皆さんから寄せられたメッセージ

 皆さんから寄せられたメッセージを掲載しています。(1996年10月27日より)
 ご質問、ご意見などを掲載し、このコーナーが読者の皆さん相互の情報交換の場となるようにしていきたいとおもいます。
 どんなことでもかまいません。どしどし書き込んでください。
 でも、掲載が手作業のため、ちょっと時間がかかるかもしれません。その時は許してくださいね。

メッセージを入力するにはこちら

メッセージ(96/10/27-97/02/03)


98/10/13
1name=前橋市立箱田中学校
1name=金田美幸
2email=ない
3entry=http://
4kind=感想
6message=まみや

Re:message=金田さん、メッセージありがとうございます。金田さんは前橋の中学校の方なんですね。何年生なんでしょうか?またメッセージをください。金田さんの事をもう少し教えてください。


98/09/22
1name=玉村都夫
2email=VYG10567@nifty.ne.jp
3entry=http://
4kind=感想
5who=サーファー
6message=地図を眺めるのが好きで、カーナビを見ていました.間宮海峡が袋小路でなく、北の方に通じていることは、大変な機密事項であった。というようなことを聞いています。
最近のGPSなどでの発達はすごいものがありますが、先人の業績のすごさにはただただ敬服するのみです。
その気持ちがあればどんなことでもできるということを、伝えているようです

ありがとうございました、玉村

Re:message=測量技術のカーナビへの応用は、素晴らしいものがありますよね。GPSがこれほどまでに身近に、私たちの生活に役立つようになるなんて、10年前にはちょっと考えられませんでしたね。
 林蔵の時代も、当時の最新の技術を用いた測量器具を使って、測量は行われていたのでしょう。しかし、その技術水準は現在とは比較のしようもないほどです。低い技術水準であっても、人間の勘やわざが技術を超えてあり、素晴らしい成果として残ったのだと思います。当時の人々の地道な努力は、現在の私たちの心に何か訴えるものがありますね。


98/09/10
1name=西村 伸一
2email=sin@mtd.biglobe.ne.jp
3entry=http://
4kind=感想
5who=林蔵ファン
6message=小説の「間宮林蔵」をみて、マミヤファンに成りました。以前から興味はあったのですが、記念館があるとは知りませんでした。機会があればぜひ見てみたいと思います。

Re:message=西村さんはどちらにお住まいですか?お近くなのでしょうか?記念館、ぜひいらしてください。記念館へいらっしゃるとき、ご連絡いただければお会いできるかと思います。
 お天気の良い一日、記念館からつくば市、筑波山方面への観光も楽しいかと思います。もし、県内の方でしたら、申し訳ございません。これからもどうぞよろしくお願いします。


98/08/16
1name=横田高秋
2email=takaki@fureai.or.jp
3entry=http://www.nttl-net.ne.jp/hokaben
4kind=リンク
5who=サーファー
6message=私も近くに住んでいるので、興味がわきましたすばらしいですね
是非多くの人に知っていただきたいと思いますので
リンクさせて下さい。

Re: message=横田さんは取手で、お弁当のお店を営業されているんですね。何度もお店の前を
通った事があります。メニューの紹介を見せていただくと、おいしそうなお弁当がたくさん並んでいます。横田さんの自信作なんでしょうね。ぜひ一度お昼に利用させていただきたいと思っています。
 このページをご覧になった方、ぜひ取手市方面にいらっしゃったときには、お昼、ご利用になってはいかがでしょうか。
 横田さん、これからも地元の情報を提供する者同士、情報交換をお願いいたします。


98/08/31
1name=佐藤義昭
3entry=http://
4kind=その他
5who=サーファー
6message=私は鉄道ファンです。色々な路線に乗るのが好きで、サハリン(樺太)の鉄道も9割ぐらい乗りました。サハリン(樺太)には今までに通算3回行き、その内、一度はオハからハバロフスクまで飛行機で飛んでいて、空から間宮海峡北部をみました。
8月15日に記念館を見学し、樺太の地図をみて、ここを歩いて測量し、地図を作成した。まさに偉業です。これからもこのホームページを充実させて下さい。

