デビルマン鑑賞。
どん どどど でんどん♪


1972年10月21日放送
#15「妖獣エバイン 千本の腕」
演出・落合正宗 脚本・辻 真先 作画監督・尼寺一美 美術監督・福本智雄

明「まったく世の中、ナニが起こるか分からねーや」

買い物の帰り、バスに乗っていた明とミキ、タレちゃんとミヨちゃん。 客が誰も知らぬ中、運転手はバックミラーに写る謎の美女を見る。 …が、彼女は鏡の中にしか見えない。と、突然運転手の腕が自らの意思を 離れ、ハンドルを叩き折ってしまう!トラックと接触、横転。

奇妙な事件は続いた。テレビ局の女子アナウンサーが、生放送の最中に 突然自ら首を締め、自殺。街を行くバイクが発作的に暴走、もちろん 運転していた男は即死。

明は気付いていた。彼らは必ず鏡を通して操られていた。そしてそれは 鏡の国の住人・妖獣エバインの仕業だと。

ついにエバインは名門学園に現れ、アルフォンヌ、タレちゃん、ミヨ ちゃんたちにも魔力を奮い始めた。明はエバインの写る鏡を割り 人間の世界へ引っ張り出すが、逃げられてしまう。

突然出会ったデビルマンに恐れおののき、エバインは逃げていた。 妖将軍ムザンの名を呼び、報告に向かう。それに応じて姿を現した、 次なる幹部・ムザン。ゼノンの親衛隊でもあったデビルマンにとって、 エバインは敵ではない…そう言って、誰しもを鏡の世界に引きずり 込めるカギをエバインに与えるのだった。「鏡の中ならお前の天下、 よもや負けることはあるまいな…」

再戦の勝利を誓うエバインは、牧村家へ。明の部屋の鏡に現れ、 カギを使ってまんまと鏡の世界へ引きずり込むことに成功する。

「レスラーの腕、ボクサーの腕、兵士の腕も、死刑執行人の腕も お好みのままに取り寄せよう…」と不敵に笑うエバイン。デビルマンを 襲う無数の腕。だがデビルマンも負けない。

腕を振り払い、エバインに飛びかかるデビルマン。激しいキックに エバインは角を折られ、自らの目を突いてしまう。最期の叫びを 上げるエバインに、更に無数の腕が恨みがましく襲い掛かってい行った…。

コレ、ガキの時分の記憶だと、すんごい怖いエピソードだった記憶が あったのね。エバイン自身のデザインも好きだし、何より無数の腕が 絡み付いて来るってだけでも、怖いじゃないですか。しかもエバインの声は あのプロメシュームにして演歌の花道来宮良子御大!だが、然る後に 再放送で見た時に、唖然としてしまった。

まあその「唖然」は、恐らく多少大きくなってビデオソフトなんかで この回を初めて見る人にも分かってもらえると思うのだが、とにかく 演出・作画が明らかに脚本の字面を絵に移し変えきれていない、と いう印象から来るもの。

逆に作画がしょぼい分、よくよく見た時に慄然とするような描写が 入っていることに気付かない、っていう最悪の感想を、観客に与えてしまう ってことになってしまうんだなあ。間に合わなかったのか、出来なかったのか は正直分からないんだけど。

まあ、10話「妖獣ガンデエ眼が歩く」の方では、今一つ掴み所のない シルエットの妖獣ガン3兄弟だったんで、落合氏の絵柄と一致していた 部分があったのだろうけど、今回のエバインはメリハリの利いた タッチの作画の方があってたんだろうなあ、森利夫氏が良かったなあ、 というのはデビルマン・ファンなら一致する所だろう。

まあ実験的要素の強い落合・福本コンビの復活ってコトで、美術も含めた プロダクションデザインの話をするなら、10話と同じくドコからが通常空間で、 ドコからが異次元なのか、その境を曖昧にして幻惑する作りが踏襲されている 点はもっと積極的に評価していい。

描写すべき世界がちょっと冒険的過ぎるという気はしなくもないが。 典型的なのが、デビルマンの存在に驚いたエバインが、妖将軍 ムザンを呼ぶ一連。

異次元世界に流れる滝、ソコに潜むムザン。息を吹きかけると滝は 流れを止め、エバインにその姿が見える…という描写。タイガーマスク的 「口を開くとカッコいいデザイン」になってるムザンさまが、いきなり口 とんがらかして息吹いてるのが、かわいくなってしまってるのが惜しい。 …初登場なのに。その滝越しに話すという舞台設定も、ソレをやる意味が 今一つ分からないコトも相まって、「異空間」感を醸すガジェットになり 損ねている。ま、いささか冒険しすぎた、てとこなんでしょうか…。

