このたび札幌に住むアマチュア天文家、渡辺和郎さんが小惑星を発見、その小惑星を間宮林蔵と名付け、このほど国際天文学連合から正式に発表されました。このすばらしいニュースを皆さんにご報告します。惑星発見までの経緯については、渡辺和郎さんよりいただきました文章をそのまま掲載させていただきます。
渡辺さんは北海道釧路市出身で、アマチュア天文家として大変実績のある方です。渡辺さんのプロフィールも紹介します。
渡辺 和郎(わたなべ・かずお) 1955(昭和30)年5月1日 北海道釧路市生まれ
北海道立釧路工業高等学校 卒業
アマチュア天文家
住所 〒004-0053
北海道札幌市厚別区厚別中央3条4丁目3−8 B203趣味がこうじたアマチュアの天文家。流星・彗星・小惑星などの太陽系内天体の観測者として活動。天来の軌道決定のための精密位置観測の分野で日本を代表する活躍をしている。現在まで、新しい小惑星を500星以上発見、「丹頂鶴」「時計台」「大通り公園」「幣舞橋」「阿寒」「北斗星」など、北海道内ゆかりの命名を提案している。
「小惑星ハンター」(誠文堂新光社)、「天体写真マニュアル」(共著:地人書館)、「続・日本アマチュア天文史」(共著:恒星社)、「僕らの夢の星空-小惑星北海道発見物語」(北海道新聞社)や天体写真集などの著書多数。
「天文年鑑」編集委員。日本天文学会、東亜天文学会会員。「北海道彗星・小惑星会議」主宰。「札幌天文倶楽部」会長。元札幌市青少年科学館天文技術専門員。
小惑星(12127)Mamiya
=1999RD37(KW009)発見写真
1999年9月9日22時21分と
23時3分から
各60秒の二重露出
D=20cm F7.3L
SBIG-ST8 CCD 冷却-20℃撮影/札幌市南区滝野
渡辺和郎
(12127)Mamiya 太陽系軌道図
2001年3月7日の位置
(12127)Mamiya
2001年2月7日 00:00の星空での位置
(1月7日と3月7日の位置含む)
小惑星(12127)番 Mamiya (間宮林蔵)が誕生
太陽系内天体のうち火星と木星の間には多数の小天体があり、地球のような大きな惑星とは区別され、"小惑星(しょうわくせい)"と呼ばれています。その大きさはじつにさまざまで、最大の(1)番 ケレス で直径910km(地球の直径の1/14分のほど)、小さなものは数キロメートルから数百メートル、あるいはそれ以下というものまであり、その総数はじつに3万個以上に達するのではないかとみられています。
それらのうち、観測によって軌道のしっかり決まっているものは現在およそ2万個が知られていますが、このほどその一つである小惑星12127番に Mamiya(間宮林蔵)の名前が正式に命名されることになり、国際天文学連合(IAU:本部は仏国パリ)の小天体命名委員会の審査を経て、2001年1月9日小惑星センター(IAU第20委員会の傘下:事務局 米国ケンブリッジ市ハーバード・スミソニアン天文台)から世界中に公表されました。
間宮林蔵は安永9(1780)年、常陸国筑波郡上平柳村に生まれ、名は倫宗(ともむね)号は蕪崇(ふすう)といい、林蔵は通称ということです。
19世紀初頭、日本の北辺に20年以上滞在し、蝦夷・千島列島・カラフトにおいて数々の業績を残しました。とりわけカラフトの探査では海峡を発見し、カラフトが半島ではなく島であることを確認、「間宮海峡」の名は現在でも世界地図上に明記されています。測量技術・移動手段が貧弱で、なおかつ北方に関する知識が皆無という当時の日本にあって、林蔵の探検は命がけの仕事であったと思われます。しかし、幕府にとって避けて通れない国防にかかわる重要な任務を、不屈の精神と忍耐力により見事に果たしたのでした。
幼い頃から神童と呼ばれ、幾つかのエピソードも語り継がれています。のちに小貝川の堰き止め工事の効果的な方法を教え、幕府役人に認められ江戸に出ることになった林蔵は、寛政11(1799)年、師の村上島允に従い初めて蝦夷地に渡ってから文政5(1822)年、松前奉行が廃止されるまで、ほとんど蝦夷地で活動し華々しい成果をあげました。そのカラフト探検の始終はあまりに有名ですが、蝦夷全土を測量し、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」の北海道部分を完成させていることも大きな業績です。
江戸に戻ってからの林蔵は、全国を歩きまわり異国船渡来の風聞内偵などの仕事のため隠密的な行動をとり、晩年には水戸家にも出入りし、知識・意見を伝えています。林蔵は幕府の役人として、天保15(1844)年2月26日江戸の自宅で永眠しました。我が国の地図つくりで著名な「伊能忠敬」の名が日本からではなく、米国から提案されました。少なくとも間宮林蔵については、国内から命名の提案をしたい案件として常々考えていました。
