デビルマン鑑賞。
ちゃらっちゃちゃちゃー どん じゃじゃじゃじゃーん♪


1972年9月16日放送
#10「妖獣ガンデエ眼が歩く」
演出・鈴木 実(落合正宗?) 脚本・辻 真先 作画監督・落合正宗 美術監督・福本智雄

タレちゃん「ない!何にもない!なさ過ぎる…」

「ガンデエ〜」「ガンダー〜」「ガンダガン〜」…ヒマラヤにこだまするゼノンの 使い魔たちの呼び声。ゼノンの声がかかったと聞くが早いか、妖獣ガンデエ、ガンダー、 ガンダガンの3兄弟は人間界へ飛んだ。

牧村家に明宛の小包が着く。顔が見えないほど目深に帽子を被り、ハンコも 貰わず去る郵便屋さんに一瞬不審を抱くタレちゃんだったが、小包に心奪われ、 受け取った。牧村家の玄関先で振り返ったその配達人の顔は、巨大な一つ目だ…。

公園を行くアルフォンヌ一家。アルフォンヌが女性の後姿に見とれている。 怒る妻。が、その女性が振り返った時、夫妻は気絶。一つ目の化け物だったからだ…。

無断で小包を開けるタレちゃん。しかしその中には何も 見えない。入ってないのではない。底も見えない何もない 空間だったからだ。箱の闇から巨大な目がこちらを見上げる。 タレちゃんの叫び声を聞いて駆けつける ミキだったが、既に目は箱から消え、タンスの奥に光っていた。

帰宅する明、ふと視線に気付くが、見つけられない。玄関脇の花瓶から覗く目。 ミキに言われ、目玉焼きの焼き具合を見ていたタレちゃんだったが、その目玉 焼きに目が開く。気絶するタレちゃん。

気を取り直して夕食を囲む3人だったが、食卓の スープの中から現れる「目」。ミキとタレちゃんを外に逃した時、その目は 妖獣ガンダガンへと姿を変える。変身し戦う明。ガンダガンはデビルカッ ターを受けつつも、不敵に笑い倒れる。その死体には目がなかった。

翌日学校で、再び目の化け物が現れる。今度はガンダーだ。空中戦の末、 必殺技デビルビームを放つが効かず、続いてのデビルアローで辛くも 勝つデビルマン。しかし今度も体を残して目が消えていた。

デパートの「ぼくの怪獣コンクール」を見に来る明・ミキとタレちゃん。 様々な絵が並ぶ中、一枚の絵から妖獣ガンデエが姿を現す。二人を逃がし 明は変身する。目が3つにょろにょろと伸びるガンデエ。その目一つ一つ が兄弟の本性で、体は失っても復活できる。ソレを利用してガンダガン、 ガンダーはそれぞれデビルマンの能力をスパイしていたのだ。

先に使った技が効かず、羽交い絞めにされるデビルマン。 しかし、そのとき決死の覚悟でデビルビームとデビルアローの合わせ技を 放つデビルマン。思わぬ合体攻撃に3兄弟の目がやられた。デビルパンチで こなごなにされる3兄弟だった。

デパートの「ぼくの怪獣コンクール」にて、 「これ、みんな熊本の子(麦田友房くん)が一人で描いたんだってさ」とタレちゃん。 それにしても一人だったら、「コンクール」じゃないじゃん。 … ちなみに怪獣たちの名前は「ベロクロンサウルス」「キングレッド」 「レッドギドラ」「ギガラ」「ドラコサウルス」「ダック(読みはドック) 星人」「シジル(シジミ汁みたいね)星人」「三本足巨人」。

で、今回はその「熊本の子」が描いたデザイン画の3体を元に起こされた という、妖獣ガンデエ、ガンダー、ガンダガンの3兄弟ネタ。しかしながら オトナの考えるメソッドというか、ある種の定型を離れたセンスが、 悪夢じみたこの神経症的エピソードに実に巧く合致している。

そもそもネーミングもそうだ。「ガンダー」はまあ、『妖怪人間ベム』でベムが変身する 時の掛け声や、『ウルトラセブン』25話「零下140度の対決」登場怪獣の 名前と被っていて納得できるし、「ガンダガン」も強そうでいい語感だが、 「ガンデエ」って何だ、「エ」って。タレちゃん、「ガンディさん」て読み間違っちゃってるぞよ。

視線。

今回は、タレちゃんの設定が見事にハマった狂言回しとして使われている。 臆病な少年がやめときゃいいのに、目と出会うところでドラマが進行する。 大体導入部から巧く出来ていて、子供が一人で留守番している(あ、ミキは いるのか)ところに来た小包。開けよっかな、どうしよっかなてのは誰にでも あることで、そこで開けてみたら…というのは都会の恐怖ってカンジですね。

特に開けた時の、タレちゃんのセリフが絵に対しても凄いことを要求していて、 「ない!何もない!なさ過ぎる…」なんて言ってますよ。で、この 「何もなさ過ぎる」という状態に応えようと描かれた手法が、

