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「インパール」  高木俊朗著   文春文庫

 太平洋戦争の一作戦を描いた作品です。残念ながら絶版のようです。なぜすでに絶版の、しかも戦争を題材にした作品を選んだのか。それは尖閣諸島など領土をめぐる問題が起こり、日本の前にふたたび戦争の可能性があらわれてきているからです。

この作品では戦争は必要だあるいは認めないなど、戦争の可否について著者の意見が直接示されているわけではありません。ただ日本軍の行った一作戦の描写を通じ、戦争とはどういうもなのかを私たちが考えるための機会を与えてくれているだけなのです。

第二次世界大戦期間中の日本は、アメリカと闘ったという印象が強いですが、アメリカの他に中国、イギリス、オランダなどとも同時に戦争を行っていました。

以前から中国と戦争状態にあった日本は、対米開戦後まもなく、中国への物資補給ルートとして重要なイギリス領ビルマ(今のミャンマー)を占領します。

ですが戦況が悪化するにつれて、ビルマに対するイギリス軍の圧迫が強まります。そのような状況下で、ビルマに駐屯する第15軍司令官が戦況打破のためにある作戦を立案します。それがこの作品で描かれている『インパール作戦』でした。

インパール作戦の主旨は、ビルマと国境を接するインド東部にあるインパールという街を攻略することでした。目的は大きく分けて二つありました。ひとつはビルマの防衛を確実なものとすること。そしてもうひとつは、イギリスにとって重要な植民地であるインドの一角を占領してインド独立の気運を高め、イギリスの戦争遂行の基盤を殺ぐことでした。

ですが作戦には大きな障害がありました。問題は補給そして進軍そのものでした。インド・ビルマ国境には3千メートルを越える道なき山脈が連なっています。40キログラムをこえる標準装備を身につけた兵士が様々な兵器を携えて進軍することは困難でした。またすでに制空権を失っていた日本軍は、空からの攻撃と途中に控えるイギリス軍の抵抗を排除しながら進まなければなりません。食糧や弾薬を十分に送ることも不可能に思われました。

現地の参謀や東京にいる大本営の参謀などもこぞって反対しました。補給が不可能と判断したからです。日本陸軍は伝統的に補給を軽視する傾向がありましたが、その参謀が反対したのですから、相当に無理があったのでしょう。そんななか、作戦立案者である牟田口司令官だけが強硬に実施をとなえ続けました。

様々ないきさつを経ながら、作戦は実行に移されていきます。その過程は本書に詳しいのですが、軍高官の狭い人間関係の中で、なし崩し的に作戦は承認されていきました。

軍の司令官や参謀は、自分の命令で数万もの兵士の命を左右する立場にあり、是を是とし非を非として決断しなければなりません。にもかかわらず、保身や軍部内でのお互いの関係を円滑に保つだけのために一司令官の功名心から出た作戦を容認する。自己保身と数万の命を交換するということが行われたといっても過言ではありません。

予想どおり作戦は困難を極めました。それでも日本軍の将兵は、大変な苦労をしながらもインパールにせまります。重い弾薬や大砲などを必死で運びます。兵器の質量ともに優れ補給も十分なイギリス軍の反撃で損害も続出しました。また熱帯特有の雨季にも苦しめられました。

日本軍の補給物資はほとんど届きませんでした。しかし司令部からは幼な子を怒鳴りつけるようにして前進の命令が繰り返されました。飲まず食わずの将兵達は弾よけに掘った穴のなかでスコールにうたれ、武器弾薬を敵から奪いつつ、飲まず食わずで絶望的な戦いを繰り返すしかありませんでした。

そのような状況下で、前線の将兵の中からも責任を果たす為あるいは部下や仲間を守るために勇敢な行動をとる者と、恐怖や自分の命惜しさに卑劣な振る舞いをする者とが出てきます。

その後も日本軍は大きな損害を出しながらインパールの手前まで進撃しますが、やがてその奮闘も力尽きます。ようやく退却命令が出されますが、たどってきた険しい道をまた戻らなければなりませんでした。病に冒され、傷を負い、体力を消耗した将兵たちの多くが倒れていきました。後に退却の道のりは『白骨街道』と呼ばれるほど悲惨なものでした。

病気になればベッドの上で安静にしているだけでも苦しいのに、食べ物も飲み物も満足になく、傷まで負っての退避行です。敵軍も追ってきます。力尽きたのか絶望のあまり自ら身を投げたのか、崖から落ちていった兵士も多かったということです。

厳しい状況で本当の人間性がはっきり出るとよく言われます。そのような状況に耐えられるだけの強さを持てとも言われます。それは本当のことでしょう。たしかに前線の将兵のなかには戦闘の過酷さに負け、自分の人間性を売り渡した者もいます。ですがそれを軽々しく断罪してもいいのでしょうか。もし戦争がなければ、善き一市民として周りの人に好かれて平和に暮らせたかもしれません。戦争であっても有利に闘えれば、勲章のひとつでももらって勇敢な兵士として帰国できたかもしれないのです。

自国が軍事的に脅かされれば闘うのは当然です。闘わないとより悲惨な結果が待っているのですから。しかし戦争は、多くの人々の生活と命を犠牲にするというだけでなく、人間のなかにひそむ本当なら見なくても良かった悪魔を呼び起こすという非情さも持っています。政府や軍の指導層は、戦争を何とか最後まで避けようと努力することはもちろん、それが避けられない場合に悲惨な状況を生まないようにする努力を怠ってはいけないと思います。

多くの将兵を失い作戦は失敗に終わったにもかかわらず、牟田口司令官はじめ参謀達のなかに責任を取ろうとする者はいませんでした。また責任を取らされることもありませんでした。

後方の司令部は前線に比べてはるかに安全で食糧もありました。そのような環境のなかで誤った作戦指導を行ったにもかかわらず、責任はとらない。敗戦の責任は前線の指揮官に押しつけられました。他人を安易に批判することは許されませんが、卑怯といってもっとも卑怯なのは、作戦を立案し実行を決めた司令官や参謀たちだと思います。

すぐれた文学は読み手の経験や考え方に応じて、いくつもの顔を見せてくれます。この作品を読めば、人それぞれに戦争について考えがわいてくると思います。戦記文学は多くありますが、なかでもこの作品はずっと残してほしいと思っています。残念ながら今は古本でしか手に入りませんが、関心をもたれた方はアマゾンなどで探してみてください。


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