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060 ブランド好きの日本人

 あるテレビ番組で、安価なワインと高級ワインを用意して、安価なワインを高級ワインですと言って飲んでもらい、その逆に高級ワインを安価なワインですと言って飲んでもらい違いを言ってもらうという趣向のものがありました。その結果、逆じゃないかなと答えた人は殆どなく、安価なワインを「流石に高級ワインは美味しい」と感想を述べる人もいれば、高級ワインを「あまりおいしくない」と言う人あり。後で逆だという種明かしをされて驚くというものでした。参加した視聴者をちょっとコケにしたところもありますが、それ以上に興味深いのは、「これは高級なものですよ」と言われると美味しいと思ってしまうところです。高級なものは美味しいと言わなくてはいけないというプレッシャーかもしれませんが、日本人には「これは高級なのもので美味しいとされているから美味しいんだ」と思い込む人が多いような気がします。

 ブランド志向が強く、高級なものにこだわる人々は特にその傾向が強いのかもしれません。トリュフのような特徴のある食材は日本人なら好き嫌いがあってしかるべきですが、「美味しいとされているものは美味しいと思わなくてはいけない」と言う強迫観念のようなものさえ感じます。

 食べ物のようなものは人それぞれ美味しいと感じるものが違って当然であり、ある高名な評論家やグルメと言われる人が「美味しい」と言ったものはたとえ食べてみて美味しくなくても「これは美味しいものなんだ」と思うようにする人さえいるように思えます。私は日本人は「能書で美味を感じる民族」だと思っています。

 じつはこのことは食事だけでなく絵画といった芸術品もそうで、これは素晴らしいと評論家の人が言っているから素晴らしいのだと思い込む。果たして本当にそうでしょうか。評論家の人が素晴らしいと言っても違うかもしれないと思ってみることが出来る柔軟さ、大したことはないと言われるものに魅力を感じることが出来る感性も大事だと考えます。つまり芸術品は人それぞれの感性にある程度任せて好きなように評論してよいのではないかと思うのです。

 これはすなわちブランド志向にも現れているのではないかと思います。ブランド品だからと買ったバッグを自慢げに街を歩く若い女性。何でもいいのですか。有名で、レアで、高いバッグを持っていること自体がステイタスと思い込んでいて、どこか不釣合いな自分の姿は想像できない人たち。これはブランド品だからというだけで踊らされているような気がします。各ブランドは日本に大型店舗を置いています、実は日本人はいいカモであり、金づるになっていることにまだ気がついていないようです。

 自分のステイタスに釣り合う品物、自分に合ったものをじっくりと見極めて買い求め、良い物を長いこと、場合によっては何世代も大切に使っていく。ヨーロッパ人のそんなブランド品との付き合い方をそろそろ学んだ方がよいのかもしれません。

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