さて、小惑星 12127番 Mamiya (間宮林蔵)は、1999年9月9日の夜、北海道札幌市郊外で、アマチュア天文家の渡辺和郎(札幌市)によって、写真観測により15等級の明るさで発見されたものです。発見時には1999RD37の仮符号が与えられていましたが、その後の数多くの追跡観測から軌道が詳しく計算され、1999年10月に登録番号12127番が確定していました。
軌道が確定し、登録番号がふられた小惑星には固有名を付けることが学会で認められています。例えば、1900(明治33)年に発見された498番には東京、3001番ミケランジェロなどがその例です。
今回、大きさが約数キロメートルと推定される、小惑星番号12127番 への固有名の命名については、先に引用しました間宮林蔵の業績をたたえ、国際天文学連合(IAU)もこれを正式に承認、このほど小惑星12127番 Mamiya の誕生となったものです。
こうして多くの星好きの仲間たちの協力によって、間宮林蔵の名の付いた新しい"星"が誕生し、太陽の周囲を3.84年の周期で永遠に回り続けることになったわけです。すばらしい朗報として皆さんと共に喜びたいと思います。2001年1月20日 (札幌天文倶楽部)
小惑星(12127)番 Mamiya (間宮林蔵) 公式命名文
(12127) Mamiya = 1999 RD37
Discovered 1999 Sept. 9 by K. Watanabe at Sapporo.
Rinzo Mamiya (1780-1844) was an explorer and surveyor of the northern area of Japan. In 1809, he reached the north Sakhalin and showed that Karafuto (Sakhalin) is an island separated by a narrow channel, now called the Mamiya strait.M. P. C. 41 938 2001 JAN. 9
(12127)*
1999 RD37 = 1972 RD3 = 1980 TE15 = 1998 HM57
Residuals in seconds of arc M. P. C. 36 308-36 209 1999 OCT. 26 |
小惑星(12127)番 Mamiya (間宮林蔵) 登録経緯
発見年月日 : 1999年9月9日
発 見 地 : 札幌市近郊
仮 符 号 : 1999RD37
過去の観測との同定: 1972RD3,1980TE15,1998MH57今回、求められた軌道をもとに過去にさかのぼって調査したところ、'72年(コード095 クリミヤ天文台)、'80年(コード095)、'98年(コード910 カウソールズ天文台、704 リンカーン天文台、699 ローウエル天文台)に同一の小惑星が観測されていたことが分かり、それらを含めた観測で軌道の再計算が行われた。また、発見の前後同時期に、他の天文台(コード699、703 カタリーナ・スカイ・サーベイ、704、106 クルニ天文台、691 スチュワード天文台、120ビスニャン天文台)などの十分な観測も加わり軌道が確定し、1999年10月のMPCで登録番号が公表された。
元 期(Epoch):1999年8月10.0TT JDT2451400.5
平均近点離角(M) : 2.81041
近日点引数 (Peri.):317.84540 (単位°:2000.0分点)
昇交点黄経 (Node) : 26.96302
軌道傾斜角 (Incl.): 3.56702
日々運動量 (n)° : 0.25663840
離心率 (e) : 0.1890046
軌道長半径 (a)AU : 2.4523830 (天文単位)
周期 (P)年 : 3.84
絶対実視等級(H) : 13.7
パラメータ (G) : 0.15
小惑星に関する解説
[ 小惑星とは…? ]
水・金・地・火・木星…九大と惑星の名前を覚えた人も多いはず。これら大惑星の仲間で、太陽の周囲を公転している小さな惑星群が小惑星。火星と木星の間(メイン・ベルトと呼ぶ)に多くが存在する。大きいもので910kmほどから、小さいものは数kmクラス、中には数mというものも…。観測によって軌道が確定し登録番号が付されたもの現在まで約21,000個。そのほとんどは米国、欧州の天文台が独占している。日本で発見されたものは3,000個ほど。最近、その中でも地球に衝突する可能性を秘めた特異小惑星を目的にした捜索が各国で熱心に行われている。
もともと大きな惑星が破壊されて小さな惑星群になったと考えられていたが、最近の研究成果では、衝突、合体によって大きな惑星に成長しきれなかった、微惑星のなごりであると考えられるようになった。[ 天体の名前は…学術名 ]
