーの5,000万倍に達する。
 2,3,7,8-TCDD以外のダイオキシンに関する報告は数少ない。2,3,7,8-TCDDよりも塩素置換数の多い六塩化ダイオキシン(1,2,3,6,7,8-と1,2,3,7,8,9- 六塩化ダイオキシンを1:2で含む混合物)について、NTP(1980)において、Osbome-Mendelラット及びB6C3F1マウスを用いて2年間の発がん性試験が行われており、肝がんの増加を認めている。同様に、2,7-二塩化ダイオキシンおよび塩素置換のないジベンゾ-パラ-ダイオキシンについても、Osborne-Mendelラット及びB6C3F1マウスを用いて0,5000,10000ppmの用量で発がん性試験が行われた。通常の投与期間では、いずれにおいても発がん性は認められていないが(NCI,1979a)、雄マウスで90週間投与した場合にのみリンパ腫と血管肉腫が認められている(NCI,1979b)。
 発がん物質と判断されている化学物質の中には作用機序の全く異なるものや、活性強度の著しく異なるものが含まれており、ヒトに対する影響のリスク評価を考えるうえで作用機序を基礎とした評価基準を用いた手法が必要となる。この観点からダイオキシンあるいはその代謝物質が直接に遺伝子に損傷を与えるのか遺伝子の損傷を与えずに発がんを引き起こすのかを明らかにするための研究は重要な情報を提供する。化学物質の発がん過程は、遺伝子の突然変異が生じる開始段階(イニシエーション)、単一の変異細胞が増殖によって腫瘍となる促進過程(プロモーション)、さらに遺伝子の変異が伴ってがんに生育する進行段階(プログレッション)と、多段階であるという説が広く受け入れられている。2,3,7,8-TCDDが発がんのとの段階に作用しているのかということに関して、動物実験モデルにおいて研究されている。
 ラットの肝臓における発がんの二段階モデル実験は、イニシエーションにDNAに損傷を与える発がん物質を一回投与し、その後に肝臓の部分肝切除、あるいは細胞毒性のある物質を慢性的に投与して、細胞の増殖を惹起させるプロモーションの状態を作成し腫瘍の発生頻度あるいは前がん病変を測定する方法である。Pitotら(1980)による実験では、イニシエーションとして肝発がん物質であるジエチルニトロソアミン(DEN)を投与し、プロモーションの作成に2,3,7,8-TCDDを0.14、1.4μg/kgで2週に1度、7カ月間(Kocibaの実験の10,100ng/kg/dayに相当)投与している。その結果は、DENのみの投与群では肝がんが全く発生しないが、2,3,7,8-TCDDの投与により71%の発生率で出現することが報告されている。このことから、2,3,7,8-TCDDは環境因子によってすでにイニシエートされた細胞をプロモートすることが明らかとなった。その後、Grahamら(1988)、Lucierら(1991)、Clarkら(1991a)、Dragonら(1992)の研究も、2,3,7,8-TCDDが肝がんの発生をプロモートすることを示した。そのうち、Grahamら(1988)とLucierら(1991)は2年間の発がん実験で示された雌ラットに肝臓がんは発生するが雄には発生しないという結果に対して裏付けとなる研究を報告している。卵巣摘出ラットと正常ラットの二つの実験でそれぞれ、同様にイニシエーターにDENとプロモーターに2,3,7,8-TCDD(1.4μg/kgで2週に1度30週間、Kociba実験の100ng/kg/dayに相当)を投与している。卵巣を摘出したラットのDEN/TCDDの投与群では同じ投与の正常ラットと比較すると前がん病変の発生程度が著しく低いという結果が認められている。この実験においては、卵巣摘出ラットのTCDD単独群あるいはDEN/TCDDの群における細胞増殖の増加は認められないが、卵巣を描出していない正常ラットではTCDD単独群及びDEN/TCDD群ともに、無処置対照群の約20倍の細胞増殖能が認められた。この2,3,7,8-TCDDによる細胞増殖の増加の機構には、次の二点から、エストロジエンが関与していることが考えられる。第一は、卵巣摘出していない正常ラットでは2,3,7,8-TCDDによるEGF受容体の減少が認められること(Clark et al., 1991a)から、2,3,7,8-TCDDはEGF様の反応を起こして細胞増殖活性を示すことである。