HOME>ざれごと録>055 街の景観

055 街の景観

 知らないうちにいろいろな建物ができたり、看板が立っていたりすることがよくあります。よく知っているところなのに何か違っているなと思うとちょっとした建物が変わっているだけでずいぶんと印象が違うこともあります。

 さすがにバブル期ではないので次々と建て替えられたりなんてことはありませんが、それでも着実に街は変わっています。街の景観は都市部分であれば地方自治体がコントロールしていく責任があります。無秩序はあまり楽しいものではありません。

 東京国立市で景観を損なうとして住民がマンション業者を訴えていた裁判は裁判所がそのマンションのある一定以上の階の撤去命令を下すという画期的な判断が出されました。企業の利潤追求のための権利もそれまで培ってきた住民の景観保護の努力による主張にはかなわなかったということです。とはいえ建設を強行してしまい、実際に建物に住んでいる人もいる中で、建物の一部撤去は大変なことです。

 景観を守るというのはなかなか簡単なことではありません。大自然と違ってさまざまな人の財産や権利が絡み合う社会の一部であるわけで、その全体の合意の下に景観を守るためには多少の犠牲は払う覚悟が必要で、景観が与えてくれる精神的な充実度がなければそうした犠牲を積極的には払わないのでしょう。

 守りたい景観を持つ町というのはなかなかありません。歴史的な地区はともかく、現代の住居が連なるところでは少ないでしょう。多くの場合高層マンションのようなものは望みません。緑が多く、落ち着いた雰囲気の住宅がゆったりと並び、道には路上駐車といったものはなく、交通渋滞もないところ。

 イギリスロンドンの郊外にあるチューダー様式の住宅がならぶ街のようなところはまさに落ち着いた雰囲気をかもし出しています。東京でも松涛や成城といったところはそんな雰囲気が感じられます。高級住宅街というのはそうした落ち着きを持っていてだからこそそこが価値があるのでしょう。金銭的な負担も大きいですが精神的に得られるものもそれなりにあるといったところでしょうか。

 日本は特に都市部はなかなかそういった環境にはありません。そうすることも難しいでしょう。でも少しずつ変えていくことができるのなら精神的な安らぎが得られるようになるのならそれは社会の安定につながり、ひいては経済的な安定にもつながるのではないでしょうか。 

戻る