Re: message=佐藤さんこんにちは。佐藤さんはサハリンの鉄道、9割も乗ってるんですか。すごいですね。3回もサハリンを訪問しているんですね。季節はいつ頃だったのでしょうか。冬にも行かれたんですか?サハリン(樺太)は如何でしたか?美しい自然が残り、厳しい自然ですが素晴らしいところですね。私ももう一度、訪れてみたいと思っています。
 佐藤さんはまた、8月15日に記念館にいらっしゃったのですね。私も自宅(すぐ南側)におりましたので、お会いできなかったのが残念です。佐藤さんとこれからも是非、サハリンについての情報交換ができればと思っております。メールアドレスもしお持ちでしたら、どうぞお知らせいただければと思います。


98/08/11
1name=直井 敬和
2email=naoiy@iwai.canon.co.jp
3entry=http://
4kind=その他
5who=サーファー
6message=はじめまして
実はわたし伊奈町出身で、小学校の遠足とかで度々間宮林蔵の生家には足を運びました。当時は「海峡発見ってそんなに偉いの?」という感じで、間宮林蔵にはあまり興味がありませんでした。
それから20年後、最近北方謙三の「林蔵の貌」を読んで、びっくりしました。そこにいたのは、わたしが小学校の頃教わった林蔵ではなかったからです。小学校の頃教わった間宮林蔵は樺太が島であることを発見した探検家でしたが、
「$BNSB"$NKF(J」$B$NNSB"$O!"3$$X;3$XKkI\$NL?$r<u$1$=$7$F?e8MHM!"D+Dn$H$bMm$_(J
更には薩摩藩へも影響を及ぼした隠密?だったのです。
小説ですから作っている部分も多いかと思いますが、筋に嘘はないと思っています。
これからも参考文献を参考に個人的に林蔵を研究したいと思います。

Re: message=直井さんは、伊奈町ご出身だったのですね。お近くなのですね。遠足でいらっしゃったときの生家は、フェンスで周囲を囲まれ、壁に悪戯書きなどもあり、ちょっと傷みが激しかったのではないでしょうか。記念館が出来るまで、生家は常時管理するものがいたわけではありませんでしたので、残念ですが仕方ありませんでした。
 ところで「林蔵の貌」お読みになったんですね。林蔵の晩年の足跡が記録として残っていないことから、残念ながらいつ頃、どこで、何をしていたか詳しく分かっていません。これからの発見を期待するばかりです。何か新しい情報がございましたら、ぜひお知らせください。
 一部何らかの関係で文字化けしてしまったようです。申し訳ございません。


98/06/16
1name=綿引 泰典
2email=pbwata01@sunshine.ne.jp
3entry=http://www.sunshine.ne.jp/~pbwata01/
4kind=リンク
5who=林蔵ファン
6message=私は現在、後期水戸学を研究しています。ホームページもやっと開設したばかりで
す。
私の掲載した、江戸後期年表中に1808年に間宮林蔵の記述が有ります。1854年や
1862年のロシアと交わした条約のこと、そして1866年の仏国との600万ドル借款
条約のこと、翌年英国の妨害で破談になり、これにより仏国の北海道の経済的植民
地化をのがれたことなど、書いてあります。読んで感想を送ってください。

Re: message= さっそく、ページを拝見しました。水戸に関する情報が充実していて、大変参考になりました。水戸家と林蔵は、大変深い関係があったようですね。水戸学から、林蔵の新しい発見があればと、期待しているところです。


98/05/02
1name=渡辺淳司
2email=fwis3346@mb.infoweb.ne.jp
3entry=http://
4kind=その他
5who=サーファー
6message=どうも、竜ヶ崎一高卒業生の渡辺です。竜一のホームページのリンクで来ました。
三年のとき間宮孝治君(あ、名前だしちゃまずかったでしょうか)と同じクラスでした。こんな形で再会(したわけではないんですけど)できるなんてスゴイ時代になりましたね。