いやそういう舞台設定になってるてのも、シナリオ見るまで分からないし。

ただまあ、今ほどアニメの絵柄や表現手法が確立されてもなくて、 色々な実験の最中だったということを差し引きつつ、今回見てみた。 加えて、作家ごとの個性を再発見しようという目線も考えたので、 それはそれで面白かったんだが。

順を追ってみましょうか。

冒頭。今までに無いパターンのスタートだ。青黒い闇に包まれた 寺の山門(実は平安京の羅生門なんだけど…)にドラムが乗って いつになく静かなサブタイトル。

なんだなんだ…と思っていると、タレちゃんのナレーションが入る。 渡辺綱(わたなべのつな)の昔話絵本を読んでるんですね。「プロレ スで言うとミスター・ロープ・ワタナベ」なんていうギャグかましつつ。 まあ、豪ちゃんマンガのファンなら基礎知識の部類に入るだろうが、一応。

平安時代、貴族であり武将だった源頼光に仕える「四天王」の一人 (他のメンバーは「マサカリ担いだ金太郎」こと坂田金時に、碓井貞光・ 卜部季武)。頼光の鬼退治にまつわる武勇伝は物語や能などの題材にな っているが、中でも大江山酒呑童子や羅生門の鬼退治は有名だ。

んでもって、ココで引用されてるのは、「羅生門の鬼退治」のエピソード。 渡辺綱が茨木童子の腕を切り落とす話だ。都を騒がす羅生門に棲む鬼を 退治しに行き、腕を切り落として帰ってくる綱。家に閉まっておくのだが、 「見せて欲しい」とおばさん現れ、腕を目にするや茨木童子の姿に戻り、 取り戻して消えて行く…というモノ。

まあ、今回の妖獣は腕を持ってくヤツだよっていう導入なんですな。 今はどうだか知らないけど、かつては結構子供向けの英雄伝なんかに収録 されてて、うろ覚えでも、ある程度誰でも知ってる話だったはず。 ま、古典が権威として何かと持ち上げられ、まだまだ新興メディアの テレビが小馬鹿にされていた時代、昔話をテレビなりに取り込んでやろう じゃないか、と辻氏が「いじくった」結果だと思う。

そこへ事件。

タレちゃんが腕斬り落としたところまで読むと、ミキがその先を 語り始めて、タレちゃん怒る。「先が分からないから、面白いんだろ」 と。で、明が「先が分からないから面白え、か。人生だってそんなもんさ」 なんて、意味深なことを呟く。

まあ先週、「もうコレで帰れない、さすらいの旅路だけ♪」であること を誓ったデビルマンとしては、シャレにならない真実をふと口にした ってところだろうか。そこへミキが「わー、明くん画期的!一瞬先は 闇、どんなコトが起こるか分からないから、面白いのねー」なんて ノンキに返してるが、「あなたも参加するのです」(笑)

事実先週までは標的はミキ、てな話だったが、今回はミキは たまたまその現場界隈にいるというだけ。エバインが悪さしてるところへ 明がいたばっかりに、バトルとなる話だ。

で、みんなが乗っているバスの運転手の腕が、言うことを聞かなくなる。 全体に説明不足に見えるこの回の絵の中、この「言うことを聞かなくなる」のを 説明するカット展開のみが、妙に細かく行き届いている。ココで時間切れに なったんでしょうか。

●バックミラー一杯に女が写る
●慌てて振り返る運転手
●しかしそんな客はいない
●ほっとする運転手、突然腕が動かなくなる
●指折り数を数えながら、平静を保とうとするが、突然意に反して上へ伸びる
●震える腕
●ハンドルナメ、腕が振り下ろされる、砕けるハンドル

この細やかな描写のお陰で、後は鏡にエバインの顔が写るだけで、 「何が起こるのか」が分かるという丁寧な仕掛け。しかも、この間 運転手のセリフは全くない。「う、腕が動かない!」とか「い、今のは誰だ?!」 とかやってしまいそうな所であるが。確かに、文章や口で設定を説明するのは 簡単だが、やはりフィルムとしては、こういう細やかな演出が最も効果的に 必要だと思う。

で、運転手がハンドルを叩き折り(絶対運転手の腕も折れてるよな)、魚の配送 トラックと衝突、ひっくり返る。倒れてる他の人々の中、魚を口にくわえて 「まったくこの世の中、何が起こるか、わからねーや」と呟く明。

