am8:00 神社集合。三々五々、上町の“若衆”が集まってきます。
am8:30 お祓い。子供会の神輿も一緒です。お祓いの後、お神酒をいただいて、音頭上げ第一声(赤沢さん)。神輿の出発。神社の鳥居(2箇所)をくぐらせながら、石段をおりていくのが、毎年のことながら大変で、危険も伴います。担ぎ手のみんなも勝手がわかっていて、細心の注意を払いながらクリア。
am9:00 まずは9区の国道東側の住宅です。そこを神輿を担いで嶋田自動車さんまで。ここを終わると、屯所の前の通りへ。神輿はトラックに載せ、人は田畑のあぜ道をあるいていきます。途中、草刈りしたとかしないとか、稲に実が入ってないとか、雨が降ればこのセキあふれるっけとか、百姓やってる人たちが話してました。
am9:30 屯所の前の通りを神社側の方から担ぎます。途中、Kさんのお宅で一休み。まだ余り汗もかいてないけど、さっそく○ールやお○けをいただきました。毎年ありがとうございます。この後、先々で飲み物、ごちそうを振舞って下さった皆さまにもこの場をお借りしてお礼申し上げます。さてKさん宅を出るやいなや、さほど歩かない内にSさんのお宅で一休みです。あの神輿とてつもなく重いので、休み休み行かないと1日はとてももちません。ということで、またご馳走になります。
am10:30 国道を西側へと渡り、途中、善念寺さん、本誓寺さんのところで音頭上げをし、Tさんのところで一休みしながら、以前日本水道があった所の北側の住宅(9区)にやってきました。ここを通ってから、19区の住宅地の中を練り歩いて行きます。公園と調整池が隣り合ってある所までです。もちろん担ぎっぱなしでいくというのは不可能で、途中何度か神輿を「アシ(とみんな呼んでいる)」に乗せて休憩しました。近所の小さい子が出てきて神輿と一緒に写真撮ってました。考えてみたら、ここらへんの子供たち今頃子供会の神輿の方で歩いているわけで、外に見に出てきてくれるのは、小学校にまだ入らない子たちだけなんですね。
「アシ」というものは、たいしたやつだ。大の大人が20人でようやく担いでいる重い神輿をたった二人で担ぐのだから。しかも自分の体重は人間が片手で持てるくらい軽いと来ている。疲れも知らない。文句を言うことも無い。「アシ」がいなかったら、とうてい神輿は担げません。アシさん、どうぞご自愛を。 |
am11:15 予定の20分遅れでヨーロピアンです。Kさん宅の所で、一休みです。近所の方々で協力して用意して下さったということで、ご馳走の豪華なこと。腰をあげるのがいやになりますねぇ。この後、たかくらさんで飲み物をいただいたりしながら、スーパーセンターで音頭上げをして、9区の白竜興産からくる通りを担ぎました。ここで午前中の部終了。予定より、20分遅れか。
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昼休みは長岩寺さんの本堂をお借りしました。
昼飯を食べる前に有志で、今年の1月突然の事故で亡くなった東山さんの墓参りをしました。あれからもう半年以上たったとは。東山さんのあの笑顔が偲ばれました。東山さん、今夜の踊りがんばっからねっ! |
pm1:20 午後の部出発。長岩寺さんで音頭上げしてから、以前日本水道があった所(この言い回し今回2回目ですね)の西側の住宅より担いで、共同園芸さんの方へ。そして10区の西側の住宅。ここは2本の通りを担ぐのだけれど、どちらも上り坂がきついんです。Oさんのところで飲み物ご馳走になって、ふと見ると一緒に担いでいたTさんの姿がない。どうしたかと聞くと、アイスクリームを買いに走ったという。そうだった、ここを終えると次は毎年アイスをだしてくれるTさんのところで一休みでした。
