お城の用語集

お城の用語集

あいづめいし【間詰石】

石垣の積み石の隙間に詰められる石。

いしおとし【石落】

石垣などを登ってくる敵兵を撃退するために、天守や櫓などの壁面に下向きに作られた隙間。名前からすると石などを落下させるイメージが浮かぶが、実際は弓矢や鉄砲を下向きに撃つためのものだったと言われている。

いしがき【石垣】

耐久性・防御力・見栄えなどを高めるために、天守や櫓、塀などの土台に石を張った建物基部のこと。崩れやすい土塁よりも耐久性が高い。石の加工度合いとその積み方によって、野面積み・打ち込み接ぎ(はぎ)・切り込み接ぎの種類がある。 ⇒ 類語 「野面積み」 「打ち込み接ぎ」 「切り込み接ぎ」

いんきょ【隠居】

家の当主が跡継ぎに主の座を譲ること。自発的なものと、上からの命令によるものとがある。

うちこみはぎ【打ち込み接ぎ】

石垣の積み方の一種。岩石の形をある程度整えて積み上げ、できた隙間には小さい石を打ち込む方式。最も広く見られる積み方。

おおてぐち(おうてぐち)【大手口(追手口)】

城の表口。正面玄関である大手門(追手門)のある入口のこと。

おおてもん(おうてもん)【大手門(追手門)】

城の表口にある、正面玄関にあたる門。城下町の発達した近世以降は、繁華な街道筋に面して造ることが多かった。

かいえき【改易】

領内統治や役目上の失敗などで、罰則として幕府から領地を召し上げられること。大名家としての存続が途絶える。跡継ぎがないまま今の領主が亡くなった場合もその対象となる。改易を避けるために大名家と幕府重職の間に様々な慣行もあった(領主の死をしばらく隠しておいて、その間に急遽養子をもらってきて跡継ぎにたてるなど)。

からすじょう【烏城】

岡山城(岡山県)の別名。「うじょう」とも呼ばれる。天守の黒い板張りからつけられた別称。松本城(長野県)もそう呼ばれることがある。

きょうとしょしだい【京都所司代】

京都に置かれた幕府の役職。京都の街の治安や統治、朝廷の監視、幕府と朝廷との連絡、西国大名(西日本の大名)の動向の監視、畿内五国(大和・山城・摂津・和泉・河内)の民政の監督など京都市中以外にも仕事と責任の範囲は広かった。京都所司代の次には老中にすすむ人もあるぐらいの重職であった。譜代大名が務める。

きりこみはぎ【切り込み接ぎ】

石垣の積み方の一種。岩石どうしの接する面を直線に加工し、隙間なく積み上げる方式。一番新しい積み方。加工に手間を要する。江戸城、大阪城など幕府所有の居城に多用された。幕府の権威を示すため、巨大な石を綺麗に加工し、門の石垣のそばに使用することもある(大阪城の『蛸石』など)。

くるわ【曲輪】

石垣・土塁・塀などで分けられた城郭内の区画。天守や御殿のある中心区域を「本丸」、城主家族などの住居や重要施設のある区域を「二の丸」、それを取り囲む防御施設のある区域を「三の丸」というふうに、中心部から外へ離れるにしたがって本丸から順に名を変えて呼ぶことが多い。本丸を中心に同心円状に配置されたり、隣接して区分けされたり、それぞれが独立した区画を持ち、通路によって繋いだりと城によって様々だが、本丸が中心部であることに違いはない。

げんぽう【減封】

領内統治や役目上の失敗などで、罰則として幕府から領地の一部を召し上げられること。転封(てんぽう)を伴うこともある。

こうらいもん【高麗門】

本柱2本と門の内側に本柱に並行に立てた2本の控え柱から構成される。本柱上に切妻屋根がのり、控え柱にも門の内側向きにそれぞれ屋根がのる形式。朝鮮出兵の折り、日本の軍勢が設計した門のためこの名がある。当時の門のなかでは最先端の造りとされていた。

こくだか【石高】

大名などの領地の経済規模・国力を示す基準。水田のほかに畑・山林・屋敷地なども、一定の換算法で米の獲れ高に置きかえて示した。一年間に「米にして何石分の収入が見込める領地を支配しているか」という意味である。一石は米約150kg(米俵2.5俵ぶん)。米の場合は、通常玄米で換算した。ただ公式の検地を行った時点での計算であり、実際は開墾や農業技術の向上、あるいは交易や特産物などの収入もあり、あくまで目安にすぎない。そのため表高(おもてだか)・草高(くさだか)とも呼ばれる。諸条件を加味した本当の経済力を実高(じつだか)と言い、区別することもある。大名家の収入は年貢率に応じて、通常石高の4〜6割程度である。家臣に禄(給与)として分け与える領地や米もある為、大名自身の収入は実質、石高の1割程度しかなかったと言われている。

