Michel Polnareff

 突然ですが、70年代に世界中でヒットを飛ばしたフレンチポップスのスーパースター、ミッシェル・ポルナレフです。
私には何かと思い出深い人で、そもそも私を洋楽に目覚めさせてくれた最初のアーティストであり、その後初めて行ったコンサートもこの人でした。今でも十分インパクトある奇抜な格好ゆえ当時はグラムロックのマーク・ボランやデビット・ボウイなんかとも比較されてましたが、ハイトーンの声を自由に操り、彼の作る曲はアップテンポな曲からスローバラードまでどれもが美しいメロディを持ち、ピアノやギターなど多種な楽器をこなすが、特にピアノの腕はすばらしいです。


[左から日本での1枚目「ミッシェル・ポルナレフ」(1971)「ミッシェル・ポルナレフ2」(1971)「ポルナレフの世界」(1972)「ポルナレフ・ナウ」(1972)「熱狂のオランピア」(1973)「ポルナレフ・ア・トーキョー」(1973)「ポルナコレクション」(1974);全てepic/sony]

 フランスでは1966年に「ノンノン人形」でデビューしこれが大ヒットし一躍トップスターとなり続いて「愛の願い」「君との愛がすべて」などのヒットを飛ばす。日本でも1971年に「シェリーに口づけ」が大ヒットする。
もちろん私が初めて好きになった曲もこの曲で当時兄と一緒に夢中になって聴いてました。
その後日本でも前出の「愛の願い」や「愛のコレクション」「愛の休日」「愛の伝説」(この愛愛づくしのタイトルには辟易しますが)と立て続けにヒットを飛ばし71年には初来日しその後も70年代に計3回程日本に来て公演を行いました。
「常に挑戦し新しいことをやりたい」と当時語っていた彼は、71年のフランスのオランピア劇場でのコンサートでは保守的なパリの街中に女装しお尻丸出しポスターを貼って逮捕されたり、懲りずに翌年には全裸ポスターを作ったりと天才ゆえの奇行も目立ったが、74年にはアメリカに渡ることを決意する。


[左から「ポルナレフ革命」(1974)「ミッシェル・ポルナレフUSA」(1975)「美しきロマンの復活」(1978)「シャボンの中の青い恋」(1981)
「Incognito」(1985)「カーマ・スートラ」(1990)「LIVE AT THE ROXY」(1996);全てepic/sony]
 

 アメリカに渡ったポルナレフは「USA(FAME A LA MODE)」でロック色強いアルバム作ったり、映画「リップスティック」のサントラ等も作るが大ヒットにはつながらず徐々に人気も低迷し80年代は目立った活動もなされなかったが、90年に突如「カーマ・スートラ」というアルバムが日本でも発売され、アメリカでは96年に久々にROXYでライヴを行い、その模様は「LIVE AT THE ROXY」としてCDでも発売され昔と変わらぬハイトーンの歌声を聞けたし、再評価の声も囁れている中、TVのCMでは何度となく曲が使われ、最近の渋谷系など若い人達の一部でも知られる存在になり、昨99年には新曲「je reve d'un mode (when I'm in Love)」を発表し、やっと国内でも初期のアルバムがCDで復刻され、今年はアルバムをリリースとの噂もあるので、願わくばもう一度来日して生のポルナレフを見たいものです。

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