この乾いたギャグ感覚は、どうもアメリカンスラップスティックぽい 絵作りも含め、「いいんだけど、何か違う」という違和感がありますな。

ま、落合氏といえばこの前に参加していた作品が『もーれつア太郎』 や『ひみつのアッコちゃん』『さるとびエッちゃん』といった作品 なんで、荒々しいタッチの作画を求められるのがこの後のコト。 『マジンガーZ』や『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』、果ては 『無敵超人ザンボット3』の絵コンテやら『闘士ゴーディアン』の チーフディレクターを勤めておられるワケだが、この『デビルマン』が 転機だったのかもしれない。

まあ、『デビルマン』に限って言うと、単体でこの回を見たときはいいん だけど、他の回とのバランスがつらいだけかもね。まあこの落合節で展開 されてた場合、どうなってたんだろうという興味はあるけども。

事件に次ぐ事件。

バスの運転手に続き、ソレを伝えるテレビのニューススタジオで 女子アナ・浅井が生中継で自らの首を締め、バイクのドライバーが コントロールを失い事故、と続くのだけど、これらの事件がこう言 っては何だが、小粒感伴う。

多分、奪い取る腕に「いわれ」がないのだ。言い換えれば、 「なぜその腕をエバインが奪うのか」ということである。一貫性が ないゆえに、無差別傷害事件といった趣があるといえば言えるのだが、 やはりデーモンの野望である以上、もう少し戦略性があった方が、 デーモン自身のドラマとの相乗効果も期待できたのではないか。

エバインが自ら後半で、

「ハハハ…腕のないアタシには千本の腕がある。レスラーの手、 ボクサーの手、兵士の手も死刑執行人の手も…!」

…カッコいいセリフだよなあ…。能力としてはさほどないエバインには、 こういう手があるのだ!という以上、そういう狙い目で行くべきだった のでは…?

とはいえ、俺の記憶のこの回では、中にそういう「鍛え抜かれた腕を 盗む」シーンがあったのだ。 しかし作品にはない。で、ドコなんだろー…と思うと、マンガのほうにあった。

蛭田充版『デビルマン』と見比べてみる。

俺の記憶の中では、雑誌「冒険王」(秋田書店)に連載されていた蛭田版 のこの回と、相互補完し合って、ビジュアルが形作られていたようだ。 まずは冒頭からしてまったく違う。

蛭田版では、ボクシング試合のシーンから始まる。
挑戦者を強烈なパンチで下すチャンピオン。
勢いに乗って試合後、鏡の前でシャドウ・ボクシングをしていると、 その鏡に美女・エバインが写り、チャンピオンの腕をもぎ取ってしまうのだ。
骨が「ビシッ!ビキ ビキ バリッ!」とかなりイヤな音を上げて折れる。
血を「ボタ ボタ」と盛大に垂らしながら崩れ落ちるチャンピオン。

更に同じような描写を射撃、レーサーのチャンピオンでも繰り返し、 エバインが、「一流の人間の腕を集めている」というカタチにしている。 このレースを見に来ている明が、エバインの仕業だと気付く、という 展開にしていて、テレビに比べて違和感が少ない。

多分この冒頭は、レースが好きだった蛭田氏の改変ではないか、と 俺は睨んでいるのだが、もしかしたら、準備稿段階ではこういった 「いわれ」の部分があって、何らかの理由でオミットされたのかも知れない。 見たワケじゃないので、何とも言えないけども。

蛭田版でも後半の展開は全くテレビと同じで、非常にダイナミック 作品らしい好エピソードになっている。エバインの持つ能力に基づく 恐怖描写が、しっかりとドラマにまで根付いているからだろう。

いや、この回でもお得意の微妙なネーミング技「デビルひじ打ち!」 なんていう雄叫び入れてしまってて、そのステキな語感に読者を酔わせてくれる 蛭田氏。逆にそっちばっかり風聞で拡がってるけど、ことこの回なん てのは、テレビ版より猟奇的でいいカンジなのだよ、諸君。

アニメの方へ戻ろう。

で、落合・福本らしいビジュアル展開が見え始めるのが、エバインがムザンから 相手を鏡の世界へ引き込むカギをもらって、デビルマンと再戦する あたりから。

エバインの起こした事故を1度ならず目にしながら、何もできなかった デビルマンは苛立っている。恐らく自ら鏡の世界へ飛び込む力はデビルマン にないってことなんだろうけど。(だったらエバイン的にはデビルマン に見つからない所で、事件起こしてりゃいーじゃん的ツッコミも成り立つが、 それは言わないお約束)そこへエバインがやって来る。カギをくわえた 顔が妙にかわいい(笑)