第二は、2,3,7,8-TCDDによって誘導されるCytochromeP450 1A2はエストロジエンをカテコールエストロジェンに代謝し(Graham et al., 1988)、これに伴い生じるフリーラジカルによりDNAが傷害を受け、結果として細胞増殖が引き起こされるという推論である。一方で、雌ラットにおけるDEN投与後の2,3,7,8-TCDDの投与を中止しCYP1A1の酵素誘導の変化を観察すると、酵素誘導は消失するが、Glutathione-S-transferase placental formの抗体で検出される酵素変異細胞巣(前がん病変)はそのまま増加することが示されており、2,3,7,8-TCDDの肝プロモーション活性はAh受容体を介したCYP1A1の誘導によるものだけではなく別の発がん経路が存在する可能性も示唆されている(Beebe ct al., 1995a)。
 疫学研究でヒトにおけるダイオキシンの標的臓器は肺及び呼吸器系であると示唆されている。ゆえに動物の肺でのプロモーション研究は重要な情報である。肺に関するプロモーション研究はこれまでClarkら(1991b)によってのみ報告されている。その研究では、卵巣摘出ラットと正常ラットをそれぞれ、対照群、DEN投与群、TCDD投与群、DEN/TCDD投与群の4群に分け、TCDDはいずれも100ng/kg/dayを60週間投与している。正常ラットのDEN/TCDD投与群にのみ37匹中4匹に扁平上皮がん、腺がんが発生していることが認められた。ラットにおいては肺の自然発生腫瘍は全く認められないか、極めて低いため、このDEN/TCDDによる肺がん発生の結果は重要な意味がある。ラットにおいては肝がんの発生は卵巣の存在に依存していたが、肺がんの発生は卵巣の存在でむしろ抑制していることが示唆された。最近のBeebeら(1995b)の雄Swissマウスを用いた研究では2,3,7,8-TCDDは発がん物質NDMAで誘発した肺癌の発生を増加させるとの報告がある。
 マウスの皮膚がんについてもイニシエーション/プロモーション作用の評価が行われている。MNNG(N-メチル-N'-ニトロ-N-ニトロソグアニジン)でイニシエーションをかけたヌードマウスに2,3,7,8-TCDDを投与した実験において、2,3,7,8-TCDDの強いプロモーション作用が認められている(poland et al., 1982)。一方、多環芳香族化合物DMBAをマウスに処理してイニシエーションをかけ、2,3,7,8-TCDDを長期間に投与すると皮膚がんの発生をプロモートしないだけでなく、阻止することが見い出された(DiGiovanni et al., 1977)。同様な発がん性多環芳香族化合物である3-メチルコランスレンでは、2,3,7,8-TCDDのプロモーション作用は認められていない(Kouri et al., 1978)。
 イニシエーション/プロモーションの研究から、2,3,7,8-TCDDは肝、肺及び皮膚においてプロモーション活性をもち、これらのプロモーション活性には2,3,7,8-TCDDによる薬物代謝酵素の誘導、Ah受容体を介した増殖因子の関与が示唆される。

3−3 変異原性・遺伝毒性

 DNAの損傷あるいは構造変化が発がんの誘因のもとであるという考え方が広く受け入れられている。変異原性・遺伝毒性の検出は発がん機構を明確にするうえで必要な情報である。ここで言及する変異原性、遺伝毒性はmutagenicity、genotoxicityに相当する言葉であり、特に遺伝毒性は遺伝子毒性あるいは遺伝子障害性という言葉で表現されている場合もある。変異原性、遺伝(子)毒性であるか否かは、種々の変異原性テスト、染色体異常テスト、小核試験及び形質変換テストなどにおける陽性及び陰性の結果に基づいて、総合的に判断されるものである。その判断の基準及び手順は国際的に受け入れられている(Ashby et al., 1996)。
 細菌を用いた変異原性テストであるサルモネラTA菌株を用いた実験では、Hussainら(1972)及びSeilerら(1973)によるTA1532菌における陽性の結果を除いては、その後の多くのTA菌種を用いた実験で代謝活性化系の有無にかかわらず2,3,7,8-TCDDは陰性の結果を示している(Nebert et al., 1976, McCann et al., 1976, Gilbert et al., 1980, Geiger et al., 1981, Mortelmans et al., 1984, Shu et al., 1987)。