Re: message= 渡辺さんも竜ヶ崎一高の卒業生なんですね。私は、渡辺さんや孝治君より少し先輩になりますね。孝治君の家は、林蔵の生まれた家の本家となります。林蔵の生まれた家のすぐ隣、川上側です。林蔵については、孝治君から聞かれていることとおもいます。
 孝治君の家と私の家の関係は、次のようになっています。孝治君の家から分家した家が私の家で、ここから林蔵が生まれました。更に林蔵には子供がなかったため、今度は孝治君の家から養子をもらい、林蔵の家は続くことになったのです。こうして、林蔵が生まれる以前から、孝治君の家と私の家は分家本家のお隣同士として暮らしてきました。
 ちなみに私と孝治君の家の本家は、孝治君の家の川上側、お隣にあります。この間宮が伊奈町で最も古い間宮家です。この間宮家を中心に、川上側に一軒、川下側に二軒の間宮があります。

98/04/30
1name=田中
3entry=http://
4kind=その他
5who=サーファー
6message=私の、友達にも「間宮林蔵氏」の親戚と言う人が、茨城県守谷町と言う所に住んでいますがご存知ですか。
Re: message= 守谷町に住んでいるという方、たぶんわたくしの親戚だとおもいます。どういうご関係なのでしょうか?お世話になっております。
田中さんのことなどいろいろ、おしえていただければうれしく思います。メールが送れるようになりましたら、ぜひアドレスをご連絡ください。

98/02/01
1name=Sam Yoshiwara
2email=sam-1018@mvh.biglobe.ne.jp
3entry=http://
4kind=その他
5who=サーファー
6message=昨日、以前から興味を抱いておりましたーもちろん、林蔵が同郷ということが理由ですがー北方謙三著”林蔵の貌”を読み始めました。時代背景を少し調べるためマイクロ・ソフトの”エンカルタ”を読んでいましたら、このホーム・ページに出会えました。
Re: message= Sam Yoshiwaraさん、こんにちは。メッセージありがとうございます。Sam Yoshiwaraは林蔵と同郷、と言うことは茨城県、ひょっとしたら伊奈町の出身ですか?ほんとうにうれしいですね。これからもよろしくお願いいたします。
 北方謙三の「林蔵の貌」、北方謙三の特徴の出ている時代小説ですよね。林蔵がほんとうに、あのような人物だったのでしょうか?本当だったらすごいですよね。剣術がどのくらいだったかは別として、厳しい自然環境の中で長い間過ごしていたのですから、凍傷はあったようです。凍傷と戦いながら精密な地図を描くことは、今の私達には想像を絶する作業です。江戸時代の技術者のその技、私達はもう一度見直してもいいのではないか。最近考えています。
 これからも少しずつ、情報を提供していきます。どうぞよろしくお願いします。

98/01/31
1name=山崎 卓人
2email=tyamaz3@ibm.net
3entry=http://
4kind=感想
5who=サーファー
6message= 巡り会えてよかった!とても素敵なホームページです。
小さい頃から地図を見るのが好きで、暇さえあれば地図帳広げて日本中世界中を駆け巡っていました。
私の場合、あまのじゃくな気質なのか、他の人があまり知らない、普段興味を持たない国や地域に逆に好奇の目を向ける傾向が強く、サハリンやロシア極東部、現在のサハ共和国等にかなり前から思いを寄せていました。
今日何気なく「サハリン(樺太)と言えば、間宮林蔵やな〜」とぼんやり頭に浮んだ結果がこのHPとの遭遇となりました。日本のすぐ傍にありながら、近くて遠い場所、未知の国、サハリン。その全貌とは言わないまでも、一部を垣間見させていただいただけでも光栄です。それでなくても胸躍るメニューがふんだんに盛り込まれていて、とても嬉しいです。
まだ間宮林蔵記念館にさえ行ったことのない私ですが、今後ともこのHPとはお付き合いをさせていただきます。そしていつかはサハリンを訪ね、間宮海峡徒歩横断を果たしたいと考える次第です。間宮さん、宜しくお願いします。
Re: message= 小さい頃から地図がお好きだったとのこと。地図帳を広げ世界中を旅する、僕も地図ではありませんでしたけど、時刻表で同じ事をしていました。楽しいんですよね。山崎さんはお幾つぐらいの方なのでしょうか?ひょっとして、私(1960年生れ)と同じ世代?それとも…。
 林蔵のホームページ、現在、更新がほとんど出来ておりません。その理由は、ちょっと個人的に忙しいからなんです。せっかくアクセスしていただいたのに、あまり変わっていない、申し訳なくって。現在、自宅の工事をしていて、そちらをいろいろと考えるので精いっぱいの状況です。工事も3月末には終了し、現在計画中のホームページ更新に手を付けようと思っております。
 これからも、たまにアクセスしてみてください。どうぞよろしくお願いいたします。