さま【狭間】

土塀や櫓の壁に開けられた、銃や弓矢を放つための小窓。銃眼。丸型・正方形・縦長長方形・三角型などがある。丸型・正方形・三角型は火縄銃用(鉄砲狭間)、縦長長方形は弓矢用(矢狭間)である。鉄砲は膝をついて撃つため鉄砲狭間は低い位置に、弓は立ってひくため矢狭間は高い位置にあるのが普通。丸い狭間を丸狭間、三角の狭間を鎬(しのぎ)狭間と区別して呼ぶこともある。また普段は穴を壁土でふさいでおき、有事の際に開けて使用する『隠し狭間』というものもあった。徳川幕府系統の城(江戸城、大坂城、名古屋城など)は全てがこの隠し狭間だったという。殺風景な狭間を隠すことで天下の将軍家にふさわしく優雅で品位のある城郭に見せようとしたこと、大名の戦闘心を無用に刺激しないようにしたことがその理由である。

しっくい【漆喰】

消石灰を主原料にした壁塗りの素材。防火素材でもあった。土壁に比べると耐水性にすぐれてはいたが、風雨によって劣化するため頻繁に修繕する必要があった。

しゃちほこ【鯱(鉾)】

頭が虎で胴体が魚の想像上の生き物『鯱』をかたどった飾り。城の守り神として天守の頂部につけることが多かった。避雷針の役目もあったとされる。

しょいんづくり【書院造】

平安貴族の住居であった寝殿造から発展した住居形式。室町時代に生まれ江戸時代に完成した。床・棚・付書院・帳台構を設ける。柱は角柱で、畳を敷き、明り障子、襖(ふすま)、雨戸を備える。武家の住居として発達し現在まで和風建築の基本となっている。武家屋敷の場合は領主など位の高い人間が座る、一段畳が高くなった『上段の間』があることが多い。通常は掛け軸をかけた床の間や違い棚をもつ、典型的な和室を想像するとよい。

じんばおり【陣羽織】

戦いの折、陣中で鎧や具足の上から羽織った衣服。絹や羅紗、ビロードなどで作った。袖のないものが多い。室町時代に日本を訪れたスペイン人やポルトガル人の衣服を模倣したと言われる。

じんや【陣屋】

周囲を簡単な堀や柵、塀で固めた戦闘に耐える屋敷。とくに五万石未満の大名は収入が小さいこと、徳川将軍家の新規築城への厳しい統制などの理由により、城の代わりにこの陣屋を本拠として構えることも多かった。全ての大名が城を保有していたわけではない。

たしだかせい【足高制】

身分の低い(=収入の少ない)武士が能力を買われて重要な役職につく時、不足する経費を補う意味で役職についている間だけその役職に見合った禄高(武士の給与)を補う幕府の制度。役職(『○○奉行』など)ごとに職禄(その役目に見合った経費+給与)というものが決められていて、それに足りない分だけ補填される。八代将軍吉宗が創設したと言われる。武士の禄高には役目に関わる経費が含まれていると解釈されるため、禄高の少ない下級武士を重職に抜擢するには特別な制度が必要だった。身分の枠を超えて有能の士を取り立てるために作られたもの。

だっぱん【だっぱん】

自らの意思で、仕えている大名家の家来を脱してどこにも所属しない身となること。身分の縛りのきつい江戸時代においては、家来が一方的に主君を見限った裏切り行為とみなされる為、捕まれば通常死をたまわるほどの厳罰を課せられた。役目などを除き、武士は届出をして上役の許しをえない限り自分の屋敷を離れることはできない。幕臣などは夜間きまった時刻までに帰宅していなければそれだけでお咎めを受けたという。平和な時代が続いていても、武士はいざ事あるときはすぐに出動する備えでなければならないという建前であり、外泊さえ自由ではなかった。

