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私が一番好きな長編小説です。舞台は古代ローマ。皇帝の弟の子として生まれた主人公のユリアヌスは、感受性が強い内気な少年でした。その頃の皇帝は、歴史の教科書にもその彫刻がよく載っていたコンスタンティヌス帝でした。コンスタンティヌス帝は猜疑心と権力欲の強い人物として描かれていて、皇位継承の可能性を持つユリアヌスはうとまれます。 ユリアヌスには権力への執着はありません。そんなことよりも、哲学的な思索をしたり、愛する人とつつましく生きたかったのです。身分の区別なく、陽気な学友や愛らしい街の踊り子などと親しくつきあい、宮廷での生活にはなじめません。ですが運命とは皮肉なもので、そのユリアヌスがローマ皇帝の座につくことになります。 ここまではよくある話です。最高権力者でありながら政治をかえりみず芸術に溺れて国を傾けるなどという人物は、日本の歴史などにも見られます。 ユリアヌスはそれでも、自分の立場と責任から逃げることがありませんでした。悩みながらも政治に取り組み、辺境の異民族との戦争にも立ち向かったのです。それがこの物語を美しく芯の通ったものにしています。運命と誠実に向きあったからこそ、ユリアヌスと彼が愛した人たちの姿が、はかない美しさで浮かびあがってくるのです。 著者の文体は細かい情景を流れるように描くのが特徴です。この作品も文体と物語の構成により、ただ内容の面白さだけではなく水晶のような美しさがこころに残ります。私は辻さんを、面白さと美しさを両立できる稀有な作家だと思い尊敬しています。 |