97/12/26
1name=吉田あゆみ
2email=p970103@st.toyama-mpu.ac.jp
3entry=http://
4kind=ファンメール
5who=友人です
6message=間宮さん、こんにちは。今日はたまたま「間宮林蔵」のホームページのことを思い出して、開いてみたんです。林蔵の記念館の写真を見て、「そういえば、私もここに見学に行ったんだなぁ。」と、なんだか懐かしく思いました。倫くん、宗くんは元気でしょうか?また、機会があったら、大学にいる間にぜひ記念館に遊びに行きたいと思います。これからも、
「間宮林蔵」のホームページ頑張ってください。
Re: message= あゆみちゃん、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。うちの家族も全員、元気でにぎやかなお正月を迎えることができました。
 富山は以前、バイクで日本海側を縦断したとき通りました。雪を被った北アルプスが、緑の富山平野の先に、山が浮かんでいるように見えてとても美しかったのを覚えています。時間があったら、もう一度ゆっくり行ってみたいところです。家族全員で押しかけることになると思いますが、その時には富山を案内してくださいね。

97/11/21
1name=高橋 大輔
2email=dtaka@yomiko.co.jp
3entry=http://
4kind=その他
5who=林蔵ファン
6message=はじめてメールいたします。
私はニューヨークの探検家クラブ、英国王立地理学協会に所属する、探検の世界に魅せられている者です。
間宮林蔵の探検を研究しておりまして、彼のサハリンでの足跡を調査致しております。
北海道新聞社の記者、相原さんの著書を読み、間宮さんが、かつての図合船を復元され、航海をされたことを知り、そのお話をぜひ直接おうかがいできないものかと思っております。
できればそちらに12月6日の土曜日におうかがいいたしたく思います。
最初のメールで恐縮ですが、間宮さんのご予定等お聞かせ願えますでしょうか。
お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
Re: message= 高橋大輔さん、こんにちは。メールありがとうございます。メールのご返事が遅くなり申し訳ございませんでした。
 早速ですが、12月6日(土)に記念館にいらっしゃるのですね。こちらは1日家におりますので、いつでもいらしてください。記念館と私の実家(林蔵の生まれた場所になりますか)は80mほどです。記念館には父がおりますので、来館していただき、父に話していただければすぐに分かります。
 取り敢えず、6日、何時頃いらっしゃるのか教えていただければ幸いです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

97/10/29
1name=大場与志男
2email=ohba@sci.kj.yamagata-u.ac.jp
3entry=http://
4kind=ファンメール
5who=林蔵ファン
6message=大学の研究者です。専門は地質学ですが天文や地理・和算に関心があります。大島一郎著「伊能隊・・・」NTT出版を読んで、林蔵のことがかえって関心事になりました。郷土の産、最上徳内とどんな接点があったのでしようか、調べたいのです。徳内記念館はご存知でしよう。
北海道生れの63才です。
Re: message=私も林蔵の時代の測量技術に大変興味があります。大場先生の天文、地理、和算についてのお話をぜひ一度お伺いしたいと思います。私は、以前勤務しておりました測量機械メーカー(株式会社トプコン)で現代の測量について、基礎的な勉強をさせていただきました。現代の測量機械については、一応わかるのですが、林蔵の時代の測量についてはわからないことばかりです。当時の測量が、実際にどのように行われていたのか、現代の測量と比較しながら、このホームページで紹介したいと思っております。これからもどうぞご指導をよろしくお願いいたします。