たもんやぐら【多聞櫓(矢倉)】

通常の櫓を横に長く伸ばした施設。城門付近や堀沿いなどに築かれた。兵士が大勢詰めることが可能であり、城壁と兵舎の役割も兼ねる。防御力は非常に高い。

ちぎょう【知行】

武士が俸禄として与えられた領地のこと。石高であらわされる。年貢率によって実際の収入は変わる。これを『知行取り(ちぎょうとり)』という。これに対して領地ではなく直接米で俸禄を与えられることを『蔵米(くらまい)取り』という。この場合は俵数であらわされる。切米(きりまい)取りともいう。1石は約2.5俵のため、平均的な年貢率である四公六民で計算すると、100石の知行取りと100俵の蔵米取りは実質の収入は同じになる。実際は知行取りは領地経営のコストや不作のリスクがあったため、その分だけ収入面では不利だったとも言われる。ただし領地経営を任されている(=領地経営の能力があると認められている)建前となるため、同じ収入であれば武士としての格は知行取りのほうが上である。

てんしゅ(かく)【天守(閣)】

城の中心部に建てられた、通常3層以上(屋根で区切られた外壁が、下から数えて3枚以上ある)の建物。城のシンボルであるとともに、戦時には司令部と物見櫓の役割を果たす。平時は閉鎖されており、城主をはじめ人が立入ることは稀である。例外が天守を持つ城を初めて築いたと言われる織田信長。信長は普段から安土城の天守に起居していたという。

てんぽう【転封】

徳川幕府の意向によって、大名が別の領地へと移ること。領内統治の失敗などで罰則として行われることもあった。

とざまだいみょう【外様大名】

関ヶ原の戦い以降に徳川家康の臣下に入った大名。戦国大名から続いた家がほとんど。もともと徳川家とは対等の地位にあった大名家も多く、数十万石を越える大大名も存在していた。ただ地理的には江戸から遠い地に領地を与えられ、常に幕府の警戒と監視の対象であり、基本的に幕府の重職にも就くことはできなかった。

どるい(どい)【土塁(土居)】

土を盛って高くつき固め、堀の背後などに張りめぐらせた防御線。その上に土塀を築くことが多い。会津若松城・盛岡城・弘前城など少数の例外を除き、石垣に適した岩石の少ない東日本で多用された。土塀を備えることが多いため、巧妙に築いた土塁は防御力において石垣と大差ないといわれる。ただし崩れやすいため耐久性では石垣に劣る。

のづらづみ【野面積み】

石垣の積み方の一種。使用する岩石をほとんど加工しないまま、石垣として積み上げていく方式。一番旧い積み方。加工しないだけに積み方に技術を要し、見た目の無骨さとは裏腹に強度は高かった。

はたもと・ごけにん【旗本・御家人】

徳川将軍家の直属の家臣のうち、知行(禄高)が1万石に満たない者をいう。基本的に江戸に住む。将軍に御目見え(将軍に面会)できる直属の家臣を『旗本』、できない家臣を『御家人』と呼んで区別する(御目見えと言っても重職にでもつかない限り、一般の旗本が将軍と言葉を交わしたりその姿を直視することは基本的にできず、儀式などの折に「将軍と同じ部屋にいることが許される」というほどの意味である)。旗本は大名より下だと思われがちであるが、大名は征夷大将軍である徳川将軍家の直属の家臣という扱いのため、おなじく将軍の直属の家臣である旗本や御家人は、大名と立場上同格である。たとえトラブルがあったとしても、旗本や御家人の屋敷に大名家の家臣が許可無く押し入るようなことはできなかった。また3千石級以上の旗本であれば幕府の各奉行職にもつく為権威があった。大名家もとくに旗本には気を遣い遠慮した。旗本自身もそれを自覚し、誇りは高く大名家の風下に立つことをよしとしない気風があった。

はん【藩】

大名とその家臣団が支配する領域、そして行政機構などをひとつの国家に準ずる概念で読んだ名称。江戸時代後期まで藩という呼び方は一般的ではなく、大名家の名前をとって「○○様御領内」や「○○様御家中」などと呼ぶことが普通だった。大名家の主としての大名の一般的な呼び方にはいくつかあり、藩主のほかに国主、城主、領主がある。国主は旧国(丹波国、越前国などの旧国名を冠する領域)一国以上を領地とする大名を、城主は国主ではないが城を持つ大名を、領主は国主でもなく城も持たない大名(陣屋を本拠とする)をそう呼ぶ。藩主はそれらの違いを考慮せず全ての大名のことを指す。