●箱の中は真っ暗闇
●画面一杯の漆黒
 〜怪しい光が点り〜大きな目が開きまばたき〜16面マルチで全てがまばたき…

で、ミキが駆けつけた時はちゃんと空箱が描かれているという顛末。見てる こっちも画面一杯の漆黒でタレちゃんと同一化できる巧い仕掛け。

で、実際「目」「視線」ってのは子供から大人まで広く訴えてくる表現だ。 応接間に飾られたモナリザか何かの肖像画の視線が、どこから見ても自分を 見ているという事実に気づいた時、(大人に取っては当たり前だが)その 視線から逃げる術がないことに恐れを感じた…そんなことを思わせる。

その辺の恐怖も巧いこと繰り返されていて、タレちゃんを介抱した後、 ミキも気付かないがタンスの扉が少し開いていて、隙間から覗く目。また、帰宅 した明が一瞬不審に思うも気付かず、その傍らにあった花瓶の花の隙間から目。 ゴシックホラーの常道で、「登場人物たちは気付いていないが、観客は気付いていて、 やがて来る恐怖体験への心の準備をし始める」…という手法。

更に「目」にまつわる表現としては、視聴者の「目」に直接迫る シーンが学校の一連。こちらはモダンなモンタージュ。

タレちゃんの教室では、美留久先生(4話以来の登場)が目の講義。 このカット割りがステキで、まず画面は…
●机の上に目玉が一個
 〜目に対して小さい手がフレームイン、黒目だけを引き抜き
●美留久先生バックショット、生徒たちに解説。

こういう表現は6話のロクフェルにおける、目玉を弄びながら助手が歩いてくる時 のような、学術的なクールさを傍から見た時に生じる、妙な違和感に訴えかける怖さ。 いいですねえ。

続いて目が明の教室に移り、壁からじっと見ているシーン。壁の目に気付いた 明が思わず投げるのが万年筆。コレがぐさっとその「目」に刺さる。インクが 目玉の中心から溢れる…インクを用いているが、このたらーっと垂れるのがまた 痛そうで痛そうで。続いて明はしっかり開いたコンパスを投げる。ガンダーは コレを受け取り、投げ返す。はっしと受け取る明。尖端恐怖症に訴えかける 尖ったものを効果的に使っていて、緊張感が盛り上がります、ハイ。

で、その視線の巧さは最後まで一貫してる。ラストはもう大丈夫ね、と話しながら 家路を急ぐ3人なのだが、またもや街角の看板見てタレちゃんが倒れる…という 始末。もちろんその看板は、眼科の目がまばたきしているという図案。この眼科が 「辻眼科」というナイスなオチだし。

作画的には…

作画監督の落合正宗氏の絵は、俺はどうも「かっこよさ」は感じない。 この回でもアメコミ風のようであり、牧歌的でもある『ひみつのアッコちゃん』 や『魔法のマコちゃん』辺りに通じる、キャラデザインの方向性や動きの作りが、 この作品のカラーとそれほど合っているとは思えないのだが、少なくともこの回 に関しては、案外合致していて、デビルマンがかっこ悪い以外はOKかな…って それはまずかろう。(だから予告だけ見るとちょっと引いちゃうんだよね)

いかにも一枚絵で怖いなっていうのが、コンクール会場で、絵から抜け出した ガンデエ。絵から抜け出した直後から、徐々に巨大化し、こちらにその気持ち悪く 伸びた目を向けてくる。天井につかえ、部屋一杯になるにつれて伏せるようなポーズで 迫る。決して巧くはないのだけど、そのポーズ自体が生理的にイヤゲ。

そういう「巧いわけではないが、それゆえに気持ち悪い」という絵はガンダガン、 ガンダーでもそう。

最初のガンダガン戦では食堂で食事の最中、スープに目が浮かび、 続いて黄色の蒸気を発する。コレ、脚本では蒸発しているらしいのだが、 そうは見えず、硫黄ガスか何かの異臭がしているように見えますな。

で、ガンダガン登場、いきなりおよそ2、30mは跳び上がり、背景も部屋の 壁から異世界風のブルーのバックへ。これ、跳び上がるのに合わせてパン・ アップしてるから、つい見てしまうように成立させてるところがちょっと凄い。 同じ手法は、ガンダー戦でも教室から異世界移動といった趣になっていて 面白い。この背景起こした福本智雄氏の功績か?。

例えば福本氏が美術の他の回では、8話の「イヤモンとバウウ」。ここでもバウウが 異空間を出入りして、前から後ろから攻めてくる表現を取っている。とすると、 この異世界表現は美術側の提案から辿り付いたのでは?それにしてもすこぶるこの回は その辺りの「手続き」がスピーディでいい。

ところで、妖獣自体の表現も良くって、ガンダガンとの初戦でデビルマンが勝つには 勝つのだが、倒れこんでだらんとしたその体を起こしてみると、顔に目がない。 デビルマンの両手で吊り下げられたぬいぐるみのような、その佇まいが気色悪いっすな。

そもそもこいつらのデザインにしてからが、装飾というものが比較的なく、ぬるっと した肌した感覚。近いものっていうと内臓。こう、触るとつかみ所なくふにゃっと してそうな感じがする。こういうヤツラが絡み付いてくる触手感抜群の「いやぁ! さわらないで」的ビジュアルが後味感として残る。