97/05/20
1name=水野仁志
3entry=http://
4kind=2 ファンメール
5who=林蔵ファン
6message=読売新聞で見てアクセスしました。これからもアクセスします。
Re: message=アクセスありがとうございます
 水野さん、アクセスありがとうございます。このページの感想をお聞かせいただければありがたいです。ご要望などございましたら、ぜひお送り下さい。
 ありがとうございます。

97/05/14
1name=小林 敏明
2email=toshi-k@sa2.so-net.or.jp
3entry=http://
4kind=5 その他
5who=友人です
6message= お久しぶりです。お元気ですか?
 あの間宮林蔵物語は、どこかにいちゃいました。たぶんまだ完成していないと思いますが、私にはわかりません。収録テープで約16本(30分テープ)だと思いましたが、それは岸本さんのところか創造という製作会社が持っていると思います。残念ですが今はそういう状況です。もしかしたらそちらにも連絡があったかもしれませんが。
 あのおかげで、間宮林蔵とサハリンに興味を持つことができました。 またサハリンへ行きたいものです。ではまた。
Re: message=番組できそうもないんですね
 小林さん、お久しぶりです。昨年の7月は本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。あの時のビデオ、なかなか番組になれないようで、残念ですね。せっかく苦労して撮影したのに、小林さんとしても心残りのことでしょう。何とかビデオが、生かされるといいんですけど。残念ですね。
 私にとってあの1週間は、とても楽しい思い出です。有意義な旅ができました。本当にありがとうございました。このホームページも、あの時の旅行があったから、作れたようなものです。まだまだ、加えていきたい内容があるんですが、なかなか時間がなくて出来ていません。たまにまた、覗いてみてください。
 岸本さん、お体の調子どうなのでしょうか?ご病気だというようなことも聞いているんですが。心配しております。何かわかりましたら、ご連絡頂けると幸いです。
 機会があったら、お会いしたいですね。一度記念館に御出でください。お待ちしております。

97/05/10
1name=山崎 剛
2email=tap@tau.bekkoame.or.jp
3entry=http://
4kind=5 その他
5who=サーファー
6message=今日、これから間宮林蔵記念館にゆく予定です。
楽しみです。
Re: message=記念館、如何でしたか?
 山崎さん、メッセージありがとうございます。記念館、如何でしたか?ご満足いただけたでしょうか?間宮林蔵は、史料が少なく、特に私の家に残されていた資料も今では散逸してしまったものもあるそうです。林蔵の死後も私の家は、農家として生計を立てていましたので、いくら穀倉地帯で豊かな土地といっても決して余裕があったわけではなかったでしょう。
 記念館がオープンしたことによって、各地から林蔵に関係する問い合わせなどが多くなっています。これから、新しい史料の発見があるかもしれません。これから期待出来ると思います。
 これからもどうぞよろしくお願いします。

97/05/09
1name=塚本浩史
2email=retkun@mxs.meshnet.or.jp
3entry=http://
4kind=1 感想
5who=サーファー
6message=niftyの建築フォーラムで知りました。OMソーラー協会のスタッフで、会報誌「月刊OM」の編集をしているものです。素敵なサイトですね。これからもがんばってください。近々OMのオフィシャルサイトをオープンさせます。また、個人的なサイトもオープン予定ですので、またのぞきに来てください。
Re:message=アクセスありがとうございます
 塚本さん、こんにちは。「月間OM」の編集をされているんですね。これからもどうぞよろしくお願いします。OMソーラー協会のホームページも近々オープンさせるとのこと。期待しております。アクセスできるようになりましたら、早速拝見したいと思います。また、塚本さん個人のページも作成中とのこと。公開の際はご連絡頂ければ幸いです。これからもOMソーラーではお世話になります。どうぞよろしくお願いします。