 真核細胞を用いたテスト系では、Bronzettiら(1983)は25μg/kgを単回経口投与した雄CA-1マウスにSaccharomyces cerevisiae D7を感染させる宿主経由変異原性検出系でトリプトファン要求性の変換体のみ陽性結果を示している。
 哺乳類の培養細胞を用いた実験では、Rogersら(1982)によってマウスリンパ腫培養細胞L5178Yを用いて、突然変異頻度の上昇が限定された案件下で認められているが、Knutsonら(1980)による23種の培養細胞を用いた実験では細胞の増殖は認められていない。Chinese hamsterの培養細胞を用いた姉妹染色分体交換試験において2,3,7,8-TCDDに対して陰性の結果が示されている(Toth et al., 1984)。最近では、Nagayamaら(1995)によってヒトのリンパ球の培養で陽性結果が示されている。
 In vivoでの2,3,7,8-TCDDのDNA傷害性の検出に関しては、姉妹染色分体交換試験においてLambら(1981)によると0.16から2.4μg/kgの2,3,7,8-TCDDを含む2,4,5-Tを単回経口投与したC57BL/6N系雄マウスの骨髄細胞、Meyneら(1985)による50から150μg/kgを単回腹腔内投与したCC57BL/6J及びDBA/2J雄マウスの骨髄細胞、そしてLimら(1987)による25pptの2,3,7,8-TCDDを4年間(1ng/kg/dayに相当)摂取したアカゲザルの末梢リンパ球のいずれにおいても染色体異常は認められていない。しかし、0.3から30μg/kgの2,3,7,8-TCDDを単回経口投与したSprague-Dawleyラットのリンパ球を-naphthoflavoneで処理した場合には、その-naphthoflavoneによる姉妹染色分体交換率の上昇が増強されるとの報告がある(Lundgren et al., 1986)。
 不定期DNA合成能を調べる実験では、Christianら(1983)がラットに0.1から100μg/kgの2,3,7,8-TCDDを単回、経口投与し、その後の[3H]-Thymidimeの取り込み率を指標としてDNA合成能を測定したが対照ラットと差は認められなかった。また、Busserら(1987)はCD系ラット及びB6C3F1系マウスを用いて0.026から0.96μg/kgの2,3,7,8-TCDDを単回、経口投与し同様な実験を行った。その結果、雌ラット及び雄マウスにそれぞれ、0.64μg/kg及び0.32μg/kgの用量において2倍のDNA合成能の増加が認められた。
 In vivoの染色体異常に関する検出系では、Greenら(1975)の実験では10μg/kgの2,3,7,8-TCDDを5日間経口投与したが、ラットの骨髄細胞で染色体の異常は認められないと報告しているが、後のGreenら(1977)の実験ではTCDDの13週間投与で雌ラットでは2μg/kgから、雄ラットでは4μg/kgから骨髄細胞に染色体の異常が認められたと報告されている。Loprienoら(1982)の報告ではマウスに10μg/kgを単回投与して骨髄細胞に染色体の異常が認められている。しかし、雌ラットに0.01から1μg/kgの2,3,7,8-TCDDを45週間経口投与した場合には染色体の異常は認められていない。姉妹染色分体交換試験を合わせるとIn vivo暴露での動物細胞の染色体に及ぼす影響は8実験のうち4試験が陽性となっている。実際に、2,3,7,8-TCDDによるイタリアのセベソでの汚染事故での住民の末梢血白血球や中絶胎児の胎児細胞、2,3,7,8-TCDDに暴露されたと考えられる西独と英国の労働者や米国のベトナム戦争退役軍人における白血球の染色体異常は、12報告中、9件が陰性となっている(Czeizel et al., 1976, Wassom et al., 1977, Hay et al., 1977, Reggiani et al., 1979, Pocchiari et al., 1979, Tenchini et al., 1979, Reggiani et al., 1980, Mottura et al., 1981, Hay et al., 1983, DiLernia et al., 1982, Tenchini et al., 1983)。ベトナム従軍者の血中の2,3,7,8-TCDDレベルは最大で1.4ng/mIとの報告がある(IOM,1996)。生殖細胞に生じた遺伝的傷害を調べる試験に関しては、Kheraら(1973)がラットを用いた優性致死試験を、Zimmeringら(1985)がショウジョウバエDrosopholaを用いた伴性劣性致死試験を行い、いずれも陰性の結果が示されている。
