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022 映画のタイトル

 最近、映画のタイトルの中で英語のタイトルをそのままカタカナで書くだけといった安易なものが多く見受けられるような気がします。そしてその中でもそのまま書くのではなく、英語としては文法的間違いになる形に買えられていたりするのです。

 死者の姿を見ることができる能力を持った少年を描いた邦題「シックスセンス」。よく見るとこれはどういう構造なのかなと思うのです。実際には六番目の感覚、いわゆる五感を超えた能力というわけで第六番目の能力なので、「シックススセンス」と成るのが正しいでしょうが、この「スス」というのが嫌いのなでしょうか変えられてしまいました。

 このほかに「シンレッドライン」この「シン」はいったいなんだろうと思ってしまいました。「薄い」という意味の「スィン」でした。「プライベートライアン」日本語で「プライベート」という外来語には「個人的なこと」といった意味以外にはないと思います。わかりにくいのです。

 古典的な映画のタイトルの中には「旅情」「鉄道員」「ローマの休日」「街の灯」「暗くなるまで待って」「ティファニーで朝食を」「太陽がいっぱい」とわかりやすく味わいのある邦題がつけられていました。直訳であっても日本人にはわかりやすく、親しみを感じることができるのです。

 「愛と悲しみの果て」のように原題ではなく日本の担当者が内容を考えながらつけたのかなと思うものもありますが、有名な「巴里祭」は既に人口に膾炙しています。「7月14日」つまりフランス革命記念日でというわけでこの日はパリの市内を軍事パレードが行われ、戦闘機が空を飛びます。昭和8年ルネ・クレール監督の映画「ル・カトルズ・ジュイエ」が日本で封切られることになったとき、「7月14日」という原題ではわかりにくいと、東宝東和映画の方が「巴里祭」と名づけました。ひと悶着あったようで、革命記念日だから「祭」とはなにごとかという反対が専門家からあったそうです。映画に限ることで収まったようですが、日本ではこの日を「パリ祭」と呼ぶようになってしまいました。

 「インデペンデンスデー」を「独立記念日」とするとどう感じ方が変わるでしょうか。「コンタクト」を[接触」と直訳するとどうでしょうか。邦題は直訳する必要はありません。「巴里祭」のように内容から新しく作ることも可能なのです。また日本語より英語のほうがかっこいいと感じる人がまたもや増えていることも原因のひとつでしょうか。映画配給会社の方の知恵とひらめき、感覚に期待したいものです。「おおっ」と感心できるような邦題をつけて欲しいものです。

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