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また戦争もので申し訳ありません。いま日本版NSCが政治的な話題に上っているので、載せました。この本は戦争とはいっても『インパール』とは違い、前線の戦いの悲惨さを描いたものではありません。タイトルの通り、著者は旧陸軍の参謀を務めた人物であり、作戦立案の立場から戦争を考えた本です。『インパール』で判断を誤った司令部や軍上層部がなぜ道を誤ったのか、その理由の一端も明らかになっていきます。 大東亜戦争とも呼ばれる昭和初期の一連の戦争のなかで、特にアメリカとの戦争では、日本の敗因を「総合的な国力」、つまり「物量」や「技術力」の差に求めるのが一般的だと思います。たしかにそれは真実をついていると思います。 ただそこに原因を求めるならば、戦争遂行にかかわる他の要素、作戦立案や実行、戦況分析などの面でアメリカと対等以上にわたりあったという前提が必要です。しかし日本は情報収集やその分析においてもアメリカに大きく劣っていたことがこの本で明らかになっていきます。つまり日本はハード面だけではなくソフト面でも負けていた、負けるべくして負けたということができます。 日本人は自らを真面目でお人よしの民族と思っています。それはおおむね正しいと思います。ですから情報戦で負けたと聞くと、正直に闘いすぎて、策謀にたけたアメリカに敗れたという印象を持たれる方も多いかと思います。 しかしこの本を読めば戦争での情報に対する姿勢はその反対で、膨大な人員と手間をかけ、砂の山から一粒の金を見つけるようなコツコツとした努力を続けたのがアメリカであり、奇策や手前勝手な状況判断(判断といえるのか・・・ 思い込み)に頼って相手を出し抜こうとしていたのが日本だという構図がうっすらと見えてきます。 本書ではありませんが、アメリカと戦争中にもかかわらず、夜の7時にもなれば海軍省の電気が全て消えていた(つまり定時で仕事をやめて帰っていた)というエピソードもあり(吉田俊雄氏の著作)、本来情報に命運を託さなければならないはずの弱者である日本が、その努力を怠るという状況に陥っていたのです。 もちろん情報収集や分析が全くなかったということではありません。情報の収集・分析にもある程度の力は注がれていました。防諜(ぼうちょう:他国が自国の情報を盗むのを防ぐ行為)に関しては、日本海軍の暗号は戦争途中からアメリカに解読されていたようですが、陸軍の暗号はかなり堅固なもので、最後まで解読はされていなかったようです。しかし堅固だけに暗号文の作成と伝達に多くの人員が必要で、その分戦闘のための要員が削がれたという話があります。 それにいくらこちらの暗号が守られていても、戦争後期には戦力の圧倒的な差やワンパターンと化した日本陸軍の戦術(夜襲の多用など)から作戦意図はアメリカ軍に読まれてしまっていました。 日本軍のなかにも正確な情勢判断を示すことのできる見識ある軍人もいました。ですが作戦立案部門が最も巾をきかせていた日本軍では、情報部門は一段低い位置に見られていました。そのため作戦を立案する参謀達の都合でせっかく集めた情報も都合良く解釈されたり無視されたりすることが多く、実際には作戦や軍政に有効に反映されることはまれだったのです。 そのような状態に陥った原因が何にあるのかは本書でも書かれてはいませんし、諸説あるところでしょう。アメリカは日本が地道にどう頑張っても勝てない相手、考えれば考えるほど勝てないことがわかってくる。だが極東の大国としてのプライドが許さない。そうして進退きわまったあげくに現実から目をそらし、地道な努力を放棄して都合のよい解釈に逃げる性癖がつくられていったのかもしれません。 これも本書の内容とはややずれますが、旧陸軍の最大の仮想敵はソ連でした。対ソ戦の研究は明治からずっと陸軍の最大のテーマでしたが、その対ソ戦研究の中でも現実無視の傾向が現われていました。 情報とその分析にもとづく正しい決断は今も重要であることは間違いありません。そして情報に対する姿勢の甘さも変わってはいないように思います。ただ判断を誤らせる原因は戦前と現在では異なるようにも思いますが・・・。 戦前の日本の置かれた環境は今とは全く違いました。経済力は弱く、技術も欧米諸国に劣り、同盟関係にある欧米の強国もない。つまりどこにも頼れないなかで強い国と張り合って(その必要があったかどうかは別として)いかなければなりませんでした。その孤独感と焦燥感が日本の判断を誤らせたともいえますが、今はそのような状況にはありません。経済は成長し、技術力は世界のトップレベルであり、領土に関するいざこざがいくつかあるにしても日米同盟によって世界最強の国とタッグを組んでいる安心感。反対に危機感の薄さが日本の弱点となっています。 いずれにしても情報が変わらず国家としての日本のウィークポイントであることは間違いありません。ただ情報活動とはどこかのスパイ物語のように華々しくかっこのよいものではありません。情報部員は自分の人生を24時間隠し身を危険にさらすことになります。ほとんどの楽しみをあきらめ、人生を捨ててかかる必要があるのです。それは職人的な芸や華々しい活躍物語などではなく、極めて地道で苦しい作業だということも知る必要があります。 いくら優秀であっても、「おい、今度アメリカみたいな情報部を日本でも作るぞ。だからお前情報部員をやれ。俺もやる。」みたいな軽い感覚で行えるものではありません。また集めた情報から最善の判断を下す能力もすぐには育ちません。だからそんな機関は日本には要らないという意見も間違いではないと思います。ただそうした活動によって国民全体が救われるケースがあることは否定できません。だからこそ国家にとって情報がいかに大切かを知っておくことに意味はあると思うのです。 |