 2,3,7,8-TCDDと核酸との相互作用についての研究行われている。バクテリアファージQのRNAと2,3,7,8-TCDDとの相互作用やラット肝から分画した生体高分子との結合を調べた実験においては、2,3,7,8-TCDDは蛋白質と結合して存在するが、DNAやRNAとはほとんど結合しないことが示されている(Kondorosi et al., 1973, Greenlee and Polalld, 1979, Poland and Glover, 1979)。2,3,7,8-TCDD関連のDNA付加体を検出する試みは32Pポストラベリング法(検出下限10-9)、更に高感度の加速器質量分析法を用いた方法(検出下限10-12)でも検出されていない(Randerath et al., 1988)。高濃度の2,3,7,8-TCDDを投与されたSprague-Dawleyラットにおいて、DNA鎖の開裂が誘発されているが、これは2,3,7,8-TCDDに誘発された脂質過酸化物によるものと推定されている(Wahba et al., 1988)。最近の研究では125ng/kg/dayの2,3,7,8-TCDDを30週間投与したラットの肝臓において酸化的DNA傷害によって生じるとされている8-oxo-deoxyguanosine(8-oxo-dG)の増加が検出されており、これは卵巣摘出ラットでは認められていない(Tritscher et al., 1996)。また、このDNA付加体8-oxo-dGの増加に付随してカテコールエストロジェンの代謝酵素CYP1B1のmRNAが増加しているので、2,3,7,8-TCDDによる代謝活性化が酸化的DNA傷害を誘引するものと示唆されている。
 従って、現在のところ、2,3,7,8-TCDDあるいは2,3,7,8-TCDDの代謝物がDNAと直接、共有結合をするという報告はなく、一部で認められた染色体異常及びDNA傷害性は2,3,7,8-TCDDによる上述の代謝活性化を介したものであると考えられる。従って、2,3,7,8-TCDDは直接の遺伝子突然変異、染色体異常及びDNA傷害性、即ち遺伝毒性(遺伝子毒性)を有しないものと考えられる。

3−4 発がん性機構と閾値

 2,3,7,8-TCDDの発がん性の量反応関係をより理解するには、発がん機構の解明が重要である。現在のところ、2,3,7,8-TCDDにはDNA付加体の生成などのDNAとの直接的な結合もなく、各種の変異原性、遺伝毒性試験にも陰性の結果が多い。このことから、2,3,7,8-TCDDの発がん性は直接的な細胞の形質変換活性を持っているのではなく、間接的な作用があるいは細胞増殖作用(プロモーション作用)によるものと考えられている。(LARC, 1992、Schwarz,1995、Huff et all., 1991)。多くの生化学的研究から、2,3,7,8-TCDDは、Cytochrome P450 1A1(CYP1A1)、Cytochrome P450 1A2(CYP1A2)およびUDP-glucosyltransferaseなどの代謝酵素の誘導、EGF受容体数の減少及びホルモン様作用を有していることが明らかとなった(Sewall, 1993、Tephly, 1990、Bock, 1991)。特に、CYP1A1及びCYP1A2の誘導はAh受容体の発現を介したものであることが報告されている。従って、2,3,7,8-TCDDの発がん性機構の一つにAh受容体を介したCYP1A1及びCYP1A2の誘導による内因性の発がん物質の活性化が考えられる。さらに、2,3,7,8-TCDDのプロモーション活性にはEGF受容体及びエストロジエン受容体との相互作用の関与が示唆されている。