明「今度はおかしなカギをくわえてやがる、金庫破りをやろうってのかい?」

というが早いか、鏡叩き割る明。突然光線が明の周りを走り、あたりは 白い光に呑まれて行く。叫ぶ明。

その声を聞きつけて、ミキが部屋へ来るが、10話でいうところの「何もない、 なさすぎる…!」漆黒の空間が広がるのみ。この絵がいかにも、だ。

逆行シルエットで入り口のミキ
〜じりじりと人をイライラさせるパンで徐々に徐々に部屋の奥へ
〜忽然と消えた部屋の空間の中に、割れた鏡が掛かった壁だけが見える…。

通常空間から1カットで異空間へ移動して見せるという手法は確実に追求されている。

で、割れた鏡の中、ゆらゆらと揺れるフィルターワークで、明が 通常空間の外にいることを説明。しかし割れた鏡覗くと、奥に広がる 異空間。はて、するとこのとき明がいる空間てのは、鏡の表と裏の狭間に 当たるのかしらん。

で、名門学園内ではせいぜい人間の1.5倍、ムザンとの2ショットでは 小さく小さく描かれていたエバインだが、飛び込んできた明の前には巨大な姿。 変身したデビルマンよりも巨大。

そこへむき身の腕が次々と襲ってくる。絡み付かれたデビルマンから、 腕一杯の空間をパンしながらエバインの横顔に来る、という1カットも落合氏 らしい。この絵はトラウマものだよ、実際。(コレでエバインがカッコよけれ ばねえ…いやいや)

で、動けないデビルマンめがけて角を突き立てようと迫るエバイン。 危機迫るカットバック…までは盛り上げる。ココでデビルマン、デビル ウィングを出して腕どもを切り裂き、一気に飛び上がる。続いて デビルキックでエバインの角にヒビを入れ、ビームで折ったら、エバイン自らの 目を突く…。

コレなんだけども、蛭田版では…

ウイングまでは同じだけど、その後デビルひじ撃ちで角を砕き、 不敵に笑いながらその角を投げつけて殺してるんですな。こっちの方が ビジュアル的にも、デビルマンという「悪魔の力身につけたヒーロー」的 にも行動原理としては分かりやすい。

もっとも、アニメの方で描かれている「腕に襲われるエバイン」と いう描写はマンガ版にはなくて、その点ではアニメの方に軍配が上がる んだけども。ああ、両方うまくミックスしてれば…!

ただし、よく見ないでぼーっとしてると、角が目に刺さってる所しか 分からなくて「奪われた腕が襲ってる」ていう風には見えない。 もう少しそこは、エバインの魔力が解けて我に返った(?)腕が襲って くるという数カットが加えられてれば、と思う。

名門学園内のドタバタ。

ココは辻氏お得意の「常識に縛られた哀れな大人」的ギャグシーン。 それに答えて落合氏も絵的な工夫をして色々と飽きさせず見せてくれ てるんだけど、現代の目で見るとやや浮いて見えるのは致し方ないか。

本来ギャグキャラのアルフォンヌの手が、エバインによってひょろひょろと 伸ばされるワケだが、同じ形でタレちゃんとミヨちゃんの手も伸びる。 コレはちとこのシリアスなシーンには、いかがなものかなあ。 だって、物語冒頭で、ミキに「おアツいこと」なんて言わせてる、 恋人同士が首を締めあっているという、豪ちゃんチックな戦慄狙い の表現だぜ。

ま、絵的な表現はさておき。

アルフォンヌの腕がするすると伸びて、ポチに殴りかかるが、 ポチ自身はその非常識な事実を絶対に認めない。またその後、エバインが 明の攻撃からの逃走の際に校長室の扉を開け、大鏡の中に逃げ去るさま も冷静に見つめている。廊下でエバインに出会った轟紀世彦が報告に来るも、 微動だにせず冷静に、

ポチ「ワシら同じキチガイなのだ。二人して病院にはいろ。」
轟 「ワシらがキチガイ?!うわーん」
ポチ「前からおかしいと思っていたけど、とうとう本物になってしまったのだ」

…と決して認めない。無論このセリフ自体は今だと、精神障害者への 無用な差別が含まれた描写になるだろう。だがココで意図されてるのは 差別ではなく、目の前に今までにないコトが現れたときに、それを 「異端」と決め付け、絶対に認めない「権威」への嗤いである。 まあこのオチがないと、この学園シーンは締まらないやね。

いずれにしても今回は…

メリハリと猟奇描写が今一つ。特に後半にもう少し枚数をかけて 欲しかった、てのが結論かなあ。やっぱり「奪われた腕」に 重心が来てなかったのが非常に残念。


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