pm2:40 Tさんところで予定通り?アイスクリームをご馳走になった後、次はNさんのところで一休み。ここから、10区東側の通りから2区5班をへて、公民館までのアップダウンをずっと担いでいきます。もちろん途中アシで休憩はしますが、高低差があるのでかなりきついはず。公民館に到着するというあたりは本当にきつそうでした。が、とちゅうで神輿を放り出すこともなく、公民館までたどり着き一休み。飲み物、食べ物いっぱい用意してもらったけれど、皆さんあまりすすまなくなってきてますね。
担ぎ手も大変だけれど、先だちの人たちも大変です。常に神輿の人たちより先に腰を上げて出発し、早足で各戸を回って御札をくばって歩く。相手の対応にいやな思いをすることもある。いろいろな面で気を使う。そのことを考えたら、何も考えずに神輿を担いでいた方がいいやという人も多いのでは。 |
pm4:00 公民館を出て途中マルショウさんや一里さんのところで音頭上げしながら、中央保育所の前の通りです。ようやく東の方に戻って来ました。が神社はまだまだです。まずはOさんのところで一休み。その後、城山公園への通りを担いでいきますが、途中Kさんのところで、力餅なぞいただいて、最後の死のロードにそなえます。神社まで通じる一区のメイン通り。その出発地点では、およそ予定時間とおりの到着。ここから神社まではやや下り勾配の一本道。神社を目前にしながら体力は限界ということで体力的にも精神的にもきついものがあります。そこに一休みできるお宅があるというのは本当に助かります。Aさん、Aさん、Kさん、今年もありがとうございます。Kさん、あのピーマン辛すぎます。
pm6:30 Kさん宅で腰を上げた我々は、一気に神社まで神輿を担いで走った(本当は走らない、危険なので)。長々と下る道のりをただひたすら、担いだ。声はかれ、汗も出尽くした。担ぎ棒は肩に喰い込み、足は棒のようだ。後ろの担ぎ手に足を蹴られようと、立ち止まってはいられない。最後のカーブでさらに下り勾配が急になる。しかし神社は目前。体力の限界も目前。もはや掛け声も出ない。気力だけで神輿を担ぎ、そして走る(本当は走らない、危険なので)。そこへ、第一の鳥居が我々の前に立ちはだかった。そしてその背後には延々とつづく急な石段。我々は呼吸を整え、最後の挑戦を前に心を落ち着けた。そして、神輿を担ぎ直すとやおら石段を駆け上がった(本当は駆け上がらない、危険だし第一駆け上がれない)。狭い鳥居をものともせず、重い神輿も今や羽根布団のように操りながら、石段を駆け上がった我々は、第二の鳥居も瞬く間に制覇した(本当は怪我しないように、ぶつけないように慎重にくぐらせました)。鳥居をくぐった我々が見たものは、煌煌と闇に浮かび上がる神々しくも荘厳なる走湯神社本殿の姿であった(本当は屋台の明かりです)。
pm6:40 というわけで、神輿を担いでの上町行脚の旅。ここに終結。最後も赤沢さんの音頭上げで締めてもらいました。怪我もなく、事故も無く、無事に神輿を再び神社に納めることができました。担ぎ手のみなさん、先立ちのみなさん、、神輿の回りで交通整理等の安全管理して下さったみなさん、そしてトラックを運転してくれた加藤さん、本当にお疲れ様でした。また、いく先々で飲み物やご馳走を振舞って下さったみなさん、路傍で声を掛けて下さったみなさん、そして神輿渡御にご協力下さった上町の皆さん、ありがとうございました。来年も又よろしくお願いします。
追伸:トラックを貸して下さった盛岡糖粉さん、ありがとうございました(^_^)v。
※本文により、ご不快な念をお持ちになった方がもしいらっしゃれば、お詫び申し上げます。
※本当は写真をもっと載せたいところでしたが、カメラをもって歩くのはじゃまでしょうがなく、のんきに写真なぞ撮っていたものじゃ、「写真撮ってる暇あったら、担げ!」と怒られますんで、自分では写すことが出来ませんでした。いい写真撮った方がいらっしゃれば、アップしますので御一報ください。kawano@asahi.email.ne.jpまでよろしく。
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