 これらの生化学的反応の量-作用様式に関して様々な議論がなされている。Vanden Heuvelら(1994)は逆転写酵素を用いてRNAを鋳型としたDNAの合成反応(逆転写反応)すなわちRT-PCR法の技術を用いて0.1ng/kg/dayでCYP1A1のmRNA発現の増加傾向、1ng/kg/dayで有意な増加を確認している。Kohnら(1993)は、CYP1A1及びCYP1A2の誘導、EGF受容体の減少、Ah受容体結合能とTCDDの濃度関係は数理解析によりリガンドと受容体の関係が1:1に対応することを明らかにしている。また、Portier,(1993)は生物学的な数理解析により、0.1-125ng/kg/dayの範囲におけるCYP1A2の蛋白誘導には閾値がないことを証明している。一方、Maronpotら(1993)は、肝臓中の2,3,7,8-TCDDの濃度、Cytochrome P450の誘導は低濃度域で直線関係にあるが、酵素変異細胞巣の測定を指標とした場合にはCytochrome P450の誘導が認められる濃度域よりも高い濃度でその応答が出現しその量-作用様式はCytochrome P450の誘導のような単純なものではないことを明らかにした。このように、2,3,7,8-TCDDの発がん性の量反応関係を明確にするには、生化学的な分子レベルでの知見とその分子機構に適合する数理モデルとの検討がさらに必要である(Kohn et al., 1995, Moolgavkar et al., 1995, Schwarz et al., 1995a, Schwarz et al., 1995b, Sewall et al., 1995, Potier et al., 1996)。一般に、受容体とリガンドの相互作用は化学量論的に、あるリガンドに特異的な解離定数で規定されており、この量-反応関係はシグモイド曲線となる。2,3,7,8-TCDDと受容体との相互作用から発がんに関与している遺伝子の発現までの過程には幾つかの情報伝達経路が関与しているものと考えられている。また、一つの細胞ががんとなる細胞の集団になるまでの過程は多段階であるということが動物からヒトまでの多くの研究から示されている。従って、現段階の知見は2,3,7,8-TCDDの発がん機構には閾値があること示唆している。

3−5 発がん性の疫学的研究

 2,3,7,8-TCDDの発がん性に関する疫学的研究については、主として職業上の暴露に関するコホート研究や患者・対照研究が行われており、2,3,7,8-TCDDが引き起こすがんとして軟部組織肉腫(STS:soft tissue sarcoma:)、リンパ腫及び肺がんが注目されている。このうち、軟部組織肉腫は、筋肉、脂肪組織などに発生する肉腫の総称で、きわめて発生率の低い珍しい腫瘍である。スェーデンの研究者たち(Hardell et al., 1979; Eriksson et al., 1981)はスウェーデンのいくつかの地域のがん登録データに基づく患者・対照研究の結果を報告している。Hardellら(1979)はフェノキシ酢酸およびクロロフェノール(不純物として2,3,7,8-TCDDを含む)ヘの暴露によってSTSの発生リスクが5〜7倍高くなることを指摘した。Erikssonら(1981)は、2,4,5-T(2,3,7,8-TCDDを不純物として含む)を取り扱ったグループのSTSのリスクは17倍になるとしている。その後の彼らの研究(Hardell et al., 1988; Eriksson et al., 1990)で示されているリスクは1.3〜2.5であり、やや小さくなっていたが、統計的に有意な増加を示していた。
 Koganら(1988)は800人のベトナム退役軍人のがん死亡者を調べ9人が結合組織、脂肪、あるいは他の軟組織の腫瘍で死亡していること、これは期待値1.9人よりも多いことを指摘している。ベトナム退役軍人の2,3,7,8-TCDDへの暴露情報については不十分な点が多いが、比較的暴露情報が明確な枯葉剤散布任務(Ranch Hand作戦)に従事した空軍退役軍人の死亡率を検討した結果(Michalek et al., 1990)では全がん死亡率の増加はみとめられていない。
 Zahmら(1990)、Cantorら(1992)、Hoarら(1986)、Woodsら(1987)、Brown(1990)は米国における軟組織肉腫、ホジキン病、非ホジキンリンパ腫、白血病と殺虫剤・除草剤使用との関連性を解析した。Zahmら(1990)は非ホジキンリンパ腫と2,4,5-Tの使用との関連性を示唆する結果を得たが、その他の報告では明確な関連性はみとめられなかった。Smithら(1986)、Pearceら(1987)はニュージーランドにおいて軟組織肉腫および非ホジキンリンパ腫とフェノキシ系除草剤とクロロフェノールの使用との関連性を検討しているが、いずれも明確な関連性をみとめていない。