ひらやまじろ【平山城】

それほど険しくはない小高い丘陵地などに築かれた城。主な城では、姫路城、彦根城、熊本城、仙台城などがそうである。

ふだいだいみょう【譜代大名】

関ヶ原以前から徳川家康の臣下として働いた大名。戦国大名もいたが、徳川家の直属の家臣が褒賞を得て大名化したものも多かった。交通の要所および関東付近に多く領地を持ったが中小の大名が多い。家格と大名自身の能力によって幕府要職への道が開けていた。
 ⇒類語 「外様大名」

へい(どべい)【塀(土塀)】

防御のために石垣や土塁の上に築かれた漆喰や板で作られた壁。近世以降の城郭では漆喰塗りや漆喰の上から板を張ったものが多かった。狭間を設けて敵兵を狙い撃ちする構造になっている。城郭の防御線の主力であり、江戸城など巨大な城では塀の総延長が10kmを越えたものもあるという。多くは明治時代に壊され、現存のものは少ない。

へやずみ【部屋住み】

大名の息子だが、相続権を持たない者のこと。多くは現役大名の次男以下。嫡男(相続権を持った男子)に万が一のことがあったときのスペア的な扱いであり、嫡男が安泰であれば、ほとんど用がない。そのため他の大名家や旗本・御家人の養子や自国の家臣の跡継ぎとしてもらわれることが多い。そうでなければ厄介者(やっかいもの)と呼ばれ居候のような扱いであった。嫡男よりも優秀であれば家臣にかつがれ、お家騒動の種となることもあった。

ほり【堀(濠・壕)】

敵の前進を阻害する為、城の周囲を一定の幅で掘り下げた防御施設。水を湛えるものとそうでないものがあり、前者を水堀(濠)、後者を空堀(壕)という。本丸を中心として同心円状に何層か張りめぐらすのが普通であり、本丸に近いものから「内堀」・「中堀」・「外堀」という。「中堀」のない城も多い。

ほんまる【本丸】

城主(藩主)の住む本丸御殿や天守が置かれた城の中枢区画。

ほんまるごてん・ごてん【本丸御殿・御殿】

城の中心部の本丸にあり、城主(藩主)が政務をとったり日常生活を送った屋敷。役人が詰める政庁の役目もあった。天守とともに城の中核をなす建物だが、平時は天守を使用しない為、本丸御殿こそがその城の心臓部と言ってもよい。

ますがた【枡形】

城門の前に設けられた、周囲を石垣や塀で囲んだ四角い区画。侵入した敵を城門で食いとめておき、周囲から射撃して殲滅するためのものである。枡形へ通じる通路は直前で大きく曲がっていることが多く、侵入する兵からの見通しが効かない構造になっていることがほとんど。

やぐら【櫓(矢倉)】

屋根つきで中に兵が入ることのできる防御施設。門や石垣の上など、城内要所に置かれることが多い。食料弾薬などの貯蔵庫としても使われる。戦時には侵入した敵を内部から監視し、狭間や窓から攻撃を加える。屋根や外壁のないむきだしの物見台・射撃施設から発達した。
  ⇒類語 「多聞櫓」

ようし【養子】

大名や旗本は跡継ぎにふさわしい直系男子がない場合、交際のある他の武家から養子として男子を貰い受けることも多かった。大名間はもちろん、大名と旗本の間での養子も行われた。養子として出す側には家の体面があり、貰う側は次の当主となるので、基本的に優秀な者が選ばれる。また本人も他の家に入るのであるから、良い当主であろうと努める傾向があった。江戸期の優れた大名には養子で入った者が多かったが、こうした背景があった。養子相続は頻繁に行われたので、戦国大名の末裔といわれる大名でも、幕末ともなれば実際は先祖の血をひいていない者もいた。

よこやがかり【横矢掛かり】

石垣・土塁・塀の一部を屈曲させて、敵兵を側面や背後からも射撃できるように設けられた区画。一直線の石垣や塀ではどうしても死角が生ずるため(特に尖っている石垣の端など)、一部を湾曲、屈曲させて射界の死角をなくし、縦横から砲火を浴びせられるように工夫したものである。

らしゃ【羅紗】

羊毛でできた、厚手で高級な毛織物。

参考文献:
『城録』  小和田哲夫監修
『城郭の見方・調べ方ハンドブック』  西ヶ谷恭弘編著
『城のつくり方事典』  三浦正幸著
『広辞苑 第4版』   岩波書店    『旺文社 日本史事典 3訂版』     旺文社



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