1998年第3回 国際ホーメイシンポジウムから

 『ホーメイ界の光と影』                 直川礼緒 (日本口琴協会会長)

 これで国際ホーメイシンポジウムに参加して3回目になる。
 第1回は1992年6月。このときはクィズィルへの行き方が全くわからず、隣国ハカス共和国の首都アバカンまで迎えにきてもらい、7時間かけてサヤン山脈を越えた。
 1995年の第2回、そして今年の第3回ともなると、だんだんフライトの状況もわかってきて、比較的容易に飛行機でトゥヴァに入ることができた。
 ロシアの危機的な経済状況をはじめ、様々な事情で、毎回シンポは異なる様相を見せているが、定期的に国際シンポを開こうとする努力とホーメイに対するトゥヴァ人の思い入れには、並並ならぬものがあるのは確かである。
 トゥヴァ人は非常に誇り高い民族である。このことが、時としてよそ目には滑稽なまでの事態をみせることもある。例えば、ホーメイのグループは、常にメンバーが異動している。様々な利害関係、心情から、「あいつとは一緒にやれない」という結果になるのだろう。
 いずれにせよ、「ホーメイは人間関係である」というのが、トゥヴァまで行ってホーメイ人脈に巻き込まれた人なら誰でも感じることではある。
 あるいはホーメイの著作権を、ユネスコに申請し、ホーメイはトゥヴァで生まれたものであることを、世界に主張しようとする動き。伝統音楽がある民族に固有のものであることは明らかであるのに、それにどんな権威づけが必要だというのだろう?
 さらに今回は、ホーメイをギネスブックに載せようとするアイディアがあることに、私は仰天した。それも、「喉歌はトゥヴァで生まれた」という載せ方をしたいのだという。少なくとも、「トゥヴァは世界で一番喉歌人口の多い国である。」という言い方は出来るだろうが、それは、「日本は世界で一番箏の演奏者が多い国である」と言っているのと同じではないか。
 今回、テレホル湖を境にモンゴルと国境を接するエルジン地区(コジューン)を訪れ、モンゴルとトゥヴァの文化の様々な相互乗り入れを目のあたりにし、「どちらが先か」といった論議は無意味なものという認識を新たにしたが、トゥヴァ人にとっては、そうはいかないらしい。
 ステージに上がる喉歌演唱者たちの中で、90%以上を占めるトゥヴァ人以外、すなわち、アルタイ・ハカス・バシキール等、トゥヴァとは異なったスタイルの喉歌を伝統的にもつ民族の人は、時として理不尽な扱いを受け、主要な賞を受けることはまず考えられない。
 その最たるものがモンゴルからの参加者で、第1回では10人近くいたホーミーチンも、第2回では無名の人が一人、今回は皆無という状態であった。トゥヴァ側としては、モンゴルのホーミーなど認めたくないのだ。さすがに今回は、これら諸民族の独自の各スタイルを、トゥヴァのホーメイの5つのスタイルにカテゴライズして審査するといった無茶なことはやめたようだが、喉歌は、トゥヴァのものでなければならないというトゥヴァ人の心情は、一徹である。
 ホーメイコンテストに参加する伝統的な喉歌をもたない外国人も様変わりを見せている。
 第1回のシンポでステージに上がった外国人は、私だけであった。このとき私は、倍音唱法による即興的なメロディーを披露したのだが、トゥヴァ人の知人による評価は、一概にいえば「エキゾチックなものだった」というものであった。つまりは、ホーメイとは別物であったということであり、このときはじめて、ホーメイの歌詞の重要性、定まった形式などについての認識をあらたにしたのだった。
 第2回シンポのステージには、ベトナム出身のトラン・クァン・ハイをはじめ、何人かの喉歌唱者がステージに上がった。このとき、トゥヴァ人にうけたのが、アメリカのブルースシンガー、ポール・ペナと巻上公一である。ポール・ペナは、ブルースに巧みに低音のカルギラーを取り入れ、自分のものとした音楽をつくり出していた。巻上も、独自のボイスパフォーマンスに浪曲的な要素、ホーメイの要素等を組み込んだ演唱で会場を沸かせた。
 このとき私は、トゥヴァの曲を高音のスィグィットで演唱したのだが、いくらトゥヴァ人の真似をしてもかなうわけもなく、この方向の限界は、今回あらためてはっきりと認識させられた。
 このことは、今回の多くの外国人参加者の演唱にも言えることである。トゥヴァの音楽の物真似は、それが安易なものであろうとなかろうと、トゥヴァ人にとっては面白くも何ともないのである。
 この点、今回の参加者の中で、ドイツのトーマス・メルツの演唱は非常にユニークなものであった。彼は、トゥヴァの音楽を必死にやろうとするのであるが、結果としてでてくる音楽は、ホーメイを西洋音楽の型に無理やり入れて押し出したような、何とも得体の知れない不思議なものとなるのだった。これに、彼の人格から生まれるパフォーマンス性も加わり、カリカチュアとしてのホーメイが、トゥヴァ人に大受けする結果となったのだろう。この、無意識なホーメイの変形は、巻上を代表とする、ホーメイの意識的な変形とならぶ、外国人喉歌奏者のもう一つの可能性として注目する必要があるだろう。
 とにかく、外国人は、まともに戦っても、トゥヴァ人に太刀打ちできるものではない。この点で善戦したのは、等々力政彦と嵯峨治彦によるデュエット「タルバガン」だ。トゥヴァ語による歌詞と、高い音楽性をもった彼らの演奏は、トゥヴァの人々にとっても、充分評価の対象となったのである。しかしながら、日本人としてのアイデンティティをどう音楽に反映させていくか、しかも高い音楽性をキープしていくかは彼らの課題だろう。
 トゥヴァの音楽家の中でも、他ジャンルの音楽を積極的に取り入れた試みを行う人達もふえてきており、伝統はどんどん変容していっている。
 ホーメイは、それ自体非常にユニークな事象だが、それを取り巻く人々も面白い。