 最近の労働疫学データ(Fingerhut et al., 1991; Manz et al., 1991; Zober et al., 1990; Saracci et al., 1991)は、ダイオキシン及び類縁化合物の暴露と発がん死亡率増加に相関があることを示している。Fingerhutら(1991)は米国の12カ所の化学工場の従業員5172名の死亡状況について後向きコホート研究(retrospective cohort study)を行い、2,3,7,8-TCDDとの関連性を検討した。2,3,7,8-TCDDへの暴露評価は就業記録と一部対象者(253名)の血清2,3,7,8-TCDD濃度の測定に基づいている。また、死因は死亡診断書に依っている。胃がん、肝がん、鼻がん、ホジキン病、非ホジキンリンパ腫については増加はみられなかった。軟組織肉腫については有意ではなかったが増加がみられた。1年以上の暴露を受け、20年以上経過した対象者のみの解析では軟組織肉腫(SMR=9.22; 95%信頼区間1.9-26.95)、呼吸器系がん(SMR=1.42; 95%信頼区間1.03-1.92)について有意な増加がみとめられた。Manzら(1991)はドイツの化学工場の従業員1583名のコホートについて解析している。この報告では、がんの部位別の解析は行われていないが、20年以上の従業歴のある対象者では全がん死亡率は有意に増加していた(SMR=1.87; 95%信頼区間1.11-2.95)。Zoberら(1990)はドイツの別の化学工場の従業員247名について1953年の2,3,7,8-TCDD生成事故後34年間追跡結果を報告している。全がん死亡率は全体としては増加していなかったが、クロルアクネが見られた対象者ではやや増加していた。20年以上観察された対象者に限った解析では有意に増加していた(SMR=2.01; 95%信頼区間1.22-3.15)。
 Saracciら(1991)はクロロフェノール製造工場従業員や消毒噴霧作業者、10カ国、18910名の対象者について解析している。4例の軟組織肉腫による死亡は暴露情報があり、10年以上観察群でのみ見られたと報告されているが、質問紙、就業記録などによる暴露状況の分類は不十分であり、結果の解釈を困難にしている。 Saracciら(1991)の報告に含まれている一部の対象者について解析したものがいくつか報告されている。Lynge(1985)はデンマークのフェノキシ酢酸系除草剤の製造工場の労働者を調査し、2,4,5-Tの製造と関連し軟組織肉腫の発生率が高いとしている。
 イタリアのセベソで1976年に発生した化学工場の事故による周辺住民への2,3,7,8-TCDDの暴露の影響についての調査によれぱ(Bertazzi et al., 1989, 1992, 1993)、2,3,7,8-TCDDへの暴露レベルに従って3群に分けた解析がなされており、軟組織肉腫による死亡の増加がみられた群もある。現在のところいすれの報告も約10年の追跡期間であり、今後発生して来るであろうがん症例を含めた検討が必要である。
 呼吸器がんの過剰発生がFingerhutら(1991)Zoberら(1990)Manzら(1991)により示されている.これはカネミ油症患者での肺がん及び肝がんの増加と関連があるかもしれないという指摘がある。他の部位のがんの発生率増加(例えば非ホジキンリンパ種、胃がん)も報告されている。
 2,3,7,8-TCDDの発がん性についての疫学研究の結果については多くの議論がある。他の多くの疫学研究と同様に2,3,7,8-TCDDへの暴露の評価には不確実な点が多い。しかしながら、異なる国における、よく計画されていると考えられるコホート研究並びに患者・対照研究のそれぞれの結果の一貫性、整合性からみると、主として男性における2,3,7,8-TCDDへの暴露によって一部のがん、特に軟部組織肉腫についてはそのリスクが増加するものと示唆される。以上の知見をまとめると、疫学的結果がら得られている結果は、高濃度暴露をうけたヒト、特に男性の集団において、ダイオキシン類は各部位にがんを発生させる可能性を持つ物質であるということである。