97/04/17
1name=Takuro Sakurai
2email=tsakur@ibm.net
3entry=http://
4kind=5 その他
5who=サーファー
6message=昨年、『シベリア鉄道』でウラジオストク→モスクワ→ヘルシンキと旅行してきました。
極東ロシアを調べているところ、このページにであいました。近い将来サハリンに行ってみたいと思っています。
サハリンに行ったことのある方、サハリン・トラベルについて情報をおもちの方、メールを頂ければ嬉しく思います。
From Takuro Sakurai[東京都・大学生]
Re:message=ロシア、サハリンの治安状況はどうなんでしょうか?
 極東ロシアを研究されているんですね。極東ロシアの情報は、まだまだ少ないので、苦労も多いのではないでしょうか。頑張ってください。
 ところで、サハリンに行く予定があるとのこと。サハリンはモスクワ辺りより安定しているようですが、それでも現在の治安状況はどうなんでしょうか?ロシア全体が、報道で見る限りかなり不安定になっているようですね。気を付けてください。
私の知り合いが来月末から、サハリンに出かけていきます。今回はユジノサハリンスクのサハリン州立郷土博物館で、樺太に関係する日本人の史料展開催(06/28~07/05)のために出かけていくのです。その報告も私のところに入ってくると思いますので、メールなどでお知らせしたいと思います。これからも情報交換、どうぞよろしくお願いします。

97/04/15
1name=松下敏晴
2email=toshihar@kw.netlaputa.or.jp
3entry=http://
4kind=3 リンク
5who=サーファー
6message=江戸期の漂流民や「異国」からの訪問者との遭遇体験に関心を持っています。
その延長線上で吉村昭の「間宮林蔵」を最近読みました。壮年期の体制派的姿勢と老年期の開明派的対応の落差がよく理解できませんでしたが、なかなか魅力あり、不可解な人物という印象で興味が持てました。
いろいろ興味あることを教えていただきました。記念館があることもこのHPで知りました。今後ともよろしく。
Re:message=現実の林蔵は、たぶん一貫した考え方を持っていたのでは?
 林蔵は外国に対し、たぶん一貫した態度を若き日(シャナ事件以来)からとっていたのではないでしょうか。それは林蔵が死ぬまで心の傷として残り、林蔵の行動を方向づける大きな要因となっていたのではないかと思います。あくまで僕の想像ですが。
 江戸時代、外国との接触が皆無に等しい時代に生きた林蔵にとって、たとえ林蔵でなくても、外国人(ロシア人)に襲われたというシャナ事件は大きな恐怖であったに違いありません。その後の林蔵の行動も、シャナ事件の影響がその根底にあると考えると、開国をまったく考えることが出来なかった辺り、理解できるような気がします。林蔵は、開国うんぬんというよりも、国防を最重要課題と考えていたのでしょう。この辺り、もっと研究が進めばと思っています。これからもどうぞよろしくお願いします。

97/04/01
1name=高橋伸一
2email=stakers@ari.bekkoame.or.jp
3entry=ZERO ZONE
4kind=1 感想
5who=雑誌を見て
6message= 宗谷岬で記念撮影をした時に、かつて図書館で見た間宮林蔵が測量したという精細な地図を見て感動したことを思い出しました。
 今私が追求している分野は懸命に資料探しに奔走していますが、この分野も面白いと思いました。
 未だ私は情報提供できる位置にはいませんが、いずれ参加できるようになりたいとも思います。
今まで以上の情報発信を期待します。
Re:message=宗谷岬林蔵立像の除幕式には私も出席していました
 高橋さん、こんにちは。林蔵の測量した地図をご覧になったとのこと。どちらの図書館だったのでしょうか?林蔵の作とされる地図類にはいくつかありますが、その代表的なものに北蝦夷島地図、蝦夷図があります。北蝦夷島地図は国立公文書館に、蝦夷図は国会図書館に所蔵されています。これらを間宮林蔵記念館では複製展示していることはご存知の通りです。これ以外にも林蔵の関係した地図類はいくつかあるものと思われますが、そのすべてを把握できていません。もしよろしければ情報をいただけませんでしょうか。
 どうぞよろしくお願いいたします。