また一方で声でも…

ガンダガンの田の中勇氏(言うまでもないが、「目玉親父」業のあのヒト)が ヒステリックに笑う女言葉で、逆にガンダー(故・つかせのりこ氏の少年役で ない稀有な例)が蓮っ葉な男言葉という落差。さすがにガンデエの鈴木泰明氏 (パパこの回出てないのね)は王道のハンサムな声だが、あの容姿というのがまたステキ。

この声が混じりあいながらゲラゲラ笑って、デビルマンの翼を握り、 腕に絡みつき、ベルトの口をふさぐというクライマックス演出のセンスは ちょっとマネできんです。

…この回に限って「鈴木実」の正体が分からない、 と『デビルマン解体新書』にはあって、作画監督の落合氏ではないか、と 結論付けている。ココまで書いて来たビジュアルも含めた一貫性が計算された ものだとすれば、案外その可能性は高い気がするなあ。

その他色々覚え書き。

▼アルフォンヌの謎。
ナニはともあれ、1話から東大寺入郎のセリフで触れられながら、明かされてこなかった、 アルフォンヌ・ルイ・シュタインベック3世先生の知られざる妻と息子が姿を見せる唯一の回。 ちゃんと家庭サービスをしてるのだね。明らかにカカア殿下であるノダ。

▼職務に忠実なエレベータガール。
これまた脚本の指示か、演出のこだわりか、その両方か、エレベータの 一連の演出がスキ。ガンデエ出現で人々が逃げ惑いながら、エレベータに殺到。 押し合い圧し合いするところへ、更に明が渾身の力でミキとタレちゃんを押し込む。 「満員でござーィまーす」なんてエレベータガールは職務に忠実な声で対応、 「わかってらい、んなコトっ!」と怒る明といいコントラスト。

で、ガンデエが屋上に昇りエレベータを落とそうとするが、それを防ぐデビルマン。 ワイヤーを手で引き上げ、ゆっくりと下ろす。ソレを後ろからただただ蹴りまくる ガンデエの戦いを楽しんでるカンジもいいが、思わず手を滑らせ、手の皮をはがす デビルマンが痛々しい。『タイガーマスク』で、ロープをタイガーの手を挟み、 そのまま一緒に走って手を裂こうとするグレートのやり口と並んで、思わず自分の 手を握ってしまうぞ。

その駆け引きのお陰でエレベータも翻弄され、デビルマンの手をするすると 滑り出すと、また客が「わー」「落ちるぞ」「止まれ」なんて口々に言っているが、 そこへエレベータガールが「直通でござーィまーす」

しかし何とかかんとか無事ランディングさせたデビルマン。エレベータガールは、 「着陸しました。奇跡の生還、みなさまおめでとうござーィまーす♪」である。

▼オチの謎。
全ての技を封じられたデビルマン、どうやって逆転するのか…?ってのは、 この回を見る全ての人が興味あるワケだが、画面上はどう見ても上記のあらすじ の通り、デビルビームとデビルアローの合体技にしか見えないだろう。 超音波と雷を合体させるとなぜ、3兄弟が「まぶしい!」と悶絶するのか …それが疑問だが。

「ロマンアルバム・デビルマン」(徳間書店)をお持ちの方は参照して欲しい のだが、ココで紹介されているあらすじでは、「デビルマンの目にバックの ネオン塔が映った。ネオンを爆発させ、そのまばゆい光でガンデエの目を 潰すことを思いついたのだった…」というくだりがある。なるほど! やっぱりこいつら倒すには、強い光を見せて目くらまし掛けるしかないもんな。

ちなみにこのロマンアルバムの面白さはこういうところにあって、 後に『解体新書』で「9話は高久脚本」と新発見のように書かれていたが、 実はロマンアルバムの放送リストで既にそう書いてある。ロマンアルバム のデータの種本は、多分東映倉庫に眠るシナリオ群だったのだ。 だから、9話のクレジットミスに逆に気付かず、フィルムでは納得行かない ガン3兄弟の正しい(?)倒し方も意識せず、あらすじに入れ込めたのだ。 (とはいえ一方では、シナリオにあったはずの、イヤモンの術を解く方法について の記述はロマンアルバムにはないので、「多分」なのだが)

ところで…

この回の冒頭現れるゼノン様は、唯一あのマンガ版デザインにベルトを着けた、 NG版デザインでの登場。落合正宗氏の『デビルマン』初参入&ロックアウトのごたごた 中、てなことを考え合わせると、キャラ設定書の一部がNG版と間違って届けられたのではない だろうか?お陰で妙なもの見られて、こちらは嬉しいのだけれど。

※ちなみにキャラ設定書はNGとなった最初のものと、修正を加え、キャラクターの 等身をやや上げたり、表情を少しギャグ振りからおとなしくしたものの2種存在する ようだ。それにしてもオープニングのデビルマンと、各話作画監督のデビルマン では主に顔のパーツが随分違っているようだが、これは更に設定書が存在するという ワケではなく、小松原氏が描き慣れていく中で、さらに進化した模様。


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