3−6 閾値なしとした場合の動物実験データに基づくリスクの推定の試み

 今日までの2,3,7,8-TCDDの発がんリスクに関する世界の関係諸機関の提案のうち米国EPAのみが明確に閾値なしとは結論していないものの、閾値なしのモデルで算出している。ユニットリスクの算出にはKocibaら(1978)の動物実験をもとに雌ラットにおける肝臓の過形成結節及び肝細胞がんの発生率あるいは、全臓器の腫瘍及びがんの発生率を用いて計算がなされている。
 一般に、同じデータをもとに同じリスクモデルで計算した場合においても計算に組み入れる危険率やステージ数(段階数)、外挿係数などのファクターをどう考えるかによって算出される値はわずかながら変わってくる。米国EPAにより報告されているこれまでのユニットリスク(pg/kg/day)-1は、上側95%信頼限界で8.0×l0-5から3.1×10-4、最尤推定量で9.0×l0-5から2.1×l0-4の範囲である。これは、過去において病理診断の再検査がなされており、そのため入力する腫瘍の数がわずかに異なるからである。1994年のU.S.EPA報告書では1×10-4の値が提示されている。確認のため、国立環境研究所においても閾値なしのモデルでの計算を試みた。国立環境研究所におけるTox_Risk Ver.3.5(ICF Keiser, USA)を用いたLinearlized Multistageモデルによる計算の場合、ユニットリスクは上側95%信頼限界で4.9×l0-5から1.0×10-4の範囲、最尤推定量で3.4×10-5から8.7×10-5の範囲にある。

3−7 閾値なしとした場合の疫学データに基づくリスクの推定の試み

 1994年の米国EPA報告書では、3つのコホート研究(Fingerhut et al., 1991; Manz et al., 1991; Zober et al.,1990)での結果をまとめたユニットリスク(pg/kg/day)-1として最尤推定量でadditive modelの場合2.7×10-3(全がん)及び4.8×10-4(肺がん)からmultiplicative modelの場合1.7×10-3(全がん)及び3.0×10-4(肺がん)の値を示している。動物実験の結果と比較する場合、最も暴露形態の類似したFingerhutら(1991)の研究が適切と思われる。
 疫学データ(死亡)に基づくリスクの推定方法には二通りの考え方がある。すなわち、additive modelとmultiplicative modelである。additive modelは暴露量と過剰死亡との関係をモデル化するものである。Fingerhutら(1991)の報告によると1年以上の暴露を受け、20年以上経過した対象者(延15136人年)では呼吸器系がんによ予期待死亡数が30.2対して観察死亡数は43人であるから、過剰死亡率は0.85×10-3/年(=(43−30.2)/15136)となる。この対象者の平均暴露呈はUS EPA(1994)によれば63.0pg/kg/dayであるので、線形関係を仮定すれば、1pg/kg/day当たリ1.3×10-5/年となる。米国EPA(1994)では35歳以前のリスクはゼロとして、35年を掛けて生涯リスクを算定しており、その場合、4.5×10-4となる。1994年の米国EPA報告書では、最尤推定量で4.7×10-4となっている。
 一方、multiplicative modelは相対リスクと暴露呈との関係をモデル化するものである。Fingerhut et al.(1991)の同様のデータを用いると過剰相対リスクは0.42(=43/30.2-1)である。従って、1pg/kg/day当たりとすると6.8×10-3となる。これにバックグランド(一般集団)における呼吸器系がん死亡確率0.04(1994年の米国EPAは0.038、近年の日本では約4%)を掛けると生涯リスクが算出できる。すなわち、2.6×10-4となる。1994年の米国U.S.EPA報告書では、最尤推定量で2.6×10-4となっている。
 疫学データに基づくユニットリスクは、動物実験から得られるより幾分大きいものの、これらのモデルのもっている誤差からすれば、むしろ良く一致していると言えよう。


Last update:July-14-97 / T.Takeda(Aries) / takeda@kt.rim.or.jp