「すばる」は枕草子に出てくる立派な和名で、世界共通の名は「プレヤデス」という。わし座の一等星「アルタイル」や、こと座の一等星「ベガ」と同じように、小惑星名も世界共通の学術名として国際登録される。星名や天体名は、国際天文学連合(IAU :Internatinal Astronomical Union)の小天体命名委員会によって決められるが、新しい天体である「新星」は登録符号、「彗星」は発見者の名前(3名まで)が自動的に付されるのに対して、小惑星だけが発見者に自由な命名の提案をする権利が認められている。当初は小惑星もギリシャ神話やローマの古典に登場する女神から名前を採用していたが、発見数が多くなるにつれ名前が足りなくなり自由な命名が許されるようになった。木星軌道の安定した点に集まる小惑星の集団(周期約12年、トロヤ群)はトロイの戦士の中から、地球の軌道に接近または交差する天体には神話上の名前から、木星軌道より遠方の天体にはケンタウルス族の名前から命名を行うという規則がある。
[ 発見の手順 ]
小惑星は太陽の周囲を公転しながら、ちょうどマージャンパイをかき混ぜたような状態になっている。外観上は光る点としてしか観測されないので区別がつかない。個々を識別するには軌道を比較して行う。軌道を知るには最低3夜以上の観測が必要であり、その精度は観測数と観測期間が長いほど正確になる。個々の小惑星の軌道は人の戸籍のようなもので、軌道が正確に決まった小惑星は正確な予報が可能となり、個々を簡単に識別することができる。
新しいと思われる小惑星は2夜の観測を揃えてIAUの第20委員会の傘下にある、小惑星センター(米国ケンブリッジ市、ハーバード・スミソニアン天文台に事務局)へ報告する(観測に間違いがないかを2夜で確認する)。既知小惑星と照合し、該当するものがなければ新発見として、まず発見を認知する仮符号が与えられる。その上で、3夜目以降の観測を継続し初期軌道を求める(2夜のままだと軌道が求められず行方不明となってしまう)。その後、1公転以上にわたる観測を継続し軌道の改良を行なう。正確な軌道が確定した時点で登録番号が付られ、いつで何時でも詳細な位置予報が可能な小惑星の仲間入りとなる。この時点で、軌道を求めた発見者に命名の提案をする権利が与えられる。[ 命名のルール ]
命名申請は国際天文学連合・小惑星センターへ行い、小天体命名委員会(各国委員13名)の審査を経て国際天文学連合が「MPC(Minor Planet Circular):小惑星回報」で公式発表する。
星の命名は金銭で売買されない。小惑星も南極や月と同様に「国際法」に基づき人類共有の財産として所有権を認めていない。命名は3年ごとに小惑星名辞典(ドイツ・ハイデルベルグ:L.D.シュマーデル編纂:現在4版出版)に掲載される。
固有名の長さは英文字16字以内。公序良欲に反するもの、ペットの名は禁止。既にある小惑星名と紛らわしいものは除外。政治家や軍人は没後百年以上経って評価が定まってから。町、山、湖などの地名をはじめ、天文学者、宇宙飛行士、文化人、スポーツ選手などの名前が多い。固有名を決めたら発見から10年以内に申請しないと(10年ルール)提案権を放棄する形になる。
結婚の祝いに…などと金銭で星に命名するという種とは全く別次元のこと。[ 日本のアマチュア天文家 ]
日本のアマチュア天文家は、世界のアマチュア天文家の中でも一流の活躍をしている。特に彗星・小惑星・新星・超新星などの新天体の発見では、世界有数の発見数を誇り、本田彗星・池谷−関彗星・百武彗星など、日本人の名前の付いた彗星も少なくない。全小惑星の1割以上は、日本人によって発見されている。
そのほか、流星・太陽黒点・日食・掩蔽・天体写真などの分野でも、日本のアマチュア天文家の活躍にはめざましいものがある。その証拠に、日本では「天文ガイド」「月刊天文」「星ナビ」という3つもの商業雑誌が発行されており、これは英語圏では「スカイ・アンド・テレスコープ」「アストロノミー」の2誌しか発行されていないことと比べても、日本の天文ファンの層の厚さを示している。[ 国際天文学連合 ]
国際天文学連合(IAU, The International Astronomical Union)は、世界中の天文学者の集まりで本部はパリにあり、天文学に関する様々な会議を開催したり、天文学の振興に関する事項を決定したりする機関である。その位置付けは、下図のように国際連合(UN,United Nations)の下部組織で国際天文学連合(IAU)の下の小天体命名委員会で、小惑星や彗星の名前が決められている。
国際連合(UN)−国連経済社会理事会(UNESC)−ユネスコ(UNESCO)−国際学術連合(ICSU)−国際天文学連合(IAU)−第20委員会(Comm. 20)−小天体名委員会(SBNC)