97/02/28
1name=fujioka hiroyuki
2email=pachamam@venus.dtinet.or.jp
3entry=http://www.venus.dyinetor.or.jp/~pachamam/
4kind=3 リンク
5who=林蔵ファン
6message=文化人類学に興味をもち、日ごろは、大阪、千里の国立民族学博物館に足を運びいろいろとセミナーに参加することで、勉強しています。
今、青森県の三内丸山遺跡が話題となっていますが、みんぱく館長佐々木高名さんの照葉樹林文化からはじまった私の民族学の探検は、先生もいわれているように、日本の基層文化を考える際、どうしても北からの文化に目を向けていく必要があります。
これまで、日本に関しては、これまであまり北からの文化についての認識が少なかったように思います。
弥生とそれ以前の日本。これらを日本にまだ人類学が確立する以前に卓越した冒険心と、見識によって、貴重な資料を残した間宮林蔵の功績は世界に誇るものです。その偉業を保存し研究、広めておられる貴博物館に是非とも訪れたいと思いながら、これまで実行することが出来ませんでした。今年こそ、実現させたいとおもいます。
Re:message=北からの文化、私達の固定観念をくつがえすほどのものがありますね
fujioka hiroyukiさんこんにちは。返事が遅れてしまい、本当に申し訳ございません。3月の確定申告時期から仕事も忙しく、私的にも忙しく(子供と遊ぶのも結構重労働で…)ホームページの更新ができずにいました。やっとOSをWindows95に変更し、ホームページ作成支援ツールを使うことができるようになりました。また、ホームページの更新を今まで以上に頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
fujioka hiroyukiのメッセージにもありましたように私達は今まで、北からの文化の流れをあまりにも軽視していたようですね。当然のことのように、文化は西から入って来たと思っていました。ここのところの青森県の三内丸山遺跡に始まる東北地方の古代遺跡の発見、発掘のよって今までの私達の固定観念が大きく覆されようとしています。雪に閉ざされた世界に文化は育たない。あまりに単純に断定してしまっていたようです。昔の人々は、寒さと上手に付き合いながら、今の私達には想像できないような厳しい自然環境の中でもたくましく生きていたのですね。時代とともに技術の発達により、便利な生活になった現代では、「厳しい自然環境の中で古代の生活様式だけでは、到底生活が出来ないのではないか。」と想像してしまうのも仕方のないことかもしれません。
 これからも、少しずつ内容を加えていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。また、何でも結構です、どうぞ情報交換をお願いします。

97/02/06
1name=やたら無邪気
2email=hisano3@ppp.bekkoame.or.jp
3entry=http://
4kind=5 その他
5who=サーファー
6message=今年の御正月に、深川七福神めぐりをしていた時に、 たまたま林蔵氏のお墓を見ました。
ぼんやりとその功績を思い出しているうちに、現代人の 考える「グローバル」なんて、ちゃんちゃらおかしくな る、昔の人の、いや、昔の日本人の豪快さや視野の広さ というものを感じずにいられませんでした。
どうか、林蔵さんのことが後世まで語り継がれてほしい ものです。

Re:message=江戸時代の人々は豪快ですよね
 >昔の日本人の豪快さや視野の広さ
ほんとうにそう思います。私達はテレビの時代劇で江戸時代の様子に触れることが出来ますが、この時代劇の中の江戸時代は、実際の江戸時代とかなり違っているようですね。毎回、毎回テレビのように刀を抜くことは、現実には無かったでしょうし、峠道に必ず追いはぎがいたわけではなかったでしょうね。というのも林蔵は、江戸と蝦夷の間を何回も行ったり来たりしているのです。速い時は半月で江戸から蝦夷(松前)まで行ってしまうのです。また、お伊勢参りなども盛んに行われていたようですから、江戸時代は、私達が思うより平和で自由な世の中だったのかもしれません。
 このWeb Pageも少しずつ内容を加えて行く予定です。また、時間があったら覗いてみてください。


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